ミカヅキジンチョウゲ7
ユカが校外学習で林間学校に行ってしまった。退屈極まりない日々の始まりである。空いた時間はキャンパスのベンチで横になって本で読むことにした。落っこちないようバランスをとって横を向くと重力に従って金色の髪が落ちるわけで。あの少女に会えないんであれば身なりをちゃんとするのもイヤになってきた。はっきり言ってどうでもいい。自分の世界に存在していいのはあの子だけ。
「会いたいよお……」
情けない声が出た。周囲を寄せ付けない氷のような迫力は今に限って言えばない。油断すると涙が出そう。ずいぶんとみっともない。この世で一番嫌っている人間像であるはずなのに。盟自身がそうなってしまうだなんて。
「弱い」
そうはなるまいと思っていた。なりたくなかった。絶対に。自分は違うのだと。絶対に。孤独という深海の世界で浮かび続ける。空を眺め海に沈み。心を一定に保てると。相すべきだしそうなりたい。
「たがえたとすれば」
だからといって。教官も同情もいらない。自分は誰かの理想ではないのだから。神輿として担ぐのも担がれにも心外だ。味方なわけない。理想としてそばにいていいのはあの少女だけ。盟のもう一つの心の器。不可侵な心に触れていい存在。ユカ一無二の言葉にできない浅間。自分の彼女に持つ感情も他人に持ち合わせない。
「帰ろうかな」
今日のコマは終わっている。なので残る理由も実はなかったりする。帰ろうと何しようともう彼のさじ加減。誰かに何かを入れれるいわれはない。無知だか仕切りたがり、上に立ちたがり。忌々しい。
「バイトはいつだっけ」
何をするにも必要なものは金である。状況次第では信頼も買えれば依頼だってできる。法を無視してしまえば身分証明書だって作れてしまうのが金の持つ力。人を惑わし揺さぶる禁断の金属。株式売買で調達できなくもないが、リスクが大きい。元本を用意しなくてはならないがアルバイト二時間を費やせば金は生み出せる。特に盟はできることが多いから仕事には困らなかった。全ての始まりは家庭教師。
学校の正門を目指して主要道を歩く。彼の心の中は揺らめいていた。自覚したくない感情。忌み嫌って見下していたこの世で最もいらない、嫌悪していたものを感じてしまうなんて。昨日の夜のことをおもいだした。迷いだあれは。と寂しい?一人でいるのが嫌?馬鹿にするな。吐き気がする。自分らしくない。弱さを実感させられた忌々しい。ユカと一緒にいられない感情は別のもののはずだ。相信じたい。
なぜなら彼女は特別な存在なのだから。有象無象の雑踏何かとが違う。正真正銘輝かしい器。世界の見え方すら買えてしまったプリズム。同じものなんてありはしない。しかしいくら彼女が盟にふさわしい存在であると、語ろうとそれが周囲に認められることはない。盟とユカの間を隔てる断絶。未成年だとか中学生だとか。肩書とか身分とか。何一つプラスにならないものばかりだ。盟は大人だけどユカは子どもだから。そもそも大人と子供の線引きが何だか分からない。盟を大人とするんなら周りにいるバカな連中はどう説明する。自分の価値観をしゃべってひけらかして講義中に反抗することが主張なら、こんなにくだらないことはない。そんなのは子どもに分類するべきなのにそうではない?-年齢が超えているからでおしまい。
ならばユカはどうなるか。盟のなかでは彼女は子どもではない。自分と同じ位置になる対等な存在。盟と同じくらいの精神年齢で価値観もきょうゆうしているのだから。根拠にしているのはこの部分のみ。
「……」
理由がこれだけしかないが弱い。気が付かなかったわけではないが改めて突きつけられると見たくない。そこまでして理由が欲しい。固執するもはどうしてか。人間が嫌いだとしても彼女は違う。そう思いたい根源。何を求めて。そんなものがないといけないのだろういか。
