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その3 運命の出会い②

 睨み合う五人の兵士とセドリック。


 油断なく、セドリックは五人の男たちを見据えた。


 斬り合いになれば五対一になるが、母と祖父譲りの剣技を身につけたセドリックは、戦いには自信がある。負けることはないだろうと思っていた。


 二人の女性を背に庇いながらの戦い、というところが多少厄介そうではあるが、騎士を目指して試練の旅をしている者にとって、か弱い婦人を守るための戦いはむしろ望むところである。


 間合いを詰めるため、スッとセドリックが片足を前に出そうとしたときだった。


「何をしているッ!?」


 突然に、雷鳴のような声が轟いた。


 敵の姿を視界の端に残しつつ声のした方を見ると、人垣を割って一人の男がこちらに進み出てくるところだった。


 輝く銀色の甲冑を身につけた長身の男だ。紛うことなき騎士である。


 口髭を貯えて年長者らしく見せてはいるが、実際の年齢はセドリックよりも少し上というところであろう。騎士としてはまだ若手の部類に入る。


 だが、その態度は威風堂々とし、全身から強烈な威圧感を発散させていた。ただ歩いてきただけなのに、この場の主導権を早くも握ろうとしている。


 その騎士のちょっとした所作から、セドリックはかなり手練れの者であろうと推測をした。


 騎士本人も、そのことに相当の自信と誇りを持っているのだろう。名ばかりの騎士ではなく、確固たる実力に裏付けられた自負心が、年齢不相応な威厳をこの若い騎士に身につけさせている。


「ジェ、ジェラルド卿……」


 つい今しがたまで横柄な態度を取っていた兵士たちが、一瞬で借りてきた猫のようにおとなしくなった。


「この騒ぎは、いったいどういうことなのだ?」


 厳しい表情でそう問うたジェラルドに、恐る恐るという様子で兵士の一人が答える。


「そ、そこのババ……老婆が、ダーズ……いや、御領主様(マイ・ロード)にぶつかってきまして」


「ぶつかってこられたのは、騎士様の方からだと思います」


 兵士の言葉に反論するように、セドリックの背後から鈴が鳴るような声が聞こえてきた。老婆を庇っていた娘の声だろう。


 振り返ってそちらに目を向け、初めて彼女の顔を正面からまともに見たセドリックは、全身が雷に襲われたような衝撃に見舞われた。


 一瞬で、周囲の喧騒が何も聞こえなくなる。


 静寂に支配された世界で、視界にあるのは目の前の美しい娘の姿だけだ。


 銀色の波打つ髪。高く通った鼻筋。厳しい表情を作っているのにどこか儚げにも見える端正な顔立ちと、その中心で濡れているように輝く瞳。肌は抜けるように白く、細い手足に優美な身体の線。


 セドリックはこれまで、世の中で最も美しい女性は母・シャーリーだと思っていた。だが、そのシャーリーですらも──母には申し訳ないが、この娘に比べればいかにも凡庸な顔に見える。


 とはいえ、その娘がただ美しいというだけでは、セドリックがここまでの衝撃を受けることはなかっただろう。


 娘の顔を一目見たとき、何故だか胸の内から狂おしいほどの熱さと痛みを伴う痺れのようなものが湧き上がり、電撃のように彼の身体を駆け巡っていた。


 その痺れの正体は、分からない。


 だが、ただ圧倒的な美を目にしただけでは起きえない感情であることだけは確かだった。


「ロク……」


 呟きのような誰かの声で、セドリックはハッと我に返った。


 ──今のは、誰が発した言葉だ?


