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その17 竜の洞窟①

「さあ、参りましょう」


 セドリックの身体に<水上(ウォーター・)歩行(ウォーキング)>の魔術をかけ終え、魔女が言った。


 頷いて波打ち際まで歩いていくセドリック。その肩に、突然に重みを感じた。


「カイ!?」


 九尾の黒猫が、肩に飛び乗ってきていた。


「僕もついていくよ。ロクサーヌの代わりに、セドリックを見守ってあげる」


 ニイィッと笑ったカイが、セドリックの肩から湖の上に飛びおりた。空中で、九本ある尻尾のうちの一本がピンと立てられ、ブルルと震える。


 そのまま湖面の上に着地するカイ。黒猫の足は、沈むことなくしっかりと水面を踏みしめていた。


「濡れるのは嫌いだからさ。婆様に頼んで、水に沈まない術を教えてもらったんだ」


 得意げにカイが言った。


 他者に術をかけることはできないが、カイ自身は魔女の力を借りずとも歩いて湖を渡れるのだ。まさに”魔猫(まびょう)”の面目躍如。ただの喋る猫ではなかったのである。


「竜は怖いけど、話の種に一度くらいは会ってみたくもあるしね」


「好奇心は猫を殺す、という言葉があるぞ」


 半ば呆れるように、ユージンがそう茶化した。


「大丈夫。逃げ隠れは得意だから」


「自慢になるか」


 苦々しいユージンの笑いが、「しょうがない奴だな」というものに変わっていった。他の皆も同じ気持ちのようだ。


「セドリック様にご迷惑をかけては駄目よ?」


 幼い弟を送り出す姉のようにロクサーヌが言い、分かっているよとばかりに、カイがまたニイィッと笑った。


 その黒猫の元に歩み寄るように、セドリックも水面に足を下ろしてみる。


 魔女の魔法は、しっかりと彼の身体にかかっているようだった。足が水に沈むことはなく、カイと同じようにセドリックも湖面の上に立つ。


 ただ、波があるから地面とまったく同じように歩けるわけではない。気をつけていないと、うねりに足を取られて転倒という無様を晒してしまいそうである。波の動きを見ながら、慎重にセドリックは足を進めた。


 彼の様子を確認した湖の魔女が──こちらは如何にも慣れた足取りでセドリックを追い越し、先導するように歩を進めていく。


 岸に残る仲間たちに一度手を振って、セドリックは魔女の後を追った。


 水の上を歩くという経験は、当然ながらセドリックは初めてだ。


 石畳のように水が固くなるのかと思ったら、少し違っていた。土の上を歩く感覚とも違って、ブヨブヨとした独特の感触である。小人になってカイの腹の上を歩いたら、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。


 魔女の先導で小一時間ほども湖の上を歩いただろうか。やがて彼らは、見上げるほどに高い断崖絶壁に行き当たった。垂直に切り立った岩壁の表面を、チャプチャプとわずかに揺れる水が濡らしている。


 見る限り洞窟のようなものは見当たらないから、ここから崖沿いに歩くのかと思っていたら、


「竜の棲む洞窟は、この下にあります」


 と、魔女が言った。


 水面に隠された崖の下部に、水中洞窟があるのだという。ここから先は、水に潜らねばならないのだ。


 魔女が、ここに来る人数を絞った理由はこれであった。竜のところに行くには、<水上歩行>の他に、水中で呼吸ができる術も必要になる。セドリックの場合は、さらに鎧を着ていても沈まずに泳げる術もかけてもらわねばならない。