簡単な話として。行きつく結末はユカと一緒にいたいから。彼女とずっとどこまでも。二人がいる世界を知って認めてもらいたかったのだ。相互不干渉とまではいかないけれど。そういう生き方だっていいはずなのに。
「あ、いたいた」
帰ろうとしたが道はふさがれる。西谷だ。目ざといというかなんというか。盟の世界には他と同じような色合いしか持っていないが彼女は違うらしい。きっと、盟自身が特別な色をしているから見つけられる。
「帰るんだけど」
「お願い。少しだけ。ピンチなの」
そんなこと知らない。彼女の事情なんて興味ない。
「レポートの題材が欲しいなら高いよ」
「ノート、ノートのほう。いくらでもいいから」
「それならオレ以外に聞いて」
「明日までで、今日誰も来てないの」
そうだったのか。盟は初めて知った。誰がキャンパスに来ているかとかに関心はない。というかコマの都合があれどほぼ毎日、数時間は来ていると思っていた。見つからないうえに盟に対する執着心といい。このままいくと厄介なことになる。ならば少しだけ時間を割くほうが今後のため。
「すぐ終わらせて」
「ありがとう、なんでも奢るから」
救いの手を差し伸べられた西谷の顔が輝く。彼女にジュースだけ買ってもらい近くの芝生に腰を下ろして寝ころんだ。指定されたコマのノートを渡して、それを眺める。今この瞬間で全て肩をつけてもらう。彼が出す条件。
「すぐ終わらせるから」
「次はないよ」
これが最後だ。特別な難しいことはしていない。ただ話をまとめてノートに書くだけ。予習も復習もない。出たくないならそれは自由だし。けど結果だけ欲して楽しいところも両方欲しいのか知らないけど。あまりこっちに鑑賞してほしくはなかった。
「今日は一緒じゃないんだね。妹」
「なんのこと」
「君が言ったのに。覚えてないの。いつも一緒にいる女の子」
ユカのことだ。そういえばそんなやり取りをした。忘れてた。というか彼女が勝手に推測をして納得してるだけ。盟自身は校庭も否定もしているつもりではなかった。一般的な考えをそのまま二人に当てはめただけのこと。
「あー……」
「自分の家族のことなのに興味ないの?」
まあ実際興味はない。両親が興味ないから彼も興味はなかった。何を考えているのか分からないし、公の場でも気に食わなければすぐ怒る。父親の言動が気に食わないとかで怒鳴っているのを見た。
「どうしてあの時、妹だと分かったの」
話を合わせる。今の段階で真実を明かす理由なんて親しい間でもなかったので、ここでは流してしまえばいい。
「あれだけ距離感が近くて、血が繋がってないは考えれないし」
血縁どうのこうのの話をするが、そうだったとしても飛び越える人間は飛び越える。最近はどうだかわからないが古来は割とあったんじゃないかと盟は思った。しかし彼の周りにそんなケースはない。
「彼女なわけないでしょ。君いくつ?」
「20」
「だとしたら、ありえないでしょ。高校生はともかく中学生とか」
聞きたくないが、それが事実。盟がいくら理論武装しようがそれは意味のないこと。
「成人すぎてるのに、いくつも離れてる未成年の女の子相手を騙してるみたいだし」
年齢か。断絶してるみたいだそれは。盟が子どもでないうえに。ユカとは離れた関係。気づいていて見ないふりしたとしても。こうやって現実は容易くやってくる。
「あ、終わったから。ありがと」
ノートを受け取って、カバンにしまうが立ち上がれない。
「どうしたの。急いでるんでしょ」
「……そうだった」
ゆっくりと歩き始め、キャンパスを後にする。大時計の時間はさきほどのやり取りを観察し彼に時間を教えた。出会ってから経過していた時間は一〇分程度。そのくらいの時間で彼の力ではどうとでもできないことを突きつけられた。そして西谷は約束を守っていたのだ。
※
二日目。講義が午前中の朝早くで終わったことでこの日はアルバイトを行うことにしていた。ユカの不在がどうとかあまり関係はない。元々決まっていたことを実行する。というか帰ってきたことがあと数日で分かるので少しばかり浮足立つ。
