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03


 ハーブや野菜を育てている畑は、自宅から10分ほど離れた所にある。リアはその畑に直行せずに、ほんのささやかな気まぐれで自宅と畑の中間点にある農場へ立ち寄った。

 単に、畑に行ってハーブを採ってくるだけじゃ物足りないと思ったのだ。何せこの外出は、一週間ぶりである。

 とはいっても、遊べる場所も知らないし、会いにいく友人もいなかった彼女は、必然的に姉が毎日世話をしに行き、自分も行き馴染んでいた農場へ行くことが浮かんだのだ。

 ――これが自分の運命をわける選択であったなど、もちろん知らずに。



 農場へ入ったと同時、一つおかしいことに気がついた。

 「あれ?いない……」

 今は正午を過ぎたあたりであり、高く昇った太陽がさんさんと照っている。

 大雨でも降らない限り、朝、家畜に餌を農場内にある小屋の中で与えたら、暗くなるまでは小屋から家畜たちを出しておかなければならないはず。

 そう思ったリアだが、直ぐに納得のいく理由を思い付いた。

 (姉さん、体調が悪かったから早々に家畜らを小屋に入れたのかな)

 腑に落ちたことでそれ以上何も考えず、当たり前のように家畜が入れられた小屋に向かい、小屋の木製のドアをスライドさせた。もう相当古いせいだろう、所々腐敗したドアはギィーという高い音を鳴らしながら開かれた。


 「うわっ!?」


 ドアを開け、中に入ろうと足を一歩踏み出したと同時にリアは声をあげた。

 (何、この臭い……!)

 咄嗟に鼻を両手で覆っていた。

 農場が、家畜特有の生臭い臭いであることは当然だ。そして鼻をつんざくような今の臭いも生臭いものである。だがそれは、いつもとは違う、農場に相応しくない臭いであった。

 何、と一瞬考えた。しかしその臭いはよく知るものに違いなかった。誰でも一度は嗅いだことのある臭い。だが、ここまで強くこの臭いを味わうのは普通有り得ないことだろう。


 「血の、臭い」


 小屋の中は、暗い。

 だから直ぐには目が慣れず、中の様子がわからなかった。

 入らない方がいい、と身体は警告を出しているのに、リアはとりつかれたように覚束ない足取りで一歩一歩踏み出した。

 だんだんと、瞳は暗闇に適応して、小屋の中の情景を鮮明に映し出す。

 鼓動が加速度をあげて、身体を強く叩くように響いていた。

 真っ先にリアを戦慄させたのは視覚だろうか。聴覚だろうか。あるいは嗅覚か。

 いや、きっと五感全部だ。異常な情報が一遍に五官から入って来たせいで彼女はパニックに陥った。


 ――赤い、臭い、黒い。

 いつもは賑やかな家畜たちが、何の音もたてていない。静寂で耳が痛い。反対にリアの体内では心臓が狂ったかのように鳴り響いている。

 汗ばむ手が気持ち悪い。

 いや、気持ち悪いのは吐き気をもよおしているからだ。

 ちがう、今はそんな事どうでもよい。



 ・・・目の前、足元に転がる赤黒い塊は何なのか。


 「いや……」


 まがりなりにもリアはこの農場を持つ父の子だ。弱肉強食、自分たちが生きるため家畜を解体し、食べたり売ったりするのはごく普通のこと。リアはさせてもらえることはなかったし見せてももらえなかったが、父や姉は家畜の解体を行っていたことを知っている。

 だが。目の前に広がるそれらは、自然の摂理に通じる解体とは明らかに違うと一目で分かった。そしてこの言葉が自然と浮かんでいた。


 ――惨殺。


 足元の塊は切り落とされた、牛の頭部だ。原形を留めていないほどに何重にも切り込みを入れられ、血で赤黒く染まっている。

 やむを得なく殺されるに至ったのではないと分かった。この死骸から溢れ出すのは狂気。


 呼吸が荒ぐ。リアは冷静に目の前の情景を判断できている自分が信じられなかった。

 不快な臭いと情景のせいで込み上げてきた胃液を飲み込み、苦くすっぱい味が口に広がる。リアはくぎづけになっていた『それ』から必死で目をそらしたが、それも無駄だった。どこを見ても視界には家畜たちの血と、屍。生き残っている家畜は見当たらない。すべて、バラバラに刻まれたせいだろう、何十もの肉片が散らばっている。

 この小屋じゅう、死臭でまみれてしまっていた。ここに居る限り目に映る狂気から逃れられない。

 (早くここからでなくては……!)

 これ以上ここにいると、自分までがここに満ちている狂気に狂わされてしまいそうだとリアは思った。

 けれども心とは裏腹に、身体が動かない。がくがくと震えている足は、動かせばとたんに崩れ、腰を抜かしてしまいそうだ。

 もどかしさに、彼女の瞳から涙が溢れ出す。

 ここで泣いても仕方ないのに。自分の無力さを重い知らされると同時にリアは今朝の姉の言葉を思い出した。

 『ぬくぬくと今までこの家の中で護られていたくせに!――あんたはこの家に閉じこもっていればいいの』

 その通りだ。自分はただ護られてきただけで、自分は何も出来ない。姉たちに頼るしかできないのだ。


 そんな考えに打ちのめされたリアは、震える瞼をおろし、目を閉じた。瞳にかろうじて収まっていた涙がたやすく零れ、頬を濡らす。すると、残酷な情景がシャットアウトされ、一瞬死臭が涙の匂いに変わったことで、ほんの少し冷静さを取り戻すことができた。


 (頼ることしか今は出来なくても。自分が唯一できる『頼ること』までなくしたら、私は本当の役立たずだわ)


 ここは森に囲まれた小さな村。もしこの猟奇的惨殺を行った人間がこの村にまだ潜んでいたなら、皆が危ない。今は自分の無力さに悲観している場合ではない。出来ることをするべきだ。


 (行かなきゃ。早く姉さんに知らせなくては)


 自分を奮起させ、リアは歯を食いしばった。

 がくがくと震えている足に力を精一杯込め、彼女は入り口へと踵をかえそうとした。


 ――が。それは、突如割り込んできた声により、未遂に終わった。


 「動くな、囚血者シュウケツシャ


 低く、小さいが、よくとおる男の声。リアは放たれた言葉の意味を理解する前に、体を硬直させた。

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