毒師─HCN─
……………。
さて、これは何かの冗談ではないのか。どこの、SF映画の話なんだ?
「残念だけど、試せたデータはそれだけよ。後はこれから試していくつもり」
資料を一瞥して、夢は紅茶を一口啜った。ふわりと香りが舞う。
何度見ても、その文字列は変わらない。隅の掠れた名門大学の捺印がさらにこの悪夢を具象化させる。これが、紛れもない『事実』だという事を、証明する。
「……………ふざけてる」
そう呟くしか、無かった。
夢から手渡された、総計232ページにも及ぶ「効果が無かった」毒、炎熱、その他様々な兵器の名前の羅列。しかしそれは事実なのだと、彼女は言う。
「やっぱり、僕を懐柔してみせただけのことはあるんだね君は」
夢は眉をひそめる。
「懐柔なんて言い方はやめて頂戴。私と貴方は平等な『取引』をしている、そうでしょう?」
「違いないよ。ただ皮肉の一つ位言いたくなるデータを見せられたから言ってみただけ」
夢は僕に死体を提供する。僕は夢に知識の敵う限りの手伝いをする。Win―Win、と自負している。
ただ、時折嫉妬に駆られるのだ。彼女の能力と価値は僕が手を伸ばせど足掻けど届かない高さにある。それなのに僕をわざわざ雇う彼女が時折偽善者に見える自身の思考が、さてどれだけ陳腐なものか。
「これからは、忙しくなるわ。もちろん、普通の仕事も受け続けるから。できる範囲で、あなたも通常依頼に回ってほしいの」
それは、勿論。
頷けば、夢は満足げに喉を潤した。空のカップが机を打つ。
時刻は午前二時。眼下の死んだように息を潜めた街。席をたてば眠りを誘う心地よい疲労が全身を満たす。
「それじゃ、おやすみなさい。悪かったわね、こんな夜更けに」
………………………。
夢の後ろ姿を見送ってから、部屋の電気を消す。死んだ暗闇。
その足取りはどこまでもステップのように軽やかで、心なしか楽しそうにすら見える。
そんな姿に、僕が覚えた一抹の不安も。耳を刺す静けさも。
更けていくのだ、時計の針とともに。




