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その16 黄色の聖騎士

 夜の森に、突如現れた一瞬の黄色い輝き。


 暗さに慣れた目には強烈すぎるその光が消えたとき、空き地の中心には先程まで立っていた平服の男の姿はなかった。代わりに立っているのは、輝く鎧に身を包んだ一人の騎士だ。


 顔も含めて全身を包み込む黄色い甲冑。しかしスーツアーマーやフル・プレートと呼ばれるものとは違って重厚感はまったくない。鎧自体の厚みがそれほどでもないのだ。元の人間の体型を保ったシルエットで、むしろどこかしなやかな印象すら受ける。


 鎧を形作る素材も、金属とは違って見えた。滑らかで独特の光沢があり、セドリックが見たこともない物質である。強いて言えば甲虫の外骨格に似ているが、それよりもずっと輝いていて、硬そうな質感だ。


 関節や首などの可動部分は、他とは少し違う柔らかい素材のようだが、布や鎖帷子のようには見えなかった。こちらは、あえて言えば薄いなめし革のよう、となろうか。やはりセドリックの知らない物質で、こちらにも独特の艶がある。


 そして普通の甲冑との最大の違いは、鎧を脱着するための継ぎ目がどこにも見当たらないことだった。昆虫や甲殻類のように、鎧自体が肉体の一部ではないかと思えるほどに全身が一体化している。


 そもそも、全身鎧の脱ぎ着には時間がかかるものだ。


 通常は従者に手伝ってもらいつつ、かなりの手間暇をかけて身に着ける。いまのように一瞬で身に纏えるということ自体、これが尋常ならざる力を持った鎧であることの証明だった。


 かつて、この世界を支配していた古代の神が魔物や魔族に滅ぼされ、人間が自らの力でそれらの脅威に立ち向かわねばならなくなったとき、どこからかやって来た新しき神が授けてくれたものの一つが、この聖鎧(せいがい)なのだと言われている。


 強大な魔族に比べて如何にも非力で脆弱な人間が、怪物に立ち向かってこれを倒すために授けられた力だ。高い防御力に加えて、人間の筋力や身体能力を限界以上に高める効果もあるという。


 騎士として優れた実力を持ち、神に祝福された者だけが纏うことができる奇跡の鎧──。


(これが、聖鎧……)


 初めて見る聖騎士の勇姿に、セドリックは完全に圧倒されていた。


 ただ、一方で「似ているな」とも思った。


 街道で彼の盾を破壊した巨漢の男の拳を防いだとき。森の中でジェラルドの必殺の一撃をかわしたとき。黒い魔族の足に十字型の傷を付けたとき。


 一瞬だけ、セドリックの手足は青く光る幻の鎧に包まれていた。目の前の騎士が纏う鎧は、その青い鎧にどこか似ている。


 神の祝福によって与えられる聖鎧は、聖騎士によってその色がそれぞれ異なっているという。他の騎士や兵士とは一見して違うその色は、戦場でもよく目立って味方を勇気づけ、逆に敵の士気はくじく。鎧の色を見れば、現れたのが誰であるのか、知っている者はすぐに気づける。


 セドリックの叔父・アゼルスタンの聖鎧は、黄色であると聞いていた。いま、目の前に立っている聖騎士と同じだ。


「聖鎧を見るのは初めてか?」


 黄色い輝きに包まれた聖騎士が訊いてきた。


「分かりません……」


「なに?」


「ここ数日の間、貴方の聖鎧と似たものが、私の手や足に一瞬だけ現れたのです。幻かと思っていましたが……あまりにも似ている」


「色は?」


「青色でした」


「青か……」


 スッとアゼルスタンの目が細められ、緩んでいた剣の切っ先がまたセドリックの方に向けられた。


「ならば、遠慮は無用だな」


 直後に、アゼルスタンが動く。


(速い……!)


 一瞬で、間が詰められていた。


 全身鎧の者にありがちな、動きの鈍重さがまったくない。


 まるで鎧など着ていないかのような身のこなし。スピードを売りにする軽戦士でも、ここまで速い者はそうはいない。


 聖騎士の場合はむしろ、聖鎧を身に纏っている方が速いのである。神の祝福により、騎士の肉体の力も高められている。


 瞬時に間を詰めてきたアゼルスタンが、横凪ぎの一閃を放つ。


 あまりにも鋭い攻撃。


 どうして剣で受け流せたのか、セドリック自身にも分からない。気づいたら、体が動いていた。


「ぐぅっ!」


 それでも剣に受けた衝撃に、セドリックは顔をしかめる。


 速いだけはなく、重い。大剣を受け止めたのかと思うほどだ。


 軽戦士の速さと重戦士の防御力。加えて、街道で戦ったあの巨漢の男もかくやという剣の威力。


(これが……聖騎士!)


