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王の右腕は冷静になりたかった

 「おい、その顔はなんだ」



 執務がいったん落ち着いて、紅茶を入れているとぶっきらぼうな声が横っ面に飛んでくる。

 書類を片手にひどく不機嫌そうな顔を作ってはいるが目が笑っている。陛下がこの顔をするときは他人を揶揄いたい時だ。そして今回の対象は完全に俺である。



 「いつもと違いましたかね?」

 「ああ、いつもなら私が何かやらかしたりしないかどこかへ行こうとしないか目を皿のようにして見張っているが、今日のお前の視線は鋭すぎて顔に穴が開きそうだ」



 顔には出にくいタイプだと思っていたが、そんなに違うだろうか、それとも彼の観察眼が優れ過ぎているのか。なんにせよ彼に対してごまかしがきかないのはわかりきっていることだった。紅茶を淹れるのに集中するふりをしながらなんとか時間稼ぎを目論む。



 「さて、なんのことか。相も変わらず私がシルフをこの国に招き入れたことを怒っているのか、それとも私の見目麗しさに視線を奪われていたか……おい、愛想笑いはやめろ。さっきの方がまだマシだ」

 「別になにもありませんよ」

 「アコニートか」



 にやにやと笑う陛下の前に荒々しく紅茶を置く。

 いったい何をどこまで知っているのか。全く持って性根が悪い。



 「お前がそこまでわかりやすい顔をするのはあいつのことしかないだろう。なんだ、喧嘩でもしたか?」

 「……えぇ、まあ、つまらないことですよ」

 「つまらんことでお前がそこまで憔悴するものか」



 思わず耳を疑う。

 憔悴。

 俺は憔悴していたのか。改めて自分の今の心情を客観的に分析しようとして、ざわつく感覚に結局また蓋をした。今考えることじゃない。なにより、俺が考えたところで何かが変わるわけじゃない。



 「アコニートがちょっと、血迷っていたので、つい言いすぎてしまって」



 そうだ、言いすぎた。いくら何でもあそこまで言う必要はなかった。


 『まさか妬いてるのか?』


 冗談や皮肉のつもりだった。あんな、虚を突かれたような、今まで知らなかったものを見つけたような、そんな顔をするとは思いもしなかった。

 なぜか言葉が口から飛び出て、止まらなくなってしまった。


 『馬鹿みたいなこと言い出すなよ?』

 『もう自領へ帰れ』

 『お前は昔とは違う』


 馬鹿は俺の方だ。どこをどう切り取っても最低なセリフ。いくら気が動転していたとしても許されないような言葉の数々。いくら気の置けない仲だとしても、言っていいことと悪いことがある。いったい何様のつもりであいつに説教なんてしていたんだろう。


 アコニートも、おかしかった。それは確かだ。けれど自領に帰れという話は関連性がない。何にもならないただの悪意の塊だ。何より彼女を自領に帰すなんて、あり得ない。入隊当初こそ手に負えない野生動物のようであったが今や彼女は軍部の要、重要戦力として数えて相違ない。

 どう考えても、口が過ぎた。



 「プロスパシア領に帰れなどと、口走ってしまい……、」

 「はっ、ふざけるなよ。あれは私のだ」



 見事に鼻で笑い飛ばされた。紅茶に口をつける陛下は優雅そのものだ。俺の話など彼にとっては面白くもないだろう。

 しかし俺と目が合うと珍しくぎょっとした顔をした。笑う、小馬鹿にする以外の表情を明確に読み取れるのは珍しい。



 「レオナルド……なんて凶悪な顔してる」



 再び似たような言葉を投げかけられ首をかしげる。

 今俺はどんな顔をしていただろうか。



 「そう妬くな。そういう意味じゃないことくらい分かるだろう。アコニートは私の大事な騎士だ。唯一無二の勇猛果敢な女騎士。頼りになる、かわいい奴だ」

 「俺が、妬く?」



 俺が陛下に妬く?そんなことがあるはずがない。アコニートは陛下のものだし、俺とて陛下のものだ。

 陛下は何もかもを持っている。そんなものはわかりきったことだ。俺の持っていないもの、すべてを持っている。俺が持っていて陛下が持っていないもの、それは文字と人の心くらいだろう。

 嫉妬をする対象にはならない、殿上人だ。そんな彼に、俺が妬くことなどあるだろうか。



 「なんだ、あれだけ過保護にしておいて、自覚がなかったのか。彼女になにかあればすぐにすっ飛んでいくというのに」

 「それはあの子が、」

 「もうお前に守ってもらうほど弱くもないだろう。というより、レオナルド。お前が思っているよりずっとアコニートは強いし、大人だ」



 赤い目が、言い訳は許さないとでも言うように俺のことを貫いた。



 「お前はいったいアコニートをなんだと思ってるんだ」



 手のかかる幼馴染。

 手に負えない野生動物。

 お転婆で甘え下手な妹分。

 誰よりも強い同僚。

 何にも囚われない自由奔放な狩人。

 夢のために前に進み続ける誇り高い女騎士。


 それは、その認識は、どこまで彼女を正しく捉えているのだろうか。


 『陛下はお前を理解できない』


 俺は、彼女を理解できているのだろうか。



 「そんなに惚れ込んでいるならとっとと囲い込んでしまえばいいだろう。もたもたしているうちに掻っ攫われてしまうぞ」

 「……は? 惚れ込む?」

 「ふっはははっ! なんだレオナルド! 自覚すらなかったのか!」



 傑作だな! と笑いだした陛下に思考が停止する。今彼はなんと言っただろうか。

 俺が、惚れ込んでいる。それもあのアコニートに。



 「そんなわけないでしょう」



 あるわけがない。好みのタイプは彼女のような奔放で力強い女性ではない。こちらが守ってやりたくなるような嫋やかで控えめな女性がいい。

 まかり間違っても、彼女ではない。彼女はあくまでも、手のかかる妹だ。自由で、いつも振り回されてばかり。小憎らしくて表面上は我が儘を言うのに本当に必要なときは頼ってこない。



