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その2 運命の出会い①

 抜けるような青空の中を数羽の小鳥が飛んでいる。


 果てしなく続くこの空を青一色の天井とするならば、その下に見える景色は、これまた視界の限りに広がる緑色の絨毯だ。


 毛足の長い濃い緑と、毛足の短い黄緑色。主にこの二種類に分けられるその絨毯は、しかしよく見てみると様々な細かい色の集合体で、緑ではない色も所々に存在している。


 特に黄緑色の絨毯の中には、赤や茶色の幾何学的な塊をあちらこちらに見ることができた。その間を、薄茶色の帯が少し蛇行しながら走っている。


 顎を上げて帯の先に目をやると、緑が途切れて赤や茶色が集まっている部分が見えてきた。


 家屋が密集した場所──町があるのだ。


 小高い丘の上で馬を止めていた騎士見習いのセドリックは、目を細めてしばらくその町を見やった後、ぐるりと首を回して丘の反対側を見た。


 そちら側にも、一面に緑の絨毯が広がっている。


 ただ、こちらは毛足の長い濃い緑色の絨毯──森ばかりだ。草原や牧草地の黄緑も、人家の赤や茶色も、道の薄茶も丘のこちら側には見られない。深い森ばかりが、地平線の彼方まで広がっている。


 空の青と森の緑の境界は一直線ではなく、高さの違う波状の境界だった。それは、この森が山地と言ってもよいほど起伏に富んでいることを示している。


「あれが、”黒い森”か……」


 そう呟いたセドリックに、横にいた弟のユージンが応えて言った。


「こうして見ると、言うほど黒くはないんだな」


 眼下の森には鬱蒼と木々が密集し、それゆえに草原よりも濃い緑色の風景を作りだしている。だが、それでも「黒」と言えるほどの色合いではなかった。燦々(さんさん)と照りつける日の光を浴びて、むしろ鮮やかな緑色の部分さえある。


 頷いて同意を示したセドリックに、ユージンが続けた。


「見た目の色というより、象徴的な意味合いが強いんだろうな……」


 顎に手を当て、何かを考察するような仕草をしている。


 あの”黒い森”は、多くの魔物が潜む”魔の森”として知られていた。人間の王国であるこのノーザンルビアの領内に、飛び地的に存在する魔族の領域なのである。それで、魔王の眷属を表す色である”黒”の名が冠せられたのであろう。


 聖王国と呼ばれることもあるノーザンルビアを象徴する色は白だから、彼らの立つ丘はちょうど黒と白の境界部分──灰色の領域ということになろうか。一応は街道が通っているから、限りなく白に近い灰色なのだと信じたいところではあるが。


「まあ、あの森に行くのは明日以降だ」


 顎に当てていた手を下ろし、殊更に明るい調子でユージンが言った。


「まずは町に入って一息つこうぜ。情報収集もしたいしな」


 丘の反対側に見える町を親指で差すユージンに、セドリックはまた素直に頷いてみせた。


 この旅に限ったことではないが、彼ら兄弟の主導権はユージンが握ることが多い。互いのその力関係を考えれば、ユージンの方が”兄”だと言った方がしっくり来るだろう。


 ただ、いまは社会的な理由から「ユージンの方がセドリックの弟である」ということになっていた。


 彼らは、同い年の兄弟である。


 産まれた順序がどちらが先かということは知らされておらず、ユージンとの関係をより正確に表す言葉は”双子”ということになるのかもしれない。


 ただ、セドリック自身はそれが本当なのかと常々疑っていた。自分たちは双子などではなく、どちらかが養子なのではないかと。


 彼らは、あまりにも似ていない兄弟だからだ。


 髪の色も、瞳の色も違う。性格も全然異なっている。


 幼い頃から棒きれを振り回し、外で騎士の真似事をしたり鬼ごっこをしたりということを好んでいたセドリックと違い、ユージンは完全なインドア派だった。


 魔術師である父の書斎に小さい頃から入り浸り、泥んこになって遊び回るセドリックを尻目にさっさと文字を覚えると、難しい歴史書や魔術書を読みふけるようになった。


 世間一般から見れば随分と変わった子供であろうが、父の幼い頃とはよく似ていたらしい。髪色も瞳の色も、ユージンは父と全く同じである。


 一方のセドリックは、母親似であるとは言われていた。彼の青い瞳は、母とは同じ色である。髪色は違っているが、母の髪はどうやら祖母からの遺伝のようで、セドリックの髪は母方の祖父とは同じ色だ。


 その母・シャーリーは、騎士の家の出身だった。実家のお抱え魔術師であった父と結婚する前は女騎士として剣を振るい、魔族の軍勢と戦っていたらしい。幼少時から棒きれを振り回すことが好きだったセドリックは、この母から最初に剣技を教わった。


 母の実家であるグラスヴァル家は代々に渡る国王直属の騎士の一族で、長年の勲功を認められて男爵位を授けられていた。騎士であると同時に、貴族でもあるのだ。


 そして貴族である以上は、戦うだけではなく”家”を残すことも重要となってくる。


 シャーリーには男兄弟が何人かいたが、その一番上の兄は”英雄”とまで呼ばれたほどの類い希なる騎士であったらしい。長男でもあることだし、誰もが当然、グラスヴァル家はこの長兄が継ぐものと考えていた。


