やめろ先輩!それヒュドラっすよ!?──暁の幻影団、沈黙(3)
視界には――何も映らない。
それなのに、確かに“いる”。
肌を這うような気配が、
じわじわと忍び寄ってくる。
喉がかすれそうな声で、私は尋ねた。
「先輩、そいつ……どんな姿してるんすか?」
頼む、ただの見間違いであってほしい。
お願いだから、バカみたいに笑って流して――
「ううん……透明だけど、でも人型かな……たぶん」
「人間じゃなかったらどうするんっすかぁぁ!!」
裏返った声が、自分の中から飛び出した。
ふと見ると、黒装束の三人は無言のまま、
こちらのドタバタを“娯楽”でも見るかのように眺めていた。
――完全に信じてないっすね、こいつら。
私は地面に転がっていた枝を拾い、
見えない“それ”に向かって、全力で振り抜いた。
「こ、ここっすか!?
当たんないっすよ!?」
「わっ、今よけた! もうちょい右!」
先輩の声は、
やたら楽しそうだった。
……いや、こっちは命かかってるんすけど!?
風を切る音ばかりが耳に残る。
触れた感触も、草を踏む音も、何もない。
そもそも、周囲に足跡すら見当たらなかった。
「先輩には何が見えてるんっすか!?
私の目には、ただの空気なんすけど!!」
「でも、そこに“いる”んだってば!」
――そのとき。
背後から、やけに落ち着いた声が届く。
「見えない敵をあぶり出す方法がある。
……ほら、これだ」
振り返ると、
ニャンタがすっと何かを差し出していた。
掌に乗ったのは、白い粉末の塊だ。
「……なんすか、この粉」
「片栗粉だ」
「……なんで、そんなもん持ってるんすか?」
当然のように渡されたそれに、
自然とツッコミが口を突く。
「透明なヤツには、
昔からこうやるって決まってんだ。
……粉モンはな……真実を照らす審判の光なんだよ」
「いや、理屈は分かるっすけど……
それ、調味料っすよ? 普通はとろみにつかうやつ!」
「食べ物の無駄とか言うな。
お前らだって幽霊には塩撒くだろ?
似たようなもんだ」
「……たしかに」
納得しそうになる自分が悔しい。
「袋ごとやる。迷うな、さっさと撒け」
ニャンタが袋を押し付けてきた。
先輩は、空っぽの空間を睨みつけ、
迷いもなくピシッと指を差している。
「今は、あそこ。移動した!」
「了解っす!」
その視線の先に、何か“いる”。
私は深く息を吸い、粉袋をぎゅっと握りしめた。
「クルミの視線の先を狙え」
ニャンタの声が、
静かに背中を押す。
照準よし。
心の準備よし。
振り返りざま、私は叫んだ。
「――どりゃあああああっ!!
片栗粉スプラァァァッシュュ!!!」
片栗粉スプラッシュ――
それは、後輩ちゃんが編み出した異世界必殺技。
安い・軽い・食べられる。コスパ最強の粉末攻撃だ!
袋を放り上げる。
私は跳ぶように身をのけぞらせ、
その下から、思いきり手のひらをぶつけた。
パフッ――。
乾いた音とともに、
白い粉が空中で弾け、
ふわりふわりと舞い落ちていく。
……静かだった。
風も止まったかのように、
ただ、白い粒子だけが空気に溶けていく。
視界に何も変化はない。
「……あれ?」
私は一歩、踏み出した。
先輩も黙り込んでいる。
ニャンタも、微動だにしない。
――ハズレだったのか。
背筋を冷たいものが這い上がる。
心臓が、ドクン、と嫌な音を立てた。
そのとき――空気が、揺れた。
私の息が止まる。
白い粉が描く線が、
ありえないカーブで曲がる。
「――おかしい。粉が……落ちてないっす。
あそこだけ、空気が、生きてるみたいに動いてる……っ!」
私はようやく喉を動かした。
空気がひしゃげる。
歪んだ世界に、何か“いる”。
「せ、先輩っ、人間じゃなくて……
化け物だったっすよぉ!」
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著者:七時ねるる@7時間は眠りたい