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逆説的平和の祭典≪オリンピック≫

作者: 得無

真面目な話のようで、実はどこかギャク的なSF短編。2022年2月、まさに今現実に起きていることからストーリーが始まります。オリンピックやスポーツを揶揄する意図はありませんが、もしかすると不快に感じられる方もいるかもしれません。また、現実に紛争が起きているタイミングで公開することになりましたが、戦争に対して不真面目な気持ちで書いたものでもありません。

 20××年、東側権威主義国家陣営の超大国であるR国が、突然隣国との国境付近に軍隊を集結させた。これに対して西側自由主義勢力の超大国であるA国は、この軍事行動を強く非難し、この隣国に援軍を送り込む勢いであった。大国同士が軍事力をもってぶつかり合えば、関係する多くの国々も巻き込まれかねない。最悪、世界大戦に突入する危険さえある。人類はまた、愚かな選択をしてしまうのでは…という不安が世界を覆った。

 一方、もうひとつの超大国であるC国では、同じ時期に平和の祭典であるオリンピックが開催されていた。C国としては、オリンピック期間中に軍事衝突が起こることだけは避けたいという思惑があった。しかし思わぬことからR国とA国の対立がオリンピック会場にまで飛び火することになった。それはR国選手によるドーピング疑惑である。そもそもR国には以前から国家的ドーピング疑惑があった。ここぞとばがり、A国をはじめとする自由主義勢力はR国を非難した。しかしR国はもちろん国家的ドーピングなど認めるはずもなく、なんとも後味の悪い、わだかまりだけが残る結果になった。


 ところがその後、話の方向が大きく変わっていくことになる。きっかけは、某国の少年がSNSに書き込んだシンプルな疑問だった。

「なんでドーピングしちゃいけないの?」

 最初は「ドーピングしたらフェアじゃないだろう?」とか「ドーピングの薬剤は選手の身体に悪影響を及ぼすんだよ。」等々、良識あるコメントが返されたが、少年には少年の考えがあるらしく、容易には納得しなかった。少年は反論する。

「そもそも人種によって体格だって全く違うし、国によって経済力も違うから自国の選手を育てる環境だって雲泥の差がある。はじめからちっともフェアじゃないと思う。」

「子供の頃から無理な練習を重ねたために身体を壊すアスリートも少なくない。たとえ薬剤を飲まなくたって、そもそも選手たちはかなり身体に無理を強いているのではないか。」


 少年の疑問は、もちろん純粋なものだったに違いない。しかしその議論がどんどん拡散していくにつれ、面白がって煽る連中が現れる。

「そうだ。ドーピングは悪くない。どんどんやればいい。」「そもそも、練習環境を整える国家の財力はもちろんのこと、身体能力を高める薬剤や、効率よく成績を上げるための練習方法、機能性の高いウェア等々、すべての知識や技術が選手の成績を支えているのであって、国内の富と英知を結集してオリンピックを戦うのが当然。」「アスリートは母国の威信をかけて戦いに挑む戦士だ!」「オリンピックは国同士の喧嘩だ。そもそも喧嘩にルールなんていらない。」「どの国もR国を見習って、本気でオリンピック選手を育てるべきだ。」


 このような無責任極まりないネット上の議論は、少年の疑問などそっちのけにして世界的に拡散していった。この風潮に対して、当のドーピング疑惑を向けられていたR国の国民は大方否定的な立場を取った。「いや、ドーピングはいけないことだ。」「R国民はこんなアンフェアな考え方はしないし、もちろんドーピングなんてやっていない。」「オリンピック精神に乗っ取り、正々堂々と競技をするべきだ。」等々、自分たちが無実であり正当であることを主張した。


 驚いたのは、A国をはじめとする自由主義陣営の国民の反応である。なんと、この≪ドーピング擁護≫という暴論に次々と賛意を表したのだ。R国が自らの疑惑を棚に上げて正論を言っている以上、対抗するためには逆張りするしかない…ということもあるだろう。しかし内心では「我が国の技術をもって本気で身体機能向上薬や機能的ウェアの開発に取り組むならば、R国など敵ではない。」という自負があったのだ。「そっちがインチキするならこっちも徹底的にやってやろうじゃん。喧嘩上等!。」という心境であると思われた。


 このような世界世論の影響を受けて、国際オリンピック委員会が反応した。驚くべきことに、ドーピングや機能的ウェアに関して、大幅な制限緩和を提案したのだ。「今回のドーピング疑惑で、厳格な判定をすることの困難さを痛感した。」という本音も垣間見えたものの、「基準を緩和することで、選手の自由な活動を保証するとともに競技会の円滑な運営を目指す。」等々の理由が挙げられた。まぁそれは表向きの理由で、つまるところ国際オリンピック委員会の責任逃れであった。実は水面下の話ではあるが、「A国首脳や要人からの圧力があった。」という噂もあった。しかしA国はもちろんR国としても、この提案にあえて反対する理由はなかった。ドーピング疑惑の追及をかわすための援護射撃に思えたからだ。こうして提案は了承され、オリンピックは一部の良識派からは≪ドーピング合戦≫などと揶揄されながらも、今まで以上に世界中が熱狂するイベントとなっていった。スポーツの祭典でも平和の祭典でもなく、まさに何でもアリの国力と国力のぶつかり合いであり、国家間の代理戦争ともいうべき様相を呈していったのだ。


