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チャレンジ

グリア先生のお気に入り【春のチャレンジ2025】ヒューマンドラマ

★★ 学校のキンモクセイ  ★★


「グリア先生、おはようございますっ。」


「おはよう。今日も、元気だね。」


学校の木に水をあたえる初老の男性は、ジョン・グリア。


朝夕と、この通用門のすぐそばに植えられた木々に水をやるのが日課である。


中でもお気に入りが、このキンモクセイで、水をやり終えた後、この木の幹をさすりながら目を細め、登校する生徒たちと言葉をかわす毎日を過ごしていた。


★★ 戦災孤児  ★★


ジーン・アボットは、庭に小さな木の苗を植えた。


それは、先月、天高くまで旅立った夫が好んだキンモクセイであった。


教師であった夫は、その勤務地に植わっていた同じ種類の木をたいへん好んでいたのだ。


朝食の後、じょうろを持ち、彼女は、この苗に水を与える。


じゅうぶんに水を与え満足すると、お気に入りのカーディガンを羽織って教会へと出かけるのが、彼女のいつものルーティーン。


ある日のこと。


アボットは、教会の帰り道で男の子に出会った。


そこは、野放図な笑い声が響く少しガラの良くない遊技場の入り口で、子供が立つには、ふさわしくない場所であった。


品の良くないこの通りを嫌い、いつもなら足早に通り過ぎるのが常であったが、子供が気になったため、彼女は、しばらく足をそこにとどめた。


子供がその場に居るということだけでも、不安を感じるに十分であるのに、そこに立つ男の子が、あまりに無表情だったことが本当に気がかりだったのだ。


「HEY!GJっ。グッドジョブだっ!お前のおかげで、大勝ちだぜっ。ほらよっ!」


小さなパンが、1つ・・・地面に転がる。


グッドジョブ・・・GJと呼ばれた男の子は、遊技場の奥から現れたひげ面の男から投げつけられ、地面に落ちたそのパンを拾いながら、初めて表情を崩した。


 あぁ、戦争の爪痕は、こんなところにも・・・


あのジミー・マクフライトが引き起こした内戦で、多くの子供が親を失った。


教会や州政府が助けの手を差し伸べたため、このフレドニアの地では、そのような子供たちの姿を見ることは、少なくなってきているが、それでもポキプシーまで足を延ばせば、住む家すらない子供を見ることがまだ珍しくないのは、噂に聞いている。


彼女は、遊技場の方へと足を進めた。


そして、拾ったパンを口いっぱいに頬張る少年に声をかける。


「坊や、ついていらっしゃい。お腹いっぱい食べ物を用意するわ。」


★★ 新しい同居人  ★★


家に帰ったアボットは、朝食の残りを手早く温めると、テーブルについた少年の前に置いた。


マナーも何もあったものではなく、ガツガツという表現が、これほどふさわしい食べ方はないであろう。


男の子は、いつ息継ぎをしているのだろうかと心配になるほどの勢いで、食事を平らげた。


食事の後は、お風呂だ。


バスルームでシャワーを浴びさせ、その間に、着ていた服を洗濯する。


着替えは、亡くなった夫のものを羽織らせた。


洗った服が乾くまでは、これで十分だ。


シャワーを浴びた少年は、おなかがいっぱいになったためであろう。


椅子に腰かけたままトロンとした目で、曇り空から落ちてきた水滴が、音を立てて叩く窓を眺めている。


やがて、うつらうつら夢の中へと旅立った男の子を抱えたアボットは、彼をベッドへと運んだ。


こうして、彼女は、GJと呼ばれる男の子と暮らすことになったのだった。


★★  親無しGJ  ★★


朝食を食べると、アボットは、木の苗に水を与える。


そうして、男の子を連れて回り道をしながら、教会へと出かけた。


あの遊技場の前を通らぬように・・・


GJは、その遊技場のカードゲーム中、後ろから手札を覗き込んでカードの種類を確認し、ひげ面の男にその内容知らせるイカサマの手伝いをすることで、その日のパンを得ていたのであった。