 昨夜その説明をしなかったのは、洞窟の秘密を知る者を最小限にとどめたかったからのようだ。


「え? 潜るの?」魔女の言葉を聞いて、カイが顔しかめた。「この術は、水に濡れないために覚えたんだけど……」


 猫は水に濡れるのが嫌いである。


「では、貴方はここで待っていますか?」


 魔女に言われて、目の前の崖以外は水と空しかない湖上の景色をぐるりと見回し、「ううっ……」と葛藤するようにカイは唸った。やがて、破れかぶれの様子で言う。


「行くよ! 行けばいいんでしょう!」


「一人増えた分、私は余分に魔力を消耗するのですけどね……」


 嘆息するように言ったあと、魔女が杖を振って呪文を唱える。


 次の瞬間、ズズッとセドリックの足が水の中に沈んでいった。足の次は胴。首から上にまで水が来たときには、さすがにヒヤリとして大きく息を吸ってしまう。


 そうして頭の先まで水に浸かったとき、彼の鉄靴(てっか)がコツンと何かに触れた。


 魔女の持つ杖だった。セドリックが目を向けたことを確認すると、身を翻して底の方へと潜っていく。


 沈みすぎない魔法を使っているから、甲冑を纏ったセドリックでも水底に行くには手足を動かして泳ぐしかない。


 魔女に倣って頭を下に向けて泳ぎだしながら、セドリックはチラリとカイの方に目を向けた。


 濡れるのが嫌だと言っていた黒猫は、あまり泳いだ経験もないに違いないが、獣の本能か器用に四肢を動かして魔女について行っている。


 竜が棲むという洞窟の入り口は、湖のさほど深いところにあるわけではなかった。水面から数メートル程も潜ると、断崖に黒々とした洞穴が口を開けているのが見えてきた。


 かなり巨大な洞窟で、確かにあれなら巨体の竜でも通ることができるだろうと思われる。


 ふと気づくと、魔女が振り返ってセドリックとカイの方を見ていた。彼らがついてきていることを確認した後、洞窟の方へと向き直る。再び泳ぎ進めた魔女の後を、セドリックたちも追った。


 湖面を通して差し込んでくる光のおかげで、水中は物が見える程度には明るかった。だが、洞窟の奥は完全な暗闇になっている。魔女が持つ杖の先に灯った明かりだけが頼りで、暗い上に踏みしめる地面もないから、何だか妙に不安な気持ちになってくる。


 魔女は、洞窟の天井に沿うようにして泳いでいた。しばらく進むと岩の天井が途切れ、縦穴のようになった洞窟を今度は垂直に上がっていく。


 頭を上に向けて、セドリックも続いた。


「ぷはっ!」


 突然に頭が水上に飛び出て、セドリックは大きく息を吐いた。続いて口に入ってきたのは、久方ぶりの空気だ。


 バシャバシャという音の方に目を向けると、魔女が水面を泳いでいくのが見えた。すぐその先には岩の地面がある。


 竜の棲む洞窟は入り口こそ水中にあるが、その大部分は水面よりも上にあるようだった。湖上から見た高くそびえる断崖の中に、広大な空間が存在していたのだ。


「行きましょう」


 それぞれに服を絞り、カイがブルブルと毛についた水を振り落としたところで、魔女が言った。


 立ち並ぶ石筍や石の柱を避けながら奥へと進み、崩落の痕らしき大小の岩石が小山のように積み上がった場所を回り込んでその裏側までやって来たところで、魔女は立ち止まった。


「竜はこの先にいます。覚悟はよろしいですか?」


 確認するように訊いてくる。


 剣と鎧の具合を確かめた後にセドリックが頷くと、小さく頷き返した魔女が、洞窟の奥へと目を向けた。その真っ赤な唇が、大きく開かれる。


「竜よ! ファブニールよ!」魔女の声が、洞窟の奥の方へとこだました。「貴方に会いに来た騎士見習い・セドリック=グラスヴァルをつれて来ました!」


 岩の壁に反響していく声を聞きながら、セドリックは少し慌てた。


 彼の目的は、あくまで竜・ファブニールの傍にある叔父の遺品を持ち帰ることである。竜と戦うことが目的ではない。


 昨日魔女は、竜に気づかれぬうちにこっそりとアゼルスタンの遺品を持ち帰ることに対して、「盗人のようだ」と評していたが、現実問題として、それが最も危険の少ない方法であることも確かなのだ。あえて竜に来訪者の存在を知らせる必要など、どこにもない。