 そう考えるセドリックが忘我の縁にいたのは、時間にすればほんの一瞬のことであっただろう。


 娘が、少し不思議そうな顔でこちらを見上げていた。


 真っ直ぐに見つめてくるその瞳が眩しくて、同時に何だかとても胸が苦しくせつなくて──とても耐えきれなくなったセドリックは、つい娘の顔から目を逸らしてしまう。


「私は、その場を見てはいないが──」胸に生じたざわめきを誤魔化すように、セドリックはジェラルドに向けて言った。


「いずれにしろ、ぶつかって倒れたご婦人を助け起こそうともせず、それどころか罵倒して剣を向けようとするなど、とても騎士道精神に則った振る舞いとは言えないだろう」


「ふむ……」


 セドリックを値踏みするように見ていたジェラルドの目が、ジロリと兵士たちの方に向けられた。瞬時に身を竦ませる兵士たち。


「し、しかしジェラルド卿……」


 言い訳がましく口を開いた兵士を睨みつけて黙らせた後、ゆっくりとジェラルドは老婆の方へと歩き出す。


 警戒してまた剣の柄に手を伸ばしたセドリックに、


「そう身構えるな」


 と、小さく言ったジェラルドが、彼の横を通り抜けて老婆の前に片膝をつく。その手を取りながら軽く頭を下げて、ジェラルドは口を開いた。


「自分はジェラルドと申す者。訳あって家名は明かせぬが、見ての通り、とある方にお仕えする騎士だ」


 先程からジェラルドの部下の兵士たちは、すでにこの場を立ち去ったという騎士の名を口にしかけては咎められたり、慌てて口をつぐんだりしていた。


 おそらく、彼らの主君である”騎士様”とやらは、相当に身分の高い者なのだろう。お忍びでこの町にやって来た、その偉い人の護衛兼お目付役がジェラルドなのだ。


 そしてこのジェラルドも、若くしてかなり高い地位にいる上級騎士のように見えた。振る舞いもさることながら、彼が身につけている甲冑は、セドリックとは比べものにならぬほど上等なものだ。身分も金もある騎士でなければ、こんなものは着こなせない。


 ジェラルド自身が、騎士の敬称である“サー”ではなく、広大な所領を有する”ロード”と呼ばれる立場の者、あるいはその子弟ではなかろうかと思えた。であれば、その彼が仕えているという者もただの騎士貴族ではないだろう。


 相当な上級貴族か、あるいは王族──。


 ジェラルドが、深々と老婆と娘に向かって頭を下げた。


「部下達の非礼を、どうか許してほしい」


 その言葉に、娘はただ黙って頷いただけだったが、老婆のほうはかなり恐縮していた。


 丁寧な手つきのジェラルドに助けられて、老婆が立ち上がる。その手が、ふと腰の方へと当てられた。途端に、彼女の顔が蒼白になる。


「ない……」


 腰に下げていた、売り上げ金の入った革袋がなくなっているという。


 ジェラルドが、眉をひそめた。


 転んだときに落としたのだろうか。そこにいる全員が地面に目をやったが、散乱しているのは籠からこぼれた赤い花ばかりで、老婆の言うような革袋は影も形も見当たらない。


 戸惑いながらセドリックが顔を上げたとき、人垣の向こうでスッと手を上げている人物が目に入った。


 彼と同じ年頃の若い娘だった。隣には商人らしき男女がいて、その娘の両親と思われる。三人とも肌の色がオリーブ色だから、おそらくは南方からやって来た行商人なのであろう。


「わたし……見ました」


「よしなさい、エルマ」


 そう言う母親の制止にもかまわず、娘は続けた。


「そのお婆さんにぶつかった騎士様の手が、革袋の方に伸びるのを……」


「なにい!?」


 エルマの言葉に、兵士たちがまた色めき立つ。集まった野次馬のざわめきが大きくなる。


 束の間、エルマの顔をじっと見ていたジェラルドが、虚空を見あげて一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をした後、すぐに無表情になって言った。