 間髪入れずに繰り出される二撃目、三撃目。


 なんとか受けたが、すでにセドリックの腕は衝撃に悲鳴をあげている。


 速さも力も、相手が上だ。


 そして技量は──。


 騎士見習いといえども、セドリックは並の騎士相手であれば負けない自信がある。母・シャーリーを除けば、故郷で彼に勝てる者はもう誰もいなかった。その母にさえ、今では二回に一回は勝つことができる。


 だが、目の前の聖騎士の技量は、どうやらシャーリーよりもさらに上のようだった。


(このままでは……いずれやられる)


 どうにかして間合いを取るか、それとも一か八か反撃に転ずるか──。


 セドリックが、グッと剣を握る手に力を込めたときだった。


 目の前の敵の姿が、突然に消えた。


(なにっ?)


 次の瞬間、


 ガギィインッ!


 金属同士が打ち合わされる音。


 セドリックの鉄靴(てっか)が、瞬時にかがんで足首を狙ってきたアゼルスタンの剣を踏みつけていた。


 そのまま、眼下の相手に向けて剣を振り下ろすセドリック。


 目を見開いたアゼルスタンが、両腕に力を込める。


 中肉中背の男とは思えぬ剛力。足を跳ね上げられ、たたらを踏むセドリック。


 剣は空を切ったが、しかし重心が後ろになったことを利用して数歩下がり、相手との距離を開くことには成功する。


「いまの一撃……」


 広がった間合いを詰めてこようとはせず、信じられぬという様子でアゼルスタンが言った。


「知っていたのか……?」


 かぶりを振ってセドリックは否定する。


 彼自身も、半ば呆然としていた。


 どうして防ぐことができたのか。それどころか反撃を繰り出すことまでできたのか、自分でも分からない。


 セドリックは、アゼルスタンは消えたと思ったのだ。完全に、その姿を見失っていた。


 相手の目前で瞬時にかがみ込んで足首を狙うなど、通常の騎士の剣では考えられない技である。


 刃は鉄靴で防がれるし、足払いならわざわざ剣を使う必要がない。なにより失敗した場合の隙が大きいから、鉄靴ごと確実に相手の足を斬り落とせる自信がなければ、普通はやらない。


 そんな技をアゼルスタンが使うなど、セドリックは想像もしていなかった。


 それなのに、アゼルスタンの姿が消えたと思った瞬間、まるで相手が何をしようとしているか()()()()()()()()()()、セドリックの体は勝手に動いていた。


「そうか……。無意識か……」


 呟くようにアゼルスタンが言った。ゆっくりと立ち上がり、手合わせはこれで終わりだというように剣を鞘に収める。


「お前の剣は、確かにシャーリー姉上の色が濃い」


 それはそうだろうなとセドリックは思う。彼の最初の剣の師は、母・シャーリーだ。


「だが……」


 何かを考え込むようにアゼルスタンは押し黙った。


 やがて顔をあげたかと思うと、その体が背後の茂みに向かって大きく跳ぶ。


「竜の所に来い、セドリック」


 普通の人間では考えられぬほどの跳躍力を見せながら、アゼルスタンが言った。


「そこで、互いに真実を知ろうではないか」


 それを最後に、黄色く輝く聖騎士の姿は夜の森へと消えてゆく。


 呆然として追うことも呼び止めることもできず、去りゆく聖騎士の姿をただ見ていることしかできなかったセドリックは、アゼルスタンの姿が消えると同時に、肩で息をしながらその場に片膝をついた。


