その5 ”忠臣”ジェラルド②
「──戦いには、金がかかるものだ」
ダーズリーの言葉で、ジェラルドは追憶をやめて顔を上げた。まさか彼の心の内が読めたわけでもあるまいに、なんだかラズフールの話の続きを聞かされている気分だ。
唐突にも思えた主君の言葉にジェラルドがうまく返せないでいると、ダーズリーはまた懐に手をやって幾枚かの金貨を取り出した。
全部で五枚。
取り出したそばから、次々と指で弾いていく。
クルクルと光り輝きながら宙を舞った金貨が、正確に五人の兵士たちの前に落ちた。先ほどのジェラルドと同じように、慌てて両手で金貨を受け取る兵士たち。
ダーズリーが言った。
「お前たち、これを使って装備を調えてこい」
戸惑う兵士たちに、ニヤリと笑って続ける。
「できる限り使い古された安物を選べよ。山賊か野盗の類いに見えるようにな」
余った分は貴様らの小遣いにしてよい──との言葉に、兵士たちが歓声を上げた。
だが、ジェラルドは単純には喜べない。
「御領主様、”山賊か野盗”とは? いったい何をお考えで?」
そう尋ねたジェラルドに、またダーズリーが髭面を歪めて笑う。元々がいかつい顔立ちだけに、こういう表情をすると、本当に山賊か野盗の首領のようだ。
「あの女たち……薄汚れてはおったが、なかなかに素材のよい者どもであった」
「?」
「ほれ……」
言って、ダーズリーが机の上の革袋を指さす。花売りの老婆から奪った革袋だ。
それでジェラルドは、主君の言う”女たち”というのが、老婆を庇った娘と、ダーズリーの手が老婆の腰に伸びたところを見た行商人の娘のことだと悟る。
「あれほど見目のよい女たちは、王都にもそうはおらぬ。だが、余のことを悪く言いおった点は見過ごせんのぉ。特にあのエルマとかいう行商人の娘。余を盗人扱いするとは、さすがにの……」
実際に老婆から革袋をすり取っているわけだから、エルマの指摘はまことに正当なものである。だが、傍若無人な王子にはそんなことは関係がない。
残虐な笑いを浮かべるダーズリーの目に、いつの間にか好色な光がよぎっていた。
「あの女どもには、仕置きが必要だ。エルマとかいう娘の母親も連帯責任だな。少々年増だが、娘に劣らず良い顔をしておったことだしの……」
そうだっただろうかと、ジェラルドは記憶を辿る。
エルマが整った顔の娘だなとは、確かに彼も思った。加えて、騎士の狼藉を指摘したときに彼女の瞳に宿っていた強い意思の光。あのときジェラルドは、その彼女の様子に一瞬目を奪われていた。
だが、彼女の母親の方の顔立ちまではよく覚えていない。エルマの方に意識を奪われて、そこまで観察している余裕はなかった。
「あの娘に……何をされるおつもりです?」
凍える吹雪のような視線で言ったジェラルドだったが、下卑た笑みを浮かべたダーズリーの厚顔には突き刺さらなかった。何でもないことを語るように、王子は答えた。
「なに、王宮に連れ帰って少し”仕置き”をしてやるだけだ。命まで取ろうとは思わぬよ」
父親だけは、邪魔をするようなら殺してしまっても構わないがな──。
そう言って凶暴な笑みを浮かべたダーズリーの顔は、まさに村を襲って若い娘たちを攫っていく野盗の首領そのものに見えた。
とはいえ、誰かに見られたときのことを考えると、さすがに素顔で拐かすわけにはいかない。だから、山賊のふりをしようというわけだ。
「我らが守るべき国民に対して、そのようなことは……」
「国民だと!?」ジェラルドの言葉をダーズリーは笑い飛ばした。「貴様の目は、節穴か?」
「なんと……?」
さすがにカチンと来たが、どうにかジェラルドは表情を抑える。
「あの親子の肌の色を見たか?」
「はい……」
この地方には珍しいオリーブ色の肌をしていた。南方出身者に多い肌色である。行商人らしい身なりだったから、おそらくエルマたちは南の国から商売をしつつ、この国までやって来たのだろう。
「それが、何か?」
「奴らは、この国の民ではない」ニタリと、ダーズリーが笑った。「ならば、余が守ってやる義理などなかろうよ」
その言葉に、ジェラルドは顔を伏せて主君の視線から逃れた。さすがに無表情を保ち続ける自信がなかった。
おそらくダ-ズリーは、これまで何度も女性を拐かそうと画策し、そのたびに「さすがに国民に手を出すのは」と、自制してきたのだ。
その飢えた野獣の前に、手を出しても許される絶好の獲物が現れてしまった。
拝礼を装って顔を伏せ続けるジェラルドに、またダーズリーは言った。
「最初に老婆を庇ったあの娘の方も随分と見目麗しかった。むしろ、あちらの方が余の好みではあるな……。だが、あちらは下手に手を出すと森の魔物を敵に回してしまう」
「どういうことです?」
聞き返したジェラルドを見て、ダーズリーが目を丸くした。
「なんだ、知らなかったのか?」
もう少し民の噂話にも耳を傾けるようにせよ──と、珍しく真っ当な言葉の後にダーズリーが言った。
