魔族
11
『ゲーム開始三十分が経ちました! 現時点で討伐された魔物を発表します!』
再び、木々の間から戸斧戸春の声が聞こえた。続いて流れるファンファーレと、空に浮かぶホログラム。空の色は、急激に暗くなってきている。
先のホログラムの中に居た魔法召喚部の二名と、新たに追加された女子生徒二名。
魔法戦争部の二名は、ホログラムに表示されなかった。
(? 召喚部はさっきも映ったのに戦争部は消えてる……?)
当然脳内に浮かんできた疑問は、すぐに解消されることになった。
勇貴の進行方向正面に生えている大きな楡の樹の枝が、突如襲い掛かってきた。
「うお!?」
咄嗟に右側に転がり難を逃れた勇貴。その枝の後方に、一人の男子生徒が立っていた。
その顔には見覚えがある。十五分前のホログラムで死亡と表示された生徒だった。
「なるほど、蘇生したのか」
ホログラムの表示が消えた理由を理解し、向かってくる敵に相対するべく立ち上がった。
「お前、魔法大戦部か?」
男は勇貴の手前十メートルの位置で立ち止まり、疑問を投げかけた。
「さっき、一年の女にやられてムシャクシャしてんだ。この恨み、お前に返させてもらう!」
そう言って敵は、ポケットからコインケースの様な箱を出した。その中からチョークを一本取り出す。見かけは何の変哲もない、黒板に字を書くための道具。色は赤。
チョークで手近にあった樹に印をつける。バツ印をつけられた樹は、その枝を鞭のように撓らせて勇貴に攻撃を仕掛けた。
勇貴は数本の鞭を、タップダンスを踊るような軽快さで避ける。避けながら、敵の魔法を分析した。
(木属性の魔法。チョークに印を付けた樹を操る魔法か。あれはただのチョークじゃない。恐らくチョークに細工を施して魔法具にして樹を操縦しているか、自らの魔力をチョークの形に成形して、簡易的な命令を送っているか)
単調な鞭の攻撃を避け続ける勇貴を見て痺れを切らしたのか、敵はもう一本、緑色のチョークを取り出して、足元の地面に丸の印を書いた。
すると、その場につんのめる様に勇貴の動きが止まった。
足元を確認すると、魔力を帯びた蕨が生えて勇貴の足に絡まっている。
(おそらく後者。色と印で簡略化した魔法陣に命令を組み込んで、動きのある実戦に対応出来るようにしてあるんだ。そりゃあ……)
「湊に負けるわけだわ」
どっちにしろ植物を操るこの男と、火属性魔法の使い手である湊とでは、相性が悪すぎる。
「ん、だ、と、コラァ!!」
勇貴の一言に怒りを表した男は、コインケースから色の違うチョークを八本取り出して、コインケースを投げ捨てた。
八本のチョークは粉末になって勇貴の周囲に飛散する。地に落ちた粉末は、魔法陣を形成してゆく。
(ちょ、ま、印として簡略化された魔法陣だけでも効果を持つチョークで、完璧な魔法陣を書かれたら――っ!)
