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その25 病床のセドリック

 セドリックの体は、ひどい高熱に冒されていた。


 全身がひどく重い上に、手足が痺れてまともに動かすことが難しい。片膝をつき、地に突き立てた剣を杖代わりとして、なんとかセドリックは自分の体を支える。


「セドリック様……」


 心配そうに寄ってきたエルマが、華奢な体で鎧を着込んだ彼の体を支えてくれた。


「すまない、エルマ……」


 脂汗を流すセドリックに、「いいえ」と首を振ってエルマが言う。


「やはり、グールの毒ですね……」


「グールの……毒……?」


「グールの爪には毒があるんです」


 獲物の全身を痺れさせ、高熱で体力を奪う。例えその場で獲物を仕留められずとも、爪で傷つけさえすれば、やがてその獲物は毒にやられて倒れ伏す。


 グールが執拗に獲物をつけ回す理由はそれだ。獲物が逃げようと走れば体力を消耗し、毒の回りも早くなる。


 そうしてやがて倒れた獲物に、ゆっくりと近づいて食事にありつく。生肉よりも、むしろ屍肉を好むグールならではの狩りだった。


 セドリックの全身にも、徐々にその毒が回っていた。


 だが、仲間を守るという使命感や戦いの昂揚、そして聖鎧の加護のおかげで、進行する体の不調にしばらく気づくことができなかった。それが、エルマが無事だという安堵感で気を抜いた途端、一気に毒の症状を自覚したのだ。グレンデルとの戦いで、激しく体を動かしたのもまずかった。


「セドリック様……とりあえず馬に乗って下さい」


 もはや自分の足ではまとも歩くこともできなくなった彼に肩を貸し、エルマが馬のところまで連れて行ってくれた。


 自分よりもか細く華奢な娘の肩を借りるのは気が引けたが、強がったところでどうにもならぬほどに体の力が抜けていた。エルマに手伝ってもらって何とか馬の背に乗り、セドリックはぐったりとその首に上体を預ける。


「どこか……休める場所を探さないと……」


 馬の手綱を持って辺りを見回しながら、ゆっくりとエルマが歩きだす。その彼女を見ながら、


(そういえば──)


 と、セドリックは考えていた。


 昔、誰かがこのグールの毒にやられてひどく苦しんでいるのを、心配しながら見ていたような記憶があった。そのときの自分も、いまのエルマのように病人を馬に乗せて安全なところまで連れ帰ったような気がする。


 ただ、それが誰で、どのような状況でグールと戦ったかまでは思い出すことができなかった。それは、”セドリック”としてではなく”イーヴァン”としての記憶だからだ。


 その者を亡くして悲しいという思いはないから、おそらくは回復してくれたのだろう。聖女ロクサリアか、あるいは他の神官が<解毒(キュア・ポイズン)>の奇跡を使ってくれたのではなかったか。


 しかしいま、この場にはそのような奇跡を使ってくれる神官も聖女もいない。


 規則的な馬の背の揺れに身を預け、セドリックの意識は徐々に遠のいていった。




 次にセドリックが気づいたとき、彼は朽ちかけた小屋の中に寝かされていた。


 うち捨てられた猟師小屋だろう。壁や床の木は所々が腐って変色し、ベッドも何だか黴臭くてあちらこちらにシミが目立つ。


 だが、それでもいまのセドリックには柔らかい寝床に横になれるだけでもありがたかった。


 額の上には、ひんやりとしたものが乗せられている。水で濡らした布だ。高熱に冒された体に、冷たい感触がひどく心地よかった。


 その布を用意してくれたエルマは、セドリックの枕元に座って心配そうに彼を見つめていた。


 彼女の傍らの床には、水の入った桶が置いてある。セドリックの額の布がぬるくなるたびに、彼女は何度も布を水にひたし直してくれたのだろう。エルマの目の下には、わずかだが(くま)があった。ほとんど眠らず、ずっとセドリックの介抱を続けてくれたのだ。


「目が覚めましたか、セドリック様……」


 自身も眠たいだろうにそう訊いてくるエルマに、頷いてからセドリックは礼を言った。体を起こそうとしたのだが、やはりまだ全身にうまく力が入らない。


「無理をなさらないで下さい……」


 そう言ったエルマが、彼の口元に何かを差し出してきた。


「これを……」


 古びた椀に入った、緑色のドロリとした何かだった。粘稠な液体の中に、ところどころ潰れた葉っぱらしきものが垣間見えている。


「わたしが作った薬草汁です……」エルマが言った。


 セドリックが眠っている間にこしらえてくれたのだ。


 エルマには、薬草の知識があるのだという。行商人である両親を手伝う傍ら、訪れた街で書物を読んだり、村の者から民間療法を教えてもらったりして身につけたものだ。


 それは、あて無き旅をする一家に何かがあった時の備えでもあり、彼女自身の手に職をつけるためでもある。エルマは、薬師志望なのだ。


 この猟師小屋を見つけるまでの途上でも、彼女は周囲の野山に目をこらしてグールの毒に良いという薬草を集めてくれた。それをすりつぶし、小屋の傍を流れる川の水と混ぜて薬草汁にしてくれたのだ。