 そのセドリックの考えを読んだのか、魔女が振りかえって言った。


「ファブニールは、けして凶暴な竜ではありません。話せば分かる相手です」


 一口に竜と言っても千差万別である。獣程度の知能しかない者もいれば、人間よりもはるかに高い知性を持ち、高度な魔術を操る神のごとき竜もいる。


 ファブニールは後者の竜に近く、少なくとも人間の言葉を理解することはできるという話だ。


 そして、魔族である”黒い森の魔女”ウルリカが、人間であるセドリックたちに協力してくれたように、全ての竜が人間に敵対的とも限らない。


「ですが、叔父はファブニールと戦って命を落としたのではないのですか?」


 だから、竜の傍に遺品があると考えられているのだ。


 そのセドリックの問いかけに、湖の魔女はどこか哀しげな目をして答えた。


「聖騎士アゼルスタンは、竜と戦うためにここに来たのではありません。彼の目的は、あくまで竜と会って話をすることでした」


「それは……」


 どういうことなのかと、セドリックがさらに問いを発しようとしたときだった。


『グロッ、グロロロロォォォーーーッ!!』


 洞窟の奥から、轟くような怖ろしげな声が響いてきた。ビリビリと、セドリックの鎧が震えている。


 竜の咆哮には、それ自体に魔力があると聞いたことがある。人を気絶たらしめたという話もあり、確かに気の弱い者であれば、この声を聞いただけでも意識を失うことがあるかもしれない。


 気を引き締め直したセドリックに、どうぞというように魔女が道を空けた。どうやら、彼女の案内はここまでのようである。


「湖の魔女よ、ありがとう。ここまでの貴女のご協力、本当に感謝します」


 深々と頭を垂れたセドリックに、一瞬だけ表情を柔らかくして魔女が言った。


「お礼を仰るのは、まだ早いです。私の魔法がなければ、ここから帰ることができないでしょう?」


 そうでしたと、セドリックも一瞬だけ苦笑を返した。


 微笑を浮かべる魔女の顔を一瞥した後、セドリックは表情を改めて洞窟の奥へと歩いていく。後ろから、トコトコとカイがついてくる足音がした。


 竜の声がした方向には、かすかだが明かりのようなものが見えていた。外光が差し込んでいるのか、竜の使う魔法なのか。その明かりと、魔女の杖に灯る光との間に少しだけ暗い場所はあったが、歩を進めるのに支障があるほどではない。


 やがて明かりが少しずつ強くなり、セドリックは開いた地底の空間に辿り着いた。


 王宮の広間もかくやというほど広々とした場所で、ところどころに篝火のようなものが据えつけられている。先程から見えていたのはこの光なのだろうが、火が燃えているわけではなく、セドリックの知らない光る石のような物が置かれていた。


