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魔術・神秘・怪異

三人の美女の夢

作者: 沼津幸茸

 三人の美女に詰られる夢を見た。印象的なものだったので詳細に記録しておく。

 記憶する限りでは、夢は俺が布団で眠りこけているところから始まった。自分が眠っていることを意識している不思議な一瞬の後、周囲に人の気配を感じて目を開けると、俺を取り囲むようにして見慣れない三人の人物が立っていた。

 一人は艶々と光る黒髪を背中まで自然に垂らし、古代エジプトの王族のように煌びやかな装身具と僅かの布を身につけ、褐色の肌と起伏に富んだ肉体を惜しげもなく晒した野性的なエジプト風の女だった。かなり若く、年頃は女子大生くらいだったか。二十歳を大きく過ぎてはいなかったと思う。夜空色の瞳が目を引く顔立ちは見たことがないほど綺麗だったが、吊り上がった眉とまなじりなどが胸や尻以上に攻撃的な造作をしていて、その上こちらを見下ろす表情には傲慢さが溢れていた。この女のことは仮にエジプト女としておく。

 もう一人は金細工のような髪をゆったりと引っ詰めにし、ヴィクトリア朝風のスマートなドレスに細い体の線を浮き上がらせた女だった。俺より二、三歳くらい下だろうか、年頃は二十代半ばくらいに見えた。エジプト女と甲乙つけがたい美人ではあったが、こちらも一癖あった。すっきりとした知的な雰囲気の顔立ちをしていたが、眉間に皺が刻まれていて、答えの出ない小難しい哲学に悩んででもいるように苦い表情を浮かべていた。安直ではあるがイギリス女としておく。

 最後の一人はイギリス女と同じく西洋人の美女だが、服装も体型も顔立ちも大きく雰囲気を異にしていた。収穫前の小麦のように輝く茶色がかった金髪を高く結い上げ、フランスはブルボン朝末期頃のものを思わせるやや装飾過多なドレスを着ていたが、その体つきはイギリス女とは対照的に豊満で、エジプト女よりもややだらしのない肉付きが浮き上がっていた。年齢は俺より一つ二つ上で、おおよそ三十歳手前くらいだっただろうか。顔立ちはやはり美しく、しかも微笑みの滲んだ優しげな表情を浮かべていて、温和な包容力を感じた。高貴だが素朴というどこか矛盾した印象があった。この女はフランス女としておく。

 三人の姿を認めた時、俺は寝起きで頭が働かなかったが、見知らぬ連中に囲まれていることに怯え、状況もわからないままに跳ね起きて逃げ出そうとした。女達の風貌もろくに見ていなかった。冒頭の記述はこの時の強烈な印象を反芻して纏めたものだ。

 布団と毛布を蹴飛ばすようにして身を翻すと、「待て」と背中に強い圧力を秘めた鋭い声を浴びせられた。澄んだ声は女帝のような力強い低音で、思わず従い、振り返ってしまった。

 声をかけてきたのはエジプト女で、攻撃的な眼差しでじっと睨んできていた。エジプト女は「我らにここまでさせたというのに、そなたはまだ我らを焦らすと言うのか。まだ足りないのか」と苛立たしげに俺を詰った。

 話が見えずに戸惑っていると、イギリス女も同調して「もう私には埃の積もる所なんて残っていないわ。あなたが触れてくれないものだから、埃が積もってばかり」と不満そうに俺を睨んだ。

 どうやらこの女達は俺に何か恨みがあるらしい。そう解釈したが、全く心当たりがなかったため、「取り敢えず落ち着いて話そう」だとか、浮気がばれた男のような態度で必死に女達を宥めようとしていた。こうして思い返してみると美女に詰られるのは悪くない体験だったが、実際に責め立てられている最中は全くそういう気持ちにはならなかった。やはり妄想と現実は区別せねばならないし、苦労とは常に過ぎ去って初めて美化されるものでもあるのだ。

 エジプト女とイギリス女は俺の態度にますます怒りを強めたようで更に詰ってきたが、そこに頃合を見計らったようにフランス女が割って入り、俺を庇うように二人の美女の前に立った。フランス女は「二人とも、旦那様に失礼ですよ。おやめなさい。旦那様が私達に触れてくださらないのは、何も意地悪でそうしているわけではないはずなのですから、そのようにわがままを言ってはいけませんよ」というようなことを言っていた。俺は予想外の助け船に深い安堵を覚えた。

