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その12 森の魔女の庵

「セドリック、無事だったか!」


 森の木々の間を疾走していた”銀角(シルバーホーン)”がその速度を落とした頃、セドリックの目にユージンたちの姿が映った。一角獣(ユニコーン)の背に乗るセドリックを見て、驚きと安堵が入り交じった表情をしている。


 彼らは、森の中の空き地に建つ一軒の小屋の前に立っていた。苔や蔦に覆われた年季の入った小屋だ。森の景色に溶け込んではいるが、造り自体はかなり頑丈で大きい。蔦の合間から見える外壁には、煉瓦や石材も使われていた。


 ユージンたちの傍には、この小屋の主らしき見知らぬ老婆がいた。小屋と同じく、こちらもかなり年季が入って腰が少し曲がってはいるものの、その足取りは矍鑠(かくしゃく)としてまだまだ現役のようである。


「この人に助けてもらってな」


 紹介するようにユージンが言った。森の中を彷徨っていた彼らは、この老婆に出会って彼女が住む小屋まで案内されたのだという。


「ウルリカじゃ」老婆が名乗った。「おぬしが、セドリックじゃな?」


 頷くセドリックを品定めするようにじろじろと老婆が見てくる。鷲鼻の向こうの小さな目が、鋭く光っていた。


「お婆さま!」


 セドリックに続いてシルバーホーンの背から下りたロクサーヌが、ウルリカに駆け寄っていく。


「見知らぬ魔族が現れて!」


「知っておるよ」


 泰然と、ウルリカが頷く。


 この森に棲む魔族や妖精が知らせてくれたと、老婆は言った。


「お主らと入れ違いに、すでに何人か向かっておる。すぐに撃退しくれるじゃろう」


 その言葉に訝しげに老婆を見たセドリックに、ウルリカはキヒヒと笑って顔を向けた。


「儂は、”黒い森の魔女”と呼ばれておる。噂ぐらいは聞いたことがあろう?」


 ゴクリと、セドリックは唾を飲んだ。多くの魔物や魔族が棲むこの”黒い森”の顔役とされる魔女のことは、彼も聞き知っている。


 そんなセドリックを見て、ウルリカが笑顔を引っ込めた真面目な表情を作って言った。


「儂らは、人間と魔王の抗争に興味はない。ただ、住み慣れたこの場所で穏やかに暮らし続けたいだけじゃ」


 だから、森を荒らす者は同じ魔族であっても容赦はしない。


「誰も、あの魔族のことは知らぬと言っておった。どうやら高名な魔族ではなさそうじゃ。ただ、お主らとあともう一人を除いて、入ってきた人間は全員殺されたようじゃな」


 ジェラルドたちのことだろう。生き残った一人というのはジェラルドなのか、彼の主君のあの巨漢の男か。


「弟たちを助けて頂き、感謝致します」


 そう言って頭を下げたセドリックに、ウルリカが目を細めて答えた。


「なに、気にするな。それに、先に助けてくれたのはお主らの方じゃ。その礼じゃよ」


 どういう意味かと顔を上げたセドリックに、愛おしそうな表情でロクサーヌを見ながら魔女は言った。


「昨日、この子を助けてくれたのじゃろう? ロクサーヌは、儂の大事な娘じゃ」


 自分を”魔王の実子”だと言っていたロクサーヌだが、育ての親はウルリカである。森の魔女は、彼女を実の娘か孫のように可愛がっている。


「それに、ロクサーヌはお主を……」


 言いかけて、ふとウルリカの目がエルマの方へと向けられた。


 ユニコーンの背に乗るセドリックが最初に彼女の姿を認めたとき、エルマはずっと祈るように体の前で手を組み合わせていた。


「ま、その話はよいか……」


 頭を掻いたウルリカは、どういうわけか、からかいの含んだ目をセドリックに向けていた。


「どれ、立ち話もなんじゃ。中で少し話さぬか?」


 言いながら、小屋の方へと歩き出す森の魔女。


 一度顔を見合わせたあと、セドリックたちも招かれるままに魔女の後に続いた。


 木々に囲まれ、あまり外光が入らない小屋の中は少し薄暗かった。入ってすぐに広い空間があり、中央には大きなテーブルが鎮座している。


 森の魔族の顔役であるウルリカのところには、客人が集まることも多いのだろう。セドリックとユージン、それにエルマたち親子三人が座っても、テーブルにはまだいくつもの空席がある。


