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伯爵令嬢は特別になりたかった 3

 アイリーンは力なく困ったように笑った。



 「もう私が聞く前から答えは出してるじゃない」

 「それはそれ、これはこれよ。私が何か変わることはきっとない。これからも私はここで騎士として働く、あの人に仕え続ける。それはそれとしてこの感情をどうしたらいいかわからない」



 何も変わらなければ、思い抱くだけなら何の影響もない。それ自体は、悪いものではない。ただそれを抱えながら私がやっていけるか、一切の動揺なく今後も過ごせるかというと自信がなかった。

 この感情の消化の方法を知りたかった。

 先生にでもなったみたい、なんてぼやく彼女の言葉は聞かないふりをして次の言葉を待つ。うんうんと唸って考えてくれる彼女には感謝しかない。



 「そもそも、あんたは今その、上司さんのことをどう思ってるの?」

 「どう?」

 「そう。その感情自体が何なのか、その理解が必要。感情っていうのは複雑よ。わかりやすいから好意とか嫌悪とか愛とか憐憫とかそういう言葉に置き換えているだけ。実際もっと絡み合って、いろんな要素があるの」



 追加で注文したスペアリブをナイフとフォークで解体しながら、今自分の胸の底に居座る得体のしれない感情と向き合った。


 それは憧れだった。

 何に遮られることなく、自分の望む道を選び勝ち取り、胸を張って笑える彼の姿に憧れた。


 それは焦燥だった。

 陛下にとって信頼のおける部下として命令を受けられていても、彼のことを何一つ理解できている気がしない焦燥だった。


 それは誇りだった。

 誰よりも特別で、あらゆるものを凌駕する彼の部下でいられることへの誇りだった。


 それは感謝だった。

 無鉄砲で考えなしで、身体を動かすことでしか自分の価値を証明できない私を拾い上げてくれたことへの感謝だった。


 それは愛情だった。

 どうしようもないほど自由で、どこか少年のような彼の力になりたいという愛情だった。


 この感情に、なんと名前を付けよう。



 「もし、」

 「うん」

 「もし希い、焦がれることを”恋”と呼ぶなら、きっと私は彼に”恋”をしていたんだと思う」



 私は希っていた。

 あの人の役に立つことを、あの人の傍にいることを、あの人に寄り添えることを。

 そのどれもが、満足いくまでに叶わないことに身を焦がれていた。どれだけしても、幾分も足りない気がしていた。

 だから私に足りてないものを持つあの少女が羨ましかった。私にできないことが、あのか弱い彼女にできているように思えて。

 私では、あの人にそこまで近づけない。



 「そう、じゃあその気持ちのままに動くなら、アコニートはどうしたい? 身分も立場も気にしなかったなら彼と何がしたい? 何て言ってほしい?」



 虚を突かれた思いだった。

 そんなことは考えたこともなかった。私にとって陛下は陛下だ。それ以外の何者でもない。身分も立場も気にしなかったら、なんて前提条件こそ、私にはありえない話だった。

 初めて王都に来て彼と会った日。彼は身分を隠し、私にファルと名乗った。あの日は確かに彼は陛下ではないただの青年であった。


 私はあの日の平凡な青年に何を望むだろうか。



 「……たぶん、それは何もない」

 「あら、何もないの?」

 「だって私は、ただの身分を偽っていたころの彼にしてほしかったことも、してほしいことも何もないから。私が希ったのは、傍若無人で自由で傲慢な、”王”であるあの人だから」