 「そんな馬鹿な事、」

 「まあお前の恋愛事情などそこそこに揶揄えて愉快であれば私としてはどうでもいいのだが。せいぜい自己暗示をかけている間に他の男に取られんようにするんだな」



 あとアコニートが自領に帰ると言っても帰さん、と何でもないようにいう陛下は横暴なのか部下思いなのか。




 「まあ馬鹿の話は置いておいて、ラクスボルン王国の動きはどうだ?」

 「特には。もはや誰もシルフ・ビーベルのことなど気にしていない様子です」



 突然仕事の話になりスイッチが切り替わる。自分の切り替えの早さは自由人な彼の側にいたせいで身についたものだろう。



 「新しい皇太子妃を祝福しています。血族でも有力貴族でもない男爵家の一人娘が皇太子妃にまで上り詰める。民草にとってはこれほど面白い話題もないでしょう」

 「一般市民は、か?」



 予想通りだったようで、ほんの少し愉快そうにすっかり日の落ちた西の空を眺める。



 「ええ、兵士として紛れ込ませた部隊の報告によると上層部では既にもめている、と。……妃としての教育どころか貴族としての一般知識すら薄いようで、カンナ・コピエーネへの不満や不信感は積もっているようです」



 何もかもを奪われ身一つでダーゲンヘルム王国に捨てられたシルフ・ビーベル。彼女は今この国で陛下からの手厚い保護を受けながら自分のもっとも望む生活を送っている。

 何もかもを手に入れ、ラクスボルン王国を手玉に取ったカンナ・コピエーネ。彼女は既に手に入れたすべてを取り落しそうなほど危うい立場に追いやられている。


 明暗はわかれた。



 「これからどうなるか、だな」

 「これ以上に何か動くと?」



 ラクスボルン王国でカンナ・コピエーネが妃になろうと、側妃になろうと、転落しようとダーゲンヘルム王国には関係のない話だ。

 けれど陛下の口ぶりはそうではない。

 シルフ・ビーベルがダーゲンヘルムに置き去りにされたようにまだこの国に何かが起こるというそれだった。



 「これだけでは終わらんだろう」

 「根拠が何か?」



 陛下は笑う。心底楽し気に。新しいおもちゃを手にした子供のように笑う。



 「哀れな主人公は悪役によって陥れられた。しかしその後幸せに暮らしました。めでたしめでたし……じゃあ足りないだろう? 物語に必要なのは勧善懲悪。罪には罰を、贖いを。ここが現実ならそうはいかない。この世はいつだって理不尽で、報われることの方がずっと少ない」



 赤い双眸が輝く。まだ見ぬ物語への期待、姿を変え始めたダーゲンヘルムという国への興奮、隣国で巻き起こる”物語”に巻き込まれる予感に胸を躍らせているのだ。

 突然現れた、物語から出奔した”悪役令嬢”。ただここで生活する、それだけでは終わらないと。



 「現実と物語が混じり始めるなんてこれまでにあったか、いやない。いくら語ろうと演じようと、それは所詮手の届かない虚構に過ぎない。人の想いに彩られた嘘に過ぎない。だが今や虚構と現実は境を失った。少なくとも、”悪役令嬢”がいる間は」



 もし現実であれば、ここがダーゲンヘルムでなかったなら、シルフ・ビーベルは果たして生かされただろうか。ここまで保護され、安寧に浸りながら生きることできただろうか。

 そもそも誰に気づかれることなく檻の中で死んでもおかしくなかった。拾った者によって殺されたり、売られたりすることだってあっただろう。母国に強制送還されたり、奴隷のように扱われた可能性だってあった。けれど彼女は数多の可能性をすり抜け、現状を謳歌している。


 ここがもし、物語であったなら、



 「……幕引きには、早すぎる」

 「ああそうだ! 幸せに暮らしました、それだけでは足りん! 物語の結末としてあまりに弱い! ならばシルフの”物語”はまだ終わっていない、いまだ半ば、終焉に向けて動いているはずだ」



 馬鹿馬鹿しいことだろう。この世界は現実だ。物語でも虚構の世界でもない。にも拘わらず”物語として相応しくない”という理由に、この先を想定するのだから。


 けれどそれはあまりにも



 「楽しみですね」

 「だろう! お前ならそう言うと思っていたぞ!」



 心躍るではないか。

 こんな愉快なことが他にあるだろうか。

 面白さが判断基準など、人は彼を愚王と呼ぶだろう。けれどここはダーゲンヘルム。物語を何より愛する国。野暮なことなど言ってなるものか。


 今後も諜報部隊からの報告を受けつつラクスボルンの内部を探り続ける運びとなった。同じく、シルフ・ビーベルもまた今後も同じように見守りを続けていく。現状不審な様子は特になく、接触する人間も本当にごくごく限られている。


 それに伴って、一瞬棚上げされていた彼女の顔が脳裏に過った。アコニートについては、何も解決していない。

 どうするべきか判断できず、結局また煩悶に蓋をした。

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