その18 竜の洞窟②
本エピソードより、物語の重大な秘密の一つが明かされます。興ざめとなる可能性がありますので、恐れ入りますが、初見の方は本エピソードから読み進めるのはお避け下さい。
「速さ、威力ともに申し分ない」
そう言った竜の目が、何か懐かしいものを見るように一瞬だけ細められた。
「だが……」ギロリとまた鋭い眼光に戻る竜。「それでは、ただの二連撃にすぎぬ!」
セドリックの起死回生の”十字斬り”も、竜にはほとんどダメージを与えていない。
竜が、斬りつけられた前足を振り上げる。
蹴り飛ばされぬよう、後ろに跳ぶセドリック。
吠えるように竜が言った。
「聖鎧を纏え、セドリック! お前の真の姿を私に見せてみよ!」
聖騎士の体を覆う聖鎧は、ただの鎧ではない。
纏った者の身体能力を飛躍的に高め、さらに攻撃には神の祝福の力が加味される。
単純に剣の威力が増すだけではなく、その聖なる力は魔物や魔族が苦手とする力だ。通常の剣撃以上のダメージを相手に与えることが可能になる。
黒い魔族と相対したときセドリックは──理由は不明だが、一瞬だけ聖鎧を纏っていた。だから、相手に深い傷を負わすことができた。
いまこの竜の鱗に傷をつけるには、やはりあの青い聖鎧を纏うより他はないのだろう。
ただ、セドリックは聖騎士として神の祝福を受けた記憶はない。
そもそも彼は、聖騎士どころか普通の騎士ですらない見習い身分なのだ。
──その自分が、どうして一瞬にしろ聖鎧を纏えたのか?
そこが分からなければ、自分の意思でそれを纏えるはずもない。
(どうする……?)
着地しながら、セドリックが次の一手に考えを巡らせたときだった。
「セドリック様……」
何者かが呼びかける声が聞こえてきた。
カイの声ではない。
しかし、聞き覚えのある声──。
目の端に竜の姿を残しつつ、セドリックは声のした方を見た。
一人の女性が立っていた。
抜けるような白い肌に、長く波打つ銀色の髪。
「ロクサーヌ!?」
なぜ、ここに──?
胸の前で祈るように両手を組み合わせた彼女が、口を開いて言った。
「思い出して、セドリック様。本当の貴方を……」
「なにを……?」
セドリックが戸惑いの声をあげたときだった。目の端にいる竜の口が動く。
顎門を大きく開き、ブレスを吹くつもりだ。
その口が向けられているのは彼の方ではなく──。
「ロクサーヌ!」
セドリックは走り出した。
だが、彼女の所まではだいぶ距離がある。
(間に合わない!)
セドリックが辿り着くよりも、ブレスが彼女の体を包み込む方が早いだろう。
そう考え、セドリックは素早く方向転換する。竜と彼女の間に移動し、立ちはだかるようにその身を盾にするつもりだ。
ただ、ブレスの範囲に比して彼の体はいかにも小さい。
いまは、盾もない。
彼女と竜の中間地点に立つだけでは、不十分だ。ブレスはセドリックの周囲を回り込み、彼女の体に到達してしまうだろう。
ならば、どうする──?
焦るセドリックの全身が、淡く輝きだしていた。
もう何度も目にした、あの青い光。
すぐにその光は収束し、輝く青い鎧に変化していく。
そのことを不思議に思う余裕は、もうなかった。
ロクサーヌを──愛する彼女を守るため、藁にもすがる思いで剣を振り上げる。
襲い来る高熱の竜のブレス。
振り下ろされた青く輝く剣が、空気と共にブレスを斬り裂く。
竜の吐いたブレスが、真っ二つに割れた。
セドリックたちの左右に分かれて通過していく灼熱の風。その熱は、彼ら二人のところには届かない。
ガキィィインッ!!
