1幕 再会
木にぶらさがったハンモックが揺れる。
葉の隙間からはかすかに光がさしこむ。
日のぬくもりが肌を心地よく刺激する。
僕が帝国から逃げ出して、この孤児院に来てから3か月。
奴隷だった頃の傷は徐々に癒され、孤児院の生活にも慣れてきた。
「アオイー?いつまで外にいるの?そろそろ夕ご飯にするわよ。」
「はーい、ヒズラ母さん」
この人はヒズラ母さん、この孤児院の修道女で、僕たちの世話をしてくれる大好きなお母さんだ。
「あ!アオイ兄ちゃんだ。どこ行ってたの?遊んでくれるって言ったじゃん。」
「アオイ兄ちゃんの噓つき!」
「噓つきは泥棒の始まりだよ!」
「うわあ、泥棒だ!」
「泥棒兄ちゃんだ!」
「泥棒は捕まっちゃうんだよ!刑務所いきだ!」
「囚人じゃん!」
「囚人兄ちゃん!」
どうしてこうなった…
「ごめんよ、みんな」
「ヒズラお母さん!囚人が帰ってきたよ!」
「あらあら、アオイ。1人で何してたの? ほかの子もアオイと遊びたがってたようだけど?」
「ただ外を眺めてただけだよ。」
「いきたいのね、そとに」
ヒズラ母さんが悲しそうに、つぶやく。
ヒズラ母さんの横顔に胸がしめつけられる。
この孤児院が嫌いなわけじゃない。
むしろ平穏で、心が暖まる、
そのうえ孤児院はものすごく居心地がいい。
でも、ずっとここにいて、外の世界に戻らず、父さんの仇も討たないまま、一生を終えるなんて、
そんなのいいわけがない。
「ヒズラお母さん、ごめんなさい、でも僕…」
「わかったわ、でも明日、1度私と外の世界を見に行ってみましょう。また気が変わるかもしれないわ」
こうして僕は再び、外の世界に出ることになった。
◇
「アオイお兄ちゃん?アオイお兄ちゃん?」
鼓膜を包み込むような、優しい声で、目が覚める。
「朝だよ!出かけるんでしょ!」
「スザク、ああそうだね。」。
外の世界に出るなら、スザクをはじめとする孤児院の家族たちと別れなければならない。
言葉では理解していたことなのに、胸の筋肉が心を締め付ける。
「少し出かけてくるから、留守を任せたよ。」
「うん、まかせて」
それは、まるで、一輪の向日葵のような笑顔だった、
◇
孤児院の門の鎖が外れる。
爽やかな風が、背中を吹き抜ける。
眼前に新しい世界が映し出される。
「これが外の世界…」
「そうよ、アオイ」
そこにあるのは、一面に広がる、草原や木々、
そして、その奥には、赤煉瓦の街並みが続いている。
新鮮な景色に、胸が高鳴る。
「とりあえず、町のほうまで行ってみようか」
「うん、そうだね」
草の浅いところをえらんで、街のほうまで走り抜ける。
「アオイー もう 、ころばないようにね。」
「わかってるって、ヒズラ母さん」
しばらく走ると、街が見えてきた、草原を抜けたのだ.