勇貴は焦りながらも周囲を観察する。直径五メートルと三メートルの二つの魔法陣が、勇貴を中心に描かれている。それは直接地面に描かれているのではなく、落ちている石や木の葉の上にも跨っていた。
その程度の観察しかできなかった。男の魔法陣の完成が思っているより早い。
「竹葬!」
男が技名を発した。
最初に効果を発揮したのは外側の魔法陣。魔法陣に沿って竹が生えてくる。まるで竹で牢獄を作り出すように、隙間なく編まれ勇貴を囲う。牢獄が完成したのを見計らって、内側の魔法陣が光を帯びる。
勇貴はその直前、右手を地面に翳しながら、何かを払う動作をした。
内側の魔法陣が光を失った。そのまま何事も起きることなく魔法が終了し、竹が外側に倒れていく。
土煙を上げて倒れた竹の向こうで、男と目が合った。
男は唖然とした表情で勇貴を見ている。
「俺の、奥義が、なんで発動しない?」
まるで勇貴を、怪物でも見るかのように眺めている。
「あー、俺は無属性の魔法キャンセラーを使えるんだ」
勢いで、その場しのぎのハッタリをかました。
本当は、世界で唯一魔力を持たない勇貴だけが、世界で唯一持つ超能力を使ったのだ。
魔法陣の下にあった石や木の葉を超能力で少しだけズラした。
(まぁそれだけだったら別の魔法が発動してたかもしれないけど、勢い余って半分くらい普通にチョークを消しちゃったからね)
不発になっても仕方がない状況を作り出したが、それを説明できる言い訳が思い浮かばなくて出た嘘。
しかしそれを、男は完全に信じ込んでしまったらしい。
「嘘、だろ? あの女子と言い、今年の一年は化け物揃いかよ……」
怯えて腰が引けてしまっている男を見て、勇貴はからかうように、
「何なら、他の魔法も見せようか?」
と一歩前に踏み出して、更にハッタリをかけたが、
「もう、痛いのはヤダー!」
と言って逃げ出してしまった。
「…………あ」
こうも引かれると、ちょっと申し訳ない気分になる。
「って言うか湊の奴、あの人をどんだけボコボコにしたんだ?」
湊に植え付けられたであろうトラウマも気になるところだが、こうして逃げられてしまっては全体の戦況に変わりはない。とは言っても、勇貴には止めを指すことも出来ないが。
(さてと、佐伯さんの方角は)
ポケットに入れていたタロットカードを取り出す。しかし、移動していたカードの光点は静止していた。
振っても回してもカードに動きはない。魔法が解けている。
(ってことは、日向先輩も戦闘中ってことか)
納得して、来た道と向かっていた方角だけでも確認ができないか周囲を探る。
『ゲーム開始四十五分が経ちました! 現時点で討伐された魔物を発表します!』
三度、戸斧のアナウンスとファンファーレが聞こえた。
(もうそんなに経っていたのか)
と思いながら、空のホログラムを確認する。上空には一番星が瞬いていた。
魔法召喚部の二人は変わらない。先の女子生徒二名も変わらない。そして、日向御星と千堂七海が現れた。
(え?)
その後、女子生徒一名を映し出して、空は静寂に包まれた。
(日向先輩が負けたなんて、一体どんな相手だったんだろう?)
しかし、日向が負ける相手は千堂かその辺だろうと思ったが、その千堂も死んでいるとなると、相打ちか? と勇貴は勝手に解釈した。
再度道探しに戻る。木の枝で引っ掻かれた地面の傍に自分の轍を見つけたので、向かっていた方角のおおよその見当をつけて、そちらに歩き出す。
直後。
世界が震えた。
「地震?」
勇貴は揺れを感じて、防護のための行動を取ろうしたが、森の中での対処など聞いていなかった。
(でも、普通の地震とは少し違う様な気がする。地面って言うより大気が震えているような、そんな感覚じゃなかったか?)
確かに、通常の地震とは揺れが異なっていた。足元から揺れているのではなく、海の中で、波に揉まれている様な、体全体で感じる揺れだった。
そして、遠くから雷雲が帯電しているような音が聞こえ、徐々に大きくなり近づいてくる。
「な、なんだ?」
勇貴は周囲を窺う。木々がざわめいているように見えた。
(何か不吉なことが起きているのかもしれない。佐伯さんとの合流を急いだ方がよさそうだ)
音は次第に弱まってきたが、勇貴は不安に駆られて小走りで道なき道を行く。
木々の合間を抜けて走り続ける。辺りは既に夜の闇に包まれていた。
視界が悪くなり、勇貴は横合いから飛び出してきた人間に気が付かなかった。
それは向こう側も同じだったらしく、二人はぶつかった。
「痛て!」
「あだ!」
