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伯爵令嬢は悪役令嬢の姿を見た 3

 「……阿呆面」

 「へ?」



 罵倒されたというのにいまだに状況の理解が追い付かないらしい。体勢を立て直してやり、両足を地面につける。そうしてようやく自分が雪に滑り転びかけ、近くにいた私に抱えられたということを認識した。



 「……あっありがとうございます!すみませんでした!」



 大慌てでぺこぺこと頭を下げる彼女はどこからどう見ても凡人だ。なんなら私以上に。

 腕も足も首も細い。私が片手でへし折ってしまえるくらい。突風が吹けば簡単に転がされてしまいそうな体重。よくもまあこんな身体で生きてこれたなと感心してしまいそうなほど、その身体は脆弱そのものだった。



 「雪が積もってるのに慣れてなくて……」



 つい、と眉が上がる。

 この娘は一応素性を隠してダーゲンヘルムで暮らしている。公爵令嬢であることもラクスボルンから捨てられたこともしかしながらその危機感というものがこの娘から欠片も感じられない。



 「……ダーゲンヘルムでは毎年雪が降るし、積もる」

 「そうなんですね、ではこの街は毎年こんなに美しく染め上げられるのですね」

 「ラクスボルンでは雪が降らないのだな」



 そこまで話して彼女はハッとした顔をした。それからあちらでもないこちらでもないと視線を迷わせ、小さな口をもごもごとさせた。



 「あの……、」

 「危機感がない。もう少し自分の立場を理解しないか」

 「もしかしてあの日、わたくしを着替えさせたり手当てしてくれたのはアコニートさんだったんですか?」



 私の苦言など聞こえていないように彼女は私のことを見上げた。その目に思わずたじろぐ。嬉しそうで、感謝していて、どこか憧憬にも似た眼差し。そしてそのどれも一切隠そうとしない、正直すぎる顔。



 「あ、えと、名前はアイリーンさんから聞きました。女性の兵士さんが着替えさせてくれたと陛下から伺っていて、それから女性の兵士さんはアコニートさんしかいらっしゃらないとも聞いていたので」



 まったく何も考えていないわけでもないらしい。

 言葉を交わすのはこれが初めてだ。いや、以前図書館に行ったときに一方的に話しかけられたが、憔悴していた私は返事の一つも寄こさなかった。

 少なくとも私の態度はお世辞にも友好的とは言えないはずだ。にも拘わらず彼女はどうしてそんな好意に満ちた目で私を見るのか。ついさっき身体を支えてやったのもただ近くにいたからで、なんの意図もない。



 「……ああ、あの状況で限りなく君の情報を漏らさないために私が呼ばれた」

 「その節はありがとうございました。本当にわたくしはあのまま死んでしまうものと思っていたので……」

 「私が助けたんじゃない。陛下が君を拾った。私はそれに従った。それだけだ」



 ひどく居心地が悪い。触れれば一瞬のうちに崩れてしまう氷の結晶を隣に置いているようだ。それなのに彼女にはその自覚がない。私の横にぴたりとついて離れない。



 「それでも、今わたくしがここにいられるのはあなたがいたからです。陛下もアコニートさんもレオナルドさんも。皆さまによってわたくしは助けられたのです」



 1年、1年彼女は平民としてこの王都で暮らした。けれどその話し方、立ち振る舞い、気位は貴族にふさわしいそれだった。染みついたものが抜けないのか、それとも生まれながらの気質なのか。没落しかけといえど貴族でありながらその気品のかけらも持ち合わせない私とは雲泥の差だ。知らず目を細めた。

 思っていたより、怒りも、憎悪も、疑念も、嫉妬もなかった。

 以前のように陛下に選ばれたという特別性を妬むことも、怪しげなものを近づけられないという疑念も、混ぜ合わされた怒りもない。ただ、淡々としていた。



 「……少しでも疑わしいところがあれば、私が君の首を叩き落していたとしてもそう言えるかい?」

 「ええ、もちろんです」



 言葉を失う。

 ほんの冗談、意地の悪い揶揄いのつもりだった。しかし彼女は悩むことなく即答した。その顔は冗談を言っている風でも、やさぐれているわけでも、強がっているわけでもなかった。ただ純然たる事実を述べるように、穏やかだった。



 「以前レオナルドさんにも言われてしまいました。わたくしは怪しいと、信じることはできないと。……わたくしが怪しいというのは重々承知しております。ですので、万が一のことがあればレオナルドさんやアコニートさんがわたくしを殺すことも、当然のことでございます」