セドリックの剣の切っ先が、勢いよく大地に触れた。
竜のブレスがやみ、もう剣は輝いてはいない。しかしセドリックの体は、あの青い鎧に包まれたままだった。
「これ、は……?」
自身の手足を包む青い鎧を見ながら、ようやくセドリックは戸惑う。
全身が金属のような固い物質で覆われているのに、些かの重量感もなかった。むしろ、鎧など着ていないかのように体が軽い。
「その姿、間違いない……」
竜が口を開いた。
「それこそが、君の聖鎧だ……」
「聖鎧……」
尚も戸惑い続けるセドリック。
──なぜ、自分にそんなものが。
聖騎士の祝福どころか、騎士叙勲すら受けていない自分に……。
「しかし不思議だ……」
目を細めてセドリックを眺めていた竜が、呟くように言った。
「どうして剣を振り下ろしたのだ? 私がすぐにブレスを吹くのをやめたからよかったが……」
セドリックが剣を振り下ろした後も竜がブレスを吹き続けていれば、やがて彼の体は高熱に晒されて黒焦げになっていたことだろう。
「例えば剣を風車のように回す技……あれを使っていれば、もっと長い間ブレスを防ぎ続けることができただろうに……」
そんな技があるのかと考えながらセドリックが竜を見たとき、背後から声が聞こえた。
「彼は、記憶をなくしているようですね。体が覚えている行動を咄嗟にすることはあっても、技を思い出しているわけではない。特に、意識しての行動は──使える技は、まだ騎士見習いの域を出ないのでしょう」
振り向いて、セドリックは目を見張った。
その言葉を言ったのは彼の背後にいたロクサーヌ──いや、ロクサーヌの姿をした者だ。呆気にとられる彼が見ている前で、その美しい彼女の顔が陽炎のように歪んでいく。
やがてロクサーヌの顔に変わって現れたのは、別の女の顔。
“湖の魔女”の顔だった。
「エレイン……」
驚いて声を発したセドリックは、魔女の名を呼んだ自身の言葉に二度驚く。
──どうして自分は、湖の魔女の名前を知っているのだ?
彼女は、一度も名乗ったことがないはずなのに。
ただ、驚いたのはセドリックだけではなかったようだ。湖の魔女と竜の目も驚愕したように開かれている。
「私の名前を……。記憶が戻ったのですか?」
エレインの言葉に、セドリックはかぶりを振って答えた。
「分かりません、何が何だか……。私が記憶を失っているとは、いったいどういうことなのでしょう?」
セドリック自身には、その自覚がまったくない。
確かに幼い頃の記憶には曖昧なところもあるが、それは誰しもがそうだろうと思える程度のものだ。自分が記憶喪失なのでは、という心当たりのようなものは、彼には何もない。
「いまの言葉も、無意識だったのですね……」
納得したようにエレインが言った。
「しかしやはり、心の奥底には私の記憶が存在していることの証明でしょう」
セドリックは、過去に湖の魔女の名を聞いたことがあるのだ。しかし、それをずっと忘れている。
「エレイン……」そう口を開いたのはファブニールだった。「私自身も理解が追いついていないところがある。もう一度、最初から説明してもらえないだろうか?」
「分かりました」エレインが頷く。「多分に、私の推測が混じるところではありますが……」
竜を見上げていたエレインがセドリックの方に目を戻し、彼の顔を真っ直ぐに見据えてきた。
「セドリック=グラスヴァル様……。今から私は、ケアード様とシャーリー様が──貴方のご両親が、そしておそらくは貴方のご祖父母も、気づいていながら貴方には告げていないであろう事実を述べます」
覚悟はいいか──。
そう問いかけけてくる魔女に、セドリックはまだ困惑を残しながらも首を縦に振った。
それを確認して、魔女が口を開く。
「貴方の顔は、私たちが知るある人物と同じなのです。瓜二つ、生き写し……。他人の空似どころか、寸分違わず、まったく同じなのです」
エレインの目が、聖鎧の仮面に覆われたセドリックの顔を覗き込む。
「最初は私も、血縁の者だからだろうと思いました。しかし、それにしてもあまりに似すぎている……」
よく似た親子というレベルのものではない。ドッペルゲンガーかと思うほどに、まったく同じ顔なのである。
「そして今の貴方の姿を見れば、通常ではとても信じられないような事実を……信じざるをえないのです。そうでなければ、貴方が纏っているその鎧の説明がつきません」
顔だけではなく、セドリックがいま纏っている聖鎧も、その人物とまったく同じなのだ。