勇貴はよろけたが何とか踏み留まることが出来た。しかし、もう一人は下品な悲鳴を上げて尻もちをつく。
勇貴は目を凝らして誰とぶつかったのかを確認しようとした。
「おいこら! いきなり出てくんじゃねぇ!」
勇貴が人物を特定する前に、聞き覚えのある声が飛んできた。
「杉松先輩?」
口の悪い物言いをするこの声は、勇貴の記憶にはまだ一人しかいない。
「あ? なんだ市浜か。まだ生きていたのか」
夜目でもきくのだろうか、座ったまま顔だけこちらに向けると、杉松はすぐに勇貴だと特定した。
「生きてますよ。それより大丈夫ですか?」
杉松に手を差し伸べながら、勇貴は答えた。
意外にもその手を取り立ち上がった杉松は、
「それより、何が起きてるんだ? この辺、異常に空間魔力が膨れ上がってるぞ」
と周囲を探る様に見渡しながら言った。
「なんでそんなことが分かるんですか?」
「うちの着けてるイヤリング、空間魔力に働きかける物なんだが、軽く暴走状態になってんだよな」
自分の左耳に付いている、赤い宝石のような石が付いたイヤリングを指で弾きながら杉松は答えた。
「暴走状態って、大丈夫なんですか?」
「今は起動させてないから問題ないよ。でもこのままじゃこいつが使い物にならないから、原因を確かめようと思って向かってたんだ」
杉松は渋い顔をして、向かっていた方向を見た。
「ちょうどいい。お前も来い」
顎で勇貴に命令を出し、杉松はまた走り出した。
勇貴は少し迷ったが、すぐに杉松に付いていく決断をした。
「何が、起きているんだと思いますか?」
勇貴が走りながら聞くと、
「知るかよ。だから見に行くんだろ」
杉松は突っ慳貪に返した。
(空間魔力か……。やっぱり嫌な予感がする)
杉松の話を聞いて不安感を一層強めた勇貴は、杉松の後を黙って付いていく。
五分ばかり走ると、開けた場所に出た。草原の様な広い空間。そこを吹き抜ける風が、体温の上がっている体に心地良い。
草原の真ん中に、男が一人佇んでいた。
いつの間にか上っていた月の明かりを浴びて、長い前髪を風になびかせながら俯き加減で何もない空間を見つめている男は、勇貴たちの目に漠然と嫌悪感を与えた。
「あいつが、空間魔力の中心にいる」
杉松が自分にのみ解かる理屈で確信した。
不思議と勇貴にも理解できた。杉松の言葉は、勘とかの類ではない。
自分の中の本能に近い部分は、異常な空間に警鐘を鳴らしていた。
しかし、
「おい! お前一体何をしてる!?」
杉松が既に右腕に吸収して溜めてあった火属性の魔法を、男に向かって放った。
炎に照らされて、男の表情が一瞬だけ見えた。
男は気味の悪い笑みを浮かべていた。
炎が男に当たり、爆炎が弾けた。ちょうど腰から上半身が燃えている。
声も上げず、身じろぎ一つしない男の様子を二人は見つめていた。
「おい、あいつ死んじまわないか?」
魔法を放った杉松本人でさえ、男を案じた。
瞬間、炎が弾けて消えた。変わらず笑みを浮かべていた男は、
「――――――」
何かを言った。
すると虚空に突如生み出された闇の槍が、杉松に向かって飛来し、突き刺した。
「あ、 あ?」
杉松は、短い言葉を発して倒れた。地面に着く前に、魔法ウェアの転送魔法が発動して姿が消えた。
勇貴には何が起こったのかが理解できなかった。
(あいつが発した言葉は呪文詠唱だったのか? 呪文詠唱だったとしても、発動まで早すぎる! それにこんな高威力の魔法をあんな短い詠唱で使うなんて――!)
しかし、そんな業を容易く扱える存在を、勇貴は知っていた。
「魔族――」
勇貴の言葉に呼応するように、男は歪んだ笑みをより一層歪めた。
「もう焦っちゃったよー。いきなり日向さんが死んだって聞かされて、慌てて地獄まで走ってきたんだから」
佐伯は地獄の門のオーブから手を離し、門の中から出てきた日向に向かって話し掛けた。
「いやー市浜くんと通話してたら切れちゃって、とりあえず合流した方が安心するかなーって思ってうろうろしてたんだけど、迷っちゃって。そうこうしてるうちに敵と遭遇するしであっという間にこんな時間だよ」
佐伯はやれやれと言った具合に自分のストーリーを語った。
一方、日向は青い顔をして佇んでいる。
それに気づいた佐伯が、
「どしたの?」
と声を掛けるが、返事がない。
「どうしたの?」
不穏な空気を感じ取り、頭をシリアスに切り替えてもう一度問い掛けた。
「あれは、一体なんだったの?」
辛うじて声に出た言葉は、佐伯の問いに対してのものではなかった。
「何があったの?」
