やめろ先輩!それヒュドラっすよ!?──暁の幻影団、沈黙(7)
私たちは、視線を外すこともできず、
ヒュドラの巨大な姿をただ見つめていた。
やがて、七本の首のひとつがゆっくりと天を仰ぐ。
喉の奥から、重く低い音がうねり上がり――
「ギシャァァァァ!」
天地を割るような咆哮が、
森じゅうを揺らした。
私は肩を跳ねさせ、思わず身を縮めた。
「なんか……目の色、緑から赤に変わったっす……」
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
その意味は――考えるまでもなかった。
怒ってる。
全身全霊で、ブチギレてる。
張り詰めた空気。
息を吸うだけで、喉がピリつく。
たぶん、周囲の気温――数度は下がった。
思い返す。
私たちは、モモナップルを勝手に摘んで、食べた。
あれって、もしかして……
ヒュドラにとっての――主食。
この辺が“縄張り”だったとしたら……
私たち、完ッ全に……
「……食料泥棒っすよね」
ニャンタだけがふっと笑い、肩をすくめた。
「おいおい、あの蛇、
俺たちとバーベキューしたいんじゃねえか?
焼くのは、たぶん俺たちだがな」
「ニャンタさん!
いま冗談言ってる場合じゃないっす!」
私は叫び、必死に体勢を低くした。なのに――。
隣では、先輩がいつも通りの調子で呑気なことを言い出す。
「ねえ後輩ちゃん、
あの歯、横並びできれいだね!
噛まれても痛くなさそう!」
「死ぬっすよ!?物理的に即死っすから!」
震える声で、即座にツッコミを入れる。
緊張と恐怖で胃がひっくり返りそうだった。
……そのときだった。
「構えろ!」
一喝するような声が空気を割った。
全員の意識が一瞬で戦闘モードに切り替わる。
発したのは――カイン。
暁の幻影団のリーダーだった。
「ライラ!鑑定だ!
もしかしたら……勝てる相手かもしれん。頼む!」
その言葉に、私は先輩と同時に顔を見合わせた。
「鑑定……?」
「今、鑑定って言ったっすか?」
まさかの展開。
あのステータス画面パターンじゃない……本物の“鑑定”スキル?
興味津々の私たちは、
こそこそ顔を寄せ合い、小声で囁きあう。
「どうやって鑑定するんっすかね?」
「詠唱?呪文?やっぱりファイアーとか言う感じ?」
「……それは攻撃魔術っす」
二人でコソコソ盛り上がる横で、
幻影団のメンバーが次々と動き始めていた。
「エリス、いつもの氷魔術を杖にセットしておいてくれる?」
「了解、すぐに準備するわ」
エリスの持つ長い杖。
その先端には、淡い青色の魔力が、静かに宿っていく。
「杖に魔術を貯められるみたいっすね……」
思わず呟く私。隣では、
先輩がまた目をキラキラさせてはしゃいでいた。
「いいなあああ! 私もあれ欲しい!」
「……え、先輩って魔術使えるんすか?」
「わかんない!」
先輩は両手で頬を押さえ、
さらにテンションを上げる。
「でもさ、持ってたら絶対かっこいいと思うんだよね!」
「……見た目だけっすか!」
私がツッコむ横で、
先輩はすでに“エア杖ポーズ”で振り回していた。
そこにレオの低い声が割り込んだ。
「……鑑定結果次第じゃ、
リアの仇がとれるかもしれん」
その言葉に、ライラがびくりと肩を揺らす。
「ちょっとレオ! 勝手にリアを殺さないでよ!」
すかさずエリスも続ける。
「そうよ。まだリアが死んだって決まったわけじゃないんだから」
焚き火の前で、微動だにしないヒュドラを見つめながら、
カインが指示する。
「……今しかない。ライラ、やれ!」
「了解!」
震える指先で、彼女はバッグから一枚の羊皮紙を取り出した。
《鑑定スクロール》
上質な羊皮紙に、金の縁取り。
表面には、淡く魔力が宿っているのがわかる。
高級感と、どこか神聖な空気をまとった一枚。
「スキルも、攻撃力も、全部わかるんすかね……」
私は息を呑む。隣では、
先輩がさらに身を乗り出していた。
「いいから早くしてほしいよね!
ワクワクが止まらないよ!」
「いや……今、楽しむ場面じゃないっすよ?」
そんな私たちの雑談をよそに、
ライラが小さく詠唱を始める。
そして――。
「アナライズ!」
一言だけ。短く、鋭く、低く呟いた。
スクロールが眩い青白い光を放つ。
文字が、勝手に浮かび上がっていく。
走る魔力の線。踊るように刻まれる、未知の情報。
一同が固唾を飲んで見守る中、光がふっと消えた。
そこに浮かび上がった――ヒュドラの正体。
【エメラルド・ヒュドラ】
レベル:365/999
HP:300,000
攻撃力:9,500
防御力:15,000
魔力:4,800
状態異常耐性:毒・睡眠・麻痺・石化・カース・即死
属性耐性:火・水・風・光・土・雷・氷・闇
タレントアビリティ:
◆劇毒生成 S
◆超再生 (アルティメット・リージェネレーション) S
◆魔眼の支配 S
◆翡翠反響 (エメラルド・リバーブ) S
ライラの顔から、一気に血の気が引いた。
スクロールを握りしめたまま、
声にならない悲鳴が喉を震わせる。
「……レ、レベル365……最上級の再生と魔眼持ちよ……」
あまりの絶望的ステータスに、
その場の空気が完全に凍りつく。
「う、うそだろ……」
「人間の勝てる相手じゃねえ……!」
――カインの声が飛んだ。
「全員、逃げろ!!」
その声が合図だった。
私たちは、一斉に走り出す。
S級冒険者が“勝てない”と判断した時点で、
私たちに残された選択肢など、
最初から、ひとつしかなかった。
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著者:七時ねるる@7時間は眠りたい