三軍男子、告白する
「トモの様子、なんかおかしくね?」
昼休み、教室でいつものようにスマホでゲームをやっていたら急に大輔が言い出した。
スマホを高速でタップしながら僕は、そうかな、と興味なさそうに答えた。
「別にいつもと同じだと思うけど」
スマホの画面の中では、僕が操る黒装束の狂戦士が長刀を振り回している。
「いや、なんかおかしいって。最近、口数も少ないし、ゲームの話にも上の空だし」
顎に手をあて、ぼさっとした長髪の下にあるキツネ眼を細める。
そこへ太った少年がやってきた。
「昨日のクエスト、エゲつなかったね。あの古竜、鱗が三重なんて防御力強すぎ」
こいつは健司。デブに加えて運動神経ゼロ。体育のサッカーではコーン(工事現場なんかにある赤い三角のやつ)扱いされてるが、ゲームは上手い。
「なあ、トモの様子おかしくねえか?」
大輔がしつこく繰り返した。健司が首をかしげると、辺りを見回して声を潜めた。
「あれ恋煩いじゃないかな? トモ、好きな女子ができたんだよ」
恋煩い、というなんだか古めかしい単語に僕は苦笑した。
「好きな女子って……相手は?」
「藤間――」
藤間涼香と西智也は同じ図書委員だ。本好きという共通点があり、お互いにおもしろい本を教え合ったり、貸し借りしていた。
智也は上に姉、下に妹がいることもあり、僕らの中でいちばん普通に女子と話せた。
ただ男としてモテる、というのとはちょっと違う。女子と接するとき、肩の力が抜けているのだ。男兄弟で育った僕にはそれがうらやましかった。
「思い過ごしだろ。藤間ともただの友達だよ」
なんで大輔が急にそんな話をしたのか。妙な居心地の悪さを感じた。恋バナなんて自分たちらしくない。
僕たちはクラスの〝3軍男子〟に属していた。
1軍は野球部やサッカー部などのメジャー系の運動部に所属、あるいは見た目もかっこよくオシャレで、他校の女子なんかとも遊んでる連中。
2軍はそれなりに容姿が整い、勉強もそこそこできるタイプ。コミュ力があり、とにかく敵を作らず、空気を読む能力に長けている。
3軍の説明はとりあえず飛ばして、4軍にいこう。
4軍はアニメとかアイドル、パソコンとか電車にハマってるオタク連中。とはいえ、道を極めた彼らは今の時代リスペクトされる。
問題は3軍だ。
とりたてて勉強やスポーツができるわけでも、オタクになれるほど特別詳しいジャンルがあるわけではない。成績も中の下。
ようするに〝ミスター普通〟の集まり、クラスでいちばん地味な存在――それがまさに僕らだった。
三人で話していると、噂の主――西智也が近づいてきた。小柄な体で、色白のやさしそうな顔をしている。
「ね、みんな、今度出る拡張版パッケージは買う?」
大輔がないない、と手を振った。
「DL版より3000円も高いんだろ? そんなもん買えるの貴族だけだろ」
廊下側にある智也の席は、クラスの一軍男子に囲まれていて、居心地が悪いのか、何かと理由をつけてはやって来る。
「アートブックとかフィギュアがついてるらしいよ」
「同じゲームで5種も出すかね。運営もアコギすぎねえか」
「じゃあ、みんなでお金を出し合って買うのは?」
それいいね、と太った健司が賛成した。
「僕、フィギュアが欲しいな」
僕たち四人は高校に入学したとき、同じクラスになり、ゲームという共通の話題で友達になった。進級のクラス替えでも奇跡的にバラけず、もう二年近い付き合いになる。
ちょっと口が悪いけど兄貴肌の大輔、空気を読まない健司、優しくておっとりした智也、とりたてて個性のない僕……四人はいいバランスがとれ、3軍男子なりに充実した高校生活を送っていた。
◇
放課後、駅前のファーストフード店の二階には、大学生や会社員に混ざり、制服の四人の男子高校生の姿があった。
僕たちは携帯ゲーム機を手に、黙々とゲームに興じていた。放課後は暗くなるまでここで遊んでいくのが常だった。