 小屋の中に入るなり部屋の奥へと引っ込んでいったロクサーヌが、しばらくすると人数分の薬草茶を持って戻ってきた。


 ありがたく頂きながら、まずはロランドが、ここにやって来た経緯を話す。


「そうか……」ズズッと茶を啜りながら、ウルリカが言った。「南の方は、だいぶ荒れているようじゃな」


 彼女は、こうやって森に迷い込んだ旅人やさすらいの魔族を小屋に招いて、情報収集をしているのだ。遠い国からやって来た行商人などは、格好の情報源であろう。


「魔王軍の攻勢もありますが、国の上層部でも権力争いが激しくなっているのです」


 ロランドが言った。


 先の大戦で、人間側も魔族も多くの主要な戦士を失っている。魔王ヴォルヅガンズは健在だが、大規模な侵攻を仕掛けるほどにはまだ魔王軍の体制も整ってはいない。


 それで人間と魔族の戦いは小康状態に陥っているわけだが、魔王領との国境沿いでは絶えず小競り合いが続いていて油断がならない。


 ロランドの故郷の国は、王侯貴族の権力争いが内乱に発展しかけたその隙を、魔族に突かれてしまったのだ。多くの城塞や町が、魔王軍に占領されてしまったという。


 彼らの住んでいた街も魔族の襲撃にあい、やむなく一家は行商を続けながら北方にあるこの国まで逃げてきたのだ。


「南からの移民や難民のことは、我が国の中枢部でも問題になりつつあるようだな」


 ユージンが言い、ロランド一家が申し訳なさそうに目を伏せた。


 それを見てコトリと杯をテーブルの上に置いたユージンが、少し身を乗り出すようにして彼らに言った。


「ロランドさん。よければ、ウチの領内に住まないか?」


 えっ、とロランドが顔を上げる。


 セドリックとユージンの父・ケアードは、グラスヴァル男爵家のお抱え魔術師である。騎士と同様に所領を与えられ、主君であるセドリックの祖父──ケアードにとっては妻の父に仕えている。


 そのケアードの地位と所領は、将来的にはユージンが相続することになるだろう。現時点ですでに彼は、グラスヴァルの次期当主候補であるセドリックのお抱え魔術師のようなものだ。


「レイヴィルという何の特産もない田舎町だが、魔王領からは離れていて戦乱の心配は少ない。父は、そろそろ商業に力を入れて町を発展させたいと考えているようだ。ロランドさんのような経験豊富な商人が来てくれるのなら、ウチとしてもありがたい」