佐伯の再三の問いに、ようやく日向は佐伯の姿を認識した。
「さ、佐伯先輩? ここは?」
「地獄の門の入り口だよ。ゲームで君は死んだんだ。だからここにいる。分かるね?」
日向はしっかりと頷いた。
「なにがあったのか、説明できる?」
「私、千堂さんと遭遇して、戦闘したんです。そして近くに居た……、そう、あの人、あの男の人、あの時の魔法陣を書いていたんです! だから私たち魔法で攻撃して、中断させようと思って、それで……」
「あの時の魔法陣? いつのものだい?」
「あの時、部活紹介の日の午後、魔族の召喚を疑っていた、あの魔法陣です」
佐伯は思い出す素振りすら見せなかった。この件に関することは、佐伯の記憶に新しい。
佐伯の父の力で、数週間前に魔族が顕れたらしいという事の真偽を調べてもらっていたその結果を、昨日、佐伯は父から聞いていた。
やはり、魔族は既にこの世界に存在しているらしかった。その一体の魔族を中心に、魔界とのゲートが開いているらしい。
父と組織が、秘密裏にその魔族を探しているが成果は得られていない。
「あの魔法陣は、やっぱり魔族の召喚に使われていたのか?」
事態を目撃したであろう日向に確認をしたかったが、日向は首を横に振った。
「私は、魔法陣を書いていた男の人を、攻撃しただけなんです。でもあっさり返り討ちにあってしまって魔法陣の効果までは……」
「七海と束になっても勝てない生徒なんて、この学校にはいないと思ってたけど?」
「あれは、あの魔法は、多分人間の使える魔法ではありえません……」
自分が受けた魔法を思い出し、再び恐怖に震える日向。
「日向さん、まずは落ち着こう」
佐伯は日向の背中をさすりながら、優しい声を掛ける。静寂が辺りを包む。
すると、地獄の門の中で呻き声のようなものが聞こえてきた。
佐伯は何事かと中を覗き込んだ。格子の中で女性が倒れている。
仰向けで横たわっていたため、その人物が誰なのかすぐに判別できた。
「李音、お前も死んで来たのか」
いつもの様に茶化して杉松に話しかけたが、杉松の返事がない。
訝って杉松の反応を待つ佐伯は、杉松の背中から黒い液体が染み出てきていることに気が付いた。
「李音? おい、李音! どうした!?」
佐伯は血相を変えて、格子にしがみ付いた。それでも杉松からの反応はない。
日向も異変に気が付いて中を見遣る。その不吉な状況に対して、日向の方が幾許か冷静に行動ができた。
地獄の門のオーブに魔力を注ぎ、門を開いた。中に入って、杉松の体に触れてみる。
ベットリとした粘着質な液体が、掬って取れる程の量付着していた。それは錆びた鉄の様な匂いがした。
「血? いけない! 治癒魔法を!」
日向は焦りと混乱に見舞われたが、それでも冷静に対処を進めた。
懐から一冊の本を取り出し、ページを開く。
開いたページから十枚ほど摘まむと、それを一気に引き裂いて破り取った。
破いた紙を杉松の体にばら蒔き、魔力を込める。
ページに書かれている文字が魔法陣と呪文の役目を持ち、日向本人の魔力を受けて発動する魔法、「一夜限りの出会い(ワンタイムハンドスペル)」。
自分の魔法を書物に書き写すことが出来る天才魔術師、日向御星の本当の魔法スタイル。
そして、彼女の得意属性は水。治癒魔法を使わせたら、学校一の実力者。
そんな彼女の魔法を以てしても、杉松の傷の治りは芳しくない。
「魔力が、上手く流れ込まない……。 他の邪悪な魔力によって、流れを分断されている」
日向は険しい表情で治療を続けた。
「あ、 う」
少しだけ、杉松の意識が戻ってきた。
「李音! 大丈夫か!?」
佐伯が格子をつかんだまま、声を掛けた。
その声に、杉松がゆっくりと振り向く。
「ま、さる……。 市浜が、魔族と……」
声を振り絞るように、途切れ途切れに情報を伝えていく杉松。
「魔族にやられたのか? 市浜くんが戦闘中なのか?」
矢継ぎ早に質問をしていく佐伯。杉松は、ただゆっくりと頷くことしかできなかった。
「佐伯先輩。杉松さんは必ず治します。だから、市浜くんのところに行ってあげてください」
日向が自信に満ちた表情で佐伯に言った。
佐伯はしばらく杉松を見ていた。
また意識を失い眠りについた杉松の表情は、先程の脂汗に塗れたものより良くなっている。
「わかった。ここは日向さんに任せるよ」
そう言って踵を返し、森の中へ駆け出した。
(市浜くん、無理はするなよ)
大地の精霊の力を借りて、常人の三倍程の速度で夜の森を全力疾走する。
まず、勇貴がしたことは、逃げることだった。
(本物の魔族! なんでここに!?)