巨大なモンスターが口から火炎を吐き、パーティが全滅した。
「あー、だめかー」
携帯ゲーム機をテーブルに置き、大輔が息をつく。
「こいつ、攻撃力ヤバくね?」
「心臓落としても死なないもんね」
「登場のBGMだけで心折れかけるよな」
大輔と健司が口々に言い合う中、僕はテーブル越しに西智也の顔を覗き込んだ。
「トモ、なんか調子悪い?」
「え?……」
少年が困惑したように顔を上げる。
パーティの後衛を務める少年はヒーラー役だった(聖女のキャラを操った)。負傷したメンバーがいれば、魔法や薬で体力ゲージを回復させるのが彼の仕事だ。
(トモ、今日はてんで動きがダメだった……)
だいたい店に来る前からなんだか沈んだ顔で、言葉数も少なかった。ゲームが手につかないというか、心ここにあらずといった感じだった。
「なんか悪いもんでも食ったとか?」
食いしん坊の健司が冗談めかして言うと、智也は押し黙った。僕は大輔に目配せをして言った。
「あのさ……トモ、何か悩んでることがあるんじゃないか?」
智也の顔に明らかに動揺が走る。図星だったようだ。
「とりあえず言ってみなよ。みんな、力になるからさ」
藤間涼香に告白すべきか迷っているなら、アドバイスぐらいはできる。もっとも三軍男子の恋への助言など、たいした役に立たないだろうが――
智也はしばらく沈黙し、やがて意を決したように口を開いた。
「……実は、みんなに話があるんだ……」
大輔が「なんだか重そうだな」と茶化して空気を和らげようとした。
「……まじめな……話なんだ……」
声が震えていた。ただごとでない気配を感じ、三人は軽口を控えた。
「僕――」
智也がそう切り出したとき、階段から人の集団が上がってくる気配がした。
「サイテーだよ、バンバンが休みなんて」
「結局マックかよ。他に店ねえのかよ」
「座れそうなの、ここぐらいしかねえんだよ」
声に聞き覚えがあった。同じクラスで野球部の内海だった。他の二人はサッカー部の藤堂とバスケ部の金本。体育会系の三人はよくつるんでいた。
空いている席を探していた内海の目が僕と合った。長身の少年たちが近づいてくる。テーブルの携帯ゲーム機を見て、内海があきれたように笑う。
「おまえら、いっつもゲームやってんのな」
大輔が、うっせーな、と口を尖らせる。
「俺らはここの常連なんだよ。おまえらこそ、部活はサボりかよ」
大輔は昔、リトルリーグで野球をやっていて、内海ともチームメイトだった。中学の野球部で顧問といろいろ揉めたらしく、高校では野球を続けなかった。
「今日は運動部は練習休みだよ。今どきブラック部活は流行らねえのさ。ウチの学校は文武両道をモットーにしてるからな」
お目当てのカラオケ店が調理器具の故障で臨時休業だったらしく、他に入れる店がなく、ここへ流れてきたという。
「内海、あそこのテーブル、空いたぞ」
サッカー部の藤堂が言い、内海が「じゃあな」と去っていった。三軍男子の存在など忘れたかのように、他校の女子とカラオケに行く話をしていた。
「めんどくせえ連中が来たな」
大輔にすれば、自分たちの聖域を荒らされた気分なのだろう。
「別の場所に移動するか?」
そうだね、と僕が答えた。ここでは智也の〝大事な話〟とやらを聞ける雰囲気ではない。
こうして僕たちはファーストフード店を出た。外にとめてあった自転車に跨がり、四人で近くの公園に向かった。
空はもう暗くなりはじめていた。外灯の下に木のベンチがあり、真ん中に智也を座らせ、僕と健司が両側に座った。
「で、智也――なんだよ、話って」
自転車のサドルに跨ったまま、大輔が仕切り直すように訊ねた。
「あ、うん……」
口ごもり、目を伏せる。二年近い付き合いになるが、智也がこんな思い詰めた顔をするのは初めてだ。
本当に女子への恋煩いだろうか? 親の都合で引っ越すとかではないか。でも高三直前のこの時期に?
