第8話 予期せぬ事態
結局あの後、高梨さんはベットの上で寝て、俺は用意された敷布団の上で眠りについた。
朝になり何やら騒がしいので目を開けると、そこには着替途中の高梨さんが目を見開きこちらを見ていた。
「のわっ!!! すいません!!」
俺は急いで枕に顔を埋める。
「いえ………あの、こちらこそ、すいません」
彼女はそう言うと着替えを済ませたのか、リビングへと向かう。
「五木くん? 朝ご飯出来てますよ」
なに……!?
朝ご飯だと!?
つまりは高梨さんの手作り………神様ぁ!! ありがとうございますっ!!!
俺は布団から起き上がり、急いでリビングへと向かう………が落胆した。
テーブルの上に並べられていたのはパンとウィンナーというとてもシンプルな組み合わせだった。
これは手作りというのだろうか?
いや、言わないな。
俺はテーブルの前に腰掛けながら高梨さんにお礼を言う。
「おはようございます。朝ご飯まで、用意してくれるなんて、なんかすいません」
彼女は先程俺に下着姿を見られたのを引きずっているのか、頬を染めながら答える。
「お、おはようございます。 いえ……気にしないで下さい…」
俺たちは少々気まずい雰囲気の中、朝食を取り終えると、高梨さんがコーヒーを用意してくれる。
彼女はカップを両手で持ちながらコーヒーを飲むと、気まずそうにしなながらこちらに視線を送った。
「昨日は本当に色々とすいませんでした 」
「いいですよ、焼肉も美味しかったですし、それに高梨さんと色々お話ができたのでむしろありがたいです」
すると彼女の表情は明るくなり、いつものようなエンジェルスマイルを向けてくる。
その後、コーヒーを飲み終えた高梨さんは俺を家まで送ってくれた。
別れの際に高梨さんは『また、一緒にご飯行きましょうね』と照れながら言ってきたので、俺は是々非々と首を縦に振った。
自宅に入ると、床の上で祐美さんが大の字になって寝ていた。
何でこの人こんな所で寝ているんだろう………。
あまりに気持ち良さそうに寝ていたので起こす事をやめ、布団をかける。
俺はシャワーを浴びて準備を終えると、秋山の病院へと向かう。
病室に着いた際に、彼女はまたまた嬉しそうに俺を迎えてくれた。
「五木くん!! 来てくれたんだ!」
俺はその姿を見ると無意識に頬が緩んでしまう。
「あぁ、そりゃ来るよ。 これ、差し入れ」
と、俺はお見舞いの品を彼女に渡す。
ついでに中には果物が入っている。
彼女はお礼言いながらそれを受け取ると、嬉しそうに破顔した。
「やったー!!私の好きなリンゴも入ってる! 五木くん、皮剥ける?」
皮剥ける?、と女の子から言われるとそれなりに興奮するもんだな。
なに俺変態親父みたいな事言ってるの? 捕まるの? 馬鹿なの?
「リンゴの皮か……。 やった事は無いけど、やってみるよ」
そう言うと、彼女は横にある引き出しから果物ナイフを取り出し、リンゴとナイフを俺に手渡す。
思いの他リンゴの皮むきは難しく、全てむき終わる頃にリンゴは酷い有様になっていた。
それをみて秋山は苦笑する。
「ふふっ、五木くんやっぱり下手だね。 でも私、それでも必死に剥いてくれる五木くんの姿を見るのが大好きなんだ」
彼女はそういうと、ハッと口を抑える。
「いいよ、最初は慣れないだろうからそういう事もあるよ。 気にしなくていい」
その言葉に彼女は困ったように笑う。
「ありがと、五木くん」
俺は酷い有様のリンゴを食べやすいサイズに切り分け、棚に置いてあった皿の上に置き、爪楊枝を刺すと彼女に手渡す。
彼女はとても幸せそうにリンゴをはむはむと食べている。
「リンゴ、好きなのか?」
「うん、大好きだよ!! ついでにメロンパンも大好き!!」
必死に訴える彼女に俺は苦笑してしまう。
「分かった、次来るときに持ってくるよ」
すると、彼女は嬉しそうにえへへっと笑う。
ほら見たことか……俺は昨日言った。
きっと彼女の事を好きになると。