 これは諦念ですらない。そもそも足掻いてすらいないのだから。殺されて当然、なのに生かされている、とでも思っているのだろうか。



 「……疑いは晴れた。君はラクスボルンを捨てたのだな」

 「ええ、わたくしはラクスボルンを捨てました」



 責めていたわけではない。ただの事実の確認だ。シルフ・ビーベルは先ほどと変わらず穏やかに言葉をつないだ。



 「公爵家の家族も、かつての婚約者も、学園の友人たちも、妃になるためにコネクションを作っていた皆様も。わたくしはすべてを捨てました。わたくしは、この国で暮らすという幸福を、決して捨てられませんでした」



 母国の人々と、自分の幸福を天秤にかけ、その天秤が自分に傾いた、ただそれだけの話だと。



 「わたくしの静かに暮らしたいという願いを、彼らが、わたくしの母国がそれを奪おうとするのなら、わたくしは持てる力のすべてを持って、抵抗いたします。国一つ、見捨てましょう」



 顔色一つ変えず、聖人君子のような顔で彼女は言う。

 殺されて当然だと言ったその口で、自分の幸福のためなら国一つ滅びても構わないと、彼女は言うのだ。


 降りしきる雪とは違う寒気が背筋を這った。

 矛盾している価値観、にもかかわらず彼女は何の違和感も抱いてはいない。そのどちらもが決定事項で、覆ることのない真実だと言うように。


 この娘のどこが凡人だ。

 きっと他にもやりようがあったはずだ。それこそ陛下に特別視されている彼女なら陛下の怒りに提言することができるはず。あの国を亡ぼす以外に、もっと血の流れない方法が。けれど彼女はまるで国が滅んでしまうのも仕方がないとでも言うような口ぶりだ。


 これのどこが凡人だ。

 国も、家族も、知人も何もかも捨ててしまうというのに、そこには罪悪感も、選択への後悔の一つも存在しはしない。

 彼女は凡百ではない。けれど特筆して何かが優れているといった才能人ではない。


 彼女は”怪物”だ。

 誰かを害することや他者を傷つける怪物ではない。ただ人としてあるべき構成要素が欠落している、人外なのだ。

 倫理観や罪悪感、道や罪の意識のない陛下が怪物であるのと同じように、彼女もまた人ではない。



 「どうか心配しないでください。わたくしはこの物語を愛する国を、愛しています。まだ信用していただけないかもしれませんが」



 そういう問題ではないのだと口角が引きつる。自身の異常性に欠片もこの娘は気が付いていないのだ。

 おそらく、陛下はそこを気に入ったのだろう。人とは違う価値観、考え方。そのどれもが彼の琴線に触れた。だからこそ彼女を生かし、国へと迎え入れ世話を焼く。親近感がわいているのかもしれない、と一瞬思い、笑えないとかき消した。



 「……今日は冷える。もう帰りなさい」



 これ以上話したとしてもきっとわかり合うことはできない。いつかにレオナルドに投げつけられた言葉を反芻しながら城内にある塔へと促す。



 「アコニートさんは、」

 「私は買い物をしてから帰る」



 暗にいくら同じ敷地に兵舎と塔があるといえ共に帰る気はないと意思表示をしておく。

 けれど彼女はまだ何か物言いたげに私を見上げた。



 「まだなにか?」

 「えと、またお話させていただけませんか」



 眉を顰めた。本当に彼女が理解できない。自分で言うことではないが、私は彼女に対して親しみやすい態度をとってはいない。どちらかといえば他者と比べればつっけんどんだろう。なぜ彼女はそれほどまでに私に近づこうとするのか。



 「ずっとあなたのことを、かっこいい方だと思っていたんです」

 「……はぁ」

 「キリリとしていて、胸を張っていて、背も高いです。それにとてもお強いとも伺っています」



 要領を得ない、が彼女は懸命に言葉を探す。



 「まるであなたは本の中から出てきた姫騎士のようで、冒険譚の主人公のようで、お話してみたいと思っていたんです」



 はにかみながら、彼女はそう言って城の方へと向かっていった。残されたのは雪の中で立ち尽くす私だけだ。

 筆舌に尽くしがたい。一面を覆う雪の上を歩きながら、頬と鼻を赤くさせていたシルフ・ビーベルのことを思い出す。

 主人公のようだ、などと言われるのは初めてだった。それを言うなら奇想天外な人生を送っている彼女のほうだろう。

 けれどその言葉は決して嫌ではなかった。主人公になど、自分のような凡人にはなれないと思っていた。


 彼女は言った。本の中の姫騎士のようだと。冒険譚の主人公のようだと。

 これ以上の誉め言葉が他にあるだろうか。

 ほんの少しだけ憂鬱だった心が晴れた気がした。

 未だに彼女の本質を掴めずじまいだったが、それでもその欠片を拾うことくらいはできただろう。


 「純粋無垢な幼い怪物」


 人と呼ぶには欠落しすぎて、怪物と呼ぶにはあまりにも無垢だった。

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