◇
街の前には、検問所があった。
どうやらこの街はフロシアというらしい。
僕と母さんは列に並ぶ。
「はい、次の者」
「2人で、荷物は特にないです。目的は観光です。」
「って、ヒズラじゃねえか」
「あら、へレス少尉?6年ぶりね」
「ああ、となりのこどもは、孤児院からか?」
「ええ、アオイよ」
「そうか、うん。」
一瞬だが、へレス少尉の顔に曇りがさしているように見えた。
「まあ、今日は初めての街を楽しむといい。いいものばかりとは、限らんが」
「はい、へレスさん」
この国の関所税は一律で銅貨3枚である。ちなみに銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚、金貨10枚で白金貨1枚である。
僕たちは、銅貨3枚を支払って、街の中へ、中へと、歩みを進める。
フロシアの街に入ると、目の前には、にぎやかな街道が広がっている。
その奥には、街の象徴たる城が、またたいている。
「母さん、あの城を見に行きたい」
といい終わらないうちに、お腹が、しぼんだ風船のような情けない音を発する。
ガス欠のようだ。
「その前にお昼ごはんにしましょうか。」
母さんがくすくす笑いながらそう言う。
「うん…」
こうして僕たちは、腹ごしらえに店を探すことになった。
◇
「ここはどうかしら」
ある店の前で、ヒズラ母さんが立ち止まる。
何の店だろうか。
メニューを見ようと、しゃがみこむ。
僕がメニューを開けようとしたその時、
後ろからノイズのような怒鳴り声が聞こえた。
「おい、臭い息を吐くな、空気が汚れる」
「も、申し訳ありません。ご主人様」
赤髮の少女がかすれた声をあげる。
「お前ごときの役立たずのためにいくら金がかかってると思う。このただ飯ぐらいが」
街を通る人々は、それを見て一度流れを止めて立ち止まったが、すぐにまるで何もなかったかのように動き始めている。
「母さん、あれはもしかして、」
「ええ、奴隷ね。」
母さんがすこし動揺したようにそういった。
奴隷の赤髪の少女はこっちに気が付いたのか、訴えかけるようにこっちを見ている。
僕は昔の自分を見てるような気がして、胸が痛くなった。
「何を見ている、おい、いくぞ。」
主人は、彼女を連れて歩き始めた。
「母さん、僕は彼女が何か言いたいように見えました。ほっておけません、昔の自分を見ているようで…」
「ええ。アオイも知ってるように、奴隷は奴隷術で、余計な行動ができないように拘束されてるの。実はね、さっきの子は8年前まで、うちの孤児院にいたの。でも、8年前、彼女は外に出たいといって出て行ってしまったの。それから一切音沙汰がなかったから、心配してたのだけど奴隷になってしまったとはおもわなかったわ。」
「彼女を救い出す方法はないんですか?」
「残念だけど、一度奴隷になった人を救うには、莫大な財産か権力がないと無理なの。
でも孤児院にはそんな金も権力もないのよ」
ヒズラ母さんは、辛そうな顔をしてそう告げる。
「母さん、いつか僕が外に出て彼女を取り戻します。僕にとって、母さんに泣かれるのが一番つらいんです。」
「アオイ、やめて。あなたをまた奴隷にさせたく、
「きゃあああああああ!」
街の西側から悲鳴が響く。
この事態に、さっきの奴隷も含め、近くの通行人は歩みをとめた。
あたりが、静寂に包まれる。
悲鳴が聞こえた方向から、ハチの巣をついたように逃げる群衆を見て、あたりは騒然となった。
「母さん、何事でしょうか?」
「わからないわ」
周りを見ると、同じように不安そうな感じをただよわせている。
「帝国兵だ、まさかこんなところまで」
近くの金髪の男性がそうつぶやいた。
「帝国兵?」 「帝国兵だと?」
そのつぶやきが周囲に伝播して、民衆がパニックに陥るまでそう時間はかからなかった。
慌てて東へ逃げ出す人や、あきらめたようにたちつくす人、狂ったように家族の名前をつぶやく人すらいた。
「かあさん、帝国兵とはなんですか?まさか…」
母さんは、それにこたえる代わりに、僕の手を引き東門に向けて走り出した。
◇
東門では、急に内側から押し寄せてきた民衆に対応に、苦難していた。
