やめろ先輩!それヒュドラっすよ!?──暁の幻影団、沈黙(2)
ふてぶてしい顔で丸くなっているニャンタの姿が、
なんとなく――だが確かに、場の緊張をわずかに和らげていた。
「そもそも、あなた達――」
青い瞳の黒装束の女性が、
じっとこちらを見据える。
その声音は静かだが、
芯に強さを秘めていた。
「どうして、この森で無事でいられるのよ?」
続くように、もう一人の女性が鋭い視線を向けてくる。
「ここでノコノコ休憩なんて、
信じられないわ。
あなたたち、何者?」
一瞬、息が詰まった。
ど、どうするっす!?
焦って声を出そうとするが、
喉が張りついたように動かない。
「え、えっと……その、っすね……」
しどろもどろの言葉が、
すぐに沈黙に押し潰される。
――ヤバい、何か言わなきゃ。何か、理由を……!
でも、言葉より早く、
青い瞳が、こちらを通り越して――森の奥を睨んでいる。
気配を読む、そんな目だった。
「変ね。さっきから警戒してるけど……
この一帯だけ、モンスターの気配がまるでしないわ」
続けて、もう一人も、
腰にかけた矢筒に自然と手が伸びていた。
「この静けさ……逆に怖いわね。
何かが隠れてる、そんな感じ……」
ふたりの全身に張りつめた緊張が、
空気を切り裂く。
目の動き、わずかな足の構え。
この森そのものが、
一般人が立ち入らないような、
本物の魔境だったのだ。
道理で、さっきのトロールが“たまたま”なわけなかった。
「……やっぱり、ここ……ヤバい森だったっすね」
震えをごまかすために、
あえて語尾だけ明るくしてみたけど――
……たぶん、誰にもごまかせてない。
そのときだった。
リーダー格らしき男が、低い声で言った。
「……奇妙だな。お前たち、
いくつか説明がつかない点がある。」
私は思わず肩を跳ねさせ、
ビクビクと声を返す。
「な、なんすか……?」
男は答えず、ちらりと地面に目をやった。
私たちが捨てた果実の皮――ピンクと黄色の斑模様。
それを見つめた彼の目が、わずかに見開かれる。
「……あれは、“ヴェノムブライドの実”だな」
周囲の空気が凍った気がした。
まるで禁忌の名前でも口にしたかのような、緊迫。
「それを食べて……無事なのか?
一口かじれば、死ぬぞ」
続いて、杖を構えた女性たちが、
一歩踏み出してきた。
「王都の術師が、実験中に死んだって話……知ってるわよね?」
「村に持ち帰っただけで、全員が倒れた例もあるのよ」
「あなたたち……本当に食べたの!?」
どちらも、本気で心配している顔だった。
敵意よりも――“理解不能”に戸惑っているような。
私は、返事に迷ってしまう。
すると先輩が、あろうことか――笑顔で応じた。
「えっ、モモナップルは美味しかったよ?
食べたことないの?可哀そうに」
「今、剣と杖を向けられてるんすよ!?
なんで挑発しちゃうんすか!」
私は声を上ずらせて叫んだ。
案の定、黒装束の表情が固まる。
「……あの果実は、
モンスターすら避ける“死の実”よ」
「粘膜は猛毒。熟しても果肉には毒が残る。
誰でも知ってる常識よ……」
「モモナップル、やばい実だったんすね……」
思わず、力なくつぶやいてしまった。
「……それに、これは……」
男の視線が、
火のそばに転がる“毛皮”で止まる。
赤茶けた毛並みに、ぴんと張った尻尾の残骸。
さっき私たちが串刺しにして炙った、あのモンスターだ。
「スカーレッド・スクワロル……?」
その名を呟く声には、
微かな震えがあった。
「まさか、こいつまで食ったのか?」
「うんっ! 血抜きしてからしっかり火を通したよ!」
黒装束の三人は、
「状況が飲み込めない」と書かれたような顔をしている。
「あのモンスターも、たしか毒持ちだったはず……」
「ええ……毒に毒をまぶして食べてるようなものね……」
「え?、でもモモナップルの果汁をちょっと垂らすと、
甘くて最高なんだったよ!オススメだよ!」
自信たっぷりに語られる、死のグルメ情報。
彼女たちの脳内で、
謎の数式が暴走する。
毒+毒=旨味
焼き肉。
この魔境で、
死の実と猛毒モンスターをミックスするという暴挙。
毒まみれのランチ。
そして男が、
どこか諦めたように言った。
「……まあ、金髪の子の“冒険者”という主張以外は、
嘘も、敵意も感じられない」
その手が、剣の鞘へ戻る。
カシャン――。
金属音とともに、
緊張の糸がふっとほどけていった。
「モンスターや魔族が化けてるわけじゃなさそうだ」
彼らの判断に、
先輩が満面の笑みで拳を掲げた。
「私たちは冒険者だよ!
嘘なんてついてないよ!」
元気よすぎて、
嘘っぽく聞こえるのがつらい。
「そうっす、先輩の言う通りっす。
趣味で冒険者やってるんすよ!
都合のいい勘違いしないでほしいっす」
やっと誤解が解けた――そう思って、
ほっと息をついたときだった。
ふと、焚火の匂いが鼻をつく。
……あ。
炎が、肉を無慈悲に焼き続けていた。
長引いた尋問の代償。
さっきまで美味しそうな“きつね色”だったそれは、
すでに黒焦げという名の終焉を迎えていた。
「焼きすぎっすぅ……」
肉はもう、語らない。
ただ黙って、「燃え尽きたぜ……」と、煙で主張していた。
「……もう君たちに敵意がないのは分かった。
人外でも、なんでもいい。
最後に、一つだけ――質問させてくれ」
男の目は真剣だった。
緊張を帯びた空気のなか、
核心に迫ろうとする――。
「……ん?」
先輩は、ふいに視線をそらした。
「先輩? 今、話の途中っすよ。
そっぽ向くとか、さすがに失礼すぎるっす……」
私がたしなめかけたその時――
「後輩ちゃん、見て!
あそこ、……透明なやつがいるよ!」
「えっ?」
先輩は、何もない空間を真剣な顔で指さしていた。
私は反射的に、その指先を追う。
……けど。
目の前に広がっていたのは、
風ひとつ吹かない、
静まり返った森の一角だった。
鳥の声も、虫の羽音もない。
まるで、そこだけ空気が途切れているような――異様な静寂。
「……私には、何も見えないっすけど?」
「でも、そこに立ってるよ」
先輩はときどき信じられないことを言うけれど、
誰よりもまっすぐで、
嘘だけは絶対につかない。
「え? マジで……そこに“何か”がいるんすか?」
私の問いに、
一切の迷いなく、こう言った。
「うん。今、後輩ちゃんの目の前に――いるよ?
にこって、笑ってる」
「…………えっっっっ!?!?」
背筋に、つうっと冷たい糸が垂れ落ちたような感覚が走る。
まるで、目に見えない“誰か”が、
こちらを見下ろしているかのように。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございます!
もし少しでも「面白い!」と思っていただけたら、
ブックマークと評価☆×5をポチッと
押していただけると嬉しいです!
著者:七時ねるる@7時間は眠りたい