06
俺はどうやら容疑をかけられていて、警察に捕まっているらしい。
警察側は誰も俺に説明してくれない。
俺は、ようやく弁護士と話しをすることが出来た。
「林さんですよね?」
俺は答えた。
「はい」
「驚かないで話を聞いてもらえますか。もう何度か説明しているんですが」
「いや、何度もってどういうことですか。一度も説明はしてもらっていません」
いつも顔だけ合わせるけど、肝心な話をせずに帰るのはそっちじゃないか。
俺はそう思っていた。
「やっぱりお医者さんと一緒に対応した方がいいですね。私は初めてのケースなんですが、あなたに事件の肝心な話をしようとすると、別の人格が出てきてしまうようです」
「は?」
別の人格? 別の?
まさか、家に誰か侵入されたのではなくて、自分? あのどす黒くて重い霧の中から出てくるのは、俺? 俺自身…… いや俺の別人格に入り込まれた、ということなのか。
「順番を変えてお話すればいいのかな? ちょっといつもと順番を変えて話してみます」
「……」
「林さんですよね?」
何故そんなことを聞くのだろう、と思いながらうなずいた。
「これ、見覚えありますか? 本物は警察が押収しているから似たようなものを探しているので、多少違うのは勘弁してください」
弁護士はマスクとサングラスをかける。
何かが違うが、言いたいことは判る。
「インターフォンに映っていた人物ですか?」
「そうです」
「それがどうかしましたか?」
「あれは、あなたです。あなたの家から見つかりました」
「そんな! だって、インターフォンを押した奴は何度も追いかけました」
弁護士はため息をつきながら言った。
「林さんですか?」
またか。俺はイライラして聞き返した。
「その質問なんですか?」
「私は医者じゃないので話が通じる相手か確認する手段がこれしかないんです。話の途中で人格が変わると、また出直さなきゃならないんですよ」
「……」
「じゃあ、こうしましょう。いろいろ動揺するような話があるかもしれませんが、左手を『こう』上げていてもらえませんか。左手が上がっている間は『林さん』の人格と話している、とこちらで認識しますので」
「こう、ですか?」
俺は左手を上げた。宣誓をするような感じだった。
「ご近所の子供が面白がって動画を撮っていたので見せていただきました。確かに誰もいないのに家からサンダルで飛び出してきて追いかけていました」
「そんなの前後や周りを見てなければ……」
「何度も見ているみたいです」
「……」
多重人格者の言い訳は聞く耳持たないということか。
「次に、QRコードの紙が押収されています。これもご自宅から見つかりました。血がついてしまってダメなのもありましたが、警察側がなんとかインクと血液を分けてQRコードを再現したみたいです。アカウントは林さんのスマフォと関連づいていました」
「どういうことですか?」
「それは私も聞きたかったんです。どうして動画を上げたんですか?」
「俺が?」
「先ほども言った通り、林さんのスマフォのIDからアップされたものです。殺害そのものを映したものだったらしくて、ヨウツベのAIで自動的削除されています」
俺は、言っている意味を考えて激高した。
「何を言っている。俺が殺害動画を上げただって? 俺が? 俺自身が、何のために!」
頭が痛い。
俺は左手を上げていた。激痛は右手で抑えていた。
「私にもわかりません。なんで動画をアップしたか。なんでインターフォンに自分で自分を映していたのか。わざわざQRコードをパソコンで印刷するまでして」
「頭が…… 痛い……」
弁護士は続ける。
「大量の猫砂やペット用のトイレシートを購入している姿もホームセンターの防犯カメラに映っていました。あなたは自分で殺した奥さんを自宅で保管する際の、腐敗臭などの対策で購入されたんですよね?」
そうか…… すべてはあの中に、浴室の中にあったのか……
「何が不満で奥さんを殺したのか、家族全員を殺すほど、あなたが何に追い詰められていたのか、私は弁護するために、それが知りたいのです」
「……」
左手を上げていられない。
しかし俺は最後の力を振り絞っていった。
「妻が浮気……」
「奥さんが浮気していた? そうなんですか? 林さん、林さん!」
別の日、再び弁護士がやってきた。
俺と向き合って、襟を正すと、弁護士は言った。
「林さんですか? 申し訳ございませんが、左手を上げてください」
俺は思い出し、左手を上げた。
「お医者さんの方でも検査していると思いますが、林さん。あなたは解離性同一性障害というもののようです。林さんの後ろにもう一人の人物がいらっしゃると考えると簡単だと思います。一般的に多くの人はそのような複数の人格が切り替わるような精神状態にはないんです。あなたの場合はそうではない。これは医師から伝えられるべきですが、林さんが理解していないと、今回の件が納得いかないかと思いまして、説明させて頂いています」