「味と臭いは、その……アレですけど……」


 恐縮したようにエルマが言う。


 成る程。


 彼女の言う通り、椀に入った液体は平時であれば飲むのを躊躇(ためら)ってしまいそうなほどにすごい臭いを放っている。


 とはいえ、自分で椀を支えることも苦労する今のセドリックでは、口元に薬液を運ばれたら拒否することもできない。


 少しずつ口内に注がれるまま、ドロリとした薬液を飲み下していく。喉奥から鼻腔にかけて、蒸し暑い夏の草原のような青臭い香りが立ち昇ってくる。


「もう少し、お休みになった方がいいかと」


 別の椀に水をくんで口内を洗い流してくれた後、エルマが言った。


「だが、早くロランドさんたちと合流せねば……」


 そう言って無理に起き上がろうとしたセドリックを押しとどめ、安心させるためか、かすかに笑いかけてくれながらエルマが言った。


「それは、心配なさらないでください……」


 どういう意味かとセドリックが尋ねようとしたとき、開いた木窓の向こうから、ガサガサと何者かが茂みをかき分けてくる音が聞こえてきた。


 ──この小屋に、近づいてきている者がいる。


 全身を緊張させて、セドリックは自身の剣を探した。


 例え体調が悪かろうと、エルマだけは何としても守らねば──。


「大丈夫だと思います」


 またもセドリックを押しとどめ、エルマが言った。


 窓外から、声が聞こえてくる。


「ユージン様、いました!」


 ロランドの声だった。


「旅先の野山ではぐれたときのために、両親と約束事をしていたのです」


 言いながら、エルマが腰に下げていた革袋の中身を見せてくれた。色を付けた小石と、古びて手垢にまみれた銅貨が何枚も入れられている。


 森や山中ではぐれたら、これらを使って、あとで探しに来る者たちに自分の居場所を示すのだという。


 馬の足跡と、それらの印を辿ってロランドは彼女たちを探しに来てくれたのだ。先ほどの言葉は、小屋の前にいる馬を見つけてのものだろう。


 やがてユージンやパオラと合流したロランドが、心配そうに小屋の中に入ってきた。


 エルマと抱き合って互いの無事を喜んだ後、ロランドとパオラの夫婦がセドリックの前に進み出て跪く。


「セドリック様……」代表して口を開いたのはロランドだ。「娘を助けて頂き、本当に感謝しています。先の街道に続いて、セドリック様には……本当に大きな御恩を……」


 夫婦の目には、涙が光っていた。


「いいのです」些か恥ずかしく思いながら、セドリックは返した。「私の方こそ、エルマには助けてもらいました……」


 彼らの誠意に、ベッドに横になったまま応じざるをえない自身の不甲斐なさを本当に苦々しく思う。


「やはりグールの毒か?」


 ユージンが訊いてきた。


「そうだと思います」エルマが頷いて答える。「ただ、もう峠は越えているかと……」


 エルマが飲ませてくれた薬も、すぐに効いてくることだろう。


「獲物を弱らせるための毒だし、引っ掻かれただけならば、直接に命を奪われるようなことは少ないだろうからな」


 神妙な顔をしたまま、ユージンが言った。


「ただ、しばらくはここで休んだ方がいいだろう」


 少なくとも今夜一晩。場合によっては、数日ほど容態を見た方がいいかもしれない。


「すまない」


 頭を下げるセドリックに、ユージンが笑顔を見せて言った。


「なに、いままで散々に走らされてきたからな。馬も皆も、ここでのんびり休暇を取っても罰は当たるまい」


 ただ、馬にはもう一働きしてもらわねばならなかった。


 荷馬車が、山道に置きっぱなしだ。


 明るいうちにと馬を連れて馬車を回収しに行ったロランドとパオラを見送りながら、セドリックはまた寝床の中でウトウトとまどろんだ。




 ※※※※※※




「ハハウエ、ハハウエ……」


 山奥にある湖と見まがうほどの大きな沼。


 その沼底に住む魔女は、自身を呼びかける声で目を覚ました。沼の畔で、彼女を呼んでいる者がいる。


 住処にしている泥城から一度水面を見上げた彼女は、水上に黒い影を見つけてそちらに向けて浮上していった。


 ザバッ、ザババァァーーーッ。


「オオ、ハハウエ……」


