第10話 魔法の知識
魔物の襲来への救助のため、人々の住む集落へと走っている。若くなった体ならば、走るのも苦じゃないだろうとタカをくくっていたが、そういえば身体強化の魔法が使えなくなっている上に、いうてか弱い女の子の体であることを失念していた。普通にキツい、息が切れそうだ。両手に持っている二冊の魔法書も地味に重くて負荷になる。TSしてから、何をするにも後手後手に回ってしまうな。
走るにしても、山をこえ谷をこえ、というわけではない。イゾラは田舎の街で、内部は三つに分けられる。住居の集まった集落の部分、農地や動物の放し飼いをしているだだっ広い部分、開拓のされていない森の部分となっている。どこも平坦だ。
私の隠居中の家は森の奥深くに、魔法書店の建物は比較的森の入り口付近に建っている。森は集落の背後にあり、多少距離が離れている。集落で祭りなどがあると、魔法書店がギリギリ賑やかな音楽や大声が聞こえてくるくらいで、隠居中の家では木々にさえぎられて全く聞こえない。
今は魔法書店を飛び出して集落に向かっている最中だが、魔物に襲われて叫び越えが聞こえる、などということはなく、いつものように寝静まっているような静けさだ。外に灯りもついていないし。
いまだ魔物の襲来に気づいていないのか、あいつの言っていたことが嘘だったのか、はたまたすでに……。もしそんなことになっていたのなら、私の魔法書店経営計画は全ておじゃんだな。いくらスローライフ目的の魔法書店だとしても、客がゼロの街で店を開く気にはなれない。
いや、最初から最悪の事態を想定したところで無意味か。そもそも、私自身魔物に勝てると確実に言えるわけではないし。魔力ゼロの今、使える魔法は手に持った二冊の魔法書のみ。電子端末のタブレットのように、電子書籍として何万冊も持ち歩けるのならいくらでもやりようがあるが……今のところ、この二冊を使い切ったら最悪殴るしかない。身体強化の魔法も、防護魔法もなしで魔物とインファイトできる自身は全くないので、もちろんそんなことになったらもう負け確実なのだが。
そういえば、持ってきた魔法書をまだ確認していなかった。走りながら、魔法書の表紙を月明かりが照らすよう傾けて、光を当てた。見えた二つのタイトルは──『ちょっとした灯りを出す魔法』と『ちょっと大きな音を鳴らず魔法』。
うん、弱いな。
とっさに、一番出入り口に近い本棚の魔法書を抜いてしまったせいか。手前側はランク1の魔法書ばかりの本棚だから、魔力量の低さの分、日常生活の些細なところで使用する程度の魔法しかないというわけだ。さっきっからポンコツっぷりを発揮しまくっているが、本当にこんなのが大魔法士と呼ばれていたのか、自分でも疑わしい。
ランク1でも十分な火力の攻撃魔法は作れるが、量産し、多くの人に販売できるものとなると、自ずと控えめな物になってしまうのか。当初私が懸念していたように、魔法を使い慣れない人間が使うことも考えて、クレーム回避のために魔法書の著者が工夫を凝らした結果なのかもしれない……と、邪推した。
発動方法は、本の中に描かれた魔法陣に指を乗せ、起動用のラインをなぞるだけ。弱いがゆえに、もはや詠唱すら必要ない。ひとまず二冊の本の間、魔法陣のページに指を突っ込んで、いつでも発動できるよう準備しておく。
うまく組み合わせて、魔物の眼前で閃光弾のように使う……くらいが戦闘用の使い方になるだろうが、いずれにしても決定打にはならない。やはり使い終わった魔法書で殴るしかないな。まあなんとかなるだろう。
……昔から、新たな人に出会うたび、楽観主義者だとよく言われ、実際異世界に来たときもなるようになるさの精神で生活を営み、TSしたらしたでスローライフを始めようとか突拍子もないことを思いついて、我ながらよくここまで生き残れたものだと、改めて思った。
さて、集落が見えた。木や石でできた西洋中世のいかにも田舎っぽい建物が建ち並び、夜の暗さに似つかわしく静まりかえっている。一瞬すでに魔物が通り過ぎ、人がやられてしまった後かと冷や汗が出たが、かすかに建物の中から話し声が聞こえたり、何か作業をしているようで、灯りが窓から外に漏れ出している建物があったりと、ちゃんと人の気配がしていて安心した。
魔物は今のところ視認できていない。ペットを連れてきたとか言っていたのは、やはり単なる私への嫌がらせで、ただのウソか?