しかし考えても答えなど出ない。今は必死に逃げることだけを考える。
後ろを振り返ると、魔族は音もなく宙を飛び、勇貴を追ってきていた。
(うわ、マジこれ死んだ)
恐怖を通り越してコメディドラマでも見ているかのような浮かれた気分で全速力で走る。
ペースを上げても下げても、付かず離れずの距離を保って追いかけてくる魔族は、まるでこの状況を楽しんでいるようだった。
(魔族は人の恐怖を餌に生きてますってのは本当なんだな)
魔族召喚騒ぎがあったころに図書室で読んだ魔族関連の本に、そのような事が書いてあったことを思い出す。
(ってことは、俺の恐怖があいつに伝わっているうちは、大きな動きをすることはない、と良いな)
希望的観測を浮かべ、唯々全力で走り続ける勇貴。
稀に思い出したかのように、超能力を使って魔族を妨害してみたりもしたが、魔族に超能力は通用しないようだ。
逃げている間に、恐怖心が薄れてきた。それは魔族にも伝わったようで、時折、髪の毛を槍に変えて勇貴の足元を狙って攻撃してきた。
(うわ、やっぱり恐怖を煽ってきてる。杉松先輩の時は、一思いに刺したくせに)
思えば、杉松は初めて魔族を見たときも、恐怖せずに攻撃を仕掛けていた。
(ちゃんと人を見てるって事か)
人間が畜産物を食するときは、産ませて、わざわざ育て上げてから屠畜する。
つまり、魔族にとっての人間が、畜産物だという事か。
そう考えると、恐怖よりも怒りの方が込み上げてきた。
(ただ黙って食われてやるかよ)
勇貴は決心し、魔族の方を振り返って急制動した。
振り向き様に超能力を使う。魔族の両脇にある木の葉を、超能力で補強し、魔族に向けて放出させた。
先の木属性の魔法をヒントに、それを超能力で再現したようなものだ。
勇貴の超能力とは、念動力だ。物を意識の力で動かしたりする。見えざる手をイメージしているので、触れることの出来ない物を動かすことも出来る。
また、分子の結合を強めることで、木の葉を強靭な刃に変形させた。
飛んでくる数百から千枚にも及ぶ木の葉を見て、魔族は何もしなかった。
鉄杭でコンクリートを連続で穿つような激しい音が響く。
魔族はその中心にいて、バランスを崩すことすらなくその攻撃を受けている。
全身に木の葉を纏わせて、何事も無かったように佇む魔族を見て、勇貴は超能力を解いた。
ひらひらと舞い散る若葉の隙間から、魔族の邪悪な笑みが覗いている。
「――――」
魔族の声になっていない声が聞こえた。
直径一メートル程の大きさの闇の球が四つ、魔族の周囲に浮かび上がった。虚空に浮かんでいる球は、ゆらゆらと揺れながら、勇貴に近づいてきた。
勇貴は一歩後ろに飛び退いてそれを回避する。球の一つが、勇貴が居た場所の地面に触れたとき、何かを吸い込む音を発しながら、球が消えた。
いや、球だけではない。球と同じ体積の空間が消失し、地面が抉れている。
(ちょ、空間毎消し去る魔法なんて見たことないって!)
残り三つの闇の球は、速度を上げながら勇貴に向かってきている。
「うわ!」
恐怖が再び舞い戻ってきた。魔族は満足そうに笑みを深めている。
その場に足を取られ、尻もちをついてしまった勇貴は、咄嗟に超能力を使った。
それは球の一つに作用し、球の軌道を変えて、他の二つの球とぶつかった。
先の音を響かせて、空気を巻き込んで消失してしまった。
(? 超能力って魔族の使う魔法には効果があるのか?)