「で、ここが旧平川の屋敷を活用した庭園です。この国の開国ととともに財を成した平川弥三郎が晩年を過ごしたのもここです」
英語で今の内容を難なく説明してみせる。相手は外国人旅行客。団体ツアーで来ているから三〇人程度。盟が最後まで言い切ると彼らはしきりに感心していた。恐らく意味は伝わっている。はず。
「では次に屋内に参りましょう」
写真を撮ったり、メモを取ったりしている一団が落ち着いたところを見計らって先に案内を進める。団体なので添乗員も一緒だし盟のほうももう一人スタッフがついていてそちらのほうが簡単な英語で呼びかけをしていた。
これが盟のアルバイトの一つ。観光地を訪れる団体客の英語案内だった。始めたのは今年になってから。翻訳の仕事をある程度こなしていたので外国語には抵抗もない。第二外国語として大学で履修しているがそちらも、ある程度ついて行ける。そんな彼が大学内で外国語に関する案内を見ていた時に、目に入ったのがこの仕事だった。言語を理解し聞き取り操れる盟にとってみれば、難なくこなせる。いくつかアルバイトをこなしていた中で向いていない仕事は他にあった。ならばこっちのほうがいい。もうメイド服を着てアイドルと一緒に踊らなくても、よくなった。
「いや、ありがとう。君のおかげで仕事が楽になった」
「面白いですからこの仕事」
盟と観光客を引っ張るもう一人のスタッフ。伊原。地元の役場に勤めて観光案内に関する部署に属していた。元々社会科見学だとか地域への説明会なんかで人前に出る機会が多かったから、こういった仕事は苦ではなかったという。しかし英語に関してはいささか自信がなかったらしく、部署全体でスタッフを募った。
「君が来るまで、このアルバイト長続きしなくてね」
求められる能力が多すぎる。資料を読み込む。分かりやすく説明する。そしてそれらを英語にして話さなくてはいけない。
「このまま、職員になってもいいと思うなあ」
伊原が書類整理を行って一段落ついたころ。
「ところで、一緒に昼食でも行かない?」
「すいません、既に先約があるんです」
「そうだったのか。残念だなあ」
本当に心から残念がっているので盟としても、苦しかった。ほとんど他人に対して興味もないし近づいていかない彼にとっては珍しい。もちろん彼だって行きたかった。
「じゃあお疲れさま。来週もよろしくね」
「はい」
淡々としているが、盟の中ではこれでも心を開いているほうではあった。氷か漆黒の闇の中にいるか。それは分からないが。目の前の存在と向き合う。自分から申し出てイル以上ある程度はきっちりこなす必要があった。
そして、庁舎を出て目的の場所に向かう必要があるのだが。その手間は省けた。
「待っていたよ」
約束相手が向こうから来た。ユカの父親の上司だった。盟が約束を先に入れられてしまったゆえに。
「何でここが分かるんです」
「君が有名だから。新しくアルバイトをしている青年の髪が金色で長いと。もしかしたらと思ってね」
悪趣味極まりない。わざわざそんな情報を仕入れていることもそれを確認するところも。全てにおいて許しがたい。関りを避けることも考えたとして。
「いい店がある」
オフィスビルの二階のフロアすべてを使ったレストランらしかった。この男に似つかわしくない落ち着いた内装である。
「いやいや君と食事ができるなんて」
わざとらしい。今までそんな機会もなかったし。するつもりもなかったはずなのに。
「どうかな、君に家庭教師の仕事を頼みたいといった件だけど」
「すいません。お断りさせてください」
真っ向から拒否をする。最初から結論は決まっていた。これ以外の選択肢は彼の中に存在していない。
「給料はいい値段を出すつもりだが」
「スケジュールが取れません。それにお金にはいま困ってないので」