 自分で話して初めて分かった。いや、漸く気が付いた。

 一人の人として見ていなかったのは私の方だ。


 私はファーベル・ダーゲンヘルムのことを”陛下”としか見ていなかった。

 私に道標をくれた人、私を認めてくれた人、私を選んでくれた人、私を騎士にしてくれた人。

 この国を愛し、国民を愛し、物語を愛する人。愛するものを守ろうとする人。

 私はあの人を個人として見たことがなかったんだ。

 強く誇り高いダーゲンヘルム王国国王。


 私はあの”男の人”に何かしてもらいたいわけじゃない。

 あの人に触ってもらいたいわけじゃない。愛を囁いてほしいわけじゃない。



 「私は”陛下”に頭を撫でてもらいたいし、褒めてもらいたい」



 なるほどこれが一番しっくりきた。

 さらに言えば一番だと言ってもらいたいし何かあれば真っ先に私を頼ってほしい。いくらでも努力をするし手間も時間も惜しまない。だから私を使ってほしい。

 自分の出した答えに満足した私と対照的に、目の前に座る彼女は小一時間遠慮なく笑い続けた。



 「あなたのそれはまるっきり犬の願いじゃない! 何が恋よ笑っちゃうわ!」



 いまだ笑いの収まらない彼女に釈然としない思いを抱きながらもぐうの音も出ない。あれだけ騒ぎちらし感情に振り回されこうしてアイリーンまで巻き込んだというのに終着点がこんなものだったとは。さすがに申し訳ないと思っている。

 愛だの恋だのというものではない。それは忠犬として主人に構ってもらいたいだけの親愛で忠誠だ。主人に新しいペットができてそちらばかり構っていれば嫉妬の一つもするだろう。それこそドーベルマンを飼っていた飼い主が新しくチワワを飼い始めたようなものなのだから。



 「レオンがいきなり”惚れた”だとか言い出すからそれに流された……、」

 「んっふ、本当慣れないものには弱いわね。あんたはもう少し普通の人間に関して勉強なさい」



 デザートのアップルパイを頬張りながらまた首を傾げた。



 「アイリーンから見て私は普通の人間になれてない?」



 わからないと思ったらその場で聞くべきだと今回の件で痛感している。

 レオナルドのときだって、アイリーンのように感情を整理していればもっと簡単に誤解は解けたはずであったのだから。



 「アコニートは普通の人間よ。でも未熟。他の人がもっといろんなところで身に着けてるはずの知識や経験があんたにはまだない。戦闘能力に全振りしすぎたのよ。もちろん、それはあんたの長所だけど人間の住む世界で生きるなら、社会性も身につけなきゃだめよ」



 全く人間扱いされている気がしない。プロスパシア領を出た日に言われた「街には猪も鹿もいないから食料の調達は文明人らしくするのよ?」という言葉を思い出す。人扱いされていないというより未開人の扱いだ。



 「でも”レオンさん”も”レオンさん”でしょ。あんたとの付き合いも長いなら惚れた腫れたなんかじゃないってことくらいわかりそうなものなのに」



 わかりそうだと、思っていた。いや、きっと私も彼も勝手だったのだ。

 レオンは私のことをわかっているつもりだった。私に期待して、それでいて足りてないところは自分が面倒見てやらなくてはと思っていたんじゃないだろうか。

 それで私はレオンなら私のことをわかってると思っていた。甘えればそれだけ応えてくれて、困っていれば助けてくれて、私の知らないことを教えてくれる。単純な強さ以外なら私にすべて勝っていて、何でもできる完璧な人間だと、私は勝手に期待してた。

 ずっと隣にいるのに、きっと私たちはお互いの実態を掴めていなかったんだ。



 「私もレオンも、何にもわかってなかったんだよ。何も知らなくて知った気になってた。今もたぶん」



 レオンは何でも知ってると思ってた。それで今それは間違いなんだと分かった。けどそれはまだ途中でしかない。見ていたものが違っていた。それに気づいた。でもまだそれだけ。



 「私はまだレオナルドを知らないし、レオナルドはまだ私のことを知らない」



 私たちはまだ何も知らない。

 もう一緒に野原を駆け回っていた子供ではない。

 なにも知ろうとせず、ただ前を向いて同じものを見ているだけでは足りない。



 「でもそのために何をしたらいいかとか、そういうのはよくわからない」

 「そうね。きっとあんたにはまだ難しい」

 「だからまずはレオナルドのことを引っ叩いてやろうと思う」

 「なんて?」



 フォークに刺さったアップルパイが皿の上に落ちる。丁寧なしぐさの彼女にしては珍しい。



 「だってきっと私が引っ叩いたらレオンは私を叱ろうとして私と向き合ってくれるだろうから」



 そつのない彼は、有耶無耶にするのが得意だ。逃げるのだって、誤魔化すのだって、馬鹿な私はすぐにけむに巻かれてしまう。



 「そうすればレオンは逃げられないから」



 レオナルドのすべてを知らなくても、理解してなくても、私と向き合うときの真面目さだけは十分わかっていた。いつまでも私のことを手のかかる妹だと思ってる彼は、私のことを叱らずにはいられない。



