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その23 滅ぼされた村

新章開始です。

 起伏に富んだ山道を一台の荷馬車が進んでいる。


 御者台には行商人風の男とその妻らしき女、荷台には積み荷の他に三人の男女が座っている。商人の娘らしき若い女の他に、騎士風の身なりの若者と、裕福な商家の坊ちゃんのような仕立ての良い服を着た若者──セドリックとユージンだ。


 ロランドが”黒い森”に近い町で調達した荷馬車に、セドリックたちは便乗させてもらっていた。


 五人が乗っている上に今は登り坂だから、馬の足取りはいかにも重い。一歩一歩、ゆっくりと歩を進めている。山肌に沿った道の片側は勾配のきつい下り斜面になっていて、うっかり足を踏み外すと危険だから尚更である。


 ただ、そちら側の眺望は最高だった。木々の梢の間から、眼下の景色を広く見渡すことができる。山の麓から続く黄緑色の草原と、その向こうに広がる”黒い森”。


 揺れる荷台の上で、セドリックは離れゆくその森をじっと見つめていた。


「本当に、良かったのか?」


 セドリックの視線の先にあるものに気づいたのだろう。ユージンが訊いてきた。


「俺は、お前がロクサーヌを一緒に連れて行くものと思っていたんだけどな」


 ユージンだけでなく、ロランド一家やウルリカですらそう思っていたのではないだろうか。


 それほどまでに、セドリックとロクサーヌの二人は惹かれ合っていた。互いに離れがたいと想い合っていた。


 黒い森を出るとき、セドリックは伏し目がちなロクサーヌに近寄ると、ギュッと彼女を抱きしめて言った。


 ──ロクサーヌ、君と離れたくない……。ずっと……君と一緒にいたい。


 誰もがその後、セドリックの口からは次にプロポーズの言葉が飛び出すと思ったことだろう。


 だが、続いてセドリックが言ったのは、「だけど……」という苦渋にまみれた言葉だった。


 彼女の体を強く抱きしめ、しかしその先をどうしても口にすることができないセドリックに、ロクサーヌが言った。


 ──分かっています、セドリック様……。


 揺れる瞳で、ロクサーヌは彼を見上げた。


 ──使命の途中なのでしょう……?


 だから、彼女を一緒に連れて行くことはできない──。


 ロクサーヌは、そう理解したようだった。


 目尻に溢れた涙をこぼさぬようにするためか、ロクサーヌが一度目を閉じて顔を横に向けたあと、また口を開いた。


 ──お気をつけて……。セドリック様……。


 セドリックの方をしっかりと見据えてそう言った彼女の目には、もう涙はなかった。微笑みすら浮かべていた。でも、その笑顔が無理して作ったものだとセドリックにはすぐに分かって、それがまた彼の胸をひどく締めつけた。


「私だって、そうできれば良いと、どれほど考えたことか……」


 ユージンの言葉に首を振りながら、セドリックは独り言のように呟く。


「だったら……」


 そう言うユージンの表情には、些か批難するような色があった。煮え切らぬ双子の兄に、歯がゆい思いをしているのだ。


 しかし、彼はセドリックが抱える葛藤を知らない。


 それさえなければ、ユージンの言うようにセドリックはロクサーヌの手を取って、無理矢理にでも森から連れ出していたことだろう。


(聖女ロクサリア……)


 また黒い森の方に目を向けながら、セドリックは考える。顔も知らぬその女性のことを。


 いや──ロクサリアの顔だけならば、セドリックは知っている。”湖の魔女”エレインによれば、その女性はどうやら愛するロクサーヌと同じ顔をしているようである。


 エレインと、そして洞窟の中での竜との会話をセドリックは思い返していた。


 聖女ロクサリアは、”セドリック”をこの世に産みだしてくれた、いわば母とも言える女性だ。


 しかし同時に彼女は、”イーヴァン・ホー”の──本来の彼の恋人でもある。


 だからこそ彼女は、禁忌に近い手法を使ってまでも、彼をこの世に復活させてくれたのだ。


 もしもエレインの推測が正しいのなら、彼はそこまで自分を愛してくれた女性を裏切ることなど到底できぬ。


 エレインは、聖女ロクサリアが今どこでどうしているかは知らぬと言った。もう亡くなっているのではないか、とも言っていた。


 だが、その死がはっきりと確認されたわけでもない。


 それに、例え彼女がもうこの世にはいないのだとしても、婚約者はもう死んでいるから、それならば別の女性と添いましょう──などという真似は、セドリックの倫理観が許さない。


 自分の中にいる”イーヴァン”は、まだロクサリアのことを愛している。その確信が、彼にはある。


 セドリックがロクサーヌに──ロクサリアと同じ顔をした彼女に、出会ってすぐに惹かれたのはそのせいなのだ。愛しい恋人と、同じ顔をした女性だったからである。


 しかしだとすると、今ここで彼がロクサーヌに求婚することは──彼女の将来を自分に捧げるように求めるのは、ロクサリアだけではなくロクサーヌに対しても不誠実なことになりはしないか。


 彼は、ロクサーヌを通して別の女性を見ていることになってしまうからだ。


 そして、懸念はもう一つある。


 ロクサリアではなくロクサーヌを愛している”セドリック”にとっては、こちらの方がはるかに大きな問題だ。


 そちらの懸念が解消されるまで、ロクサーヌに安易なことはできぬ。


 例え”セドリック”が、どんなに彼女のことを愛しているとしても。


 いや、愛しているからこそ──。


 苦渋に、セドリックがギュッと唇を噛みしめたときだった。


 ガタンッ!