「聖鎧というのはな……」エレインの言葉を補足するように、竜が口を開いた。「それぞれの聖騎士に固有のものなのだ。神の祝福と、聖騎士の魂とが合わさって形成されるものだからな」
この世に二つとて同じ聖鎧はない。
例えセドリックの顔が、誰か別の聖騎士と同じなのだとしても、違う魂を持った人間である以上は、聖鎧だけは必ず違った色形になるはずなのだ。
それなのに──。
「お前のその聖鎧は、私やエレインがよく知る者とまったく同じなのだよ」
そして聖鎧の下の素顔も同じとなれば、両者は同一人物であると判断せざるを得ない。
「誰と……」
かすれるような声でセドリックは訊いた。
「いったい、誰と同じなのです?」
一度何かを追想するように目を閉じ、そしてもう一度セドリックの顔を見た後、竜が口を開いた。
「希代の英雄……。私がこの世に生まれ出たときより、常に私と共に生きてきた男……」
追憶するように目を閉じる竜の言葉を引き取って、エレインが言った。
「貴方が母と慕う、シャーリー様の兄にあたる方です」
シャーリーの兄──つまり、セドリックにとっては伯父にあたる男だ。アゼルスタンはシャーリーの弟だから該当はしない。別の兄弟の誰かということになる。
「グラスヴァル家の、本来の嫡男であった方でした」
「まさか……」
魔女の言葉にセドリックは息を呑む。
死んだとされているシャーリーの長兄の名前は彼も聞いている。グラスヴァルの者で──いや、このノーザンルビア王国の者で、その名を知らぬ者はいないだろう。
目を開いた竜が、その名を言った。
「イーヴァン・ホー=グラスヴァルだ」
「!」
セドリックは言葉を失っていた。
イーヴァン・ホー=グラスヴァル。それは、先の大戦の英雄の名だ。グラスヴァル家が輩出した中でも最高の聖騎士と誉れ高い。
ただ、大戦の終盤に魔王に囚われたマクート王国の子女の救出に赴き、恋人であり婚約者でもあった聖女・ロクサリアと共に帰らぬ人になったと聞いている。
魔王は、自身が殺したイーヴァンの遺骸を晒し者のように城壁から吊し、宿敵を葬ったことを喧伝したというから、英雄・イーヴァンの死は確実なものとされていた。
英雄の遺骸はそのまま鳥や魔獣の餌にされてしまったとも言われ、それを聞いた人間たちは誰もが嘆き悲しみ、そして非情な魔王の仕打ちに怒りに震えたという。
特にセドリックの父・ケアードの怒りと嘆きは凄まじいものだった。そして、ひどい後悔の念にも苛まれていた。
イーヴァンの親友であった彼は、マクートの王族の救出作戦にも参戦していたのだ。王女たちを助け出した後、イーヴァンとロクサリアの二人を残して先に脱出してしまったことを、ケアードは今も後悔している。
「ありえない……」
セドリックは呟いた。
自分は、そのケアードとシャーリーの息子だ。
確かに、自分が両親の実の息子ではないのでは、という疑念は以前から抱いていたし、あるいはシャーリーの兄弟が──アゼルスタンやイーヴァンが、自分の実父ではないかと推測したこともある。
だが、息子ではなくイーヴァン本人であるというのは、あまりにも荒唐無稽にすぎるだろう。
赤子の頃の記憶はさすがにないが、セドリックには両親やユージンと過ごした幼い頃の思い出が数多くある。自分がイーヴァン・ホーだというのなら、この幼子の頃の記憶はいったいなんなのか。
そもそも、もしもイーヴァンが今も生きているのだとすれば、その年齢は四十を超えているはずである。セドリックの年齢とは、倍以上も離れている。
その彼の疑問に、当然だというようにエレインが頷いて言った。
「私も、最初は信じられませんでした。父親の顔と瓜二つの息子なのだろうと、そのように考えました。しかしその聖鎧を見れば──いま、私の目の前にいるこの方はイーヴァン様であると、そう判断せざるをえません」
例えよく似た親子であっても、違う魂を持った人間である以上は、聖鎧が同じものになることは絶対にない。
「ですから貴方は──セドリック=グラスヴァル様は、やはりイーヴァン様ご本人なのです。とても信じられないことですが……信じざるをえないのです。ただ……」
感情を抑えて事実だけを告げる口調でエレインが言う。
「貴方のその肉体は、私たちの知るイーヴァン様のものとは違っているのでしょう」
魂が別人なのではなく、肉体が違うのだ。だから、魂と連動している聖鎧の形は同じでも、見た目の年齢は実年齢と異なっている。
「ここからは、あくまで私の推測になります」
そう言ったエレインの表情が、辛いことを思い出すときのように少し歪んだ。