なおも数十秒の沈黙があり、やがて息を吐き出すように智也が言った。
「……僕……男の人が……好きなんだ……」
一瞬、意味がわからなかった。野球で言えば、ストレートかカーブかで球を待っていたら、頭上からタライが落ちてきたというか。
「……僕……たぶん、ゲイなんだと思う……」
目を伏せながら、ぽつりぽつりと智也はしゃべり出した。
「……みんなに言うかどうかすごく迷ったんだけど……三年で別のクラスになって、みんなとはバラバラになるかもしれない……だから、その前にちゃんと伝えておきたいと思って……」
歯がカチカチと震え、膝の上で拳をぎゅっと握っていた。
「……他の人なら言わなかったと思う……みんなにはどうしても知ってもらいたかったんだ……僕の本当のことを……たとえ嫌われてもいいから……」
僕たちは声を失っていた。たぶん、みんなどうリアクションをとっていいのかわからなかったのだ。
ゲイやレズビアンはLGBTなどと言われ、昔よりもオープンに語られている。
だが、東京や大阪ならともかくここは地方都市だ。少なくとも僕の身近にそういう人はいなかった。
最初に口を開いたのは兄貴肌の大輔だった。
「……別にいいじゃねえか、おまえが男を好きでも、ゲイでも。俺たちが友達であることに変わりはないだろ」
大したことじゃない、という感じだった。
「なんだよ、えらく深刻な顔をして言うもんだから、もっとヤバいことかと思ったぜ。親が借金を背負って夜逃げするとかよ」
大輔が肩をすくめた。たぶん大輔もショックを受けていたはずだ。だが、あえてぶっきらぼうな言い方をして、智也の緊張をほぐそうとしたのだろう。
僕も大輔のノリに乗ることにした。
「うん、てっきり転校でもするのかと思った……ま、でも何も変わらないよ、トモ。明日からまたいつもみたいに遊ぼうぜ」
すると何を思ったか、太っちょの健司が空気を読まずに言った。
「ねー、話変わるけどさ、卵を運んでる古龍の希少種ってどうやって倒すの?」
「おまえ、このタイミングでそれ言うか?」
大輔がにらみつけ、夜の公園に少年たちの笑い声が洩れた。智也も笑っていた。
たぶん、みんな内心では驚いたし、戸惑っていたはずだ。友達がゲイだった事実に。だけど、僕たちはまだ子供で、どう対応していいかわからなかった。
ただ、一つ言えたのは、智也がこれからも僕たちの友達だということだ。
◇
翌日、教室に入ると、一軍男子の内海たちが妙にニヤニヤしていた。
智也が登校してくると、内海がポケットからスマホを出して、少年に差し出した。
「これ、おまえんだろ? 昨日、店に忘れてたぞ」
智也が強張った顔でスマホを受け取る。
「おまえ、男が好きなの?」
内海が急にそう言い、智也の顔がぎょっとしたように固まった。スマホの中身を覗き見したのだろう。
「別にいいと思うけどさ、正直、俺、そういうのちょっと気持ち悪ぃんだわ。せめて席、替えてくんねえかな?」
智也が青ざめている。周りの生徒たちは状況が理解できず、やり取りを黙って見守っている。
ガタンッと椅子を鳴らし、智也が立ち上がると、教室を飛び出していった。席の近い健司がすぐに外へ追いかけていく。
僕は一瞬、迷った。智也を追いかけるべきか、内海たちに食ってかかるか。だが――そのときにはもう大輔が内海に殴りかかっていた。
長身の体が机にぶつかって倒れ、女子たちの悲鳴が教室に響いた。
床に尻餅をついたまま、内海が切れた唇を手でぬぐい、怒りで肩をいからせる大輔をにらみつける。
「なんだよ、おまえらホモ達かよ?」
