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伯爵令嬢は王国の騎士になりたかった 2

 王都へたどり着くとそこは別世界だった。

 街の門をくぐるとワッと人の声があふれる。祭りでもしているのかと思えばそういうわけでもないようで、この賑やかさが常なのだと、情報収集がてら入った食堂で言われた。



 「お嬢ちゃんはどこから来たの?」

 「プロスパシア領。何もない田舎よ」

 「もしかして初めての王都かしら。楽しんでいってね、ここには世界中の夢と物語が集まる場所よ。一時であれば手に入らない物も夢もないわ」



 恰幅の良い女店主は私に大きなサンドイッチを出しながらそう言った。

 レタスのたくさん入ったサンドイッチの一つを店でたべ、もう一つをナプキンに包んで鞄に入れた。はしたない、と家族がいたなら叱りつけるに違いないと思うと少しだけ楽しい。

 実態は野山を駆け回りたい娘なのに没落状態といえど伯爵令嬢なのだからと張りぼてに詰め込まれそうになっていた。

 けれどこの王都ではもう私を縛るものは何もない。



 「ちょっと覗いていかないか!海の向こうの砂漠の国、トカゲに化けた魔人と魔術王の物語!劇団ラ・ポンテ!上演まであと15分だよ!」

 「新刊出てるよ!1時まで限定の2冊以上で1割引き!」

 「5分でわかる古典オペラ!原典も譜面も販売中!」



 大通りには人々が行き交い、店の中からは呼び込みの声がひっきりなしに飛び交っていた。どこかへ行く目的から目を向けない者から惑うように店先を冷かしていく観光客。誰も彼も自由に歩き回り、そしててんでバラバラな方を向いている。それでもきっとここにいる皆この国を、物語を愛している人たちなのだろう。店に目もくれず足早に通り抜けていく青年の手にも分厚い本が数冊抱えられていた。

 どこを見たらいいかとふらついているとお盆にいくつものグラスを乗せたボーイがいた。



 「嬢ちゃん観光客か?あんまり歩き詰めてると喉乾くだろ、一杯飲んできなよ」

 「ありがとう、でも大丈夫」

 「ま、ま、一杯は無料だから。気に入ったらお店へおいで」



 にこにことした男だが押しが強い。グラスの中を見ればかすかに濁った黄色。匂い立つのはリンゴの香りだった。リンゴ園はプロスパシア領にもある。おそらくこれはそう質の良いものではないのだろう。けれど断るほどでもない、と一つ手に取った。



 「おい」



 だが手に取ったグラスはアッという間に奪われた。そしてそのグラスはその場でひっくり返される。重力に随う果実酒はボーイの靴先にはねた。



 「い、いきなり何するんだ!?」

 「零しちゃうなんてもったいないでしょ!?」



 私たちの動揺も非難も意にも返さず黒髪の青年は澄ました顔で鼻で笑った。



 「よくわからん薬の入ったシードルなど、もったいないもくそもないだろう。端から飲めたものでもないぞ小娘」

 「こむ……!?」



 思わずカッと頭に血が上る。

 もう私は15だ。子供なんかじゃない。何よりこの目の前にいる青年だってきっと私と大して年も変わらないだろう。なのに私を子ども扱い、そのうえ初対面の人間に対してこの不遜な態度。王都にはとんでもない礼儀知らずがいると心の中で毒づいた。



 「大体薬だのなんだの言いがかりじゃないの!? そんな一瞬で、」



 わかるわけが、と言おうとしたところでボーイは形相を変え持っていたお盆を放り出した。そして一目散に走りだす。あっけに取られる私を尻目に口元を緩ませた青年がそれを追いかけた。アッという間にその背中に迫ると器用に身体全体を使い自身より体格のいいボーイを投げ出した。



 「はっはっはははは! 弁明の一つもなく逃げ出すとはつまらん男だな。もっと愉快な口上や面の皮の厚さを持たんか。犯罪者の風上にも置けん。やるのであれば、派手に華麗に狡猾に! スリルあってこその罪だろうに」

 「は、離せ! くそっ、」

 「……抵抗の言葉も人並み以下。面白みのかけらもないな」



 どこか気取ったような、役者がセリフを読み上げるような嘘くささが一瞬で霧散し、投げかける言葉と視線に背筋がぞっとした。その視線の先は私でもないのに、今こうして見られている地面に投げ倒されたボーイはどんな心地だろう。ボーイが何をしたのか私にはまだ把握できないけれど、さすがに哀れに思えてきた。



 「おい! いたぞ!」



 人混みの向こうから鋭い男の声が聞こえた。その声は一つではなく、複数の人影がこちらへ向かってくる。人々の合間を縫って見えるのは王家の紋章の入った制服。



 「王国騎士団……!」



 ネイビーの団服に銀色の刺繍。幼いころに憧れた騎士の姿がそこにあった。どこから騒ぎを聞きつけたかわからないが、ここで揉めてからまだ数分と経っていない。さすが王都だけあって対応がとんでもなく早い。



 「こっちです!」

 「馬鹿者呼ぶなっ」



 ボーイの方へ彼らを呼び寄せようと手を振れば、その手を黒髪の青年ひっつかまれた。せっかく応援を呼んだのになんだと彼の顔を見れば先ほどには見られなかった焦りの表情。そうして気づいた。

 先ほどの騎士のいたぞ、というセリフはこの騒ぎを引き起こしたボーイではない。



 「追われてんのはあんたの方!?」

 「うわははは! 逃げるぞ田舎娘! おい貴様ら、私など追いかけ回してないでそこの男を捕まえろ! 客引きのふりして薬を盛っている、叩けばまだ余罪が出るであろう!」

 「ちょっ、なんで私まで!」



 ぐん、と手を引かれ反射的に駆けだした。あれよあれよと人波を抜けて喧騒は遠のいていく。もちろん、喧騒はボーイを捕縛する声だけでなく、逃走している私たちに向けられている声もあるわけで。