「向こうから帝国兵が押し寄せてきたんだ、早く逃げないと皆殺しにされるぞ!」
「門を開けろ!」
民衆から怒号が響く。
「ばかな、帝国兵だと?前線が抜かれたという報告も来ていないぞ?」
「しかし、大佐。実際に民衆が暴動を起こしています」
「だが、本当だとすると、かなりまずいそ、へレスよ」
「至急、民衆を避難させ、兵を東門を中心に密集させるべきです」
「間に合うのか。」
「やるしかありません。ここで食い止めなければ、帝国兵は内部になだれ込み、帝国軍の猛攻を許すことになります。」
「わかった、儂は、兵をかき集める、おぬしはここで避難誘導をすませろ」
「了解しました、大佐!」
門が開き、民衆が大勢外へ脱出する。
「押さないで、落ち着いて避難してください。」
◇
「アオイ、こっちよ。」
僕たちは渋滞する大通りをさけて、母さんの知る抜け道から東門を目指していた。
あっという間に東門につく。
そこには、大勢の民衆が列をなしていた。
「意外と落ち着いているようですが」
「ええ、そうね。きっとへレス少尉が避難誘導してるのね」
僕たちは、列の後ろに並ぶ。
その後ろを見ると、多数の兵隊が、民衆の後ろを警護していた、
◇
「次のもの、早く続け!」
門ではへレス少尉が民を誘導している。
門から抜けるとき、へレス少尉と目が合った。
「無事を祈る」
へレス少尉の目はそう言っているようだった、
こうして僕と母さんは無事、街を脱出した。
「アオイ、孤児院についたら、荷物をまとめて。
逃げるわよ。前線後方の要所であるフロシアが陥ちたら、孤児院も危ない、」
「了解です、母さん」
すでに日は傾き、血のように赤い夕焼けと、
ヒグラシのなきごえがあたりに響いていた。
◇
草原を抜ければ、孤児院の門が見えてくる
はずだった。
しかし、そこには以前の孤児院はなかった。
目の前にあるのは、燃え盛る孤児院だった、
僕は茫然とまえをみつめる。
「かあさん、これは」
夜の闇と、孤児院の炎で、目がちかちかする。
「アオイ、母さんは孤児院に戻るから、あなたは先に逃げなさい」
「そんな。母さん。いやだ」
「アオイ、ごめんなさい。でも、わたしは行かなくちゃ、身勝手な母さんを許して」
母さんは孤児院に向かっ走り出した。
しばらく、僕はひとりで、孤児院を見つめていた。
このまま逃げていいのかー
後悔しないのかー
いや、するに決まっている。
まだ、僕は孤児院の仲間に別れを告げていない、
そればかりか、一番世話になった、大好きな母さんに感謝の思いすら伝えていない、
なら、もうすることは決まってる。
暗闇の中、僕は孤児院に駆け出した。
◇
炎上する孤児院の門をぬけると、孤児院の庭に出た。
庭には、孤児院で暮らした家族の亡骸が転がっていた。
「スザク!」
孤児院から出る前に見たスザクの笑顔が、脳裏によみがえる。
スザクの亡骸は、何者かに食い散らかされたようであった。
「なんで、こんなことに…」
「ア、アオイ…」
「かあさん!!」
母さんは体中にやけどの傷を負っていた。
「アオイ、帝国軍が探してるわ。何人かはうまく逃がしたけど、もうすでにたくさん子どもが殺された。あなた一人なら逃げられるわ。」
「いやだ、母さんも一緒に逃げよう。」
「いいえ、私はもう足手まといにしかならないわ。それよりもアオイだけでも逃げて。それから生き延びた子供たちを探し出して助けてほしいの。」
「いやだ、母さん」
「アオイ、今まで楽しいときを私にくれてありがとう。ごめんね、あなたを最後みんなで送り出すことができなくて。でもこれだけは忘れないで、あなたのそばにはいつでも孤児院のみんなとつくった思い出が…」
「かあさん、いままで捨てられた僕に、愛情をもって育ててくれてありがとう。」
涙が溢れ、頬からつたいおちる。
「アオイ、形見替わりにこれを持っていきなさい。生き延びた子たちを任せたわよ」
僕は、形見の水晶と金貨の入った袋を受け取る。
「母さん、ありがとう。」
僕は、涙を振りほどきながら孤児院を背に走りだした。
明日も出します。
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