盟が抱えているアルバイトは3つ。ユカの家庭教師。観光客向けの説明スタッフ。英文書の翻訳作業。家庭教師は平日の週三日、説明スタッフは今のところ一日。それ以外の時間は大学の課題整理や翻訳作業をこなさなくてはいけないので、新たに仕事を増やしたところで上手く回るわけがない。
「どれか仕事を手放して、こちらに時間を割けばいいじゃないか。その分の給料も補填するから今よりも倍になるぞ」
そういうことではないのだ。この男は何もわかっていない。盟のことを見ているようで見ていない。理解者のふりをして、彼のことを締め上げる。
「今のアルバイトは嫌いじゃないんで。移ることは考えてませんから」
それにユカと離れるのはイヤだ。彼女だけしかこの世界にはっきりと映っている存在はあり得ない。
「もったいないな。君の才覚はもっと多くに生かされるべきだというのに」
余計なことだ。自分の力を生かす方法は誰かに決めさせたくない。どう使って何をなすべきかはすべて、本人次第。赦された数少ない自由。
「多くの人と出会える機会にもなる」
「そうですか」
今だって機械はある。それは自分の足で動いて手に入れたもの。
「君はここで終わるべき人間じゃないと思うが」
「道はいくらでもあります。選択肢だって」
「世界のために良い選択をすべきだと思うが。浅間君のところの成績は君が見なくてもいいんじゃないか。彼女の家庭教師を取りやめて仕事を入れれば」
「途中で担当している生徒を離すのは不誠実かと」
「君は彼女を信用していないのか」
心外だ。この世界で彼女を一番信用しているのはこの速阪盟だというのに。それだけの自負がある。彼女をそばで見てきた。ともに価値観を共有してきた存在。速阪浅間同盟に誓われたものとして。
「信用していないはずがありません」
「事実そういっているようにしか聞こえないな。彼女の能力を信じていないから、自分の手から離すのが怖い」
そんな理由を受け入れられるわけがない。
「信頼関係とか、どういった部分が苦手とか把握しながら進めるものは同じ人間がやるべきです」
「彼女がそんな簡単に崩れるような人間なのか。一定程度優秀なら誰が家庭教師を務めても成績は伸び続けるはずだ」
盟は憤りを隠せない。この男は家庭教師の職を解かせるつもりだ。そして盟に別の学生を担当させそこで結果を出せという。ユカを信用していないといわれることも、彼女を枠言われることもどっちもイヤだ。
「彼女のことを本当に考えるということも視野に入れてもらいたいな。浅間君の家族は私にとっても重要なことだからな」
運ばれてきた料理に手を付ける。全くおいしいと感じない。いい店であるはずなのに一緒に食べる相手の顔を見るだけでうんざりした。盟とユカのことを考えているような大人としてふるまっているが、そうだと思えない。
「アンケートにご協力いただけませんか」
店員がやってきてバインダーに挟まれた紙を差し出してきた。初めてくる店だがどう回答すればいいのやら。この男と一緒にいるせいで、食欲もないしマイナス要素しか付けられな気がする。でも書かないといけないが筆記用具がない。
「大変申し訳ありません、すぐお持ちします」
「イヤこちらで用意するから構わんよ」
ボールペンを差し出されて受け取る。店員のほうはそのままお辞儀をして去っていった。筆記用具くらい自分で出すのだが完全に場の流れを支配されてしまったあとでどうにもできない。にしても、このアンケートの記入欄が多い。少し時間がかかりそうだが回答に悩んでいると
「悪いが私は次の会議があるのでこれで失礼させてもらうよ。会計は済ませておくから気にせずに過ごしてくれたまえ」
ボールペンを返そうとしたがそのまま、立ち去ってしまう。あんまり借りを作るようなことをしたくはなかった。というかまた会いに行かなくてはいけない理由ができたことになる。気が重い。