 フランス女の振る舞いに、エジプト女とイギリス女の矛先が変わった。イギリス女は鬱陶しそうに「そうやって自分だけいい格好をするのね。これだからフランス女は嫌だわ」と唇をへの字にし、エジプト女は歯に衣着せずに「初めから我らを引き立て役にするつもりだったのだな、年増の牝豚め。女のろくでもない部分を煮詰めた汚物のような奴だ」と吐き捨てた。フランス女は動じる風もなく「三人もいるのです。一人くらいは双方の事情に配慮する者がいなければ公正とは言えませんわ」と受け流した。

 三人が「女の敵は女」よろしく仲違いを始めたのを見て、うまくすればこの混沌とした状況から逃げ出せるのではないかと期待したが、そうは問屋が卸さなかった。逃げ道を探して周りを見回した途端、フランス女がさっと振り向いて「ねえ、旦那様。わたくし達に見向きもされずにいるのには、きっと大事なご事情がおありなのですよね」と声をかけてきた。振り向いた顔には依然として優しげな表情があったが、目元が全然優しくなく、俺を責めるような鋭さを宿していた。

 この女も本質的にはあちら側なのだと気づいた時にはもう遅く、俺は近づいてきた女達に三方を包囲されていた。包囲網は瞬く間に肌が触れ合いそうなほどに狭められ、爽やかな匂い、芳しい匂い、甘ったるい匂い、それぞれに違った匂いが混ざり合って鼻先に漂い、女達の体温が空間を越えて肌に染み込んでくるような感じさえした。女とあれほど接近したことなど数えるほどしかなかったから、あの時はひどく興奮したし、思い返しただけで今もまた興奮している。

 だが、その夢のような状況が、却って冷静さを取り戻す役に立った。自分が女に好かれるような男ではなく、しかも貢がされるほどの金もないことを思い出し、それまで当然のように感じていた状況を怪しんだ途端、唐突に、全てが夢か幻であることに気づくに至った。このため、これは途中から明晰夢となった。

 単なる悪夢か霊的攻撃乃至侵入かは見当もつかなかったが、いずれであっても定石は決まっているから、まず惑星の七複字によって女達を試験してみた。しかし、土星も、木星も、水星も、月も、金星も、火星も、太陽も、いずれも効力を及ぼさなかった。俺が記憶を探ってうろ覚えのタウだのカフだのを必死に描く間、三人の女達は、世間の女達が馬鹿なことに熱中する男を見るときに向けるあの呆れの眼差しで俺を見ていた。

 五芒星や薔薇十字も試してみたが、象徴は何一つ効き目がなかった。女達は五芒星の強力な輝きに怯みもしなかったし、薔薇十字を使った時に至っては、弾かれるどころか俺の内側に取り込まれすらした。このため、女達は無害であり、しかも俺に極めて近しい形で魔術的円環とやらを繋いだ存在であると判断した。専門家はまた違う見解を持つかもしれないが、俺は今でもそのように感じている。

 俺が知る限りの試験法を一通り終えたところでエジプト女が例の攻撃的な目で俺を見据え、「気は済んだか」と言った。俺が済んだと答えると、豊かな胸を突き出すように身を反らして俺を見下ろし、「我らが何者か理解できたのだろうな」と尊大に訊いてきた。

 無害な存在だとしかわからなかったので、俺は恐る恐る首を振った。するとエジプト女はもとよりイギリス女とフランス女も露骨な落胆を顔を出した。

 イギリス女が「私達のことを忘れてしまったのね。昔はあんなに何度も触れてくれたのに」と眉間の皺を深くし、フランス女が「それはさすがに悲しいですわ、旦那様。それとも、とぼけていらっしゃるの? ぞっとしないご冗談ですわ」と眉を顰めた。

 エジプト女は不機嫌そうに眉を吊り上げて俺を射抜くように睨み、「余とそなたが巡り会ってからというもの毎朝毎晩の蜜月を過ごし、この者どもが加わってからも、我らの逢瀬は言うまでもなく、時には我らを並べて順繰りに触れ合ったものではないか。その我らを忘れたとそなたは言うのか」と腕組みした。