 おかげで、母は好いた男との自由な恋愛結婚が許されたのである。


 しかし先の魔王軍との大戦中に、母の兄弟はこの長兄を含めて全員が死亡してしまった。


 それで、後継ぎとしてセドリックに白羽の矢が立ったのだ。


 魔術師である父の跡を継ぐのは、どう考えてもユージンのほうが適任である。一方のセドリックはというと、こちらは早くから女騎士であった母の手ほどきを受けて、優秀な騎士の片鱗を見せている。


 グラスヴァル家は、騎士としての働きの報償として国王から爵位を得ていたし、姫君とも言うべき令嬢が、自身で剣を持って戦うような武人の家柄である。こちらを継ぐのは、やはり剣技に長けたセドリックの方がふさわしい。


 父とも母とも違うセドリックの髪色が、元々家を継ぐはずであった伯父と同じであったことも祖父母の心には突き刺さったようである。


 長じて母の実家に騎士の修業に出されたセドリックは、この程ようやく騎士叙勲を受けることができる年齢になった。


 ただ、国王から直々に叙勲を受けて騎士となる者は、大きな武功を残した者か、それに相当する何らかの試練をくぐり抜けた者であることが、この国の習いである。


 大貴族の坊ちゃんの中には、名目だけの簡単な”試練”をこなして、碌な武功もあげずに騎士叙勲を受ける者もいたが、セドリックが祖父から与えられたのはかなり厳しい試練であった。


 ──かつて(ドラゴン)を倒しに”黒い森”に赴き、ついに帰ることのなかった聖騎士の捜索。


 それが、セドリックの使命である。


 行方不明になった聖騎士の名はアゼルスタン。母の弟の名前と同じだ。


 おそらくは志半ばで(たお)れたのであろう叔父の最期を確認することは、グラスヴァル家の後継ぎがやはりセドリックしか残っていないのだという証になる。


 竜の棲む”黒い森”を探索して帰還したとなれば、若い騎士としては十分な名声も得られる。


 それが、祖父の思惑であった。


 ただ、これは簡単な任務ではない。


 多くの魔族が巣くう”黒い森”に入らねばらないし、もしも叔父が竜の元まで迫り、そこで戦って敗れたのだとすれば、彼の遺品は竜の傍にあることになろう。


 セドリックは祖父から、かつてアゼルスタンが国王陛下から賜った聖騎士の盾をできれば持ち帰るようにと言われていた。ものが盾である以上は、叔父が斃れたその場に一緒に放置されている可能性が高い。


 であればセドリックも──戦って倒す必要こそないものの、少なくともその竜の居場所までは行かねばならないことになる。


 聖騎士ですら圧倒した、強大な竜のところに。


 この厳しい試練に付き添ってくれたのが、幼い頃から仲の良い兄弟であったユージンである。


 昨今ではだいぶ有名無実化しているが、騎士叙勲を得るための試練の旅には、連れて行ける従者は一人だけだという定めがあった。


 その従者役として、ユージンが名乗りを上げてくれたのだ。


 従者は、例え家臣であっても正規の騎士であってはならないという決まりがある。従者というのは、当然のことながら主人である騎士よりも格下の立場だ。それなのに騎士見習いの従者が正規の騎士では、上下関係がおかしなことになってしまう。


 同様に、血縁者が従者役を務める場合には、試練を受ける者よりも年少者でなければならない。


 それで、ユージンはセドリックの兄ではなく”弟”だ──ということになったのである。


 すでに父の手ほどきを十分に受け、一人前の魔術師に成長しているユージンは、従者としては破格であろう。これを認めてくれたのは、厳しい試練に赴く孫に対しての祖父からのせめてもの救済措置であった。


 それにセドリックとしては、二人きりの旅の同行者としては、母の実家の下男などよりもユージンの方が色々と気楽である。


 実際にここまでの旅の道中は、試練の旅というよりもなんだか兄弟水入らずの物見遊山という感じで、正直彼らの心は浮ついていた。


 それが、”黒い森”を目の当たりにしたことで一気に引き締められた。


 あの森に棲むという魔物、魔族、そして竜。これから二人は、そのような者どもと相対せねばならない。


 自然と、馬の手綱を握る手に力が入った。


 とはいえ、あの森に入っていくのはもう少し先のことになるだろう。ユージンが言うように、情報収集は必要だ。考えなしに立ち入ったところで、使命の失敗は目に見えている。彼らは、森の中の地理さえ知らないのだ。


 逸る心を抑えて、セドリックはユージンと共に丘を下りて眼下の町へと向かった。


 のどかな牧草地に囲まれた道を進んでいくと、やがて周囲にぽつりぽつりと人家が増えはじめてきた。


 物売りの露店も目立つようになってきて、道の両端で様々な身なりの者が農作物や日用雑貨、あるいは遠くの土地から仕入れてきた毛織物や工芸品を売っている。


 この町の中心は、街道が交差する十字路になっていた。そこに行商人が集まって露店を開き、やがて定期的に市が立って多くの人が集まるようになった。すると住み込みで商売をする者なども出てきて、さらに人が集まる。そうやって、自然にできた町なのだ。


