第一話 始まり
其処らへんにいる普通の30代の会社員の俺。
顔の偏差値は下の上くらいは流石にいっていてほしい。
嫁さんはおらず、毎日パソコンに向かって酒を片手に動画を見てるか、仕事をしている。
狭い我が家では一人ぼっちだが決して友達はいないわけではない。
そんな普通の俺は今日も古い屋上で一人、コンビニのあんぱんを齧りながらボッチ飯を満喫していた。
頭上には雲の無い水色と青色のグラデーションで出来たような青空が広がっている。
小さい頃は晴れの日も雨の日も空の下を駆けずり回っていたが、今はもう体力的に無理だろうな...。
多分2分くらいでダウンするだろう。
これでもぎゅうぎゅうの満員電車で鍛えてるんだけどな...。
今思うと子供の頃から俺はかなり変わった、いや変わってしまった。
虫はもう触るどころか見るのも無理だし、甘いものは胃もたれがするようになった。
それに最近全身が悲鳴を上げている。
「全部歳のせいか...」
あの頃の俺に戻りたい...
そんな事を考えながら俺は眩しい空を見上げていた。
すると、突然バン、とドアを乱暴に開ける乾いた音が聞こえた。
死角になっているようで俺には気付かなかったみたいだ。
俺は少し顔を覗かせ、出て来た人を見る。
その人は中年太りの俺より年上の、一度くらいしか顔の合わせたことの無いおっさんで、
汗と涙を頬に流しながら屋上のフェンスに手を掛けて空を眺めている。
「もう、これで最後だ...」
そう言いながらおっさんはフェンスの向こう側に乗り出し始めた。
えっこれやばくないか。
ぼーっと見ていた俺はその人生に一度見るか見ないかくらいの衝撃的な光景で我に返る。
明らかにこれは自殺しようとしてるだろう。
駄目だ。
何があったか俺には分からないが止めなくては。
俺は鈍っていた体に鞭を打ち、10年の中で最速であろう速さでおっさんのところに向かい、体を掴む。
おっさんは最初こそ驚いた顔をしていたが、俺を睨み始め、掴んだ手を引き離そうとする。
「もうやめてくれ!うんざりなんだよこの世界は!」
「やめろおっさん!生きててもろくな事無くても死んだら楽しいことまで全部無くなっちまうんだよ!」
「楽しい事が無いから死にたいんだ!」
おっさんは汗ばんだ手で俺の腕を掴み、引き離そうとする。
フェンスはぎしりと音を立て、今にも壊れそうだ。
腕にかかったおっさんの体重で俺は少し前のめりになってしまい、そこそこに高いビルの真下の景色が目に焼き付く。
おっさんも下を見た時小さく悲鳴を漏らした。
やっぱり死にたくはないのだろう。
俺は必死にその景色から目を逸らし、腕に力を込めて引き上げる。
すると、おっさんは案外大人しく無抵抗になってあっさりとフェンスの向こうへ上がってくれた。
肩の力は抜け、腕がじんじんと痛んでいることに気付いた。
そして俺はおっさんに何か言っておこうと思い、おっさんのほうを向いてフェンスに腰を掛ける。
その瞬間だった。
「えっ」
突然錆びていたフェンスがぱきん、と乾いた音を出して壊れたのだ。
するとどうだろう、バランスを崩した俺は案の定屋上の外へと放り出されてしまった。
目に映るおっさんは焦った顔をしてこちらに手を伸ばそうとしている。
だがそれも空しく掴めない。
俺は空中に浮かび真っ逆さまに落ちていった。
俺は何の声も出なかった。
ただ冷たい空気が忙しく喉を出入りしているだけだった。
それどころか最後に見たのが将来出来るはずの妻の顔ではなく、
優し気なおっさんの顔だったことが少しショックだったのだ。
ありがとよ...おっさん...
そしてさようなら...将来出来るはずの妻よ...
そして俺は地面に叩きつけられ、一瞬で意識を失った。
最後に見たのは青空だった。