毒師─NaN3─
次々、夢は俺に施設内を紹介していく。
地上5階、地下2階のこのビルは丸々コイツの物であるということ。
この施設に、夢とスタッフ(最も、二人しか居ないらしいけれど)が住み込んでいるという事。
そして..................
「おい」
「............何よ、全部案内したじゃない。不服かしら?」
この施設が故の欠点。いや、ここのみならず「軍事施設以外に俺を留置させる」事自体に潜む重大すぎる問題。
「で、このヤワな建物にどう俺を閉じこめておくつもりだ?」
壁のヒビをなぞりながら尋ねた。
自覚していないわけではない。俺は犯罪者だ。幼児程度の常識を持って考えれば、殺人鬼が昨日の今日で放免される筈などない事がすぐに分かる。
何らかの経緯で警察に捕まった後ここに居る事は数百歩譲って納得したとしよう。俺を気絶させる薬がコイツ以外に作れるなんて思えないし。
だからと言って............野放しか?そりゃあ被害者遺族が徒党組んで脅しにくるにきまって────
「閉じこめる?無理に決まってるじゃない。」
夢は、物が地面に引かれるように当たり前に答えた。
俺は当然、狼狽える。
「はっ、じゃあ俺は自由の身だとでも言うのか?」
「そうよ。」
訳が分からない。冗談を言っている風でもないから余計に分からなくなる。
俺は夢との距離を詰め、両手を首に添える。添えただけ。だが戦闘訓練の無い人間に恐怖を与えるには充分すぎる圧力。
「───っ」
「俺がここで、お前を殺して逃げないとでも、言い切れるのか?」
暴れも喚きもしない、人質としては落第点な表情の夢。少し力を加えて、その手折れそうに細い首を圧迫する。
「──────殺すぞ」
あぁ、そうだ。この目だ。万物に敵など無いと思っていた俺が唯一苦手な、芯の通ったこの深緑の瞳だ。
気道に力が加わったからか、少し苦しんでいるようにも見える夢。だが、その目には一点の曇りもない。
「.........かまわ、な、いわ」
視界の橋に煌めく注射針。とっさに口と目を塞ぐと耳に物が当たる打突音がした。夢はせき込みながら、銃口のようにその注射器を耳に突きつける。ハウリングのような不快感。
「じゃあ何だ、俺はどうしろと?」
腕をくねらせ、奪刀の要領で注射器をたたき落とす。数秒の邂逅、伝う冷や汗がじっとりと空気を引き絞っていく。
「───一つ、提案「してあげる」。取引の」
あくまで傲慢知己。不遜にして高圧的。だがその目に宿るのは、何故か肩書きに似合わず博愛の意志。
「条件は」
夢は注射器を拾う。俺は止めない。
「死ぬまで私の仕事を手伝うこと、かしら」
「対価は。」
夢が俺に手を差し伸べる。
ああ苦手だ、こんなに真っ直ぐな目は。愚直な言葉は────
「アンタに、『日常』をあげる」
俺には眩しすぎる。
「...............カッコつけんなよ毒師」
「!」
手を取るというよりお手でもするように、差し出した手を取る。勿論、皮肉だ。
「反故にすんじゃねぇぞ?」
「アンタこそ。」
「はいはい、分かった............っと」
立ち上がれば背丈は見下ろすほどのコイツには、けして適わない。それが癪に障る。だからこその、変な安堵感。
これが日常なら、どんなに退屈しないだろう。そう考えると、自然に口端が緩む。