返事をするべきなのか、判断がつかなかった。俺は黙っていた。
「理解していただいたとしてお話します。林さんと私は事件の流れを何度か確認しましたが、もう一度ここで整理します。インターフォンを押してQRコードをインターフォンのカメラに向ける謎の人物。これが事始まりで、この人物が常にキーポイントとなって、奥さん、息子さん、娘さんと順番に行方不明になっていきました。林さんとしては、まったく素性のわからないこのサングラスとマスクの人物にかき回されたことになります」
俺は左手を上げたままうなずいた。
「この人物が林さんの体の中にいる、別の人物だったとします。あくまで仮定です。けれど、この仮定を行うことで、何か解決することがあるんじゃないですか? ちなみに、私はこの解離性同一性障害を持ってあなたに課せられる刑を軽くしてもらうことを考えています」
「何か解決すること?」
弁護士は腕を組み考え、一方の手を顎につけた。
「例えば、知らぬまに手が汚れていたとか、ぶつけた覚えがないところをケガしているとか。林さんの体には残っているのに、記憶にないことが解決しませんか」
「……」
「例えば、頭痛がして寝てしまった『らしい』など曖昧な部分が多いですが、その間は人格が入れ替わって『別の林さん』が動き回っているとしたら?」
おれは思い出した。
大した距離を走ったわけでもないのに、翌日に強い筋肉痛や疲労感があった。あれが入れ替わった人格によって体を動かした結果だとしたら……
「確かに、翌日覚えのない筋肉痛や疲労感があったことの説明はつくかもしれません。けど……」
「けど、そういうことなんです。お互いの人格で会話したり、記憶を共有したりする人もいるようですが、林さんの場合は会話も、記憶の共有もできないみたいですね。ヨウツベで削除された動画が、それを裏付ける証拠となっています」
頭が痛くて一日会社を休んだ日も、ほとんど記憶がなかった。
「人を風呂場で解体するのはかなりの作業なんです。筋肉痛や疲労感は残ると思いますよ」
「えっ? 俺が人を……」
人ではない。妻、長男と長女。かけがえのない家族を…… 解体した?
「林さんは、かなり前から浮気は疑われていたようですが。こちらで、改めて調べてみましたが、奥様が浮気しているような事実はありませんでした」
「そんな……」
「あなたを、家族を愛していたんですよ」
家族を殺された俺にそんなことを伝えに来たのか……
「あなたが勝手に抱いた、漠然とした不安が引き金となり、もう一人の自分によって奥様を殺すことになった」
「やめてくれ」
「その奥様の殺害に気づかれそうになった息子さんを同じように殺し、解体し、最後は娘さんまでも……」
「嘘だ……」
俺は左手の約束が守れない状況にあることを理解した。
『死にたいか?』
誰だ?
『俺だよ。今、楽にしてやるよ』
もう疲れた。考えることも、話すことも。
『そうだろ。まかせとけ』
どす黒く重たい霧が体を固め、埋めていく。足が動かなくなり、次第に上がってくると腰、胸。霧より上で出ていた腕も動かなくなる。口が埋まり、鼻が沈む。息ができなくなり、目も開けていられなくなる。
眠るように…… 意識が薄れていく……
「はあ。お前は、もういい。帰れ。俺が表にいつづければ、医者も心神喪失状態と認めるのだろう」
弁護士は、男の態度が変わったのに気付いた。
「はぁ……」
そう言って、肩の力が抜けた。
「今度こそこの体は俺が支配する。嫁は浮気しているかのような素行を直さないから、どんどん不安だけが大きくなる。つまり、あいつがわるいのさ。あそこで動画を止めるなんて、疑ってくれと言わんばかりだ。あれは最後のチャンスだったのに。まったく。嫁を探そうとする樹も、風呂場やらレシートやらを見つけて調べようとした沙耶もおなじさ」
その大きな声に耳を塞ぐわけでもなく、冷静に言い返す。
「君は救いようがない。『林さん』をだせ」
男は立ち上がって、両手のこぶしをハンマーのように握り込み、二人を分かつ分厚いアクリルの壁を叩いた。
弁護士は全く動じる様子がない。
「人を殺めてはいけない。どんな理由があってもだ。さあ、林さんをだせ」
頭を人差し指で何度も指してから、弁護士を見下ろすようにして男は言う。
「あいつは殺した。もう出てこないよ。死んで、この中の風呂場で解体した」
騒ぎ過ぎた男は、部屋に入ってきた拘留係の警察官に抑えられ、留置場へ戻っていった。
その後、弁護士が『林』と会うことはなかった。
おしまい