「よろしいのですか?」


「是非に」


 ユージンが立ち上がり、ロランドと握手をする。それで交渉は成立だった。座り直したユージンが、ロランドに言った。


「ただ、俺たちがレイヴィルに戻るのは、こいつの使命を果たしてからになる」親指でセドリックを差すユージン。


「父に紹介状を書くから、ロランドさんたちは先にレイヴィル向かってもらえないだろうか」


「使命……」ロランドが、何かを考えるように顎を撫でた。「それは、どの程度の時間がかかりそうなものですか?」


「どうかな……」


 ユージンが腕を組んだ。目的のものがすぐに見つかれば良いが、なにせこの深い森の中での探索だ。あまり楽観せぬ方が良いだろう。


「どのような使命か聞いてもよろしいでしょうか?」


「まあ、隠すようなものでもないけどな……」


 言いながら、ユージンがチラリとセドリックの方に目を向けた。話しても良いかと確認するというより、「自分で説明しろ」という視線に思えて、セドリックは口を開いた。


「この森に棲むという、竜の退治に赴いた叔父の遺品を回収することです」


「竜……。この森には、竜が棲んでいるのですか?」


 ロランドの目が、ウルリカの方に向けられる。


「おるよ」魔女はあっさり答えた。「森のずっと奥深くに、岩山に囲まれた湖があっての。その岸壁に竜が暮らす洞窟がある。ファブニールという名の竜じゃ」


 コトリと茶碗をテーブルに置き、ウルリカがセドリックに訊いてきた。


「その叔父というのは、もしかして聖騎士かの? アゼルスタンという名前ではないか?」


「知っているのですか?」


「直接会うことはなかったが、二十年……は経ってはおらぬかな。一人の聖騎士が、幾人かの従者を伴ってこの森にやって来た。ファブニールに会いたいと言っておったらしい」


 そこで一度言葉を切り、ウルリカはじろじろとセドリックを眺め回した後、少し考え込むような仕草をみせた。


「湖の魔女……」やがて、ボソリと独り言のようにその口が開かれる。


「え?」


「竜の棲む洞窟がある湖の畔に、一人の魔女が住んでおる」


 ウルリカと区別するために、”湖の魔女”と呼ばれているらしい。


 その湖はぐるりと四方を切り立った高い崖に囲まれているが、一箇所だけ土地が低くて浜になっている場所がある。一方を湖、三方を岩山に囲まれたその浜に、いつ頃からか一人の女魔術師が住みつくようになったという。


「そやつは魔族ではなくて人間じゃ。一種の世捨て人というやつじゃが、事情を話せば相談に乗ってくれるじゃろうて」


 竜の棲む洞窟は、浜から離れた崖にある。辿り着くには船を使って湖を渡るしかないが、船を持って森の中を進むのは難儀であろう。


「アゼルスタンは魔術師を同行させて、水の上を歩く術を使わせたらしいが……。お主……」ウルリカが、ユージンを見て言った。「そのような魔術は使えるかの?」


 苦い顔で、ユージンが首を横に振る。


「ならば尚更、”湖の魔女”の協力を仰がねば洞窟には辿り着けぬじゃろう」


 船か<水上(ウォーター・)歩行(ウォーキング)>の魔法か。湖の畔に住む魔女である以上、そのどちらかは持ち合わせていることだろう。


「ロクサーヌ……」ウルリカが、傍らのロクサーヌに目を向けた。「こやつらを”湖の魔女”のところまで案内してやれ」


「はい、お婆さま」


「よろしいので?」


 思わずセドリックはそう訊いた。


「この森でロクサーヌやシルバーホーンに手を出そうという者は、そうそうおらん。一緒にいた方が安全じゃろうて」


 フォッフォッフォッと魔女が笑う。


「それに、たぶんお主らだけでは”湖の魔女”のところには辿り着けぬよ」


「どうしてです?」


「さっき言ったじゃろう? 湖は険しい岩山に囲まれておる」


 魔女が住む浜はあるが、その浜自体が岩山に取り囲まれている。そこに辿り着くには、岩山の間にある一本道のような谷を通る以外にない。


「湖に至るその谷は、”鷲女の谷”と呼ばれておるのじゃ」


「鷲女?」


 頭と胸部は人間の女だが、下半身と両腕は鷲、という魔物が多く棲んでいるのだという。


「ハーピーというやつだな……」


 ユージンが言った。


 ヒト型の上半身をしているが、言葉は話せず知能もそれほどではない。ウルリカのように交渉でどうにかなる相手ではなさそうだという。


「きゃつらは数が多い。一羽一羽はお主らの敵ではなくても、集団でかかられては厄介じゃろう」


 鋭い鉤爪は力も強く、人間の体くらいは易々と貫く。特に、鎧を着ていないユージンは危ない。


「それにの……」言ったウルリカの目が、どこか悪戯っぽく輝いた。「きゃつらは、お主らのような”イケメン”が大好きじゃ。谷に足を踏み入れたら、まず間違いなく興奮して群がってくるだろうよ」