勇貴は答えの出ない問いかけをした。闇の球が消えた向こう側で、魔族も腑に落ちないと言ったような表情で笑みが消えていた。
「キエエエエエエェェェェェェ!!!!」
急に、魔族が悲鳴のような咆哮を上げた。耳を劈くその音に勇貴は顔を顰める。
魔族の頭上に、闇の炎で作られた矢が出現する。現れると同時に矢は射出された。
一瞬の出来事に目を瞑ってしまった。しかし何時までたっても勇貴の体に変化は訪れなかった。
恐る恐る目を開けてみると、巨大な土壁が勇貴の目の前に聳えている。
それが盾の役割を果たし、勇貴を守ったらしい。
何が起きたか分からないと言った風に勇貴はそれを見ていた。
音を立てながら土壁が地面に収まっていく。壁が大地に収まった時、魔族は左側を向いていた。
勇貴が魔族の向いている方――勇貴の右側を――見ると、悠然な足取りで近づいてくる一人の男が視界に入った。
「佐伯さん」
勇貴がその男の名前を安堵の息と一緒に呟いた。
「やあ、市浜くん。無事かい?」
佐伯は笑顔で勇貴に手を伸ばし、勇貴を立ち上がらせながら語りかけた。
「は、はい」
笑顔の佐伯ではあるが、いつもの笑顔とは少し違う雰囲気を感じて、勇貴はたじろぎながら答えた。
「そう」
それだけ言って、佐伯は魔族の方に向き直る。
「お前が、李音をあんな目に遭わせた魔族か?」
勇貴は、一度も聞いたことのない怒気を孕んだ佐伯の声を聞いた。
魔族は佐伯の怒りを受けて、また笑みを浮かべている。
「お前だけは許さない。絶対にだ」
佐伯は、侍が刀を抜刀するように腰に携えていた錫杖を持ち、魔族に向かって宣言した。
錫杖を魔族に向け、呪文を唱える。
「大地の精霊の御霊を借り受ける。古の盟約によりて、我が命に従い姿を表せ」
佐伯の呪文に呼応するように、大地が震えだした。震えながら、大地から絞り出すように、黄土色の液体が佐伯の足元から湧き上がってきた。
いや、良く見ると液体ではなく透明感のある何かだった。その何かは、徐々に生物を模って形成していく。
二本の小さな角を触覚の様に生やした、全長六十センチメートルほどの大きさの生物で、小鬼のような雰囲気を持っている。
「呼びかけに応えてくれて、ありがとう」
佐伯がその小鬼を見て表情を和らげた。
「我が精霊よ、あれを滅したい。力を貸してくれ」
精霊と呼ばれた小鬼は、佐伯の願いに応えて魔族に向かって飛んだ。
輪郭そのものが魔力的エネルギーである精霊は、そのまま魔族にぶつかり魔族を吹き飛ばした。
「ギ?」
思わぬ攻撃に、魔族は声を上げた。だが、ダメージはあまり無いようだ。
空中でくるりと一回転して体制を整えた魔族は、両腕を大きく開いてその場で静止した。
その両手指先には闇の炎が灯っている。それを、腕を振り払うようにして放出した。
十指の炎は狐火の様に揺れながら、精霊に向かって飛来していく。
精霊はステップを踏むように避けた。三発は避けたが、四発目を右の脇腹に受けて動きが止まったところに、残りの全てが衝突した。
闇の炎に包まれた精霊は、音もなく消えていった。
魔族は満足そうに笑みを浮かべ、佐伯を見遣る。
そこで驚くべき光景を見て、魔族は動きを止めた。
「へぇ、これに恐怖する概念は持っているんだ?」
佐伯は、手に持つ錫杖を揺らしながら魔族に語りかけた。
ただ一体の精霊で魔族に勝てる訳など無い。佐伯はその後の攻撃のための準備をしていた。
「これは四百年前、佐伯家の先祖が、人間界に現れた君たち魔族を葬った時に使った家宝、らしいんだよね。『竜声玄上』って言うらしいんだけど、君たちは覚えてるかな?」
錫杖の先に付いている黄土色の魔法石から、竜の様な形をした精霊のエネルギー体が伸びている。
「まぁ、僕の腕が未熟だから、竜を完全に顕現できないんだけど……。 でも、これで君を倒すことは出来るよね?」
朧げな竜は、咆哮を一つ上げて魔族に襲い掛かる。
魔族もここで初めて抵抗を見せた。髪の毛を伸ばして、鞭のように竜を打つ。
鞭で体を叩かれながらも竜は幾つかの鞭を噛んで攻撃を加えている。