 馬車が、急に止まった。


「どうしました?」


 ユージンが御者台のロランドの方に目を向ける。


「申し訳ありません……」


 そう謝りながらも、ロランドの目は斜め前方の一点に向けられていた。何か気になる物を目にして、それで馬車を止めたようだ。


 セドリックがユージンと共に御者台の方に移動すると、ロランドが指を差して彼が気にしているものを教えてくれた。


 山の木々の間に、数軒の家屋が集まっているのが見えた。


 馬車が進む道はもう少し行くと下り勾配になり、山間の小さな盆地に向かうはずだった。そこには木樵や猟師といった山で仕事をする者たちが集まる村落があり、セドリックたちは今日、そこで休息を取ろうと予定していた。


 その村落に属する家の何軒かが、すでに木々の間から眼下に見えている。


 ただ、それらの家にはどれも破壊の跡が見えた。屋根が崩れていたり、木窓が割れたりしている。


 ここから眺める限りはとても人が住めるような状態には見えないが、廃屋というほど時間が経過しているようにも見えなかった。破壊されたのは、ごく最近ではないだろうか。


「何かあったのでしょうか?」


 ロランドが言った。


「分からないですね……」ユージンが答える。「これだけの景色じゃ、どうにも……」


 ただ、家の周囲の木々は何事もなく普通に立っているように見えた。破壊されているのは家屋だけということは、土砂崩れや竜巻のような自然災害のせいとは思えない。


「どうします?」


 言って、ロランドが判断を求めてきた。


「行くしかないでしょうね……」


 セドリックは答えた。


 彼らの前方にある道は、山の中の一本道だ。このまま進めば、嫌でもあの村に辿り着いてしまう。それを避けようと思えば、来た道を戻るしかない。


「分かりました」


 ロランドが言い、手綱を振って馬の歩を再開させた。


 用心のため、そのロランドの隣はパオラからユージンに代わった。セドリックは荷馬車の後方に移動し、いつでも飛び出せるように剣の柄に手をかけて周囲の様子に目を光らせる。女性二人を間に挟み、前後をユージンとセドリックとで警戒する態勢だ。


 しばしの下り坂の後に辿り着いた村の様子は、やはり尋常ではなかった。


 十軒ほどの家屋は全て破壊されている。


 ただ、その破壊の(あと)はやはり自然災害にしては奇妙だった。木窓や戸板は割れ、屋根は陥没して崩れ落ちている一方で、外壁には無傷な場所も多い。


 木窓や戸板にしても、通りに面した方の破壊はひどいが、裏側に回ると壊れていない場所がいくつもある。


「野盗の仕業か……?」セドリックは呟いた。


 通りから家に押し入ろうとして、木窓や戸板を破壊したのではないかと思えた。


「だが、屋根の損傷はどう説明する?」そう反論してきたのはユージンだ。「投石器でも使ったのか? 野盗が?」


 戦争でもあるまいし、そんなものを使用する野盗はセドリックも聞いたことがない。


「やはり、誰もいないようですね」


 家々の中を調べていたロランドが、そう言いながら戻ってきた。


 村には人っ子一人いない。


 ただ、セドリックが覗き込んだ家の中には、床に流血の跡と思えるシミが見えた。


 村の通りには上着の切れ端や、逃げるときに持ち出したのであろう家財道具や貴重品を入れた袋なんかが落ちていたりもする。


「何者かに皆殺しにされた後に、遺体が回収されたのか……?」


 セドリックは呟いた。


 ただ、貴重品を略奪せずに残していくというのは、やはり野盗としては不自然である。彼らの目的は、むしろその貴重品を奪うことにあるはずだ。


 死体が消えているのに貴重品が残っているこの状況は、略奪よりも殺害と死体の回収こそが目的であったかのようにも思えてくる。


 だが、その理由が分からない。


「死体を荒らしたのは、食屍鬼(グール)かも知れんな……」


 家の周りを囲う柵に引っかかっているものを指しながら、ユージンが言った。動物の毛のように見えた。


「野獣と違って、奴らは獲物を骨の一片まで残さずに食い尽くすからな」


 であれば、まさに”死体が回収された”ように見えることだろう。


 人間の死体を喰らう魔物であるグールだが、ときには生きている人間を襲うこともある。自分で殺して、死体を作りだすのだ。


 ただ、グールの大きさは人間とほぼ同じで、道具を使うほどの知能もない。この魔物だけでは、あそこまでの家屋の破壊は難しい。


「なにか家を破壊できるような者が先に村を襲って、残された死体をグールが喰いあさったんじゃないだろうか」


 結論づけるように、ユージンが言った。


 ただ、遺体が消えている謎はそれで解けるが、最初に村を襲ったのは何者かという疑問はまだ残る。


 どうする──というように、セドリックたちは目を見合わせた。


 元々の予定であれば、今夜はこの村で休息する予定だった。


 しかし、その村は何者かによって滅ぼされてしまっている。


 どうせ野営になるのなら、旅路を早めるためにも、明るいうちにもう少し先に進むという選択肢もある。


「いや……」かぶりを振ってセドリックは言った。「やはり、今日はここで休息しよう」


 村の真ん中には広場があるから、森の中よりは見通しがいい。グールや村を破壊した者がまだこの辺りをうろついているのだとしたら、夜の街道や森よりも、この廃村の方がまだ襲撃者には気がつきやすい。


 比較的損傷の少ない家屋もあることだし、野営よりは体を休めることができるだろう。


「勝手に家を使わせてもらうのは少し気が引けるが……去り際に、銀貨の一枚も置いていこう」


 この家にやがて戻ってくる者がいると──生存者がどこかに残っていると、そう信じたい気持ちだった。


 滅亡した村を見回しながら、左手に持つ聖騎士の盾をセドリックは握りしめる。これを手に入れる使命は終わったが、王都に届けるまでにはまだ一難があるようだった。

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