 そして、ハーピーが好きなものがもう一つある。


 歌だ。


 美しい歌声を聞かせると、興奮したハーピーはおとなしくなって襲ってこなくなるという。


「ロクサーヌは、歌が得意じゃ」


 分かる──と、セドリックは頷いた。あの泉で聞いた彼女の歌声は、本当に美しかった。


「じゃから、連れて行けと言うておる」


 セドリックはロクサーヌの方を見た。彼の視線に気づいたのか、恥じらうような笑みを見せた彼女が少しだけ目を伏せる。その仕草に、セドリックの胸はさらに高鳴る。


「私も……連れて行って頂けませんでしょうか」


 突然に声がした。


 何かを決意したような目で、ロランドがこちらを見ていた。


「貴方を?」


「お二人は、私たち家族の命を助けて下さったばかりか、新たに生きる場所まで用意して下さった。その御恩返しがしたいのです」


「しかし……」


「失礼ですが、お二人は森の中での野営のご経験は?」


 痛いところを突かれて、セドリックは言葉に詰まった。


 実は竜と遭遇すること以上に彼が懸念し、怖れていたのはまさにそこなのだ。


 騎士見習いの修行中、野外での夜営を経験したことは何度もある。だが、その時の準備は全て侍従の者たちが行ってくれていた。野営に必要な物品の運搬も。


 騎士とは、そういうものなのだ。彼らの主な仕事は、戦いなのだから。


 それでも通常は、騎士見習いの修行中にこの従者役も経験はする。だが、グラスヴァル家は騎士であると同時に貴族でもある。その当主候補であるセドリックは、見習い期間中にも侍従が付き添ってくれていたのだ。


 騎士叙勲を受けるための使命に、従者の同行が認められているのもこのためである。野営を含めた身の回りの世話をしてもらうためだ。


 しかし、今回のセドリックの場合はその従者役がユージンなのである。魔術師である彼は、セドリック以上に野営の経験が少ない。


 これまでの彼ら兄弟の旅の道中は、いつも街道沿いの村や教会で一夜の宿を請うていた。野営は、一度もしていない。


 彼らが黒い森にすぐに突入しなかったのも、野営に対する不安があったからだった。近くの街や村を拠点に日帰りでの探索を繰り返し、少しずつその範囲を広げていこうと考えていた。 


 それが何の因果か、なし崩し的に森の中で夜を過ごす羽目になってしまった。


 黙りこくる二人に、やはりというようにロランドが頷いた。


「我々行商人は、頻繁に野営を行います。雨風を避けるために森の中に入ることも。よろしければ、今回の使命の間、私を従者役として使って頂けませんか?」


「ロランドさん……」


「アナタ……」


 ロランドの横で、彼の妻が気遣わしげに口を開いた。


「すまない、パオラ」その妻の方を見て、ロランドが申し訳なさそうな顔をする。「だけど、これだけの御恩を受けて返さぬわけにはいくまいよ」


「いえ……」パオラが微笑む。「アナタがそのおつもりなら、わたしは何も言いません。どうか、お気をつけて」


「ありがとう……パオラ」


 見つめ合う夫婦に、次に声をかけたのはエルマだった。


「お父様……。それならば、わたしも行きます。わたしも、セドリック様のお力になりたいのです」


 その目が、ほんの一瞬だけロクサーヌの方に向けられた気がした。


「いや。お前は、母さんとここに残りなさい」


 しかし、厳しい顔でロランドはそうエルマに返す。


「お前では、セドリック様の足手まといになる。私はある程度剣を使えるから、自分の身ぐらいは自分で守れる。セドリック様のお手を煩わせる必要もない」


 だが、エルマにはそのような力がない。守られてばかりになっては、セドリックは使命に集中することができない。


「でも……」


 尚も何か言いたげなエルマの肩に、そっとパオラの手が触れられた。渋々というようにエルマが口をつぐむ。


 それを確認したロランドの目が、今度はウルリカの方に向けられた。


「ウルリカ殿。厚かましいお願いにはなりますが……」


「構わんよ」


 皆まで言わせず、ウルリカは頷いた。


「ロクサーヌがおらぬ間の、家事の手伝いが欲しいと思っていた所じゃ」


 魔族や魔物は不器用で困るが、その点、人間の女は器用で色々と気がつくからありがたい。


 そう言って、ウルリカはカカカと笑った。

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