魔族は自らの魔力のみで存在している。髪の毛の一本までが魔族の魔力で、体の一部である。
髪にダメージを受けるということは、己の魔力にダメージを受けているという事。
人間は髪に痛覚はないが、髪への攻撃は魔族には有効打を浴びせている。
やがて疲弊していった魔族は髪の毛による攻撃を止め、一旦距離を取るために上空に退避した。
「ギギギギギギギギギギギ」
魔族が奇怪な呪文を唱えた。ように勇貴には聞こえた。
夜の森に響き渡った奇声が収まると、闇の球が魔族の頭上に顕れた。握りこぶし大だったそれは、コマ送りの再生を見ているかのように、一秒刻みで大きくなっていく。
周囲の木々を押し倒しながら膨張を続けていった闇の球は、超巨大としか表現できないほどの大きさに膨らんだ。恐らく魔族の先の声が届いた範囲の大きさはあるだろう。
「お、おい、これだけの魔力、どうしろって言うんだよ……」
佐伯が弱気な事を言いだした。その心理を読み取ったのか、竜の存在が更に儚く見える。
「佐伯さん」
勇貴が、佐伯の背中に話しかけた。佐伯は魔族から目を逸らさず、意識だけを傾けて勇貴の発言に注目した。
「俺があの球を食い止めます。佐伯さんはそのうちに本体を攻撃してください」
佐伯は驚いて勇貴を見た。
「食い止めるって、あの魔力量だぞ!? どうやって!?」
「方法は、あります」
勇貴は既に闇の球を見据えている。佐伯は半信半疑だったが、勇貴の強い意志を信じるしかなかった。
「……わかった」
半ば自棄になっているような心境で竜を消し、新たな呪文を唱える。
新しい攻撃の準備を始めた佐伯を見て、魔族は超巨大な魔力の塊を、投げ出した。
重力に捕まってゆっくりと二人を目掛けて落ちてくる。
「ふ……っ」
勇貴は息を吐き出して、両手を闇の球に翳した。
念動力を使って、闇の球の重力落下を防ぐ。思った通り、闇の球は勇貴の能力で触れることが出来た。
魔族も黙って見ている訳ではなかった。
両手を地面に突き出し、力を加える。勇貴と魔族が、闇の球を押し付け合っているような構図。
「ぐ、ぐ」
勇貴が呻き声を上げる。巨大な質量を脳に感じ、念動力が解けそうになるのを何とか耐えている。
勇貴の後ろで、佐伯の呪文詠唱は続く。詠唱が進むにつれて、夥しい数の大地の精霊が、佐伯の周囲に顕れ続けている。
その様子を見て、魔族は焦りを露わにした。
「ギエエエエエエェェェェェェ!!」
再び奇声をあげて、闇の球のエネルギーを増幅する。
一気に勇貴への負担が重くなった。今にも押しつぶされそうな負荷を受け、勇貴のこめかみに筋が浮かんで切れた。
「が、あ、」
左目を閉じて、目に入った血を涙と共に流す。
もう限界だ。
何かが軋む音を脳内に感じた。勇貴の意識が途切れて地に倒れた。
途端に闇の球の落下速度が加速した。
同時に、佐伯の魔法が完成した。
「大地讃頌」
佐伯が呪文名を発し、精霊たちが飛び上がる。
数千から数万の数の精霊を使役し、半分を闇の球に、半分を魔族に向けて攻撃を開始した。
闇の球は、精霊一体一体の持つ力と等分を徐々に失っていく。
魔族に向けられた精霊たちは、そのエネルギーを以て魔族に必死のダメージを与えた。
闇の球が消えるのが先だったか、魔族が滅びるのが先だったか。
いずれにせよ、竜声玄上によって増幅された佐伯の魔法に魔族は打つ手を亡くし、
「キキギギギキ」
断末魔の苦しみの声を響かせ、その存在を消滅させた。
「か、勝ったのか……?」
佐伯が魔族が消失した空間を見つめ、満身創痍と言った表情で呟いた。
「い、市浜くん!」
意識を取り戻し、ゆっくりと上半身を起き上がらせている勇貴に向かって、佐伯は走り出した。その足取りは縺れている。
自分の足に躓いて転びそうになりながら勇貴の元に辿り着き、起き上がるのを手助けした。
「佐伯さん、勝ったんですね?」
地面にあぐらをかいて座り、周囲を見回しながら勇貴は聞いた。
「ああ、奴は消滅した。でも……」
立っていられず、佐伯もその場に座り込んで言った。その歯切れの悪い言い終わりに勇貴は首を傾げた。
「でも、なんですか? まだ何かトラブルが?」