彼女は、この男の子に、そのような行為をもう2度とさせたくなかったので、遠回りをしたのだ。


子供物の服の多くは、教会のバザーで安く手に入れた。


かわいらしい顔立ちをしたGJは、こざっぱりとした服を着て、おとなしく座りさえしていれば、良家の子供に見えなくもない容姿をしていた。


しかし、教会に来る他の子供たちが、彼につけたニックネームは、「親無しGJ」であった。


しばらくして、アボットは、彼を連れて教会に通うことをあきらめた。


彼女がGJを連れて教会に来ることを、他の子どもの親にひどく嫌がられたためだ。


アボットは、GJに留守番を任せることにした。


★★ 真似事教師 ★★


朝食を食べると、アボットは、木の苗に水を与える。


そうして、いつものように教会へと向かう。


教会からの帰り道は、駆け足だ。


アボットは、留守の家にひとり残るGJに、なにか起こっていないか心配でたまらない。


そうして、リビングの椅子に座って彼女を待つ男の子の姿を見つけ、ほっと胸をなでおろすのであった。


しかし、そうはいってもGJをそのままにしておくわけにはいかない。


教会から帰った後、彼女は、夫が教師時代に使っていた教科書を引っ張り出し、彼に読み書きを教えることにした。


少し意外であったが、GJの物覚えは、とても良いものであった。


半年もしたころには、彼の読み書きの能力は、教会に来るどの子供と比べても遜色のないものになっていた。


読み書きだけではなく、彼女は、彼にマナーや社会常識も、教え込んだ。


他の子どもたちに仲間外れにされた苦い記憶から、GJ自身は、教会に行きたがらないが、世間というものは、教会だけではない。


いずれ、彼が社会に出た時に、恥ずかしい思いをしないためにも、それが必要であると考えたからである。


★★ チキンスープ ★★


ある日のこと、アボットが教会から帰ってくると、開いた家の窓から良いにおいが漂ってきた。


慌ててドアを開け、キッチンに駆け込むと、そこにはGJの姿。


この小さな男の子は、教会に出かけた彼女のため、スープを作ろうとしていたのだ。


アボットは、涙が出そうになった。


スープを混ぜるGJに近寄り、声をかける。


「何を作っているのかしら?」


「チキンだよっ。チキンスープ。ニンジンと、セロリと玉ねぎ・・・それと、ジャガイモが入ってるんだ。」


ふと見ると、まな板の上には、少し厚めに切られたニンジンやジャガイモの皮が散らばる。


彼女は、GJの頭を撫でながら言った。


「とっても美味しそうな匂いが、お家の外まで漂っていたわ。食べるのが楽しみね。」


「うん。アボットおばさんは、そこに座って待ってて!僕が、最後まで作るから。」


鍋の上を湯気がふわふわと舞い、得意げな顔の小さな男の子がスープレードルを使って一生懸命、皿に汁を注ぐ。


 おっと!危ない。


お皿をテーブルの上に置こうとしてつまづきそうになったGJをアボットの手が支える。


「ありがとう。じゃぁ、一緒に食べましょうね。」


「うんっ。僕の分もついでくる。」


