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彼はどうしても女の子に見えない

出自は不明、現代に生まれし妖、烏丸燐太郎はどうやら17歳を迎えたばかりの若い、といういよりもまだまだ赤ん坊の鵺だった。



見る人が違えば男にも女にも見える特異な性質を持ったそれに明確で確固たる性別はなく、その判断は見る者に委ねるばかりだった。

この世に生まれ落ちたならば性別というものは本人の意思に関わらず、必ず男か女かどちらかに分けられる。

ところが、それは鵺である故にその判断が下されなかった。


だからそれは男を愛そうと女を愛そうと、子を成せぬ身体つきをしていた。




「烏丸くん、そんなところにいたのね」


17歳を迎えた日の放課後、いつも通りそれが空き教室でいじけていると声と同時に扉が開いて、一人の女の子が入ってきた。

大垣緑は縁あってそれと良く時間を共にする人間の少女である。


歳はそれと同じ、17歳。


今年17歳になる少年少女らは珍しい。

17年前、ちょうど緑達が生まれた年は彼女と同い年として育つはずだった赤子のおよそ半数が謎の奇病を患い、そして容赦無く大量に、あっけなく死んだのだ。

理由も原因もわからない。

しかも死ぬのはその年に生まれた子供たちだけ。

親にも、その一年先にも一年後にも生まれた子供たちにもなんの影響もなかったため、当時の学者や医者はしきりに首をかしげるだけだった。


そうした謎に包まれたまま、緑達は生きてきた。

親からしてみれば珠のように可愛い、まさに奇跡の子供。

宝だった。

だから緑達の学年だけは極端に人数少なく、23人しかいなかった。


17年前の地獄というのがふさわしいような環境にも負けず健康優良児としてすくすく快活に育ってきた緑は、長い髪をいつも溢れ毛一本残さずに一つに結わくっていた。

正義感の塊のような、少しだけ勝気な性格をした彼女が動くたびに揺れる、ふさふさとした馬の尻尾のようなその髪型をそれは面白いと思っていた。



「大垣は変わってるね」


特に決定的な言葉や約束を交わしたわけでもないのに、ふたりは気づけばいつも隣り合っていた。

それはそのことにぎもんをいだきつつも、それが困ることではない気がしていたので放っておいた。

大垣もおそらく同じ気持ちなのではないか、と鵺は鵺なりに人間の気持ちを思っていた。


「烏丸くんに言われたくないっ」


失礼しちゃうわ、と不貞腐れたような声をあげながらそれが胡座をかいている教卓へと一歩近づく。

そしてまだ少し距離のあるその地点から、まじまじとそれを眺めるのであった。


「僕になにかついてるわけ」


遠慮のない視線に感じるはずのないくすぐったさのようなものを感じたそれは身をよじりつつ顔を少し背けた。

緑は別に、と言いながらも尚のことそれを眺め続ける。


「烏丸くんって、みんなからは女の子に見えてるのよねえ。」

「そりゃそうだよ、だって僕は鵺だから」

「鵺、ねぇ。」


緑は不満げな声で相槌をうった。

教壇の周りをゆっくりとした足取りで歩き出した。

それからちょうど、元いた場所から半周した地点で立ち止まった。


二人の影はまた少し伸びて、教室の隅の暗がりで背を丸めていた陰はのっそりとその姿を現し始めて、息を潜めながらも暗闇を出迎える準備をしていた。


緑は右側から眺めていたそれの顔を、今度は左側から眺めることにした。


「ねえ、わたしどうしても、あなたが男の子にしかみえないわ。不思議ね、烏丸くん。」


降参、とでも言うように両手を軽くあげた。

眉尻を下げて、非常に残念そうな声でまだ言葉を続ける。


「どうしてわたしには、男の子の烏丸くんしか見えないのかしら。」

「さあねえ。珍しいこともあるもんだよなあ。僕、大垣にはちょっと感心する」

「ちょっと、はぐらかさないでよ!わたしまだ、みんなが一緒になってわたしのこと騙してる気がして・・・」


緑が口を尖らせたので、それはまた始まった、と悪態をつく。

そしてちょっと考えてから、本当か嘘かわからない、やけに神妙な口ぶりで言葉を発する。


「それは、大垣が僕を男として出会うことを望んだからじゃないか?」

「、え?」



他人の性別を"望む"。


そんな理不尽でありえない、今までに聞いたこともない理由を耳にした緑は頭を左右に軽く揺らして拒否した。

そうなのだ。

クラスの友人たちにそれの事をきくと、皆がみんな口を揃えてそれを女だと答えるのだ。

緑はそれが不思議で不思議でたまらなかった。

クラスが一丸となって自分を謀っているとしか思えなく、しばらくは頭を抱えて過ごすことになるほどだった。

そこで緑はふと思う。

緑がそれを男の望んだのなら、緑以外の全員はそれを女と望んだのだろうか?