 その地底の広間の奥に、まさに玉座に座る王のごとく、この洞窟の主が鎮座していた。


 竜・ファブニールだ。


 ()めつけるように、こちらを見据えてきている。


 セドリックは、これほど大きな生物を見るのは初めてだった。


 鋭い牙が垣間見える竜の口は、黒い森で遭遇したあの巨大な魔族の頭よりもさらに高いところにある。セドリックを睨みつける目は、さらにその上だ。


 話に聞いていた、そしてそこから想像していた竜の姿よりも遙かに大きい。


 その巨大さに、早くも圧倒されそうになる自身の弱い心に喝を入れ、セドリックは睨み返すように竜を見た。


「よく来た」


 地の底から轟くような声で、竜が言った。


「私は、セドリック=グラスヴァルという者。かつて貴方に会いにここに来て、そして帰らぬ人となった叔父・アゼルスタンの遺品を探しに来た!」


 叫ぶように、セドリックは声を張り上げる。


「もしも貴方の傍に叔父の遺品があるというのなら、どうか持ち帰ることを許して頂きたい!」


 竜が巨大な水晶のような瞳で、ギロリと彼を見た。


「欲しければ、持っていけ。だが……」竜の目がギラリと光る。「その前に、お前の真の姿を見せてみろ!」


 言葉が終わるとともに、竜が大きな顎門を開いた。


 噛みつくためではない。


 竜は、その口から高熱のブレスを吐くことができる──。


 素早く横に飛び退くセドリック。カイが、慌てたように近くの岩陰に身を隠す。


 ゴゴゴゴゴォオオオォォォ──ッ!!


 危ういところで、体の脇を竜のブレスが通過していった。


 直撃しなくても肌に感じる熱風。


 避けざまに抜けた髪の一本がブレスに晒され、一瞬で蒸発していた。


 ──距離を取るよりも、むしろ竜の足元に行った方がブレスの脅威には晒されずに済む。


 そう判断したセドリックは、剣を抜いて竜の方へと突き進んだ。


 振り上げられる竜の前足。巨岩の落石のような轟音。


 すんでの差で、踏み潰されるのを避けたセドリック。目の前に振ってきた巨大な鱗の塊に、思いきり剣を突き立てる。


 ガギィィインッ!!


 まるで、分厚い鋼鉄の板に剣をぶつけたような衝撃だった。


 ──いや、それ以上か。


 竜の鱗は、鉄よりもはるかに良質な鎧の素材として珍重されている。鋼鉄などより、竜の鱗の方がはるかに堅固なのだ。長剣の一撃で、容易に傷がつくような代物(しろもの)ではない。


「くっ!」


 セドリックを蹴り飛ばそうと動く竜の前足。


 飛び退いた先に襲い来る鋭い牙。一瞬前までセドリックがいた場所で、地獄の門が、怖ろしげな音を立てて噛み合わされる。


 その下顎に向けて、長剣の一撃を放つセドリック。


 歯茎部分ならばあるいはと思った。だが、竜が食いしばっていた口を閉じ、セドリックの剣撃は固い顎の鱗に弾かれる。


 それでも追撃を加えるべく、セドリックは剣を振りかぶった。その彼を跳ね飛ばそうと、竜が首を振る。


 巨大な竜の顎は、ぶつけられただけでも致命傷になりかねない。


 大きく後ろに跳んで顎の一撃をよけたセドリックは、今度は剣を脇に構えて手近な竜の脚に突進した。騎槍(ランス)での突撃を模倣した、走る勢いを加えた剣での刺突である。


「おおおおおぉーーーっ!!」


 雄叫びをあげるセドリック。


 ガガギャァアアンンッ!!


 強い衝撃と痺れが、剣を持つセドリックの手に走る。


 ニタリと、竜が口の端を歪めて笑った。


「そんなものでは、我が竜鱗は傷一つつかぬぞ」


 セドリックの背中に、冷たい汗がつたい落ちていた。


 相手は、あまりに巨大で強固だ。生半可な方法では、太刀打ちできない。


(ただ──)


 セドリックは思い出す。


 つい先日も、彼は似たような思いを抱いていた。


 巨大で固い敵を相手にし、どう戦うべきかと頭を悩ませた。


 そしてセドリックは、最終的にその敵に深い傷を負わすことができたのである。


 あのときは──あの黒い魔族を相手にしたときは、自分はどのように戦った?


 竜の脚を前にして、セドリックは剣を正眼に構えた。


 瞬きするほどのわずかな間に集中力を研ぎ澄まし、黒い魔族に手傷を追わせたときの体の動きを思い出す。


 カッと、セドリックは目を見開いた。


 渾身の力を込めて、横一文字に剣を振る。間髪入れず、縦一文字。


 ギャンッ、ギギィィインッ!!


 剣が、硬いものに二度当たる。


 必殺の、十字斬り──。


「おおっ……!」


 竜が、どこか感嘆するような声を漏らした。

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