「我が主君は、盗人(ぬすっと)の真似事をするような御人ではない。腰に手が伸びたというのなら、それはぶつかった拍子というものであろう」


 納得できぬという顔のエルマにかまわず、ジェラルドが老婆に向き直った。


「その革袋には、いかほど入っていた?」


 顔を強ばらせながら、老婆が答える。


「確かトニー銀貨が二枚と、銅貨が十五枚ほど……」


「そうか……」言いながら、ジェラルドが右手を自身の腰に下げた袋の中に伸ばした。取り出した何かを、すっと老婆の手に握らせる。


 キラキラと輝く金貨だった。老婆がなくした金の倍以上の価値がある貨幣だ。


「革袋はどこかに()()()()()()()ようだが、見つからぬのも確かだ。おそらくは、すでに心ない者に拾われてしまったのであろう」


 狼狽したように手の中の金貨とジェラルドの顔を順に見やる老婆に、彼は続けた。


「そなたが財をなくした非は、こちらにもある。迷惑料、詫び料込みということで、どうか受け取ってもらいたい」


 固い顔のまま老婆が頷いたのを見届けると、ジェラルドは五人の兵士たちを促して踵を返した。去り際にチラリとセドリックの方に目が向けられ、何か言われるかと身構えたのだが、結局は無言のままマントを翻して去っていく。


 その騎士の姿が見えなくなると、ワッと歓声のような声をあげた野次馬たちが、老婆や二人の勇気ある娘、そしてセドリックの周りに集まってきた。


 聞けば、ジェラルドの主君らしき騎士は、数日ほど前からこの町に滞在し、あちこちで狼藉とも思える行為を働いていたという。


 町の者たちは皆、その男の行状に腹を据えかねていて──かと言って騎士様相手に面と向かって文句を言うこともできず、誰もがはらわたを煮えくりかえらせていた。


 そんなわけだから、老婆を助けた娘やセドリックの行動には、町の者たちも大いに胸がすく思いをしたようである。


 見習いとはいえジェラルドたちと同じ騎士身分のセドリックに対しては、「騎士様も嫌な奴ばかりではないんだな」という思いを彼らは抱いたようである。些か大げさに言えば、セドリックは騎士全体の名誉を回復させたことになるのだ。


 口々に自分を賞賛してくる言葉に、何だかむず痒い思いがしてきたセドリックは、話題を変えるように言った。


「そうだ、花……。落ちた花を集めなければ」


 しかし老婆が売っていた花はすでに野次馬たちに踏みにじられ、地面には無残に潰れた花びらが、土や泥にまみれて散乱している。


 それを目にした野次馬たちが申し訳なさそうな顔をしたとき、二頭の馬の手綱を握っていたユージンが口を開いた。


「すまんが、誰かこれを頼む」


 近くの野次馬に手綱を渡し、両手の空いたユージンが片手で杖を振り回しつつ、もう片方の手で印を切りながら何やら呪文を唱えた。


 すると、茶色い地面に散乱していた赤い花びらが、彼の声に応えるように次々と宙に浮かびはじめた。


 バラバラバラッと、不自然なほどの勢いで付着していた土や泥が落ちていく。


 目を丸くして、宙に浮く花びらを見つめる群衆。


 ちぎれた花びらが集まり、元の花の形へと戻っていく。(しわ)も泥もついていない、摘んできたときそのままの花の姿になる。


 やがてその綺麗な赤い花が、宙を舞うようにまた動きだした。


 花が向かう先は、元々それが入っていた籠の中。


 いまその籠は、最初に老婆を助けた娘が捧げるように持っている。


 (ぼう)っと、セドリックはその不思議で美しい光景を見つめていた。


 視線の先にあるのは、宙を舞う花に囲まれた綺麗な娘の顔。


 花の赤色が、娘の白い肌と銀色の髪をさらに強調し、彼女の美しさをより一層際立たせている──。


「ざっとこんなもんさ」


 花が全て籠の中に収まり、フフンとユージンが鼻を鳴らした。その声で、ようやくセドリックの心はこの世界へと戻ってくる。


「あんた、魔法使いだったのか……」


 驚嘆するように言った野次馬に、「ああ」と得意げに頷いてユージンは続けた。


「解説するとだな。地面は茶色だろ? 花は赤色だ。両者は色が違う。そしていま、この地面にある赤いものは花びらだけだから、まずはこの辺りの茶色いものの上にある赤い有機物を指定して……」


 何やら小難しい魔術理論を展開し始めた彼に辟易し、再び老婆やセドリックの周りに集まりだす野次馬。


「聞けよ!」


 と、ユージンが地団駄を踏むように言い、その様子にまた皆の顔に笑顔が広がった。

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