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伯爵令嬢は物語の終わりを見た 3

 けれどそれは許す理由になるだろうか。いや、そもそも縋るものが「シルフ・ビーベルは悪役令嬢」という概念だったのだろうか。彼女はなぜそう思い込んだのかが理解できない。そしてなぜそんなものに縋るしかなかったのか。



 「君は、カンナ・コピエーネと話をしてなぜ自身が悪役令嬢と呼ばれたのかわかったのか」

 「ええ、いわく私を悪役令嬢としたのは世界らしいです」

 「世界?」

 「彼女が決めたことでも、私の行いにより決まったわけでも、この世界ではわたくしが悪役令嬢であることは決まったことなのらしいです」



 思わず眉を顰めた。いよいよもって意味がわからない。世界とはなんだ。そんなスケールの話なのか。そして自身は悪役を倒す正義の味方だとでも、この世界が決めたことだとでも宣うのだろうか。



 「馬鹿馬鹿しいと思われますか?」

 「……ああ、残念ながら、理解し難い」

 「それでも彼女はそんな与太話に命をかけたのです」



 自分の命も誠実さも、そしてわたくしの命さえ。



 「もし、彼女がこの世界とは違う世界から来たとしたら、アコニートさんはどう思われますか?」

 「違う世界……?」

 「実は彼女はこの世界だけではなくてたくさんの世界を知っていて、そのうちの一つにこの私達の世界があった、とか。だから彼女は365日、ありとあらゆる文化や時代の物語を語れたんじゃないかって、思うんです」



 それはまるで天と地をひっくり返すような発想だった。

 それではまるでこの私達の世界が数多ある物語の一つのようではないか。



 「……だから彼女はその”物語”の通りに動いた、と?」

 「ええ、その”物語”を再現するために。その物語こそが、正しさだと信じて縋って。……悪役令嬢というキャラクターであるわたくしに縋ったのです」

 「だがその結果彼女は、」

 「正義の味方なんかにはなれず、牢に入れられることとなりました。何もかもを失って」

 「ならばこの世界は彼女の知る物語ではなかった」

 「ええ、だってこの世界は彼女が思っているよりずっと自由でした」



 饒舌になってきたシルフの言葉の意図がつかめず口を噤んだ。

 カンナ・コピエーネはこの世界の人間ではなく、そのどこかで物語を読んでいた。

 この世界は物語の世界だから、彼女は知っている物語の通り動いた。それを正しさだと思って。

 けれどこの世界はなにかに縛られた物語ではないので、思ったとおりにはいかなかった。



 「……混乱してくる」

 「きっとこの世界は彼女の知る物語によく似た世界なのでしょう」

 「……」

 「彼女の知る物語の、あったかもしれない世界線なのかもしれません。正義が悪を倒したもっと先の物語。実は正義こそが間違いで、悪なんてものは最初から存在しない物語。読者であるカンナさんはそれに気がつくのが遅すぎたのです」



 もはや理解が追いつかない。彼女がなにを言いたいのかまるで掴めなかった。

 この世界は物語である、と。けれどそれはカンナ・コピエーネの知る物語ではない、と。

 即興で考えた与太話を語っているようには見えない。彼女はなにか確信を持って話している。けれど私と彼女では見ているものが違いすぎて会話にならない。いや、彼女はもうわからせる気がないのかもしれない。ただ彼女は吐き出したいだけだ。けれどその聞き役に自分が選ばれる覚えがない。



 「私は、自分で自分を縛りながら生きるしかなかった彼女を哀れに思います。物事を知りすぎてその結果一つの道を進むしかなかった彼女のことを」



 ひどく気持ちが悪かった。

 目の前のものの言っている意味がわからなかった。そうしてそれをきっと大真面目に彼女に話したのだろうカンナ・コピエーネも、まるで理解できなかった。


 この二人はいったい何をわかりあったというのだろう。荒唐無稽でなんの根拠もない絵空事を共有して何になる。文字に記し物語とするならいざ知らず、それを現実に結びつけるなどあまりにも馬鹿げていた。ましてそれをこの世の真理のように語り、大切なもののように丁重に口にするなど。

