毒師─C6760H10447N1743O2010S32 ─
「ふぅ。案外、すんなり成功するもんだな」
ピクリとも、動かない。
勿論死んではいないだろうし、常人より回復も早いだろう。予測がつかない以上、可能な限り迅速に行動するしかない。
懐からビニールテープを取り出して、親指を絡めとるように縛っていく。十重二十重、いやそれ以上だろうか……?
足も同様に拘束してから、其々に枷をかける。壁に繋がる鎖を二度引いてから、置いてあった丸椅子に腰かけた。
作業を終えて改めて見たソレは、さながら蟲のようだ。
改めて、自分に名乗ろうか。
俺は……俺は、葉読路成。部隊の、人間。
いや、と苦笑する。そんなにかっこいい肩書きを持っていたら、この行為は看板に泥を塗るようなものだ。
だからそれに相応しく名乗ろう。
俺は、葉読路成。たった一片の、国家飼いの犬だ、と。
うん、これで、いい。これがいい。自嘲的な安息感が脳に満ちてくる。
数日前に直令が下って、少し体を慣らそうとしたときに感じた違和感はこれだったのだ。銃を握っても、シャベルを握っても、晴れなかったもやの正体がやっとわかった気がした。
「こんな日常、歩めるとでも思ったか駄犬」
結露した窓から、サッシに一滴垂れる。その音さえ聞こえてしまいそうだった。
道具と荷物を一通り片付けた俺は、ふ、と息を吐きながら席を立った。振り返ろうとする頭を押さえつける。
凍ったように冷たいドアノブが、控えめに声をあげ、
「──っ!」
同時に声もした。一番聞きたくない声が明瞭に鼓膜を切り裂いた。
「みち……なり?」
肩を縮めたままの状態で、こちらを見る双眸──翠の瞳、その眼差しから咄嗟に視線を外した。一瞬で跳ね上がった心拍数が、少しずつ、波に拐われていくように、下がっていく。
後ろ手にドアを閉めて、革靴の染みを凝視する。切れかけて明滅する蛍光灯の下、宙のホコリひとつひとつがハッキリと見える。
「……夢か。どうした?」
白々しく言葉が口から溢れた。驚くほどに無味だった。
「どうした、って。帰るなんて、一言も」
一瞬、歯軋りした。
自分が何かできれば、もしかしたら掴めたかもしれない可能性。幻視してしまった未来像。染み付いた作業のはずなのに、始めて包丁を握る子供のような気分だった。
頭がいたい。鼻の奥が、目の底が、焼けてしまいそうだ。
──つまりは怖いのだ。ただそれだけだ。だから許してほしい。
その目が苦悶に歪んで、それから、ふっとロウソクを吹き消したように輝きを失った。深紅の薔薇のようなコントラストが、芸術作品のように時間を失う。