不安を隠しきれない様子で尋ねる。
佐伯は、父から聞いていた件の魔法陣事件からの調査結果を、勇貴に話した。
勇貴の読み通り、魔族は現世に顕れたこと。
その魔族を軸にして、魔界とのゲートが解放されていること。
父はその魔族の特定が出来なかったこと。
そして決勝競技中に日向が会敵した魔法陣使いのこと。
「――――つまり、今戦闘したのは、日向先輩が遭遇した、魔法陣使いが召喚した、魔族だった、と言うことになるのか?」
勇貴は顎に手を当てて、考えを纏めている。
「その魔法陣使いがゲートの柱になっている魔族? じゃあその魔族がこの世界に顕れた原因は? 自力でゲートを超えてきた可能性もある? それなら何のために魔法陣を?」
纏まった言葉には、疑問しか出てこない。
佐伯も一緒になって考えていた。そして何かを閃いたかのように目を見開き、勇貴に考えを語る。
「最初から、魔族の本体がいきなりゲートを超えてきた訳じゃないんじゃないかな?」
「と、言うと、魔族の一部が、って意味ですか?」
魔族は体を魔力で形成している。髪の毛一本までが魔族の魔力で体の一部だ。
ならば、髪の毛一本を切り離したとして、それも魔族の体として存在出来うるということ。
「そう、体の一部を、何か他の魔獣やデーモンに付随させて、この世界に召喚されるのを待っていたとしたら!」
佐伯が突拍子もない推論を並べた。しかし、勇貴もそれが一番現実的な解釈だと考えた。
「その一部が召喚士の体なり意識なりを乗っ取ったと仮定すれば、魔法陣を使わなければならない理由も合点がいきます!」
「うん、魔族自身は魔力が高いからと言っても、その一部しか顕現していないうえに、人間という低魔力の肉体を憑代に魔法を使わなきゃいけないなら、補強の為に魔法陣を使わなきゃゲートなんて開けない!」
「あの日見た魔法陣は自分の本体を召喚するため。そして世界各地の研究所を襲った」
勇貴はここまで議論したが、ふと思い出したように、
「でも、なぜ研究所を襲ったのでしょう?」
新たに浮上してきた疑問を口にした。
「それは…… 空間魔力の、魔界から人間界への流入を防ぐためでしょ?」
佐伯は以前議論して出た結論を言った。しかし、勇貴はその時に懸念していたあることを思い出す。
魔族が研究所を攻撃する理由。空間魔力流入を防ぐ他に、何か目的があるはず。
以前見た研究所襲撃の動画を思い出しながら、勇貴は考える。
研究所が無数の魔法陣で包まれ、建物ごと消失した動画。
最初に現れた一つの魔法陣、鮮明な映像だったので魔法陣の文字まではっきり思い出せる。
意味は――――
「『転送』」
勇貴は口に出した一つの単語から、この事件の結末が脳裏に閃いた。
「転送! あれは、最初の魔法陣は、大量の魔法陣を研究所のある空間に転送したものじゃない! あの研究所にある大容量の空間魔力を、魔界に転送したんだ!」
佐伯は勇貴が何の話をし出したのか、咄嗟には理解できなかった。
「なんのことだい?」
佐伯は勇貴に説明を求めた。
「あの動画、魔法陣で研究所を攻撃して、これ以上の空間魔力の流入を防いだと結論しましたよね?」
佐伯が頷く。
「俺は、その先に目的があるんじゃないかと考えていました。それが魔界への空間魔力転送です」
「なるほど。でもそう仮定して、魔族のメリットは空間魔力復活によって魔法が好き放題使える、とかじゃないの?」
「恐らくそうなるでしょう。魔力体である魔族は、空間魔力の不足で疲弊している。でも、空間魔力が魔界に戻ってきたら、皆、水を得た魚の様に活発化します」
「魔族が元気になったからって、僕たちとは関係ないじゃない」
(この人はまた会話が噛み会わないっ)
言葉には出さず、勇貴は後頭部をガシガシと掻いて、佐伯の言葉を否定した。
「関係大アリです! 今この世界に居るのはゲートを開くことが出来る魔族なんですよ!?」
うん、と大きく頷く佐伯。ここまでは理解してくれているので、一気に結論を叩き込んだ。
「魔族の真の目的は、力を回復させた魔族達による、人間界侵攻です!」