俺は既に秋山に対し、愛おしいという感情を持ち始めてしまっていた。
俺は無意識のうちに、彼女の真っ黒で艶のある綺麗な髪の毛を撫でる。
彼女はくすぐったそうに頬を染めながら身をよじる。
「五木…………くん?」
俺は自分のした行動に気が付き、慌てて手を離す。
「あっ!!! 悪い………」
「ううん……。 その…嬉し、かったよ?」
彼女は恥ずかしそうに俺を見上げる。
きっと、俺が少年漫画の人物なら鼻血を出して卒倒しているに違いない。
あれ?、でも俺一回鼻血出しながら卒倒してるよな?………
その後、俺たちは昨日のように他愛もない世間話をしていると、俺は彼女にとある話題をふった。
「あ、そういえば、これ」
と俺は50万円を彼女に手渡す。
彼女はその封の中をみて驚いた顔を俺に向ける。
「なにこれ?……どうしてこれを私に渡すの?」
俺は、その皆を彼女に話した。
「そんなの………受け取れない」
「これは俺の物じゃない。 記憶のあった頃の俺が秋山の為に用意した物だ。 だから受け取って貰わなきゃ困る」
秋山はとても悲しそうにその封筒を見つめる。
「幸也くんは私の為に記憶まで失ったの……? そんなのって……」
「記憶があった頃の俺の気持ちを汲んでやって欲しい」
「それでも、これは受け取れない。 受け取ってしまったら、幸也くんがした行動を認めた事になるから……私は受け取らない」
「でも、そしたら入院費用はどうするんだよ? なんの病気かは分からないけど、治らなきゃどうしようもないだろ」
すると彼女はとても儚そうな、辛そうな顔を一瞬見せると、笑顔を作り、口を開く。
「最近は、調子がいいの……だから大丈夫。 先生の話だと、もう少しで退院できるみたいだよ」
でも……でもこれを受け取って貰わなければ現実世界の俺がした事が無意味になってしまう……。
さて、どうしたものか……。
悩んでいると秋山が俺の頭の上に手を乗せ、優しく撫でる。
「それは五木くんの物だよ。 私はいいから……だからそんな顔しないで?」
彼女は愛おしそうに俺の事を見つめる。
……まぁ、今はそれでいいか。
この子が退院したら、長い時間を掛けてこの子の為に使ってあげよう。
お金が必要となる時などいくらでもあるからな。
「分かった……そういう事にしておく」
その言葉を聞き、彼女は満足気に笑う。
その表情に見惚れてしまっていると、彼女はハッと気づいたように壁に掛かっている時計を確認する。
「もう時間だね………」
悲しそうな表情をする彼女を諭すように俺は口を開く。
「明日もまた来るから大丈夫だよ。 だからそんな顔すんな」
彼女はその言葉に儚げな笑顔を作り、俺にお礼を言う。
俺はその時、この儚げな笑顔にどんな意味があるのか知る由もなかった。
× × × ×
それから一ヶ月の時が過ぎた。
夏休みも残りわずかとなり、俺はその間毎日病室へと顔を出していた。
「わぁぁ!! 今日はベーカリーハウスのメロンパンだー!! 五木くんありがとー!!」
彼女は幸せそうにメロンパンを見つめている。
ついでにベーカリーハウスとは秋山が好むパン屋の名前である。
「結構高かったんだからな。 美味しく頂けよ?」
一ヶ月も毎日顔を合わせていたお陰で、秋山と話すときに緊張はしていなかった。
俺は、この時には既に彼女の事が好き過ぎてどうしようもないレベルへと達していた。
「ねね? 食べてもいいかな?」
涎を垂らしながらこちらを見上げる彼女はとても病人とは思えない程生き生きとしていた。
「あぁ、いいぞ」
苦笑しながら答えると、彼女は幸せそうにメロンパンを口いっぱいに頬張る。
俺は食べ終わるまで彼女のその姿を見つめ続けていた。
彼女は最後の一欠片を食べ終えると、恥ずかしそうにこちらを見上げる。
「そんなに見られてたら食べにくいよ。 恥ずかしいし」
「それを食べ終わってから言うなよ。 それに今更だろ…そんなの」
俺は呆れ顔をしながら彼女に視線を送る………。