 沼から現れた彼女を見てそう言ったのは、人間の倍以上の背丈を持つ巨大な怪物だ。全身が泥にまみれ、濡れた髪の毛や体毛が水草のように暗緑色の肌にくっついている。


 その魔物──グレンデルには右腕がなかった。切断面を押さえている左手の指の間から、ボタリボタリと赤黒い体液が垂れ落ちている。


「……我が”息子”よ。その腕は、どうしたのかえ?」


「ニンゲン……ニンゲンニ、ヤラレタ……」


 その言葉に沼の魔女は顔をしかめる。巨大なグレンデルの丸太のように太い腕の切断面は、剣のようなもので一刀両断されているように見えた。


 この辺りに、それほどの剣の使い手がいるとは……。


「ぐーるニ、ぐーるニオワレテタ……」片言で、グレンデルが状況を説明する。「オデ、はらハヘッテナカッタケド、メンコイおなごガイタ」


 それで、攫ってやろうと思ったらしい。


「お前に滅ぼしてもらった村の生き残りかえ?」


 しばらく前、住処に定めた沼の近くにある人間の村を、魔女は”息子”に命じて襲撃させていた。単純に(うるさ)いと思ったし、人間がこの沼に近づいてきたりしたら色々と面倒だからだ。


 しかし、彼女の問いに”息子”はかぶりを振って否定した。


「チガウト、オモウ……」


 旅人のようであったという。


「旅の騎士か……?」


 ならば、このまま通り過ぎてくれれば良いと、初め魔女はそう思った。


 だが、”山に棲む魔物”のことをあちこちで吹聴して回られたら、それはそれで後々厄介なことになるかもしれぬと思い直す。


 ならば、どうするべきか──。


 しばらく魔女が思案していたら、またグレンデルが呼びかけてきた。


「ハハウエ、ハハウエ……。オデ、ウデ、イタイ……」


「そうであったな……」


 グレンデルに近づき、魔女は腕の切断面に手を添えた。黒い闇が現れ、怪物の肩口を包んでいく。


「グウッ」顔をしかめるグレンデル。


 腕の切断面が、焼かれた後のように焦げて真っ黒になっていった。やがてそこに、新たな皮膚が再生して傷口を覆う。


 魔女は言った。


「残念じゃが、切れた腕がまた生えてくることはない。あくまで血止めじゃ」


 痛みは消えただろうが、片腕の喪失に哀しそうに目尻を下げる”息子”に魔女は訊いた。


「お前の腕を奪った者じゃが、グールに追われていたと言っておったな。グールに傷つけられたような様子はあったかの?」


 グレンデルがうなずいた。


「ウデニ、ツメノアトガアッタ」


「ならば、今頃その者は、グールの毒に苦しんでおるじゃろうて。まともには動けぬはずじゃ」


 腕の復讐をするなら、今のうちである。


 ギラリと残忍な光を目に宿らせたグレンデルが、何かに気づいたように空を見上げた。


 沼地を好むこの怪物は、乾燥に弱い。だから、強い日差しが差す日中には、山陰(やまかげ)や湿地からは出たがらないのだ。


 周囲を取り囲む山に遮られて、今この沼には直接陽光は届いていない。だが、間もなく山の頂上から顔を出した太陽が、この辺りも強く照らしつけることだろう。


「少し沼の中で休んでいってからでも良いぞ。一日二日で消えるような毒ではないからな」


「アリガト……。アリガト、ハハウエ……」


 そう言って沼の畔に横たわった”息子”を見て、魔女は心の中で一つ嘆息をした。


 せっかく彼女の息子として魔族に()()()()()()()()()()()というのに、この”息子”ときたら、どうやら生まれる変わる前よりも知能は退化してしまったようである。


 魔族というよりは、魔物に近い者になってしまった。


 しかもこんな大きな図体をして、行きずりの人間相手に不覚を取ってしまうとは──。


(こんな体たらくでは、とてもモーガンルビー様には会わせられぬのう……)


 かといって、せっかく産みだした”息子”を見捨てることもできない。


(弟たちに期待をするか……)


 早くも沼に全身を漬けて眠りこけている()()を見て大きく嘆息しながら、魔女は自身もまた眠りにつくべく沼の底へと戻っていった。

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