伯爵令嬢は物語の終わりを見た
「君は、これでよかったのか」
「ええ、これでよかったんです」
何の憂いもない穏やかな顔で、シルフ・ビーベルはそう答えた。
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とある春の日、とうとうかの傾国、カンナ・コピエーネは365の物語を語りきった。
まさか本当に無罪放免とするのかと陛下に聞くと、約束は約束だ、とだけ言い、彼女の放逐先の資料を私に寄こした。ダーゲンヘルムの最北に位置する山の村、ネーヴェの地図だ。標高の高い豪雪地帯で、酪農や牧畜が盛んな小さな村だ。
「ネーヴェにあの男爵令嬢を?」
「ああ、もう男爵令嬢でもなんでもないがな。あの村の住民は気性がおおらかで、田舎でありながら閉鎖的になっていない。カンナを放り込んでも何とかなるだろう」
「……事故に見せかけて、雪崩で殺処分、ですか」
「違う。お前の中の俺はどんなやつなんだ」
放逐するというならば行った先で何らかの形で処分するのかと思ったが、陛下の呆れたような顔を見る限り、本当にただ放逐するだけと考えているようだった。
陛下がそうすると決めており、当事者であるシルフ・ビーベルも特に異論がないというなら、生かしたままにするべきなのだろう。けれど私はいまだにあの娘の異常性から、処分したくてしょうがない。危険因子はすべて摘んでおくべきだ。だが陛下が言うのなら、生かしておくだけの理由があるのだろう。
「まあお前の不安はもっともだ。私も正直なところ殺しておきたい。面白い興味深い、というのを差し置いてもな。だがあれは珍しくシルフが望んだものだ」
最大の被害者であるシルフ・ビーベルがカンナ・コピエーネの生存を望んだ。全くもって度し難いことであった。
ただ、同時に妙な納得感があった。
カンナ・コピエーネにとって悪役令嬢であるシルフ・ビーベルは唯一無二のものだった。
良くも悪くも彼女のことを特別視し、執着していた。
一方のシルフ・ビーベルもまた、カンナ・コピエーネを特別に思っていた。
身に覚えのない悪意をぶつけてくる存在、無限のように思えるほどの物語を語ってみせるその姿を、シルフ・ビーベルはただ一年間見守り続けた。陛下の意思に逆らうことで命の危険があったかもしれないというのに、そうまでしてカンナ・コピエーネの生を願った。
「私には、彼女たちの中に何があるのかわかりかねるがな」
「同意いたします。彼女たち二人は、あれで完結した関係性なのでしょう」
かつての友人だとか、被害者と加害者だとか、そんな簡単な言葉では言い表せない場所で、彼女たちは向かい合っている。私たちの理解の範疇を越えた場所で。
「当日はお前が護送を担当しろ。あの娘の姿をさらす人間は極力少なくしておきたい」
「承知いたしました。……生きて放逐されたと知れたら”怪物”の威信に関わります」
「はっ、忠実な”森の王”は察しが良いな。護送後は特に見張りなしですぐに王都へ戻ってこい。しばらくは一人だけで村の生活をさせる。ラクスボルンでは雪が降らん。雪国での生活に耐えかねて脱走しようとする可能性もある」
雪深い山の中からの脱走。それはほとんど自殺と同義だ。
「見張りはあの娘が村に馴染んでからにする。同時に村に送っては勘づく村人もいるだろう。何よりあの娘に騎士団の者とすぐにわかってしまう。今春の新規入団者の中から一人見張り役を見繕え。できるだけ愚直そうで、田舎出身が良い。うっかり町育ちを選んで見張りどころか自分の世話で手一杯、なんてことになってはかなわん」
「そうですね……田舎出身なら何人か、確かやや標高の高い農村出身の者が一人いたかと」
愛嬌のある子だ。曰く騎士になりたくて憧れの王都に出てきただとか。自分と経緯が似ているため少し覚えていた。せっかく王都へ出てきたところを田舎へ逆戻りだなんて可哀そうだと思わないでもないが、陛下直々の命で行けるのは名誉なことだ。なにも永遠にそこの地での任というわけでもない。性格も人好きのするタイプで、村人に馴染むのに申し分ないだろう。
「数か月したところで見張りの騎士を送る。以降は定期交代。……私にはあの娘が何者なのかわからん。結局ラクスボルンでの児戯のような嘘がまかり通った理由も、皆してあの娘を盲目に信じた理由も。同じようなことがネーヴェでも起こらんとも限らない。常に見張りはつけつつ、村人たちの様子もうかがう」
プライドの高い陛下が「わからない」と明言することは珍しいことだった。いつだって余裕綽々という顔をするこの人は、すべてをわかっているかのように振舞って見せる。
怪物である陛下にあの怪物の娘がわからない、というなら凡夫である私にわかるはずもない。
「はい、次もしネーヴェで万が一のことがあれば」
「……ああ、躊躇はするな。ネーヴェで起きたことなど、王都まで風に乗ってくることもない」
一瞬の逡巡にじとりとした視線を向けると笑って誤魔化された。間違いなく、陛下はそれを面白いと思った。もし次そんな異常な事態が起こったなら王都まで引きずり出してその方法を聞き出してやろう、と言った好奇心だ。危機管理より好奇心が先走るこの人はどこまでも楽観的だ。
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カンナをネーヴェへ送り届け、王都へ帰ってきた早朝。私を出迎えたのはどうしてかシルフ・ビーベルであった。
「お疲れ様ですアコニートさん」
「……ああ、なんで君がここに?」
「アコニートさんと、お話したいことがあったんです」
春の色をした両目が私を見上げる。
なんとなく、なんとなくだがこの娘の浮かべる表情にどこか気圧されてしまう。自分よりはるかに小さく非力だというのに、その笑顔はなぜか有無を言わせない雰囲気があるのだ。徹夜明け、旅帰りだから後日にしてくれと言う隙もない。
少し前を歩くシルフの後を追うように歩く。歩幅は小さく、小動物のようで、うっかり踏みつぶしてしまいそうな危うさがある。
連れてこられたのは王都の郊外にある喫茶店だった。彼女は慣れたように店の戸を押す。ファンシーな空間に慄く私などお構いなしだ。モーニングを行っているブックカフェらしく店内にはいくつもの本棚が置かれていた。
「こっちです。奥の方に庭がよく見える席があるんですよ」
宝物でも見せるように笑うシルフに彼女はこんなにも強引だっただろうかと首をかしげる。陛下やアイリーンから聞いた印象とはかなり違う。以前雪の日に会ったときの異様な雰囲気とも違う。どこにでもいる、少し人懐こい娘にしか見えなかった。
案内された席は彼女の言う通り、よく手入れされた庭がよく見える個室だった。春ということもあり、庭にはたくさんの花々が惜しげもなく咲き乱れている。
「早く来た日しかここには座れないんです」
いそいそと座りメニューを私に渡す。先に決めるようにと声をかけるが、もう決まっているから、と断られる。どうやら本当にここの常連らしい。待たれるという居心地の悪さを感じながら空きっ腹に向いているメニューを探した。