 人為的に造られた町ではないから、グラスヴァルの本家がある街のような周囲をぐるりと囲う城壁などはない。


 そしてそれは──魔族の領域が近くにあるとは言え、この場所が外敵をさほど警戒する必要のない比較的安全な土地柄であるということの証明でもあった。”黒い森”の魔族は、森から出てきて人を襲うことはあまりないのだ。


 行き交う人々の中には、牛を連れている者、樽や(かめ)を積んだ荷車を引いている者などの姿もあった。この辺りの主要産業は牧畜だという話だから、近隣の者達が家畜や乳製品と、麦や野菜などを物々交換するためにやって来たのだろう。


 物売りのかけ声や値段交渉の声。


 喧噪に包まれる通りを、セドリックたちは旅籠を探して進んでいった。


 馬を連れている彼らは、(うまや)付きの宿を見つける必要がある。どこかで呼び込みでもしていないかと、耳を澄ませながら辺りを見回していたセドリックは、ふと道の向こうに人だかりができていることに気がついた。


 何か珍しい物でも売っているのか、あるいは大道芸人でもいるのかと最初は思ったのだが、どうもそうではない様子である。


 なんだか不穏な空気が漂い、怒号のような声も聞こえてきていた。


「おっ、喧嘩か?」


 ユージンが物見高くも人だかりの方に歩き始め、セドリックも続いた。


 人垣の間から顔を出してその中心を見ると、やはり物売りや大道芸がいるのではなく、剣呑な揉め事が起きていた。


 ただ、喧嘩と呼べるほどに対等なものではないようだ。


 五対二。


 しかも、五人の男のほうは鎧と剣で武装しているのに対し、相手の二人はどちらも丸腰の女性である。痩せた老婆と、もう一人は後ろ姿のみで顔はよく見えないが、おそらくは若い娘だ。


 老婆のほうは、花売りであろうと思われた。地に這いつくばる彼女の傍には空の籠がひっくり返り、辺りに赤い花が散乱している。


 転倒した老婆を助け起こしながら、娘が男たちに何かを言ったようだ。顔を真っ赤にした男たちが、大声でしきりに怒鳴り散らしていた。


「無礼者め!」


「その者が、いったいどなたにぶつかったか分かっておるのか!?」


「あの御方はなあ……!」


 言いかけた男が、別の男から「おいっ!」と咎められて慌てたように口をつぐんだ。


 その口撃の隙をつくように、娘の声が聞こえてきた。


「ぶつかってこられたのは、騎士様の方からではないですか?」


「なんだとう!?」


 娘の言葉に、男たちがますますいきり立つ。


「騎士のようには見えんがな……」


 その男たちを見て、ポツリとユージンが呟いた。


 娘と言い争う五人の男たちは鎧を身につけてはいるが、騎士が着るような甲冑ではなかった。全員が日に焼けた同じ皮鎧を身につけていて、騎士というよりは兵士に見える。


「騎士様は、もうとっくにどこかに行っちまったよ」


 野次馬の一人が、そう教えてくれた。


 老婆にぶつかった騎士はさっさとその場を離れてしまい、通りがかった娘が老婆を助けにいきつつ、まだ残っていた騎士の付き人に抗議をしたという顛末らしい。


「度重なる無礼、もう我慢ができぬ!」


 その言葉に、ハッとしてセドリックは人垣の中心に目を戻した。


 兵士の一人が、腰の剣を抜き放とうとしている。


 自然に、身体が動いていた。


「まったく、お人好しな奴だな……」


 そのユージンの言葉を背に、人垣の中心まで歩み寄る。老婆と娘の横を通り過ぎ、彼女たちを庇うように兵士との間に立つ。


 自分も腰の剣に手をかけながら、セドリックは言った。


「仔細は知らないが、ご婦人に向けてみだりに剣を抜くことが騎士道にかなう行いとは思えない。剣とはむしろ、弱き者を助けるためのものだろう」


「な……なんだ貴様は!」


 そう誰何(すいか)してきた兵士たちは、一方で見習いとはいえれっきとした騎士姿のセドリックに些かひるんでいるようにも見えた。


「グラスヴァル家の騎士見習い、セドリックだ」


「騎士見習いだとぉ?」


 正規の騎士ではなくまだ見習いだということで、兵士たちの萎縮は少し弱まったようだ。気圧されてはならぬとばかりに、罵声を再開してくる。


「なんだ、偉そうに!」


「なにが『ご婦人』だよッ! ババアじゃねえか!」


「単なる無礼者だッ!」


「……貴様らの方こそ、礼を弁えろ」


 静かだが低い声で、セドリックは凄んだ。


「私たちより長い時を生きてきた先達(せんだつ)のご婦人に対して、失礼というものだろう」


「なにいっ!?」


 兵士たちが目を剥いて、また腰の剣に手をかける。


 セドリックも、いつでも抜けるように剣の柄をグッと握りしめた。

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