火にかかったままの鍋に駆け寄ったGJは、鍋を傾けて残りのスープを自分の皿に注ごうとした。


その瞬間である。


アボットは、飛び上がった。


慌てて、GJに駆け寄る。


さっと手を伸ばし、左手で彼を抱えて守ると同時に、鍋を右腕で支えた。


出来立てのスープと熱せられた鍋が、アボットの右腕を焼く。


しかし、彼女の目は、小さな男の子だけを見ていた。


熱いスープの汁が・・・鍋が・・・GJを襲わなかったかが、心配だったのだ。


結果、彼女は、1か月ほど右腕に包帯を巻くことになったが、しかし、男の子は、無事であった。


治療が完全に終わった後も、GJは、彼女の右腕の火傷の跡を目にすると、泣きそうな顔になったが、アボットは、そのたびに言った。


「これは、私の誇りよ。あなたを鍋から守ることが出来たのだもの。」


そう言って、男の子の頭を撫でるのであった。


★★ 別れ ★★


別れは、突然に訪れた。


戦争に敗れ、州を追放されていたジミー・マクフライトが、またしても、州政府に反旗を翻したのだ。


州全体に戒厳令が出され、市民カードを持たない人間は、州の中心部から追放される決定が下された。


アボットは、猛烈に抗議した。


しかし、州兵が、情けをかけることは無かった。


それほど、戦況が厳しかったのだ。


ジミー・マクフライトの兵隊たちは、すでに、フレドニアから100キロメートルの所までせまってきていたのである。


若い兵士が、アボットをおさえている間に、GJは、他の家を持たぬ子供たちと同様に荷車に乗せられ、州の辺境へと運ばれた。


アボットは、またしても、一人になった。


そうして、家には、GJのために揃えた大量の子供服だけが残った。


内戦は、その後も続き、フレドニアは、ジミー・マクフライトに占領された。


彼女は、全ての家財を残して遠いケベック市へと避難することになった。


アボットが、フレドニアに戻ることが出来たのは、3年後・・・反乱軍の指揮官ジミー・マクフライトにグレーン・マキニー判事が死刑の判決を下したその年のことであった。


★★  迷子  ★★


朝食を食べると、アボットは、キンモクセイの若木に水を与え、いつものように教会へと向かう。


昔よりも歩みの遅くなった足も、かすみがちな目も、肌に刻まれたしわの1本1本も、彼女が、いくつも年を重ねたことをしめしていた。


彼女が嫌っていたあの通りにもはや遊技場は無く、少し高さのあるビルが立ち並ぶようになっていた。


家にあった子供服は、最初にGJが着ていたものを除くと、すべて教会のバサーに出した。


昔は、たいそう喜ばれた子供服であったが、大量消費の時代に入った今は、多くが売れ残り、廃棄されたと聞く。


「これは、出さなくて良かったわ。あんなふうに捨てられるくらいなら・・・」


タンスに1着だけかけられたみすぼらしい子供服を手のひらで撫でながら、アボットは、なんともなくつぶやき、目に涙を浮かべてため息をつく。


あれから、20年・・・


あの子は、無事だっただろうか?