警戒しながら、辺りの様子をうかがっていると……ぼそぼそと、何か喋っている声が聞こえてくる。声色は一つだけ、おそらく独り言。灯りのついた建物に住む住人が、こんな真夜中にもかかわらず、何かを唱えているようだ。
魔物とは直接関係ないかもしれないが、単純に何をやっているのか気になったので、建物づたいに近づいて、何を喋っているのか聞き取ろうとする。聖なる水、浄化、流れよ、などなどの単語が端々に聞こえてくる。
どうやら、魔法の詠唱のようだ。イドラに魔法使いがいた記憶はないが……はて、誰だ? まさか、建物の中で魔物と戦っている……なんてことはないだろうな? ちょっとのぞき込んで、様子をうかがってみようかと、足音を立てないよう静かに窓のそばまで近づいていく。
コツン。
足下に転がっていた石ころが、私の歩く足に蹴り飛ばされて地面を転がっていった。石ころは緩やかなはずの足の動きに反してなぜか勢いよく飛んで行き、家の壁にぶつかった。あ、まずい。気づかれる。
先ほどから魔法の詠唱をしていた声が止まり、灯りが外に漏れ出している窓から、そこにいた人物が顔を覗かせた。とっさに隠れる場所を探したが……間に合わなかった。
「誰!?」
今さらだが、客観的に見て今の私は不審者以外の何物でもない。なんと弁明したものか……魔物がいたからここに来たと言って、使い物にならない魔法書二冊を持って、いるかどうかも分からない魔物を探している人間など、信用に値しない。
異世界に来て長く経つが、まだ刑務所には入ったことがなかったな……これも経験か。
「店主さん? どうしてこんなところに?」
はっと思考から目が覚めて、窓のから顔を出している人物と目を合わせれば、そこにいたのは昨日魔法書店を訪れた、ピアンテだった。とりあえず知り合いがゆえに、いきなり殺されるような自体にはならなそうだが、どうしてこんなところにと聞かれても、正直に答えるわけには……。いらぬ心配を招きかねない。
「は、はは、ちょっとな、いくつかおすすめの魔法書を見繕ったのでな、夜分遅くだが店に行こうと思って」
なんとかそれっぽい言い訳を絞り出した。とっさに作った理由にしては、なんとなく筋が通っているのではないだろうか。夜に配達する意味が分からないという店を除いては。
「え、ありがとうございます! 仕事熱心なんですね!」
「それほどでもないな……」
ピアンテから怪訝そうな表情が消え、ニコッと笑顔に変わった。本当に私に感謝を抱いているらしい。もう少し警戒心を持ったほうがいいと思う、私が言えたことではないのは置いておいて。
それにしても危なかった。私がまだ大人の男であったとして、若い女子の家の壁に張り付いて、窓の外から部屋の中の様子をうかがっていたとなれば、間違いなく日本なら警察に通報、異世界なら街のさらし者にされかねない。女の子で良かった~、女の子でもアウト寄りではあるが。
「そういえば、ずっと魔法の詠唱をしていたようだが……何をやっているんだ?」
話題をそらすため、もっともらしく気になっていた事を聞いた。ピアンテは一度窓から離れて、一冊の本をこちらに見せてくる。それは魔導書で、ぱっと見中級レベルくらいのものだろうか。先ほどの詠唱の言葉からして、水属性の何かだと思うが、内容を読まなければ詳細はわからない。
「昨日お話ししたイゾラの商人の人に、前から魔法書が欲しいって話をしてたんです。それでしばらく前に、これをもらって、とってもうれしくて、それからずっと本の通りに練習してたんです。ただ、一向に使えなくて……」
「ああ、それは魔導書だぞ。ピアンテ、魔力操作はできるのか?」
「魔導書? 魔法書とは違うんですか?」
「それはもちろん……」
明確に違う、魔導書には魔力がないから、魔力コントロールの訓練を受けているか、天賦の才でもなければそう簡単には使えない代物で……。
何を言ってるんだと考え、はっと気づく。
そうか、普通の人はそもそも魔法書と魔導書の違いも知らないのか。ならばそもそもの話、魔法書を売る以前に、魔法書とは何か、という話から始めなければならないのかもしれない。なまじ自分が詳しいジャンルだけに、初学者が何を分からないのかがわからない、に似た現象が起こっている。
かつて若い頃は学生に向かって訳の分からない高度な話をこれ見よがしに語り偉そうにする先生、教授などの年配者にはなりたくないと常々思っていたが、歳を取れば見事に自分もそうなっている。自戒すべきだな、定期的に。
「すまぬ、説明を忘れていた。まずもって魔法書というのはだな──」
と、偉そうに解説を始めようとしたとき、突然、ピアンテの表情が硬く張り詰めた。
「店主さん! 後ろ!」
