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伯爵令嬢は悪役令嬢の物語に触れる 3

 「あの女は、」

 「魔女だ。」

 「悪魔だ。」

 「鬼だ。」

 「まさしく化け物であった。あの化け物の呪いが解けたとき、すべてが手遅れだった。」

 「我々は騙され、操られていた。」

 「この国は、ラクスボルンはあの女の箱庭にされてしまったのだ。」



 男たちは口々に言う。

 かの少女は怪物であったのだと。

 国に、人に呪いをかけた。自身が快適に過ごせるように、自分のためだけの箱庭が作れるように。


 口裏を合わせたわけではないだろう。彼らはただ、そう感じていたのだ。

 まるでお伽噺に出てくる悪い魔女かなにかのようだと。


 そのとき、少女は現れた。

 レオナルドに半ば引きずられるように連れられた、みすぼらしい少女。



 「レオナルド、それが?」

 「はい、これがカンナ・コピエーネです。」



 思わず目を見開いた。

 これが、これが国一つ騙す大博打を打った少女なのかと。

 こんな目も惹かれない、どこにでもいそうな少女が、この惨状を作り上げた諸悪の根源なのかと。

 くすんだ栗毛、傷だらけの肌、、細い小枝のような手足、明るい金の瞳はこの夥しい赤に怯え、涙に揺れていた。

 国一つ亡ぼしてみせた傾国は、奇妙なまでに平凡な少女だった。


 唖然とする私を置いていくように、男たちの怒気が膨れ上がる。



 「カンナッ!お前のせいでこの国は……!」

 「なぜ貴様がまだ生きている!貴様こそ真っ先に死ぬべきなのに!」

 「貴様のような小娘のせいで、なぜ我々が殺されなければならん!」

 「阿婆擦れがっ今すぐ死ね!」



 溢れぶつけられる憎悪、嫌悪、怨念に少女はたじろいだ。けれど硝子のような目は逸らされない。怒る彼らを彼女は真正面から見つめていた。



 「わ、私はっ……こんなことになるなんて思ってなかったっ……!」



 その小さな口から出た言葉は震えていた。

 こんなことになるとは思っていなかっただろう。


 もし彼女が物語のヒロインのように、魅力的な王子様と結婚することを夢見ていたならその結末の先にこんな血と恨みと絶望が待ち構えているとは、夢にも思わないだろう。

 ヒロインは幸せをつかみ、悪役はいなくなった。

 そんな物語の結末は現実ではありえない。


 けれど途中まで、彼女はお伽噺のような物語を紡いで辿ってしまったのだ。


 彼女はもう何も話さなかった。ただぶつけられる罵倒を飲み込むように、受け取るように、彼らの前に立っていた。

 どれだけ罵倒されようとも、宰相子息の首が目の前ではねられ、その血を一身に浴びようとも、彼女は声一つ上げず、ただこの部屋の惨状を、自分の紡いだ物語の結末を見ていた。


 叫び命乞いをし、陛下の気まぐれを期待しながらその生に縋ろうとする男たちを横目に、一瞬陛下が私に視線をやった。私を見る目はいつもの落ち着いた目で、ざわつく心を押さえつけながら、一歩下がり壁沿いに待機した。

 この地獄に間もなく幕がおろされる。



 「死刑だ」



 その言葉と共におろされる刃。悲鳴の一つも上げることなく、男たちの首は落ちていった。首のない死体からどくどくと溢れる血から目を逸らした。


 陛下は私にこういった処刑をさせないよう計らってくれている。

 曰く、家畜の屠殺よりもさせたい仕事がある、と。気を遣われているのだろう。正直家畜の屠殺自体は田舎にとって秋の風物詩のようなもので嫌悪感はない。

 ただ、彼にとって処刑とは家畜の屠殺のようなものなのかと背筋が薄ら寒くなったのを覚えている。

 緊迫していた空気があっという間に霧散する。ここに集められているのはダーゲンヘルムの中でも古株の兵士たちだ。彼の人の凶行にも幾度となく付き合っている。慣れた手つきで死体を片付けていた。

 そして、唯一の生き残りはまた、呆然とその光景を見ていた。



 「ああ……カンナ・コピエーネ。」



 陛下が立ち尽くした少女の前に立った。涙のたまった瞳が揺れる。そして陛下を視界に入れると同時に彼女は膝をつき激しく嘔吐した。

 いたって普通の反応だ。つい先ほどまで嬉々として殺戮を指導した男が眼前の立つのだから。

 真っ青な顔には恐怖、怯え、懇願、困惑が綯交ぜになった表情が浮かんでいた。


 傾国のような美しさも、大立ち回りを演じるだけの度胸も、大法螺を吹く狡猾さも、今のカンナ・コピエーネには見受けられなかった。



 「死の匂いなど、初めて嗅いだだろう?人の死体など、初めて見ただろう?返り血など、初めて浴びただろう?」



 陛下がそう問うたとき、顔つきが変わった。

 かすかに上げた顔。恐怖に塗れていた目が、色を変える。


 怒り、反抗、それは叛逆の目をしていた。

 陛下も誰も、それを気に留めた風もない。だがその目には確かに陛下の言葉に怒っていた。

 死の匂い、死体、返り血。彼女はいったい何に怒ったのだ。



 「……っ、わ、たしはっ、」



 震える声は恐怖じゃない。押し寄せる感情の波に揺れる声だ。

 つと彼らの傍へとにじり寄る。いつでも少女の首を刎ねられるように。

 たとえ武器を持っていなくても、嘔吐し膝をつく無様を晒していたとしても、あの目をする者を捨ておくことはできなかった。追い詰められた獣は、満身創痍だとしても捕食者の喉元に喰らいつくものだ。