「もう私達に飽きたと言うの? 忘れてしまったと言うの? 埃を被ったままにしておくと言うの?」とイギリス女が嘆くように言った。

 フランス女は悲しみを堪えるような俯き顔で「旦那様はもうわたくし達を必要とはしてくださらないのですか」と縋りつかんばかりに身を寄せてきた。だが、その柔らかそうな体が触れてくることは終ぞなかった。

「あの日々は嘘だったのか。あの日々はもう戻ってこないのか。余はもう要らないのか。余を忘れ去り、捨て去るのか。そのようなことは許さないぞ」と続けたエジプト女は怒ったような顔で感情豊かに目を潤ませていた。

 俺は何かを答えようとしたはずだが、何を言おうとしたのかよく憶えていない。憶えているのは、エジプト女が言い終えるかどうかという時点で急に風景と音声が遠くなり始めたことと、最後にエジプト女が「我らを忘れるな。我らを思い出せ。我らはそなたと結ばれた者、そなたと共に在るべき者だ」と叫び、フランス女が「ああ、もう限界ですわ。私達が旦那様のお心に踏み入るのは、もうこれで精一杯。もう踏み止まれません」と嘆き、イギリス女が「私達の埃を払って。私達はいつまでもあなたを待つから、今でなくても構わない、きっといつか、また私達に触れてちょうだい」と訴えてきたことだけだ。

 気づけば目が覚めていた。最初はまた夢かと怪しんだものだが、色々と試してみて現実に戻ってきた確信を得た。

 久々に何か霊的示唆を含んでいそうな夢を見たため、喜び勇んで夢日記をつけようとしたが、その折に机の隅で埃を被った小さな紙箱を三つ発見した。トート、ウェイト、マルセイユの各タロットのパックだった。色々とやりたいことがあったため、もう何ヶ月も触れていなかった。今では、視界に収めながらも見ておらず、存在すらも半ば忘れ去っていた。

 この発見は何か作為的なものさえ感じるタイミングだった。もしかするとあの夢は、ほったらかしにされたタロット達が俺に恨みと寂しさをぶつけてきたものなのかもしれない。ひょっとすると、タロットデッキと俺の間の魔術的円環が弱まりつつあるとか、そういった警告でもあったのだろうか。

 こうして振り返ってみると、あの三人の女はいわゆるタロットの精霊ではなかったかと思えてくる。エジプト趣味が盛り込まれたトートタロットには高飛車なエジプト女。ヴィクトリア朝が終わって間もなく大英帝国で生まれたライダー=ウェイト版には知的で繊細なイギリス女。そして十六世紀頃のフランスで生まれたと言われるマルセイユタロットには素朴でしたたかなフランス女。組み合わせとしては妥当だ。俺との長い結びつきの中で精霊として宿るに至ったのだと思われる。タロットの魂が目覚めたのか、俺の意志の断片が宿って結晶化したのか、無意識がタロットに仮託されただけなのかはわからない。

 もっとも、長月典太郎辺りにはまた違う見解――そしてきっと正しい見解――があるのかもしれない。所詮俺は素人愛好家で、奴は魔術の専門家だ。単に俺が生囓りの試験法をしくじって霊的攻撃を見抜けなかっただけだと言うかもしれない。或いはフロイトなどを齧った奴のことだから、黴臭いリビドー論を持ち出して俺の性欲についてのありがたい講釈を垂れてくれることも考えられる。ユングを持ち出してきて、タロットが女として象徴化された意味について一席ぶってくる可能性もある。何か不都合が起こらない限り、奴には言わずにおく。

 しかし、リストラの危機に怯えるタロットの精霊が夢枕に立ったのだろうと、俺の深層心理が何かを表わしていたのだろうと、取り敢えずタロットをいじってみること自体はマイナスにならないはずだ。塞ぎ込みがちな気分をカード遊びで盛り上げたり、次に書くものの構想を練ったりするくらいの役には立つだろう。

 これを書き終えたら、それぞれ一時間くらいずついじってやることにしようと思う。久々に開鍵式でも試してみたい。

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