やめろ先輩!それヒュドラっすよ!?──暁の幻影団、沈黙(6)
私はふと、胸の奥にひっかかっていた疑問を口にした。
「……そんなすごい冒険者が、
なんで森の中にいるんすか?」
――空気が、凍りついた。
カインたちの顔が、一斉に強張る。
さっきまでの和やかなムードが、
嘘みたいに色を失っていく。
……あっ。これ、完全に地雷っす。
カインは、ゆっくりと息を吐いて答えた。
「……俺たちは、“オリハルコンの箱”を護送してたんだ」
意外なほどあっさり教えてくれた。
もっとこう……国家機密とか、古代兵器とか、
そういう派手な展開を想像してた私としては、
ちょっとだけ肩透かしを食らった気分だ。
「けど、謎の集団に襲われてな。
逃げ込んだ先が、
この魔境――エルムルケンの森ってわけだ」
そこで、カインの声が止まった。
顔から色が抜ける。
目の奥が、遠いどこかを見ていた。
……記憶の底に沈めたはずの光景が、
無理やり引きずり出されてるような、そんな顔。
隣のライラが、はっとして視線を伏せる。
唇を噛む音が、やけに耳についた。
他の仲間たちも……誰ひとり、口を開かない。
場に、重たい沈黙だけが落ちる。
そして。
ようやく絞り出すように、カインが言った。
「……昨夜、俺たちは……
森の奥で……モンスターに出くわした」
喉の奥で、短く息が詰まる音がした。
それでも、なんとか振り絞るように続ける。
「……森の闇の中で……見えたんだ。
十四の、光る眼が」
握りしめた拳が、震えている。
カインはかすかに首を垂れた。
「気づいたときには、
リアの悲鳴が聞こえて……
振り返ったら、もう……姿がなかった」
小さく、浅い呼吸が続く。
言葉が、途切れ途切れになる。
「……箱も、一緒に消えてた」
仲間の安否もわからず、任務品まで紛失。
リーダー失格――
そんな言葉を、
誰よりも本人が痛感しているのがわかった。
……誰も、顔を上げようとしなかった。
けれど。
その沈黙を、ライラが破った。
「私たちは彼女の捜索と、
箱の回収のために戻ってきたの。
この辺りで……見かけなかった?」
私は即座に首を横に振る。
「私たちは見てないっす。ね、先輩!」
横を見ると――
……あれ?
汗ダラダラ、目が泳ぐ。
挙動不審モード、全開だった。
私はそっと距離を詰め、
ひそひそ声で尋ねる。
「先輩……もしかして、箱のありか……知って……?」
「ぷ、プルル!? 知らないよ!?
全然知らないからねっ!!」
バタバタと手を振り回し、
声も裏返りまくり。
「そ、それより!
昨日の夜に出たモンスターって……どんなヤツだったの!?」
カインたちに向き直り、
やたら元気に、声も高めに。
……雑。誤魔化し方が雑すぎる。
「……月明かりで見えた。あいつは――」
カインは言葉を探すように、
一瞬だけ黙り――それから、低く呟いた。
「おそらく、毒液を吐く巨大蛇。
ギルド記録に載ってる……エルムルケンのヒュドラだ」
その名前を耳にした途端、
胸の奥がヒュッと冷たくなった気がした。
「せ、先輩! やばいっす!
ギリシャ神話でヘラクレスが戦った化け物っすよ!」
「知ってる知ってる!
ヤマタノオロチの親戚みたいなやつだよね!」
「いや、全然違うっすけど!!」
そのとき、カインが低く呟いた。
「しかも……通常のサイズの倍はある。
……変異個体だ」
その言葉に、場の空気が一気に凍りついた。
だが――
その緊張感すら吹き飛ばすほどの、
強烈な衝撃が、襲いかかってきた。
「ギシャアアアアアア!!!」
空気が振動する。
耳をつんざく咆哮。
地面がビリビリと震え、
足元の小石が跳ねた。
――モモナップルの木がある北側の方角だ。
「今の鳴き声、本能が『逃げろ』って全力で叫んでるっす!」
一斉に視線が向く。
そこから、まるで地割れでも起きたかのように、
木々がなぎ倒されていく。
「……嘘だろ」
カインの声がかすれる。
顔を引きつらせて少しずつ後退していく。
その目には、焦りとも絶望ともつかない、
奇妙な色がにじんでいた。
「全員、下がれ!」
私たちは焚火を残したまま、
炎の輪の外――木々の陰へと、慎重に足を運ぶ。
私たちは焚火から離れた場所に移動する。
ぬるり。
木々の隙間から、一本の首が現れた。
太い。
普通の大蛇でも丸呑みできそうなその太さが、
一本だけでも常軌を逸しているというのに。
……首は、次々と姿を見せていく。
翡翠の鱗は、まるで濡れた宝石のように艶めき、
深緑から黒へのグラデーションが、
体のうねりに合わせて滑るように変化していく。
「ギィ……ギィ……」
鋼の歯が、ぎりりと擦れ合った。
うねる筋肉が皮膚の下で波打ち、
地面を滑るように前進してくる。
そして――姿を現した全貌。
途方もなく巨大な胴体。
その中心から、七つの首が放射状に伸びていた。
……そして、後方へと伸びる尾。
その先端が、地をなぞるように静かに揺れている。
ローブに張り付くプルルも震えていた。
「ププー(あいつ勝てる気しない)」
プルルはさらにローブの奥へ、
ずぶずぶと潜っていく。
最終的には、
背中の生地が小さくポコッと膨らんだまま、
完全に沈黙。
……完全に、現実逃避モードだった。
「ちょっ……引きこもってる場合じゃないっす」
言ったものの――
私の喉も、ひゅっと音が止まる。
ヒュドラが迫ってきている。
体の奥で、どくん、と何かが跳ねた。
鼓膜の奥で、じわりと耳鳴りが広がる。
心臓の鼓動だけが、やけにうるさく聞こえた。
汗が首筋をつたって流れ落ちる。
喉が渇く。
足がすくむ。
頭では「逃げろ」と叫んでいるのに、
体が石みたいに固まっていた。
誰も声を出せない。
瞬きも……息すら――
「ヤマタノオロチだぁ!!」
先輩のアホみたいな叫びが、
空気をぶち壊した。
私は慌てて突っ込む。
「違うっすよ!!
頭の数、7本しかないっす!」
「えっ!? じゃあ……ヤマタノオロチマイナスワン!」
「そんな分類ないっす!」
息を吸い込み、
一歩、後ずさる。
「先輩!早く逃げ――」
……その言葉が、喉で止まった。
ヒュドラは、こちらを睨んでいない。
七つの首は――
焚き火の周りに散らばったモモナップルの皮へ向かい、
鼻先を、ひくひく……ひくひく……。
しつこく、匂いを嗅いでいる。
その異様な光景に、
私も、先輩も、暁の幻影団も――
ただ、息を呑んで見ていた。
「……これ、もしかして……」
隣で、先輩がぽつりと呟いた。
「……果物目当て?」
それは――
泣きたくなるほどバカバカしくて、
だけど……妙に説得力のある推測だった。
その数秒後。
ようやくプルルが、
ローブの隙間から透明化しつつ顔だけひょこっと出してきて――
「プーププ(え!?草食?)」
「そっちだけは反応するんすか!」
私は思わず突っ込んだ。
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著者:七時ねるる@7時間は眠りたい