やめろ先輩!それヒュドラっすよ!?──暁の幻影団、沈黙(9)
ヒュドラは――ただ、腹が減っていただけだった。
]毎日のように辿っている、森の巡回ルート。
その途中で、お気に入りの食事ポイントに立ち寄っただけ。
――モモナップルの木。
甘く、熟れた香りが漂うはずの場所。
だがそこには、残された枝と、
わずかな果肉の痕跡だけがあった。
……すべて、ない。
果実は一つ残らず消えていた。
匂いを辿ると地面には、無造作に落ちた皮。
侵入者への威嚇。咆哮を一発。
……なのに。
炎の壁。続く冷気の嵐。
視界を奪われ、動きも封じられた。
理不尽極まりない。
胃の底から、怒りがこみあげる。
「ギシャァァァァァァ!!」
咆哮が、森全体を震わせる。
瞳が赤から――紫へ。
空気が一変した。
魔眼、発動。
視界が裏返る。
煙も幻術も、意味をなさない。
すべての魔力が、色と光の線を描いて現れる。
とりわけ強く、濃く、際立つ光――
後輩ちゃん。
あの身に宿る浄化の力が、鮮やかに焼きつく。
本能が、そこを「獲物」と定めた。
ヒュドラの喉奥に、魔力が静かに集まりはじめる――。
《猛毒ブレス・チャージ開始》
土が跳ねる。木々がざわめく。
空気が、焦げたような匂いに変わる。
「ブレス来るぞ!!」
レオの怒声。
「死ぬ気で走れぇぇ!!」
カインの本気叫び。
その瞬間――七つの口が、同時に開いた。
――ズオオオオオオオオオオ!!
反射的に振り返る。
煙幕の向こうから、
紫の濁流がうねりながら押し寄せてくる!
「ちょ、なんでこっち直線コースで来てるんすか!?
なんで!?私なにもしてないっすよぉぉ!?」
私は全力で叫んだ。
巨大な弧を描きながら、毒の波が森を薙ぎ払う。
木々が溶け、地面が爛れ、空気すら腐敗していく。
「酸っぱい!腐ってる!吸ったら肺がバイオ事故ぉぉ!」
もはや嗅覚に物理ダメージ。
泣き叫びながら走る。
肺が破裂しそう。
足は重りでもついてるみたいに動かない。
でも止まったら終わる。
背後から、腐食の津波が音を立てて追いかけてくる。
地面が崩れ、空気が焼け、草が黒く溶け落ちる。
「これ、絶対死ぬやつぅぅ!!」
足がもつれた。
バランスを崩して、膝が折れる。
「……あ、あー……詰んだっす……」
視界が、じわりと白く霞んでいく。
音が遠ざかり、鼓動は鈍く、重たくなる。
まるで――水底に沈んでいくみたいだった。
……もう、ダメだ。
ここで、私の人生終わるんだ。
膝が折れ、地面が迫る。
呼吸も、できない。
全身から、力が抜けて――
「わぷっ!?先輩いきなり何するんっすかぁ!!」
足が、地面から浮いた。
――浮いた?
私は、強引に持ち上げられていた。
いつの間にか、先輩がすぐそばに来て、
私を抱え上げていたのだ。
「投げにくいから、体まっすぐにして!」
耳元で、さらっと言われた。
「え!?投げってまさか――」
その先は、重力が全部、答えてくれた。
「とりゃああああ!!」
ぶんっっっ!!
視界が反転。
地面が遠ざかる。
私は綺麗な放物線を描いて、空へと放り出された。
飛ぶ。
飛ぶ。
飛ぶ……!
背後では、毒の奔流が轟音とともに大地を覆い尽くしていく。
「先輩ぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
空中で必死に振り返る。
……そのとき、見えた。
毒の奔流に飲まれそうになりながら、
先輩は自分のバッグをガサゴソとひっくり返していた。
「ヤバッ!このままじゃ流される!
これしかない!」
叫ぶやいなや、
ポータルチェストの蓋を引っぱり出す。
ためらいゼロで、足元にバンッ!
勢いよく踏み込んで――
そのまま、毒の海に跳び乗った。
着地と同時に、濁流の上を滑り出す。
「いえええええい!!
毒海サーフィンーーー!!」
立っていた。
……立ってる。
紫の濁流の上で、まさかのサーフィン中。
片手をぶんぶん振り回しながら、満面のドヤ顔。
その足元の蓋は――
毒の海に浮かんだまま、空間を押し返すように、
ありえない浮力で滑っていた。
「両手フリー!!ブンブンターン!!」
毒の波の上で、まさかの一回転。
「いや、意味がわからないっす!
足元毒の海っすよ!?
なにサーフィンしてんすか先輩!!」
私は空中で全力ツッコミ。
でも……生きててくれて、本当によかった。
一方、私はと言えば。
そのまま、綺麗な放物線で、まだまだ上昇中だった。
「……え、これどこまで飛ぶんすか……?」
とりあえず、飛んでく方向に顔を向け直す。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございます!
もし少しでも「面白い!」と思っていただけたら、
ブックマークと評価☆×5をポチッと
押していただけると嬉しいです!
著者:七時ねるる@7時間は眠りたい