 スポーツの祭典…と言うが、実はスポーツという言葉の語源はラテン語のデポルターレであり、気晴らしをする、休養する、楽しむ、等々の意味を持つ言葉である。国家同士の本気の戦いとなった以上、オリンピックをスポーツと呼ぶには違和感があった。そこで国際オリンピック委員会は、新たに≪ファイト(fight=戦い)≫という名称を提案した。今後スポーツ選手は≪ファイト選手≫という呼称が使われることになった。「参加することに意義がある」というオリンピックのタテマエは完全に吹き飛び、ファイト選手は試合に勝つことが至上命題とされた。そして≪ファイト≫は、健康増進や楽しみで行ういわゆる≪スポーツ≫とははっきりと区別された。そう、大学の体育会とサークルの違いのように…。


***********


 数年後の20△△年、国際連合総会で、あり得ないような決議が行われた。「議決権格差是正に関する決議」と呼ばれるものである。国連総会ではすべての加盟国に1票ずつの議決権が公平に与えられている。しかし時として国連総会を上回るほどの力を持つ安全保障理事会では、たった5つの常任理事国だけに拒否権が与えられており、10の非常任理事国や安保理に所属できない立場の弱い国々からの不満がかなり高まっていた。そこで国連事務局は、「常任理事国の拒否権を廃止する。」という方向に舵を切った。一方で、「名実ともに高い国力を持った国の意見は尊重されるべきであること」を再確認し、「その国の国力に応じて、一票の重さを変える」という新たな方式を打ち出したのだ。さらに「国力は常に変化する。様々な角度から検討をして国力を判断していく必要がある。」としたうえで、「まず試験的にオリンピックで取得したメダルの数を、その国の国力として票の重みに反映させる。」という、前代未聞の議案を提出するに至ったわけだ。弱小国家にとっては、常任理事国の横暴を押さえられるという面において悪い話ではない。また常任理事国にとっても、利己的との批判を受けかねない拒否権よりも≪正当に認められた重い一票≫の方が都合が良い。こうして議案はあっけなく可決され、事務局の思惑通り、国連内部での国家間のわだかまりは解消されていった。しかしその代償として、とてつもない重責を担わされたのがオリンピックである。まさに、政治とは無縁であったはずのオリンピックが、完全に政治と結びついた存在として認知された瞬間であった。


 オリンピックのメダル数で票の重みが変わる…この前代未聞かつ非常にわかりやすいシステムに国連がお墨付きを与えてしまったのだから、それ以外の多くの国際機関も同調するのは当然の流れだった。中でも影響が大きかったのは、世界貿易機関がこのシステムを採用したことだった。オリンピックで強い国が自国に有利な貿易システムを構築できる…これはまさに国家の死活問題であり、国民生活を揺るがす大問題である。特に今まで貿易を牛耳ってきた大国にとって、より影響は深刻である。まさに国を挙げて有能な選手の育成に力を注いだ。


 国家の威信を背負い、さらに国民生活の安定まで背負ったファイト選手たちには、最高の練習環境が与えられ、優れたコーチやスポーツドクターが起用され、もちろん高額の報酬が与えられた。結果を出せれば国民的英雄であるが、結果を出せなければ苦しい立場に置かれる。彼らこそ、最も過酷な戦場で戦っている戦士であった。人々は熱狂的に彼らファイト選手を応援した。しかし、自ら進んでファイト選手を志す者は少なかった。あまりに過酷なその運命を、みんなわかっていたのだった。どの国でも、ファイト競技に携わる若者たちは減少の一途をたどった。政府はこの流れを食い止めるべく、オリンピックレベルの選手同士の婚姻を推し進め、その子供の英才教育に力を入れた。能力の高いファイト選手を育成するために遺伝子操作をしている…という噂が流れる国家もあった。ファイト選手の能力に国家の存亡がかかっているのだから、このような流れは当然であった。遺伝子操作も技術力のうち…いつしか、それも公然の秘密となっていった。

 

***********


 十数年が経過した20◇◇年、世界は大きく変わっていた。一言でいえば、世界は平和になっていたのだ。大国同士の軍事緊張は無くなった。また世界各地で起きていた小国家間の小競り合いや多民族国家の内戦等も含めて、およそ紛争という言葉を聞かなくなった。オリンピックという場を使った≪平和的代理戦争≫というシステムが円熟したということである。人間が…生物として当たり前に持っている闘争本能を、知性によって鎮圧することに成功した…とも言える。

 かつて大国は軍事力を誇示していた。しかしこのシステムのもとでは、軍事力に予算をつけることは無駄であった。すべての国々は大規模な軍縮を行い、余った予算をファイト選手育成に充てた。最早…お互いに大きな損失を被ることになる馬鹿げた≪戦争≫など考えもしなくなった。生物学者たちは「ホモサピエンスという種が、生物として一段階賢く進化したのだ。」という論評をしたが、まさにそういうことなのだろう。

 一方、ファイト選手たちは…そのすべての歪を一身に背負わされることになったのだろうか? いや決してそうではなかった。生まれた瞬間から国家に守られ、大切に育てられ、国民からの期待を受け、自らが持つファイト戦士としての遺伝子を国民のために活かしていく人生…それは彼らにとって大きな喜びであった。たとえ結果が出せなかったとしても、批判に晒されるようなことはもう無くなっていた。結果の如何にかかわらず全てのファイト戦士は、その血統と努力に対して惜しみない敬意と賛辞を国民から贈られる存在になっていた。まさに、人類は成熟したのだった。


 かくして…オリンピックは真の≪平和の祭典≫となった。

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