「・・・わたしも烏丸くんが女の子になったところみたいって思うのに、見えないの。なんで?」

「どうやら、そう簡単に望む望まないで片付けられる問題じゃないらしいよ」


自分のことなのに、らしいよ、などとまるで他人事のように語る。

それの性別を認識する要因となるのは、見る者がそうであれと願う場合と、周りの空気に感化される場合の大体二つである、とそれはいった。


「まっ。正直まだ僕にもわからないことばっーかりなんだよなぁ」


まるで戯けたような調子だった。

話すことに飽きたのか、集中力を失ったそれはまだ納得いかずにうんうんと唸る緑を横目に机に指先を押し付けはじめた。

胡座をかいている教卓には埃が薄く積もっていて、指先でなぞると線が現れる。

面白くもつまらなくもないような微妙な表情でそれはその動作を延々と続ける。

まるで子どもが自由帳の上でうねうねうねうね、永遠の迷路を作ってるみたいだわと緑は呆れる。


「ね、もう帰ろうよ。暗くなってきたし、お腹も空いちゃったし。」

「いや、待って、なあ、」



「大垣」



自分の座る周り全ての埃をなぞりきったそれはなにかを急に思い立ったらしかった。


ニィィー、と口元を横に長く伸ばしてまるで笑顔のような表情を見せた。

それの、闇の深淵を覗いたかのように生気のない目は相変わらず笑っていない。


「なによお」


お腹が空いて、少し不機嫌になってきた緑はつんとした口調でそれに応じる。

腕組みをして、自分より少し目線の高い場所にいるそれを睨めつける。



冬の夜は早い。


外がもう夜を迎えようとしていた。

窓の向こうから、黒がかったなかに僅かに赤みの残る光が溢れてきて、空き教室を不穏な色に塗り潰そうとしていた。

その空間は如何にも不気味で、緑は余計に早く帰りたかった。



「大垣はさ、私、みたい?」


それは、いつの間にか胡座を崩し、膝を山型に折りたたんでいた。所謂体育座りである。

なぜか両腕を顔の前で交差させ、表情を一切読み取ることを禁止していた。

口調は女の子そのものだったが、緑からすればそれは声も低いし体格も男だった。


「なに馬鹿なこと言ってんのよ。もう帰りましょうよ」

「いいから答えて!大垣、僕が私になるところ見せてやるよ」


答えて、と言った手前だが緑に選択権はないらしい。

教卓から、机と床の擦れるような音ひとつ立てずになくしなやかに飛び降りたそれは緑の目の前に降り立った。



「手を貸して」

「手を?」



言われるままに緑はその白く長い指を持つ華奢な手を差し出した。

細く白い緑の手を、同じくらいに白い、しかし骨の張った大きな掌が攫う。


「・・・・・・・・・」




無言、



そして、




「っきゃあ、」


少しの間のあと、静まり返った空き教室からは緑の小さな悲鳴が上がった。


「なにをするの、烏丸くん」


あまりにも衝撃的な出来事に、手首を押さえて緑は半歩引き下がった。

そんな緑を無感情な瞳で見つめながらも、なにも言わずに赤く濡れた小指の先を己の唇に宛てがった。

そのまま唇の流線に沿って小指を滑らせると見事な紅が引かれていた。

鮮血。

その正体は緑から流れた血で、それは緑の手首の脈を歯で裂いたのだった。


「ごめんね、大垣・・・」

「か、からすま、くん?」

「痛かった?」


そのときの緑には痛みなどなかった。

それよりも先に目の前の人物に痛みを感じるその一瞬の隙を奪われた。

緑の目線の先にいたのは、肩まで髪を伸ばした、中性的な顔立ちをした女の姿をした、


──まごう事なきそれそのものだった。



そこから、緑の記憶はない。




「びっくりした?」


まるで悪戯が成功した子供のような無邪気な表情を浮かべるそれは気がつけば男に戻り、さらに言えば緑たちは二人の分かれ道の手前まで来ていた。

どうやってここまで来たかなんて、覚えていない。

それはなにやら緑に話しかけているようだが、その声はまるで遠くから聞こえるその他大勢の喧騒のようにくぐもっていた。