 目の前の死の恐怖に勝る怒り。だが陛下の言ったそれに、果たして彼女が触れたことがあるだろうか。腐っても王太子妃。腐っても男爵令嬢。蝶よ花よと大切に育てられて来ただろう。なのになぜ彼女は怒るのか。

 陛下からの問答は続く。淡々と、この場の支配者として。



 「……し、しにたくないっ……!」



 半ば叫ぶように、貧相な少女は叫んだ。


 ”死にたくない”それは実にシンプルな命乞いだろう。生物として正しい渇望。つまらない答えだとでも言うように陛下は短く「持って帰るぞ」とだけ言った。もう彼女への興味をなくしたのだろう。


 私だけが、彼女の一挙手一投足を見ていた。

 嘔吐したばかりで顔は汚れ、苦し気な息遣いはもう限界を訴えていた。

 けれどその目は、先ほどの叫びは、まだ心の折れていないものだった。


 あの言葉はただの命乞いではない。幾度となく「死にたくない」という命乞いは聞いてきた。けれど彼女の言葉は今までのそれではない。今目前に迫りくる”死”の拒絶ではなく、”死んでなるものか”という信念がそこにはあった。


 けれど今更カンナ・コピエーネは何を為そうというのか。

 彼女にはもう何もない。生きてダーゲンヘルムへ連れていかれたとして、その先に明るい未来など待ってはいないだろう。それともラクスボルンの者たちが言っていたように”呪い”でもかけてみせるというのか。



 「シルフへの土産だ」



 その名前を聞いた途端、彼女の顔は豹変した。

 焦燥、疑問、苛立ち。数々の感情がその顔に浮かぶ。

 さぞ憎いだろう。自分が嵌めて殺したはずの人間が今も生きていて、そうして作り上げた理想の世界が彼女によって崩されて。


 自分が陥れられる側に回って、さぞ怒り狂うことだろう。



 「シルフ、シルフ・ビー、ベルッ……!」



 絞り出すように、かの公爵令嬢の名前を呼んだ。 

 鳩尾に蹴りを入れられ、今度こそ意識を失った少女は床に崩れ落ちた。



 「アコニート、こいつを連れていけ。とりあえず生きたまま連れ帰る。それからどうするかまだ分からんがな」



 くつくつと、愉快気に笑みをこぼす陛下はきっとこの少女を見せたときのシルフの反応を思い浮かべているのだろう。


 比較的血で汚れていない死体のコートをはぎ取り、それで少女を包んで持ち上げた。身長は平均女性ほどだが、その罪深い身体は恐ろしく軽かった。よくもまあこんな小さな身体で数多の人間を騙しきるだけの胆力があったものだと、嘆息するほどに。



 「……何者なんでしょうね、この少女は」

 「さあな。歪でちぐはぐ、形が見えてこない。ただどうにかしたくなるような特殊性がない。怖ければ泣き、死が迫れば命乞いをする。実に平凡な少女だ。……だが先ほどシルフの名前に反応しただろう。あの憤怒を、厭忌の激情を見ただろう。未だ化けの皮を被っているというなら剥いでやらねばならんだろう?」



 憤怒を、厭忌の激情。その言葉に私は返事が返せなかった。

 陛下には彼女が”怒っている”ように見えたのだろう。妬み、恨み、憤怒する声をあげたと。

 確かに彼女の状況を見ればそうなるだろうと想像もつく。実際私もそういった反応をすると思っていた。


 けれど私にはどうしてかそう聞こえなかった。


 シルフ・ビーベルの名前を口にした彼女は様々な感情の波の中にいた。焦燥感、疑惑、戸惑い、数多の感情が押し寄せ、声に乗せられる。

 なのにその声のどこにも怒りや恨みの色がなかったように感じたのだ。

 処理しきれないほどの感情や思いがあった。にもかかわらず怒りや恨みだけは感じなかったのはなぜだろう。それが一番表に出ていてもおかしくないというのに。


 ダーゲンヘルムの怪物はこの少女を平凡と評した。けれど私には彼女が平凡にはとても見えなかった。


 躊躇なく攻めたて、支配し笑う者も。

 何もかも持たず人間味のない捨てられた少女も。

 杜撰な計画でありながら箱庭を作り上げた少女も。


 私から見ればどれも等しく怪物であった。

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