「ピアンテ、伏せろ!」
ピアンテに言われると同時に、魔物の気配を感じ取った。魔力がゼロになっても、魔力感知の機能は多少残っているようだ。魔物の魔力は異質であり、ある程度の魔法使いになればすぐに分かる。高位の魔物になると向こうも魔力の流れをコントロールする力が優れているために、一周回って上手く感知できないので、オスクリタのときは上手くいかなかったが。
先ほどまでは一切なかったはずの気配が、突如として現れたのだ。私はポンコツで、楽観主義者だが、バカではない。ほとんど間違いなく、オスクリタの闇に紛れる魔法に似ていると直感した。
ならば目的は不意打ちに違いない。そこまで考えて、あえて振り返らずに、二冊の魔法書を発動する。あらかじめすぐ発動できるよう準備はしておいたのだ。本の間に突っ込んでいた指をくるっとなぞり、後ろに向かって投げ捨てる。
ピアンテには、すでに伏せろと警告した。私もまぶしい光りを直視しないよう、あえて魔物に背を向け、耳に軽く指で栓をする。
投げられた二冊の魔法書、『ちょっとした灯りを出す魔法』と『ちょっと大きな音を鳴らず魔法』が魔物の目の前で発動する。後ろでピカッと光り、ちょっとうるさく音が鳴る。昼間ならば多少まぶしく、急にスマホのアラームがなったくらいの衝撃だが、今は真っ暗な夜、静かな外である。脅かすという意味において、効果は昼間より数倍強い。
ギャウ、と変な声で泣き、ドタドタと足音がした。振り返れば、逃げていく一匹の魔物の姿。
四足歩行、オオカミに似た生き物で、異世界らしく頭に一本角が生えている。あれは確か……風属性の魔法を使うベントウルフ。低位の魔物で助かった。たぶん頑張って殴れば倒せるタイプだ。しかし、うかつに近づくと魔法の風に吹き飛ばされるし、風を利用して素速く移動できるから、殴ること自体が大変である。
ベントウルフは魔法で作り出した風に乗り、遠くへと逃げていった。低位の魔物のため、何か予想だにしないことがあればすぐさま逃げ出す。高位であれば冷静な状況分析と経験豊富な知識を生かして、ちょっと後退してこちらの出方をうかがったりするが、今回はひとまず追い返すことに成功したようだ。
しかし……仕留められなかったな。あの様子だと、またこの街を襲いに来るだろう。ピアンテの言うとおり、イゾラの人々も自衛の手段を覚えなければ、近いうちに良くない知らせが飛んでしまいそうだ。
私のせいで魔物が現れた可能性はかなり高いし、これは私の問題でもある。だからといって、ただあの魔物を倒して終わり、ではイゾラが今後同じ目に遭った場合に同じ問題の繰り返しになる。
今はまだ昔蓄えた知識を生かしてなんとかやり過ごしているが、体は魔力ゼロであり、魔法書を一冊も持たない状況で魔物に襲われれば、私もひとたまりもない。下手をすればぽっくり死んでしまうし、そうなったとき、もしイゾラがまた魔物に襲撃を受けることがあれば……どうなるかは想像に難くない。
今回のように弱い魔法書でも上手く扱えば武器になるし、魔物が使う魔法も理解できていれば、属性相性や魔法の打ち消しなど、様々な対策が練れる。最後のとどめは殴るにしたって、過程の安全性は魔法の知識の有無ではるかに違うはずだ。
望む物はスローライフだが──全てをほったらかしにしてでは気持ちよく生活などできないだろう。魔法に関する知識があるほうなピアンテでさえ魔法書と魔導書の違いも分からないのだから、他の人たちはもっとヤバいはずだ。魔法書店として、イゾラの街の魔法文明レベルに貢献し、魔物への自衛の力を身につけてもらう。
うん、私の魔法書店が最初になすことは、これにしよう。そうすれば、定期的に魔法書を買いに来る人も増えるだろうし。元より魔法を広めようと思っていたのだ、最初の目的からもそう外れていない。利益を考える以前に、まずは魔法の普及からだ。
さて、ひとまずは……。
「ピアンテ、魔物の件はひとつ置いておいて、頼みがあるのだが」
「えっ……なんでしょうか?」
「一泊させてくれんか?」
今の私は魔法書ゼロ、ここまで走ってきて体力ゼロ、そしてか弱い一人の少女。魔物はおろか、帰り道に野党でもいたらどうなるか分かったものじゃない。今回は緊急事態だから一人走ってきたものの、考えてほしい、真っ暗な夜、治安もあった物じゃない世界で、そこら辺の道を身寄りのない美少女が一人、歩いていたら。潜んでいた男どもにあれやこれやされて……そう考えると、やっぱ女の子って大変なのだな。今度から配慮の心を忘れないようにしよう。
で、泊めてもらえるのでしょうか? ピアンテさんは魔物を見た衝撃のせいか固まったままですが、このままだと死んでしまいます。どうぞよろしく。