 言葉も概念も物語も、シルフ・ビーベルとカンナ・コピエーネの二人の間だけで完結している。いや、もうそれでいい。だがそれに対する理解を私に求めるのは違うだろう。


 彼女たちと私の見ているものは全く違う。

 それが気持ち悪く、そして妬ましかった。



 「……哀れみなどない。荒唐無稽な絵空事など、現実には価値はない」



 もしもなんて柔軟に考える力は私にはなかった。私にあるのはいつだって踏みしめるだけの現実と手を伸ばせば触れられる確かなものたちだけだった。



 「たとえそれが事実であったとしても、手の内にあるのは自らの犯した罪だけだ。過程など、心情などに価値はない。自分の行いが道程となり、行動が自らを自らたらしめる。同情の余地などない。どんな過程であれ、それを選び取ったのはカンナ・コピエーネ自身だ」



 彼女がどのようにして生きてきたかを、私は知らない。どこから来たのかも、まるで書庫かなにかのような物語のストックの源も私は知らない。何より、この国にとっての脅威にならないと分かったのならもう知ろうとする理由もない。



 「たとえ懊悩と煩悶の果ての選択だったとしても、彼女が自分の意志で選び取ったものなのだろう。ならばその愚かさと行動力に敬服することこそすれ、哀憐など見せるべきではない」



 何も知らない、私は。私に見えるのは彼女が歩いてきた道のりとそれによって生み出された事実だけだ。

 国一つ滅ぼすこととなった大博打。愚かな選択をしただろう。身の丈に合わないものを手に入れただろう。けれどそんな博打をただ一人でうち、身一つで大立ち回りを演じて見せたその胆力と精神力、行動力だけは敬服に値する。たとえそれが認められるものでないとしても。



 「少なくとも、私にとってはな」



 あくまでも私一個人の考えだ。哀憐も、憐憫もない。けれどこの目の前の彼女にとっては違うだろう。心を傾け、哀れみのまま手を伸ばす。陛下であれば冷酷さと好奇心をもって手打ちとする。



 「所詮はどれも個々人の所感にすぎない。ある者は君の哀れみを慈愛と褒めたたえ、ある者は無礼と怒るだろう。同じように私が敬することを平等とたたえる者もいれば、罪人に向けるべきではないと怒る者もいるだろう。そしてその評価もまた、所感にすぎない」



 シルフはただ私の言葉を聞いていた。

 打たれても打たれても、慈愛を忘れず、罪を犯した者を憐れむ姿はさながら聖女か何かだろう。けれど慈愛こそが正しさではない。正しいのではない。ただ彼女にとってそういったかかわり方が向いていたという、それだけの話だ。



 「この問答もまた意味はない。君がどんな答えを望んでいるかは知らないが、私の話すこと、君の話すこと、客観的事実を除けばどれも虚ろで確かなものなどなにもない。絶対的な正しさが存在しないのと同じように、絶対的な間違いもまた存在しはしない。時代、立場、状況によっていつだって二転三転する」

 「……では、正しく生きるためにはどうすればいいんですか?」



 急に迷子のようなことを言い出す。その顔はひどく幼く見えた。 

 そうしてようやくなぜ私がこの話の聞き役に選ばれたのか知った。

 きっと彼女には私がさぞしっかりした大人に見えたのだろう。女だてらに王国の騎士団に飛び込んで剣を振るい、それなりの立場にいる。そのうえ今回のこの緘口令の敷かれている話題に関しておおよそのことを把握している人間だ。どう関わっていいか考えあぐね、無骨な口調を崩さず接していたのが悪かったのかもしれない。彼女にとって立派な大人にカテゴライズされてしまったのだろう。


 彼女は自分がしてきたことの何かを間違いだと思っているのだろうか。

 公爵令嬢として、彼の王子の妻として生きられなかったこと。この国で自由に生きていること。連れ戻そうとする母国を切り捨てたこと。カンナ・コピエーネを生かしたまま解放したこと。