彼女はそれに恥ずかしそうにえへへ、と笑い返すと。
いつものように世間話を始める。
俺はこの時間が好きだ。
時がゆっくりと流れていく、この感じがたまらなく心地いい。
やがて会話が一段落ついたので、俺はトイレへと行く。
用を足して病室に戻ると、衝撃の光景に目を見開く。
秋山は、咳をしながらベットの上の取付型テーブルに突っ伏していた。
「秋山ぁっ!! 」
俺は急いで彼女の元へと駆け寄る。
すると、彼女は咳をしながら俺に視線を送る。無理して笑ってはいるが、顔色が悪いのは隠しきれていない。
「五木…くん? 大丈夫だから心配しないで?」
「心配するだろっ!! 具合が悪いならなんで先に言わなかったんだよ!」
無意識の内に声を張り上げてしまった俺に、秋山は弱々しく答える。
「もう、少しだから。 もっと五木くんと話したいから……」
彼女はそう言うと咳を一層強くし、苦しそうな表情をつくる。
「ちょっと待ってろ!! 今先生呼んでくるからっ!!」
彼女は病室出ようとする俺の服を掴む事によって制止させる。
「五木くん……いかないで」
「馬鹿かお前っ! そんな事言ってる場合か!!」
すると、彼女の瞳からは涙が流れ出す。
「幸也…大好き…本当に大好きだよ?」
「どうしたんだよ……お前」
あまりにも唐突だった為、俺はその言葉に目を見開く。
「お願いだから……お願いだから私の名前をもう一回だけ呼んで?」
俺は先程よりも辛そうな顔をする彼女の手を振り解き、先生を呼びに行く。
先生は彼女の姿を見ると、看護婦を呼びつけ秋山の部屋の移動を言いつける。
看護婦さん達に運ばれる秋山は、悲しそうに俺の方を見ると『ごめんね…』と弱々しくそう言った。
それを見ながら呆然と立ち尽くしていると、先生から声を掛けられる。
「君はもう帰りなさい」
そう言って、先生は俺に背を向け歩いていく。
「秋山は大丈夫なんですか!?」
俺はその背中に声をかけると、先生はそれに答える事なく歩いて行ってしまった。
どうしたんだ………秋山。
昨日までピンピンしてたのに……。
俺は額から日汗を垂らしながら駅へと向かう。
外を歩いていると、不意にピンク色の軽自動車が隣に停まる。
すると、助手席側の窓がウィーンと音を立てて開いた。
「五木くん?? こんな所で何をしているんですか?」
高梨さんは、可愛らしく目を見開きながら首を傾げ問うてくる。
「いや、あの…。 病院に……」
彼女は俺の表情を見て、ただ事じゃないと察したのか硬い表情を作る。
「家まで送りますよ、乗って下さい」
俺はそれに甘え、助手席へと座る。
しばらくの間、俺たちは無言だった。
ややあって彼女は心配そうに口を開く。
「何かあったんですか……?」
「あの……、今日秋山と面会をしていたら途中で体調が悪くなっちゃって………」
「秋山さんは、一体なんの病気に掛かっているんですか?」
「聞いても教えてくれないんです。 なので分かりません……」
高梨さんは『そうですか…』と暗い表情で呟くと、再び車内は無言に包まれる。
「秋山はもうすぐ退院できると言ってたんですが……どうなってるんでしょうか」
「私からはなんとも……。 とりあえず彼女を信じてあげればいいんじゃないですか? 悩んでいても仕方ありません。 明日病院でちゃんと話しを聞いた方がいいと思います」
明日……か。
そうだな、そうしよう。
今度こそ、はぐらかされないようにしっかりと話しを聞こう。
「そうですね……。 高梨さん、本当にいつもありがとうございます」
「いいえ、私は何もしてないですよ」
と、彼女は優しげな笑顔を俺に向けてくる。
本当に。
この人は頼りになる。
いつも俺に優しくしてくれて、真剣に向き合ってくれる。
俺は人間的にこの人の事が大好きだ。
やがて車は自宅へと着き、俺は高梨さんにお礼を言う。
彼女はそれに笑顔で答えると、車は道を進んで行き、見えなくなってしまった。
どうも、牧野悠です。
読んでくれてありがとうございます!!