「大丈夫かよ?・・・気をつけて帰れよ!」


ぼんやりとする緑とは対照的に、何があったか、いつになく爽やかでご機嫌な挨拶をして、それは颯爽と去ろうとした。

しかしその時になって緑の意識はここへ急に引き戻された。

進む方向を変えようとしたそれの首根っこを逃がすものかと、緑は必死に引っ捕らえた。


「グぇ」


気道が押しつぶされる音、という表現がまさに相応しい、そんな不自然な声がした。

緑はそんなことに構わず、ぐいぐいと襟首を引き寄せた。

それの伸びた襟首の隙間から、ちょうど首の骨の真上の皮膚にほくろがあるのを見留めた。



乱暴なオンナ!と声高に抗議するそれを物ともせずに緑は反撃する。



「ちょっと、まだ帰さないんだからね!わたし、まだ納得してないんだけど」



逃すまいと素早く目の前に回り込んでそれの両肩をガッチリ掴み、まるで百獣の王ばりに吼えついた。

奥歯まで見えそうな距離で怒号を飛ばす緑に内心冷や汗をかきながらも落ち着けよ、と言葉だけは冷静に促す。


「烏丸くん、あれはなんだったの?」

「あれは大垣が見たいと言った僕だよ」

「こんなときにふざけないで。わたしが聞きたいのはそうじゃなくて──」

「わかってる。それはね、大垣の血がそうさせたんだ」


緑の豹変ぶりに肩をすくめていたそれの目に突然強い眼光が宿った。緑を射抜くのは、普段の淀みが嘘のような、痛いくらいの鋭さを含んだ視線だった。


「ま、また、そんな。誤魔化さないでよ」

「誤魔化しなんかしないさ」


静かだが芯の通った声色に緑は驚き、うろたえて、食い込まんばかりに肩を掴んでいた指先の力をそっと緩めた。


「大垣、血には強い意味があるんだ。血は絆だよ。親と子の、そして男女の。本来赤の他人に絆はないけど、僕はお前の血を受け入れた。そして僕の姿が女に見えたのは、大垣の血を受け入れた僕を、今度は大垣が受け入れたからさ」



「契りを交わした男女は、夫婦になる。夫婦に血の繋がりはないけど、絆がある。二人の絆は血筋となり、二人の証である子供に流れるのさ。時を経るに連れ、混じり合って、隔てもなく、やがてひとつになれる。」



「男女の間に生まれた子供は、二人の絆がひとつになった個体さ。僕たちには恐らくそれは与えられないけれど」




「大垣、ありがとう、僕を受け入れてくれて」



子を成せない鵺は寂しそうに笑った。

いつの間にか夜だった。

二人の頭上には黄金の月が昇る。


「・・・そんなこと」

「うん」

「急に、言われても」

「うん」

「わかんないよ」


──そうだね。


それがぎこちない微笑みを向けたとき、緑の中で熱く重みのあるなにかがせり上がってきた。

まるで限界まで膨らんだ蕾が、綻び花開く瞬間のように、鮮やかで、柔らかい気持ちだった。

しかし、なぜかその気持ちを緑は表すことができなかった。

いつもは出来ていたなにかを、緑は出来なくなっていた。


失っていたのだ。

それは。


ねぇ、烏丸くん、わたしね、泣こうと思っても涙が出ないの。それは鵺に心を許したからさ、緑、君は人間から少し離れたよ。わたし今ろどうなっているのかな。そうだな、例えるなら地上に足がついていない状態ってところかな。



それは緑の手を取った。

手首に歯形状についた傷口を親指でなぞった。


「契りはまだ不完全だけど、もう少し待つよ」


鵺に心を傾けた。

緑はそのことをよく理解できなかったが、それが何か不吉で恐ろしいことだということは薄々感じた。

しかし同時に、それでも良いや、とも思えた。

契りが完全になるための手順を緑は直感していた。

鵺の血を飲むこと。

子を成せない鵺と絆をもつには、己の体に鵺の血を流し込むこと以外に方法はないことを悟った。



「わかったわ、烏丸くん──」


流れるはずのない涙を拭って、笑いかける。


「いつか、いつか、ね」


涙はやはり出ない。


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