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その4 ”忠臣”ジェラルド①

 パブの窓際の席に座る男の姿を見て、近衛騎士・ジェラルドは心の中で大きなため息をついた。その胸中の思いは顔には出さず、無表情を保ったまま男の前に進むと足元に跪いて(こうべ)を垂れる。


「遅くなりまして、申し訳ございません」


「よい、気にするな。おかげで余もゆっくりさせてもらった」


 エールの杯を傾けながら、鷹揚に男が言った。


 長身のジェラルドよりもさらに背が高く、前後にも左右にも厚みのある巨漢の騎士だ。このような男にぶつかられたら、骨と皮ばかりの老婆が倒れて、持っていた花を辺りにぶちまけるだろうとは容易に想像がつく。


 広場から姿を消したこの主君を探して、ジェラルドと五人の兵士は町じゅうのパブを見て回った。


 しかしまさか、騒ぎのあった広場に面したパブにいようとは──。


 さすがにあの場を離れた直後に店に入っては、誰かに見咎められていただろう。おそらく主君は、一度広場を離れた後に裏路地を抜けてこっそりと戻り、群衆の目が騒ぎの中心に向けられている隙に、誰にも気づかれずにこのパブに入店したのだ。


 わざわざそんなことをした理由は考えるまでもない。


 自身がきっかけとなった騒ぎの顛末を見届けるためである。髭に覆われた口の端を歪めて笑いながら、広場での騒ぎを酒の肴にエールの杯を傾けていた姿が目に浮かぶ。


「そうそう、ジェラルド」


 呼びかけられて顔を上げた彼の目に、クルクルと周りながら宙を飛ぶ金色の物体が映った。金貨であった。主君が、指で弾くようにしてこちらに投げてよこしたのだ。


 両手を広げ、捧げ持つように掌で金貨を受け取るジェラルド。


「貴様に立て替えさせた迷惑料および詫び料だ。取っておけ」


「……ご厚情、痛み入ります」


 そう答えながら、ジェラルドは内心で舌を巻いていた。


 広場に面しているとはいえ、このパブの窓から花売りの老婆がいた辺りまでは、かなりの距離がある。野次馬たちによる人垣の目隠しもあった。


 それなのに主君は、ジェラルドが老婆に金貨を握らせたところをしっかりと見ていた。何かを渡したということは仕草で確認できたとしても、それが金貨であると気づくには、人並みはずれた視力と観察力が必要であろう。


 加えてジェラルドが言った台詞も、主君はきちんと聞いていた。聴力も並ではないのだ。


「この革袋一つに金貨一枚とは、少々高くついてしまったな」


 言って、主君が革袋の中身をテーブルの上へとぶちまけた。


 チャリチャリンという音と共に出てきたのは、トニー銀貨が二枚と銅貨が十五枚。


 花売りの老婆は、その中身を正確にジェラルドに申告していた。


 主君の手にある革袋は、まさにあの老婆がなくしたという革袋だ。おそらくは、ぶつかった拍子に腰からすり取ったのであろう。オリーブ色の肌をしたエルマという行商人の娘の証言は正しかったわけである。


「ダーズリー様……」


 周囲で誰も聞き耳を立てていないことを確認した後、ジェラルドはあえて主君を名前で呼んだ。はっきりと苦言を呈することはできないが、せめてもの非難の気持ちの表明だった。


「そんな目をするな、ジェラルド」


 彼の意図は伝わったのだろうが、主君の顔に浮かんだのは反省でも苦笑でもなく、どこか面白がるような笑顔だった。


「これも市場調査、民草の生活を知るためだ」


 言いながら、ダーズリーがテーブルの上の銀貨に手を伸ばす。


「あの老婆が半日ほど花を売り歩いていたとして、その稼ぎがトニー銀貨二枚と銅貨が十五枚──」


 二枚の銀貨を、指で他の硬貨から離すダーズリー。


「つまり、半日の花売りに対して、これぐらいの税は取れるということだ」


 今のこの辺りの相場では、銅貨十枚でトニー銀貨一枚とほぼ同額である。ダーズリーは、老婆の稼ぎの半分以上を税として取ると言っているのだ。


「……それでは、民の生活が成り立ちますまい」


 思わず言ってしまったジェラルドに、ニヤリと笑ってダーズリーが返した。


「なぁに、あれだけ花を摘むのがうまいのだ。草を摘むのもきっと上手に違いない。道ばたの雑草を摘んで喰えば、少なくとも食費はかからぬだろうよ」


「…………」


 表情を消して黙したまま、ジェラルドは頭を下げた。


(まったく、ラズフールもとんだ役を押しつけてくれたものだ……)