「あの女は、”黒い森の魔女”が育てているという娘だ」
「黒い森の魔女……」
その名は、ジェラルドも聞いたことがある。”黒い森”に棲む魔族の顔役の一人とされる魔女だ。相当の魔力を持っているという話で、他の魔族や──魔王ですらもこの魔女には一目置いているという。
ただ、魔族とはいえ人間に対してそれほどの悪意や害意を抱いているわけではないようで、先の大戦の折には魔王の軍勢には加わらず、彼女を慕う者と共に森に籠もって事態を静観していた。
魔族の領域である”黒い森”が、人間の領内に飛び地的に存在し、魔王の支配もあまり及ばない独立領のような状況になっているのも、この魔女の存在が大きいようだ。
人間たちが森を切り開こうとしたり、森の奥に立ち入って彼らの領域を侵犯したりしない限りは、”黒い森”の魔族は人間たちに襲いかかってくることはない。
魔女自身は人間と魔族という線引きもあまりしていないらしく、彼女の仲間に危害を加えようという者は例え同族であっても容赦はしないが、逆に森で迷っている人間を助けたり、気まぐれに里に下りてきては森で獲れた果実や薬草などを、穀物や工芸品と交換していったりもするという。
黒い森の付近に住む民衆にとっては、畏怖の対象であるとともに、どこか親しみを感じる存在でもあるという話だった。
「その魔女がな、いつの頃からか村に子連れでやって来るようになったらしい」
物々交換の際にも、穀物や工芸品だけでなく、子供が喜びそうな玩具や絵巻物の類いが欲しいと言ってくるようになったという。文字や人間の文化を覚えさせるための書物を所望されて、村人が大きな町まで買いつけに行ったことすらあるのだとか。
おそらくは森に捨てらていた人間の赤子を、魔女が拾って育てているのではないか──と、そう噂されているらしい。
魔女のほうはずっと前から全く外見が変わらぬが、この子供のほうは年月と共に人間の子供と同じように成長し、いまでは年頃の娘になっているという。
随分と美しく育ったと評判で、森の近辺の若者の中には、この娘に懸想する者も出てきている。
「それが、あの娘だ。噂は本当だったようだな。怖ろしい魔女の娘とは思えぬほどに美しい女だ。あれほどの上玉には、なかなかお目にかかれぬよ」
言って、ダーズリーが獲物を狙う野獣のように瞳をギラつかせる。
一方のジェラルドは些か困惑しながら、またあの騒ぎの時の記憶を探っていた。
評判になるほどの美女であるという話だが、正直に言えば、老婆を庇っていたその娘の顔は、ジェラルドの印象にはあまり強くは残っていなかった。
とはいえ全く記憶にないというわけでもなく、誰かに言われれば「ああ、確かにあのときの娘だな」と分かるであろう程度には覚えている。
彼の印象に残っているのは、娘の顔よりもむしろその身なりの方だった。
着ている服がそれなりに上等な仕立てに見えて、少なくとも付近の農村の娘ではないだろうと感じた。
商人の娘のようにも見えなかったから、ダーズリー同様にお忍びで町に来ている騎士貴族の令嬢か、私服で出歩いている教会の聖女とかではなかろうかと、直感的に判断していた。
しかしまさか、“黒い森の魔女”が育てている娘だったとは。
「いずれ”黒い森”に攻め込むことにはなろうが、しかしさすがに七人では心許ないからな。残念だが、今回はあの娘は諦めるしかないだろう」
そう言うダーズリーの顔は、かなり口惜しそうだ。どうやら、魔女の娘にもご執心のようである。
ただ、むしろそちらにこだわってくれたほうがまだ良かったと、ジェラルドはしみじみ思う。相手が”黒い森”の魔族であれば、野盗の真似事などせずとも”魔物退治”という大義が立つ。
だが、その彼の思いを知ってか知らずか主君は続けた。
「魔女の娘は、まあ今後の楽しみということにしておこう。まず、今は……」
あのエルマとかいう行商人の娘と、その母親だ──。
その言葉に、ジェラルドはまた顔を伏せて唇を噛む。
「余は、兵士たちの予備の剣を使わせてもらう。山賊の頭領ぐらいは、多少良い武器を持っていても構わぬだろうからな」
どこか楽しそうにダーズリーが言った。
鎧は着ないつもりのようだが、そもそも並外れた巨漢であるダーズリーの体に合う鎧など、兵士たちは誰も持ち合わせてはいない。
「ジェラルド。貴様も、明日までに装備を調えておけよ。できる限り、山賊の類いに見えるようにな」
有無を言わせぬ口調で、主君が命じてきた。
兵士の装備は主君が与えるが、騎士の場合は自前で用立てをするのが習わしである。そのために騎士は、税の徴収権がある所領をあらかじめ主君から与えられている。個々の戦いに対する恩賞は、結果に応じた出来高払いだ。
奥歯を噛みしめて目を閉じながら、
「御意に……」
と、ジェラルドは答えた。
美しく、清い心と強い意思を持っているだろう行商人の娘の顔が、瞼の裏に浮かんでくる。
(許せよ……)
と、そう心の中で”忠臣”ジェラルドは呟いた。