 あまりの自分の不運さを嘆けばいいのか、それとも都会とはこれほどまでに治安が悪いものだと諦めるべきか、何はともあれ特大のため息をつきたくなった。




************************************




 10分ほど走ってたどり着いたのは先ほどの大通りよりかは幾分か人の減った露店街だった。握られたままで走りにくかった右手がようやく解放される。王都に上ってきたというのに出鼻をくじかれた上にうっかり王国の騎士たちから追いかけ回される立場になってしまった。文句の一つでも言ってやらねば気が済まない、とここまで連れてきた青年に向き合った。



 「は、はあ、はあ、げほっ……ひゅっ、」



 肩で死にそうな呼吸を繰り返す青年を見ていると燃えていた怒りも鎮火されてしまった。たった10分、それも大したスピードでもなかったというのに呼吸器が死にかけているとはみっともない。都会っ子とはこういうものなのだろうか。



 「……あんた騎士たちに追われてるわりにどんくさいわね。むしろ今まで捕まらなかったのが信じられない」



 ボーイを捕まえたときはかっこよかったのに、という言葉は言ってやらない。あまりの落差にもはや見間違いレベルだ。



 「ゼェ、の、あいにくと頭脳派でな……切った張ったは管轄外だ……むしろ、あれだけ走ってなぜ、貴様は息切れ一つしとらん」

 「あいにく切った張ったが専門だから、っていうより本当に大丈夫?病弱とかそういうの?」

 「……ただの運動不足だ」

 「さてはボンボンだな?」



 よくよく見れば青年の身なりは良いものだ。その顔同様地味だが仕立ては良いし、ほつれや大した汚れはない。ただやはりオーラというものがまるでない。よく観察でもしなければその辺にいる子供とそう大差がない。



 「はー……、あながち間違いではない、がまるで私が犯罪者か何かのような物言いはやめろ。私はただ散歩をしていて、そして街中で不届き者を捕らえただけの善良な一般市民だ」

 「胡散臭さが留まるところを知らないわね」

 「ミステリアスと言え、田舎娘」



 相変わらず小馬鹿にしたような呼び方にムッとする。間違いでないことにも腹が立つし、私の所作に田舎臭さが出ていたかと思うとなおのこと腹立たしい。



 「田舎娘田舎娘言わないでくれる? 私はアコニート・プロスパシアって名前があるの」

 「ほーお? ……プロスパシア、プロスパシアなあ?」



 何か思い出そうとするように口の中で私の苗字を繰り返した。どうせダーゲンヘルムの端っこの小さな伯爵領のことなど知らないだろう、と高をくくっていたから、彼がハッとした顔をしたことに驚いた。



 「ああ、ああわかった。 お前プロスパシア領の末子だな! プロスパシアのお転婆伯爵令嬢」

 「……プロスパシア領、知ってるのね」

 「当然だ。国内の領主や領地のことを知らんなどということはありえんだろう」

 「百歩譲ってそれはわかってくれるとして、なに? お転婆伯爵令嬢って」



 くつくつと喉で笑う青年に聞く。なんとなくわかっていたが、確かめたかった。



 「お前の昔馴染みが言っていたぞ。プロスパシアの娘は常識外れのお転婆で嫁の貰い手がいない。挙句馬術や狩り腕前はそちらの地方では随一だと。呆れた風を装っていたが、なんだかんだ可愛いらしいな」



 うすうすわかってはいたがやはり昔馴染みの仕業だった。いっそのこと安堵する。彼が何を話してなくて私の嬉恥ずかし武勇伝が王都にまで知れ渡っているとあれば大手を振って歩けない。



 「それで?」

 「それでって?」

 「今日は王都へ観光か、プロスパシアの娘よ」



 三日月を描く口元に今度こそ深いため息をついた。



 「いいえ、騎士になるために王都に上がってきたのよ」

 「騎士、王国のか?」

 「ええ、私は私の持ってる力を使いたいの。笑いたいなら笑いなさい。でもその辺の男よりずっと使える自信はあるわ」



 腰に帯びた剣をぱしっと叩く。

 女なのに、貴族なのに、なんて耳がタコになるほど聞いてきた。狩りや森に近かった領地にいたころとは違う。きっと都会じゃそれこそ耳を疑うようなことだろう。

 それでも私は騎士になりたかったし、それを恥じるようなこともしたくなかった。



 「ふ、はははははっ! 騎士、騎士か、うん……。伯爵令嬢の騎士とはまた随分大見え切ったものだ」

 「笑えと言ったけどそこまで笑われると叩き切りたくなるわね」

 「いや、馬鹿にしているわけではない。その身一つで騎士になるため王都に出てくるご令嬢など、素晴らしいじゃないか。実に物語らしい!私の好みだ」



 ひとしきり笑って満足したのか、青年はまた芝居がかったように私に向き直った。



 「王都へようこそ、プロスパシア伯爵令嬢、そして可憐なる騎士候補よ。王都へ上る華々しい日を邪魔してすまなかった。それについては詫びよう」



 恭しく、けれど心底楽しそうに彼は私の手を取った。



 「詫びにこの王都を案内しよう。この街に私の知らぬものはない。私の名前はファル。物語を愛するしがないダーゲンヘルム国民だ」



 ファルと名乗る赤目の青年は宝箱の中身を大人に見せる子供のように誇らしげに胸を張った。



 「都は君を歓迎しよう」

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