「てめえ!」
再び殴り合いが始まり、すぐにサッカー部の藤堂とバスケ部の金本が内海の助けに入る。3対1の状況を放っておけず、僕は大輔に加勢した。
◇
放課後、僕と智也は自転車で家路についていた。僕の目の周りは青アザで腫れていた。
大輔の助けに入ったはいいが、相手は現役の体育会系、しかも三人だ。あっという間に返り討ちに遭い、僕も大輔もボコボコにされた。
その後、保健室でケガの治療を受けた後、職員室でたっぷりと先生にお灸を据えられた。
僕も大輔もなぜ喧嘩をしたのかは絶対に言わなかった。言えば、智也がゲイであることがバレてしまうからだ。
ようやく解放されて職員室を出ると、外で智也と健司が待っていた。
「おまえ、トモを追いかけて教室を飛び出すの早かったよな」
僕が感心したように健司に言うと、太った少年は悪びれずに肩をすくめた。
「あそこにいなければ内海たちと喧嘩しなくて済むからね」
その日はおとなしく授業を受け、いつものファーストフード店には寄らずに家路についた。途中、大輔たちと別れ、家の方向が同じ智也と僕が二人きりになった。
「あー、口の中がまだ痛ぇ……今日は飯、食べられるかな……なんか殴り合いなんて久々だなぁ……」
智也がくすっと笑った。
「久々? 一度も見たことないけど」
「いやいや、小学校のときはヤンチャだったんだぜ。それに、あいつらにもそれなりの手傷を負わせてやったろ?」
内海たちも喧嘩の原因は語らなかった。LGBTに敏感な世の中だ。智也に言ったことがバレたらまずいと思ったのだろう。
僕はブレーキを絞り、自転車を止めた。智也もペダルから足を下ろす。
「……あのさ、トモ、いちおう訊いておきたいんだけど……」
緊張を隠しながら僕は言った。
「俺たちの中に好きなやつとかいるのか?」
智也が虚を突かれたように目を丸くする。
「いや、変な意味じゃないぞ。誤解するなよ。大輔と話したんだ。いるならいるでいいんだ。誰かは知らないけど……そいつはトモの気持ちをちゃんと受け止めて、真剣に考えた上で返事をする……と思う」
口ごもりながら僕は続けた。
「……ただ、もしいるなら……聞いておいた方がいいのかなって……」
少年がしばらく黙り込み、やがて優しげに笑った。
「好きな人はいるよ――けど、それは学校の人じゃないんだ。年上の人。だから、みんなの誰かを好きとかはないよ」
「そっか……」
僕は正直ほっとしていた。やっぱり男として好きだと言われても、どうしていいかわからなかったと思う。普通に友達を続けていけるか自信がなかった。
道の分岐点に来た。
「じゃあ、また明日、学校でな。絶対に来いよ。内海たちがなんか言ってきたら、またボコボコにしてやるからよ」
「ボコボコにされたんでしょ?」
僕は、まあなと照れたように笑うと、手を振って、自転車のペダルをこぎ出した。
西智也は遠ざかっていく自転車をじっと見つめていた。
ポケットからスマホを出し、画像を呼び出した。そこにはゲームのキャラ同士が並んで写っていた。
白装束をまとったヒーラーの聖女と肩を組んでいるのは、長刀を肩に担いだ黒装束の狂戦士、それは今、手を振って別れたばかりの少年――望月航太が好んで使うキャラだった。
智也は切なそうに画像を見つめた。
少年は告白はしたが、もっと大切な告白はしなかった。だが、それでいいのだと思った。この恋はずっと秘めた恋でいよう。そうすれば彼とは友達でいられるのだから。
スマホをポケットにしまい、夕暮れの空を見上げて小さく息をつくと、少年は自転車のペダルに足をかけた。
(完)