毒師─HN-(C6H4)2-AsCl─
待合室に男二人。むさ苦しい。
「…………。」
その上ツレは読書に没入ときた。ここにいるには怪しすぎるほど落ち着き払った俺達を客観視して、ため息をつく。彼が好きなことに逃げているなら仕方無い、俺も、思考世界に逃避するとしようか。
「ほんっと、三文芝居みてぇな展開だよな………犬どころかカラスも食わねぇよこんな事態」
被っている茶髪のウィッグを直して、思い返す。
久々の、奴の顔。他人と呼ぶにはあまりにも困難な、酷似しきった歪んだ人々。人のいる、食卓。日の光。懐かしい香りの、布団………………あぁ。本当に、あいつは。
「だが人殺しだ」、と。ちらついた野暮なイメージを振り払い、白色の廊下の天井を睨む。数える染みもないほど真っ白なのは皮肉なのだろうか………?
かつ、かつと時折忙しげに吹き抜けていく気配。
「なぁ路成」
「……………あ?」
本から顔を上げさせられた路成は、子供みたいに眉を露骨にひそめた。
「いや、落ち着いてお前と話せる環境が殆ど無かったから今くらいしかチャンスがねぇと思って、な。いろいろ、苦労してそうだし」
伏せ目がちに首肯く。話を聞く気になったようだ。
看護師が一人、目の前を過ったため少し間が空く。清潔、いや息苦しいほどに殺菌されたそんな空気。
「ずっと気になってたんだが」
「おう」
路成は本を懐に大切そうにしまう。
「お前は…………どういう経緯で夢に雇われてるんだ?」
路成は服を整える手を止めてすっとんきょうな顔をした。
「どういうも何も……俺は部隊の人間なんだから、国から派遣されただけだ」
そのくらいは、予想がつく。それより不可解なのは、別の点だ。
「タイミングがおかしい。お前は二年前、わざわざ七月……つまり、俺が中東から帰国するタイミングに丁度雇用されてる」
それが?と訝しげな顔をして言外に問う路成。
「あまりにも過剰防衛すぎやしねぇか?」
「夢をお前が恨んでいるかいないか、報復の手段を整えてやしないか。お上に分かるわけがないだろ」
そう言い切られてしまえば、なるほど、疑う余地もない。『念には念を』入れたわけだ。経緯上、どうしても俺は加害者線上に真っ先に浮上する。
それだけの事を、夢がしでかしたから。
「だよな…………」
名字を呼ばれて、隣のおばあさんが立ち上がった。今度は、空気は淀んだままになった。
足をひっこめて座り直すと、先程よりかなり人が増えている事に気づいた。口は災いの元、だ。つい口から出かけた言葉を飲み込んで、再び、俺は思考に戻る。路成も、文章に吸い込まれていく。
────路成が貧乏ゆすりしている事など、俺はついぞ気づかなかったのだが。