 顔を伏せて主君の鋭い観察眼から逃れながら、心の中で王都の友人に恨み言を言う。


 ラズフールは、ノーザンルビア国王・オズワルド三世の側近の宮廷魔術師である。


 まだジェラルドが騎士に成り立ての頃、とある任務を一緒にこなしてからの付き合いで、彼らより年長の者が多い宮中での数少ない同い年の朋友だった。


 半月ほど前、王宮内に与えられている執務室にジェラルドを呼んだラズフールは、苦りきった顔をしながら彼に言った。


「ダーズリー王子の悪い虫が、また疼きだしたようでな」


 お忍びで旅に出たいと言っているという。


「陛下はなんと?」


「色々と不安はあろうが、殿下が一時的に王宮を離れるのならばそれもよかろうと、考えていらっしゃるようだ」


 ラズフールが言う王の不安というのは、王子の身の安全に関することではなかろうとジェラルドは思う。体格に恵まれたダーズリーは、剣の腕も一流だ。そこらのごろつきなど相手にならない。


 王が案じているのは、むしろ王子の宮殿外での素行であろうと思われた。


 嫡子・ダーズリーの乱行は、最近のオズワルド三世の頭痛の種なのである。


「ジェラルド。君は、今朝は陛下にお会いしたか?」


 ラズフールの問いにジェラルドは頷いた。彼はまだ軽々に国王陛下と会話を交わせるような立場ではないが、近衛騎士の習いとして朝一番で主君への挨拶は行っている。


「左目の下あたりを、大きく腫らしていらっしゃっただろう?」


「ああ……」かなり痛々しい様子だったので、良く覚えている。「夜中に寝台の縁にぶつけられたのだということだったが……」


 その怪我は、朝の挨拶の後に宮廷司祭の魔法で治癒された。司祭によれば、どうやら頬骨が折れていたようで、寝台の縁にぶつけただけにしては重傷である。


 ──むしろあの怪我は、誰かに殴られた痕のように見えた。


 国王陛下の怪我の様子を思い出しながら、ジェラルドは考える。


「まさか……」


 もしもあの怪我が、誰かに殴られたものだとしたら。


 宮廷司祭ですら、すぐにはやって来れないような真夜中の王の私室に立ち入れる者など、そうはいない。


 オズワルド三世はやもめだ。最愛の王妃は、随分と前に亡くなっている。


 であれば、あと可能性があるのは──。


「あれは、殿下に──」


 殴られたのか。


 ジェラルドが全てを言う前に、ラズフールが人差し指を口に当てて彼を制した。


 軽々なことを口にするなというその仕草は、つまりジェラルドの推測が正しいことを言外に伝えている。


 ダーズリー王子の暴力癖は有名だ。


 何人もの使用人や家臣が、王子の不興を買って大怪我を負わされている。(おおやけ)にはなっていないが、命を落とした者も何人かいるという話だ。


 その凶暴な拳が、ついに父王に向けられたのか。


 憂慮すべき事態に言葉を失ったジェラルドに、感情を抑えた口調でラズフールが言った。


「何を今更……という感じではあるがな」


 ダーズリー王子の暴力で命を落としたと噂される者──その中には、王子の乳母が含まれているのだ。


 オズワルド三世の妻はダーズリーを産んですぐに亡くなっているから、この乳母はいわばダーズリーにとって母親同然の女性である。


 そんな人をまさかとジェラルドは思うが、火のない所に煙は立たぬとも言う。そのような噂が流れる元になった出来事は、何か存在したのかもしれない。


 ただ、最近では陰口であってもダーズリーのことを悪く言う者はいなくなりつつあった。


 観察眼が鋭い上に地獄耳の王子は、爆発するような激情家である一方、蛇のような執念深さも持ち合わせている。


 王子の悪口を言った者は──例えそれが王子の面前ではなかったとしても、数日以内に必ず不幸に見舞われるのだ。王子自身に難癖を付けられて”手討ち”にされることもあれば、どういうわけか不慮の”事故”に遭ってしまう者も多い。