 「まさかその彼も、あんたがここまで小賢しいなんて知らないでしょうね」



 少し呆れたように笑うアイリーンを横目に私は最後の一切れのアップルパイを口の中に放り込んだ。

 甘く煮込まれたリンゴはほんの少しすっぱかった。



**********************************



 夜風に吹かれながら一人帰路につく。思い返されるのは別れ際の彼女の晴れやかな笑顔だ。

 胸の中にはかすかな後悔が去来していた。


 きっと彼女はこれから前と変わらないように肩で風を切って歩けるだろう。威風堂々、彼女の望んだ騎士のように。


 図書館に来た時の顔とは全く違う。

 打ちひしがれ、悩み惑い、怒り悲しむ。

 信じていた憧憬を踏みにじられ、見損なわれたことに傷つき、胸を満たす感情に振り回される。そんな彼女は焦燥としていた。けれどそれは彼女が成長するのに必要なことだっただろう。

 そうして彼女は自身の感情が憧れなのだと気が付き、感情の整理の仕方を覚え、古くからの友人と向き合うことができる。

 けれどそれだけではなかったはずだ。


 『私が恋してるらしい相手が私の主人でも?』


 彼女のそれは、まだ恋ではなかった。それは確かだ。

 でもそれはこれから恋になるはずのものだった。自分の手の負えないこととなると途端に素直になるアコニートは、きっと私が背中を押せばそれを大切に、恋に、愛にしていただろう。


 けれど私はそれを握りつぶした。

 それは憧れよ。

 それは親愛よ。

 大丈夫、それは恋なんかではないわ。


 わかっていて、私は彼女の小さな蕾を摘み取った。

 何でも知ってる大人のふりをして、なんて残酷なことだろう。


 けれどそうしなければ彼女の悩みは尽きなかった。恋をしてはいけない人に恋をして。決して理解できない隔たりに苦しんで。自身の情念を消化できず、唯一無二の幼馴染の侮蔑を受ける。


 何も生まないのだ。

 彼女の恋は何も生まない。

 少なくはない時間を費やして得られるのはほんの些細な成長と多大な傷だ。

 なら私は、あの不器用なかわいい子に少しでも楽な道を歩んでほしい。



 「なんて、」



 私の我が儘だ。

 もしかしたら、彼女は本当に自領に戻ってしまうかもしれないから。私は可愛い妹分が、打ちひしがれながら自領に戻ってしまうことが何よりも嫌だった。


 自分の好きなこと、得意なことを貫いて。誰からの静止も、伝統も柵も引きちぎって、憧れのまま理想のまま、ここまで走り続けたアコニートに、どうかそのままでいてほしかった。


 きっと彼女は知らないだろう。自分が赤の他人の救いになっているだなんて。

 平凡な私には、非凡な彼女が眩しかった。

 何の才能ももたない私は、才能を持ち輝く彼女が、物語の主人公のようで愛おしくてたまらなかった。

 どうか彼女の物語が、強く美しく、幸福であるようにと。


 どうしてか、ふと一人の女の子のことが頭に浮かんだ。

 アコニートと同じくらいの年で、同時に全く真逆な子。控えめで自己主張をしない。自分の意思なんてほとんどないんじゃないかという海月のような女の子。どこから来たのか、どんな生活をしてきたのかわからない、どこか浮世離れした子。


 共通点なんてまるでないはずなのに、どこか似ているような気がしてしまう。

 それはきっと二人とも、非凡であるからだろう。ついつい、目を惹かれてしまう。傍にいたくなってしまう。

 何の才能もなく、変わったところもない平凡な脇役は、微力ながら、不器用で上手に生きていくのが苦手な主人公たちがどうか少しでも生きやすくなるよう助言をしてみせよう。

 けれどどうか、彼女たちの近くにいたいという我が儘だけは許してほしい。

 何もない私にとっての、光だから。

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