第一話
残念ながら、人間のやる気というものは長続きしないものである。
「ああ、疲れたー」
先程までのやる気は何のそのというばかりに、気が抜けてしまったのか、ダンジョン探索の準備をすることなく俺はベッドに寝転がった。
ふかふかとしたベッドの感触に身を包まれ、力が徐々に抜けていく。
完全に脱力した頭の中にはダンジョンを探索するという熱意は欠片もなかった。
(ああ、このままだらだらしてぇ)
そんな本音と欲求が頭の中を支配していく。
先程までは確かにあったやる気も、安心感と疲労感にあっさりと敗北し、薄れていった。
ダンジョン内や仕事場はもちろん外にいる時はなんだかんだ気が抜けなかったが、憩いの場である自室に入ると緊張の糸が切れてしまう。
(一日に二回仕事するのが普通っておかしいよな)
それもこれも現在の労働環境が悪いと思う。
仕事を一つ終わらせて、またもう一仕事しなくてはならないなんて、しんどいと言わざるを得ない。
一つ当たりの仕事における労働時間こそ少ないが、普通の会社員としても働いて、命の危険のある探索者としても働かなければならないのは、大きなストレスになっている。
特に三十を超えた辺りからそれを大きく感じていた。
(探索者として生きていくのが夢だっただけましだが)
夢というのは人生を決める大きな要素になる。
幼い頃から夢を叶えるために、剣を握り続け鍛錬に励んでいた。
その結果、探索者を養成する学校に通うことができたのである。
(まあ、夢半ばで挫折したがな)
鍛錬に励んではいたが、ダンジョン探索は簡単ではなかった。
剣の腕だけではどうしようもなく、人間とモンスターでは勝手が違い過ぎて上手く対応できなかったのである。
まさか、あそこまで対応できないものなのかと愕然とした記憶は今でも鮮明に覚えていた。
(それでも意味はあったと、確信してはいるが)
死に物狂いで手に入れた力は夢に届かなかったが、結果としてダンジョンで大きな怪我をすることなく、五体満足でいられている。
それは先人の教えであったり、経験であったり、鍛錬の成果であったり様々であるが、確かに俺の身を守る力となって貢献しているのだ。
もしもこうした努力もせず、鍛錬をさぼっていたならば、今頃大怪我の一つや二つはしていただろう。
ダンジョンから採れる素材もあって、現代の医療技術は大きく発展している。
四肢の欠損程度であれば何とかできるようになっているほどで、探索者という職業が一般にも受け入れらている一助にもなっているが、そこまでの怪我をしてしまえば若干の後遺症は覚悟しなければならない。
そうした後遺症は小さなものであっても齟齬を生む。
齟齬は命のやり取りをする探索者としては絶対に避けたいものであり、生まれてしまえば探索者として稼ぐ能力を下げてしまい、将来に大きな影響を及ぼす。
(それもこれも、現代の労働環境のせいだよな)
今の時代は若いうちにできるだけ稼いで、能力の衰えでダンジョンに潜れなくなる前にできるだけ貯蓄を増やすのがスタンダードになっている。
探索者は自身が元気であって成立する職業だ。
衰えは死に直結する。
(憂鬱な考え事は止めて、そろそろ、準備をしますか)
そんなことを思いながら更に二十分ほどダラダラした頃には、だいぶ気持ちを持ち直すことができ、身体を起こすことに成功した。
依然として身体のだるさは残ったままだが、ダンジョン探索をしなければ生活が維持できないため、どの道ダンジョンへは行かなければならない。
「着替えるか」
安い上に防弾・防刃機能の優れた中堅探索者御用達の服へと着替え、武器類や防具の準備をする。
俺のメイン武器は刀で、サブとしてナイフを装備している。
他にヘルメットや肘や膝を守るためのパッドを付け、探索用の品を入れたリュックを背負って準備は完了した。
「さて、稼ぎに行きますか」
今日は空いているし、いい狩りができるだろう。
そんなことを思いながら俺はマンションを出ると、気持ちを奮い立たせダンジョンに向かうのであった。
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