 先程ラズフールが、ジェラルドに軽々なことを口にするなと注意したのは、そういうことなのである。


 その王子が宮殿を離れるというのなら、宮中の者はしばらく安寧とした時間を過ごせることになるだろう。ただそれは、同時に血に飢えた猛獣を野に放つことにもなりかねない。


「それで、だ……」両手を組んで机の上に乗せながら、ラズフールが言った。「君に王子のお供を頼みたいのだよ、ジェラルド」


「私に……?」


「もしも王子が、あばれ……いや、王子と何者かが戦いになった時、自分の身を守りつつ事を収められる者が、君の他に誰かいるか?」


 その言葉に、ジェラルドは渋面を作る。


 このノーザンルビア王国が、人間の国の盟主的な立場にいられるのは、魔族に対抗できる聖騎士を多く擁していたからである。


 怖ろしい力を持ち、身体も頑丈な魔族とまともに戦って勝てる人間などそうはいないが、聖騎士は神の祝福を得た聖鎧(せいがい)を身に纏うことで、魔族にも比肩する攻撃力と防御力を得ることができる。


 人間側からすれば、魔術師と並ぶ魔物退治の切り札なのだ。


 しかし、かの英雄イーヴァン・ホーをはじめ、ノーザンルビア王国の多くの聖騎士が、先の魔王軍との戦いでその命を散らしていた。


 残った数少ない聖騎士も、ほとんどが魔王領との国境沿いや辺境の警備に赴いている。聖騎士ではないが、実力のある他の騎士たちも同様だ。


 いま王都にいる聖騎士は、王の近衛騎士団長であるファイレフィッツ卿ただ一人であった。そしてさすがに彼は、王のそばを離れるわけにはいかない。


 聖騎士以外の騎士でも、王都に残っているのは実力的に劣る者か、ジェラルドのような若手ばかりだ。


 ファイレフィッツを除けば、今のジェラルドは確かに王都で一、二を争う騎士であり、そしてほぼ唯一、暴れだしたダーズリーと互角に戦うことができる者ということになろう。


 嘆息をしたジェラルドに、その目を覗き込むように身を乗り出してラズフールが言った。


「君は高潔にして忠義に篤い男だ、ジェラルド。君の王家に対する忠誠心は本物だと、私は思っている」


 そしてダーズリーは将来のこの国の王、すなわち彼らの主君である。命をかけても、忠義を尽くすべき相手だ。


 頷いたジェラルドに、一転して苦笑を漏らしながらラズフールは続けた。


「そんな顔をするな……。私は、ダーズリー殿下が将来のこの国の王で良かったと考えているのだよ」


 どういう意味かと目で問うジェラルド。ラズフールが、表情を改めて言った。


「私たちがまだ生まれて間もない頃のことだが、それでもサウザンルビアの悲劇は君も良く聞き知っているだろう?」


 かつてこの国の南に存在していた大国である。ノーザンルビアの兄弟国でもあったその国は、魔王軍によって滅ぼされてしまったのだ。


「今は休戦状態とはいえ、我が国への魔王軍の侵攻がいつまた始まるとも知れぬ。サウザンルビアの二の舞になるわけにはいかないのだよ」


 先の大戦の折には、サウザンルビアの滅亡で危機感を覚えた各地の聖騎士や勇者が国を超えてノーザンルビアに集結し、魔王軍に対抗した。


 そして幾度もの激しい戦闘の末、ようやく魔王軍の侵攻は止まったのである。人間側も名だたる勇者の多くを失ったが、魔族の軍勢も主たる者のほとんどが滅ぼされた。


「だが、魔王ヴォルヅガンズがまだ残っている」


 最も強大で、最も怖ろしい最強の魔族である。


「奴を先頭に魔王軍の侵攻が再開したら、そのときに必要なのは優しい王ではない。強大な魔族とも戦える強い王なのだよ」


 魔王軍にヴォルヅガンズがいるように、ノーザンルビアの王も先頭に立って魔物と戦える者でなければならない。


 現王オズワルド三世は心優しく、民からは慕われている善王ではあったが、魔王軍が侵攻してきたときに国を守る者としては些か心許ない。


 その点、ダーズリー王子は騎士としても類い希な力を有している。彼ならばきっと、強力な魔族とも互角に戦える。戦時下の王として、これほど心強い存在はない。


「だからな、ジェラルド。今のうちから君には、殿下の右腕たる存在になっておいて欲しいのだよ」


 そう言ってジェラルドの友人は、彼に底知れぬ笑みを見せたのだった。

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