「セドリック!」


 そのとき、背後から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。


「セドリック様!」


 ガサガサと茂みが揺れて、カイとロクサーヌが飛び出してくる。その後ろには、湖の魔女の姿もあった。


「剣戟の音が聞こえたんだけどっ!?」


 慌てたようにカイが言う。


 心配そうにロクサーヌが近づいてきて、セドリックの体に怪我がないかを確認しだす。


「いったいどうしたんだ?」


 湖の魔女のさらに後ろから、まだ少し眠そうにしているユージンとロランドもやって来た。


「亡霊に会ったよ」


 答えるように、セドリックは言った。


「少し手合わせをしてもらった」


「亡霊、だと……?」


 寝ぼけているのか、というようにセドリックを見るユージン。


 実のところ”亡霊”とは口にしてみたものの、本当にそうなのかはセドリックも自信がない。少なくとも手足に受けたあの剣の感触は、実体のあるもののように思えた。


 補足するべく、セドリックは言った。


「黄色い鎧の聖騎士だった。……アゼルスタン叔父上だと思う」


「はあ?」


 ますます大丈夫かという顔をしてきたユージンを制するように、湖の魔女が口を開いた。


「アゼルスタンに会ったのですね?」


 セドリックは頷く。


「竜の所に来いと、そう言っていました」


「そうですか……」


 目を細めてどこか遠くを見るような顔つきをする魔女。やがてセドリックの方に視線を戻し、魔女は言った。


「では、先程お話ししたとおり、明日の朝に湖を渡りましょう」


 また頷いたセドリックに、魔女がなおも言う。


「ただ、竜の所に赴くのはセドリック様お一人にして頂きたいのです」


「なに?」


 ユージンが気色ばんだ。彼は、竜の所までセドリックについていくつもりでいたのだ。


 魔女が理由を説明する。


「竜の住む洞窟に行く者は、最小限にとどめたいのです。私の魔力にも限りがあります。<水上(ウォーター・)歩行(ウォーキング)>を使うのは、私とあとお一人だけ。それでも往復を考えると、最低四度は使うことになります」


 何か不慮の事態が起きれば、さらにもう何度か使わねばならぬかもしれない。


 同じ魔術師であるユージンは、魔力の消耗のことを持ち出されればあまり強くは反駁できないようだった。苦虫を噛み潰したような顔で、「それでは、また明朝迎えに来ます」と言って去っていく魔女を見送っている。


 結局その晩は、セドリックは皆への説明は簡単にとどめ、明日に備えてすぐに横になった。


 カイが夜を徹して見張りをしてくれると申し出てくれたが、どうせ明日は待機するだけになるのならと、ユージンとロランドが交代で黒猫に付き合ってくれたようである。


 木の葉から垂れた朝露が顔に落ちてきた感覚でセドリックが目を覚ましたとき、すでに起きていたユージンが声をかけてきた。


「体調は万全か?」


「ああ」


「できれば、竜の所まで付き合ってやりたかったが……」


 悔しそうに言うユージンに、大丈夫だとセドリックは返す。


 ロランドが用意してくれた即席のスープとパンで腹を満たし終わった頃、湖の魔女がやって来た。


 野営地を片付け、魔女の案内で湖の畔に進んでいく。


「おおっ……」


 木々の間から姿を見せた青い湖を見て、セドリックは思わずそう声をあげた。


 ロクサーヌと出会った泉とはまた違う、森の中に佇む広大な水の塊に強く心を揺さぶられていた。


 静かな湖面ではあるが鏡のように平らとは言えず、水の上を渡る風にあわせてかすかなさざ波が立っている。その小さなうねりがまた、何ともいえぬ風情を漂わせている。


 湖の畔には、砂浜と呼べる場所はわずかだった。視界の左右には鬱蒼と木々が立ち並び、さらにその先には高い崖が遙か彼方まで繋がっている。


 あのどこかに、竜の棲む洞窟が口を開いているのだろうか──。


 見える範囲の断崖には、洞窟のようなものは見つけられなかった。正面に目を戻すと、水平線近くにかすかに対岸が見える。だが、こちらは遠すぎて、やっぱり洞窟の有無は分からない。


「準備はよろしいですか?」


 波打ち際に立った魔女が、そう訊いてきた。


 頷き、彼女の前まで進み出ようとしたところで、クイッと誰かが引き留めるようにセドリックの袖を引いた。


 ロクサーヌだった。


 振り返ったセドリックと、それに他の皆の視線も一斉に受けた彼女の顔が、みるみるうちに赤くなる。


 慌てて袖から離された白くたおやかな手を、セドリックは素早く掴み返した。


「せ、セドリック様……」


 戸惑う彼女に構わず、ゆっくりとその場に片膝をつく。そうしてセドリックは、ロクサーヌの手の甲に口づけをした。


 ボッと、また赤くなるロクサーヌの顔。先程とは違う意味での赤面だ。


「ロクサーヌ……」セドリックは語りかけた。「約束する。私は必ず戻ってくるよ、君のところに。だから、心配しないで待っていて欲しい」


 待ってくれている人がいるから。自分の無事を祈ってくれる人がいるから、騎士は戦場から生きて戻ってこられる。


 見開かれていた彼女の目が、徐々に落ち着いていく。


 穏やかに目を細めながら、ロクサーヌが言った。


「はい……。ご武運をお祈りしています、セドリック様」


 彼女の手を離し、セドリックは立ち上がる。


「俺のところにもちゃんと戻ってこいよ、セドリック」


 冷やかし半分、心配半分の口調でユージンが言う。


「信じて、お待ちしております」


 ロランドもそう言ってくれた。


 その仲間たちにもう一度頷きかけ、セドリックは湖の魔女に向き直る。


「お願いします、湖の魔女よ。私を竜のところに連れて行って下さい」


 彼の言葉を受けて、魔女が杖を大きく回しながら呪文を唱えはじめた。

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