老人のもとに訪れた、秘術使いの女のお話。
徳川の世になって、三十年ほどたった頃。
街道の外れ。
隠居の老人、孫兵衛の庵に、夕暮れ、一夜の宿を頼んできたのは、一人の女。
名を、おかなと言った。
孫兵衛は快く迎え入れ、おかなに囲炉裏で煮えた汁物を振る舞った。
「まあ、ゆっくりするといいさ。しかし、女一人の旅とは珍しい。おまえさん、一体どうして」
食べ終えたおかなは、静かに手を合わせた後、顔を上げて孫兵衛を見た。
囲炉裏の火が揺れ、おかなの顔を、妖しく照らした。
「……孫兵衛様は、ある忍びの一族を知っていますか。赤葦の一族、と呼ばれていました」
孫兵衛が唸りながら、灰色の顎ひげを撫でる。
「うぅむ、昔、微かに聞いたか……?確か、お館様から。だが、何をする者達なのかは、教えてもらえなんだ」
「無理もありません。その一族の力は長年ごく僅かな者しか知りませんでした。
そして、その多くが死に、まもなく滅びようとしております」
「それはまた、なぜ」
「赤葦の一族は、ある秘術を持っておりました。……写し気の書状を、作る秘術でございます」
「写し気の、書状、だと……?」
じっと、おかなを見る孫兵衛。
おかなは、俯いたまま。照らす囲炉裏灯りだけが揺れる。
おかなが、すっと、懐から紙を取り出す。
何かの書状のようだ。
おかなは、さっと膝の前に書状を広げると、書かれた字を、広げた手の指の腹で、さわさわと撫でる。
聞き取れない程の何かを唱えて、字を撫でた手を口元に広げ。
ふう、と息を吹きかける。
「……いでよ、字霊、言霊に変え、写して表せ、その景色を」
歌うように唱えた言葉の先に。
現れたのは、霧の膜のような、大きな風呂敷を広げたような大きさのもの。
もやのようなものの中に、やがて、映し出されたのは、険しい顔をした男が、座った姿。
孫兵衛は思わず腰を浮かせる。
「……お館様……?!なぜ」
「やはり、そうでしたか。これはあの方の書状に、その一族が術を施し、このように、映し出す事ができるものなのです」
「はあああ、なんとなんと、まるで、目の前に居るかのように……!」
驚き見てみる孫兵衛。
やがて、映し出された男が、口を開く。
『……この書状を見ているということは。わしは、この世におらぬのであろう。……』
「お館様……。なんと、声もまさにお館様の」
懐かしむように目を細める孫兵衛。
「あの方はこうした書状を密かに作り、他の大名との交渉に使われておりました。
それは、あの方が謀反により亡くなられるまで続いておりました」
「そうだったか。……では、その一族は、あの騒乱に巻き込まれて」
「……その通りでございます。後を継いだ途端、一族の秘密を暴き我が者としようとした暴君に、抵抗したため、一族郎党根絶やしとなってしまいました」
映し出されていたもやが、ふうっと消える。
「……残ったのは私ひとり。ですが、最早、子も望めず。秘術を託す者もおらず」
「……左様であったか。でも、なぜそれをわしに」
「……あの方の書状を、せめて、託したかったのです。あの方が信頼し、亡くなられた後は潔く身を引き、その後の顛末を見届けた、貴方様、孫兵衛様に」
広げていた書状を手に取り、おかなが孫兵衛に手渡す。
「…….そうか。お館様の形見。有り難く頂戴するぞ。して、これは其方がいないと、あのように姿を映すことは出来ぬのだな?」
「ええ、そうです。ただ、書状の言葉自体は読めます」
「そうか。……其方は。これからどうされるのだ」
「……私は、一族を失った、流転の身に過ぎませんから。それに、暴君の残党に狙われております。明日にもここを立ちます」
「左様か」
そうして、二人はそれぞれ眠りにつき。
朝に孫兵衛が気づいた時には、その姿は無く。
片付けられた布団。孫兵衛の手元に、お館様の書状だけが残された。
「……ありがとうなぁ、おかなさん。どうか達者で」
見上げれば、山際に朝日が掛かっている。
その朝日の中に、おかなの姿が見えたように、孫兵衛には思えた。
ありがとうございました!