避難先でも、この地に帰ってきてからも、アボットが、あの小さな男の子のことを考えぬ日などなかった。


そんなある日のこと、いつものように教会へと向かった帰り道。


彼女は、小さな男の子を見つけた。


男の子は、不安そうな顔で、あたりをきょろきょろと見渡している。


 私のGJ・・・


アボットは、小さなGJを思い出しながら、男の子に声をかけた。


「坊や、どうかしたの?」


「ぼく、先生たちとはぐれちゃったんだ。」


男の子は、ポキプシーに新しく作られた子供向けの学校の生徒で、今日は、学校の行事でクラスのみんなと、フレドニアまでお芝居を見に来たという。


 なんて、ずさんなっ!子供ひとりが居なくなっても気づかないなんて。


彼女は、ひどく憤慨した。


羽織っていたカーディガンの袖をまくり上げ、手を伸ばす。


「ついていらっしゃい。私が、学校まで連れて行ってあげるわ。」


男の子を連れ、教会に戻った彼女は、少々高い寄付と引き換えに教会の車を出してもらうことに成功した。


彼女と男の子は、若い修道士の運転でポキプシーの学校へと向かう。


胸にたぎった怒りは、車の中でも、消えなかった。


もしかすると、迷子の男の子に、あの時のGJの姿を重ね合わせていたのかもしれない。


★★ 再開 ★★


回り込んだ修道士が、外から車のドアを開けてくれた瞬間、声が聞こえた。


「どういうことだっ?なんで、ゴードンがいない?サリー・マックフライ、君には、点呼をまかせたはずだがっ?彼を最後に見たのはどこだっ。すぐに、私が探しに行く。」


背広を着た足の長い若い男性が、大声をあげていたのだ。


車を降りたアボットは、男の子の手を引き正門の前に立つと言った。


「ゴードンとは、この子のことかしら?」


一瞬の沈黙。


そして、ひとりの女性が、男の子に駆け寄ってきた。


足の長い男に、サリー・マックフライと呼ばれていた先生であろう。


そして、大声の主・・・やけに足の長いその男性は、アボットをじぃぃっと見つめたまま動かない。


いや、彼が見つめていたのは、彼女が男の子に手を差し伸べた時に袖をまくり上げたカーディガン・・・アボットの右腕の火傷の跡であった。


「あ・・・アボットおばさん・・・」


★★ ジョン・グリア先生 ★★


アボットは、しゃがみ込むなり自分の右手首を掴んで涙をこぼす男性を見つめた。


「おばさん、僕です。GJです。ジョン・グリア(英:John Greer)です。」


そう、彼女の目の前に居るのは、イニシャルを逆さにしたニックネームで呼ばれていたあの男の子・・・GJであった。


アボットの目から、大粒の涙が零れ落ちる。


立ち上がると、彼女の背丈より40センチメートルも高くなってしまったあの小さな男の子・・・


思ってもみなかった再会。


彼に抱擁され、アボットは、人目もはばからず号泣した。


あの別れののち、GJは、郊外のストーン・ウィロー農園で働くことになった。


そこで、アボットより学んだ読み書きの知識や叩き込まれたマナーなどが、農園主の目にとまり、才能を見込まれて、大学進学の資金援助を与えられることになったというのだ。


彼は、大学の教育学部で、児童教育を専攻した。


子どもに関わる社会的・教育的背景を学び、新しい教育理論と目まぐるしく変わる時代に対応する術を手に入れたのだ。


彼は、かつて雇い主であった農園主だけではなく、企業家や実業家、政治家などと交流を持ち、資金を集めた。


そうして開いたのが、このポキプシーに新しく作られた子供向けの学校であった。


子供時代にアボットに与えられたものを、今度は自分が次の世代の子供たちに与えようと考えたのだ。


ぽつりぽつりと語るGJ・・・いや、ジョン・グリア先生の顔は、チキンスープを皿に注いでいたあの時と同じように得意げであった。


彼女は、広くなったGJの胸を撫でながら言った。


「とってもにぎやかな声が、車の中まで響いていたわ。あの子たちが大きくなるのが楽しみね。」


ふたりとも涙目のままであったが、その表情は、明るかった。


★★ 最後の1年 ★★


最後の1年をGJは、アボットの家でともに暮らした。


キンモクセイは、彼の背丈を大きく超え、庭に影を落としていた。


チキンスープを口に運ぶアボットの手は、キンモクセイの幹と同じくらいしわしわで、教会に通うためにGJの介助を必要とするほど足も衰えていたが、その木に水をやるのを欠かす日はなかった。


彼女の葬儀は、GJが大っ嫌いなあの教会で行われ、その亡骸は、GJが大っ嫌いなあの教会の片隅の墓に今も眠っている。


そうして、彼女の命日には、毎年、足の長いポキプシーの学校の教師が、かかさず花を供えた。


★★ 校庭のキンモクセイ  ★★


学校の木に水をあたえる初老の男性は、ジョン・グリア。


朝夕と、この通用門のすぐそばに植えられた木々に水をやるのが日課である。


中でもお気に入りが、このキンモクセイで、恩人の家に植わっていたものを、移植したものだと言われている。


もはや、年に数回授業を受け持つくらいで、子供たちを教えることは、ほとんどなくなっていたにもかかわらず、彼は、生徒たちに愛されていた。


「グリア先生、さようならっ。」


「暗くなってきているからね。気をつけて帰るんだよ。」


木の幹をさすりながら目を細め、生徒たちと言葉をかわす毎日を過ごす。


ジーン・アボット記念学院・・・その学校の通用門のすぐそばには、今も大きなキンモクセイの木が植わっている。

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一生がこの短い文でとても端的にまとめられていてよかったと思いました 水を上げ続けたキンモクセイはアボットからグリア先生に受け継がれまたその生徒が受け継いでいくんでしょうねー
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