 それとも、カンナ・コピエーネの何かを正しさだと思っているのだろうか。

 強い意志を持って男爵令嬢から皇太子妃にまで上り詰めたこと。煩悶に塗れながらも演じきったこと。あまたの美しい物語を語り自由を手に入れたこと。

 それとも正しい道を選んでいれば、二人そろって幸せな今を歩めたかもしれない、なんてあったかもしれない道だろうか。



 「ただ自分を信じて生きるだけじゃないのか」

 「自分を?」

 「どうせ正しさなんて形を変える。他人からの評価は玉虫色。なら自分が信じた正しい選択肢だけ取ればいい。そうすれば、少なくとも未来の自分の後悔だけはなくなるはずだ。いつだって最善を選んだ結果の未来だ。どんな未来が来たって、それ以外に選択肢はなかったと言えればいい」



 自分勝手でいい。誰かの顔色を窺っても、誰かのいい子でいようとしても、その誰かは自分の未来に責任は取ってくれない。なら何から何まで自分勝手に決めてしまった方がいい。

 自分の選択も、自分の正しさも、自分の後悔も、なにもかも自分だけのものだ。ほかの誰かにくれてやるものか。



 「…………、」



 だから目の前で流す彼女の涙も、彼女のものだ。悲しみなのか、悔しさなのか、それすら私には触れることはできない。



 「私は、」

 「うん」

 「これでよかったと思っています。でもやっぱり思ってしまうんです。もっと自分がうまくやれてたら、誰も死なずに済んだんじゃないかって、みんな幸せに生きられたんじゃないかって」



 自分がもっとしっかりしていれば、カンナだってただの友達として手を取っていられたかもしれないって。

 自分がもっと心を傾けていれば、王子も周囲も騙されることはなかったんじゃないかって。

 自分がもっと正しさの主張ができたなら冤罪に巻き込まれることなく、両親や兄も地位や名誉を失わずに済んだんじゃないかって。



 「なくなったものは、戻らない。後悔しても何も得られない」

 「でも、」

 「後悔ももしもも、すべて踏みつけて乗り越えていけばいい。悲劇も惨劇もすべて必要なものだったと」



 カップに残っていた紅茶を一気にあおり飲み干す。これ以上の会話は不要だ。テーブルに十分な代金を置いて立ち上がる。



 「いくら私と話していても、君は君の望むような答えを得ることはできないよ。私は私のしたいように生きているだけで、完璧な人間でも理想の人間でもない。後悔の飲み下し方は君しか知らないことだ。私と君とじゃ性格も立場も道程も違う。同じように考えても、君は君の後悔を払うことはできない」

 「アコニートさん、」

 「私は後悔を踏みつけてきた。不要なものと、持っていても仕方のないものだと。けれど君は違う。踏みつけるだけの力強さも非情さもない」



 後悔しなかったわけじゃない。

 何もかも振り切って田舎から飛び出してきたことを。

 ただ一心に騎士を目指すばかりで、自領をないがしろにしてきたことを。

 家族の娘としての期待を裏切ったことを。

 だがそれよりずっと、私は自由でいたかった。自分のしたいことのために、私は悔いも柵も踏みつけて前に進む。



 「君には罪人にまで慈愛と優しさがある。ならその優しさを十分の一でも自分自身に向けるといい。選択した自分自身を許せ。自分の悔いも間違いも許せ。そして前を向くといい。……それでいいのかは知らないけどね」



 これ以上はやっていられないと背中に向けられる視線を感じながらそそくさと店から出た。


 人の悩み相談を受けられるほど、私はできた人間じゃないし、アイリーンのような余裕のある人間でもない。迷える若者に適切な助言などできるはずもない。そのうえ自分が得意としない相手なら、なおさら。


 日はすでに上り、大通りには人が行き交う。ただでさえ、疲れていたのに、疲労感はすでに数倍にまでなっている。報告は午後からにして、ひとまず仮眠を取りたかった。

 人間らしくないと思っていた娘は、私が思っていよりずっと人間臭くて不器用な子だった。

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