遅刻理由:ダンジョン
「あー……」
目の前に広がる光景を前に、優一はなんともいえない声を漏らした。
突然の事態に何を言えばいいのかわからなかったとも言う。
とりあえずスマホを取り出して電波状況を確認すれば、なんとか繋がっているらしい。その事実にひとまずは安心する。
それから慣れた手つきで登録してあるとある番号に電話をかけた。
「荒武さん、おはようございます。突然で申し訳ないんですけどちょっと今日遅刻しそうで……はい、コアタイムにもちょっと間に合わなそうなんです。なんかまたダンジョンに迷い込んじゃったみたいで……」
ダンジョンとは、かの異変以降にこの世界に現れるようになった異空間である。
石造りのものや洞窟風のものなどいろいろあるらしいが、ざっくりと言えば"モンスターがうじゃうじゃいて、レアなアイテムや装備品が手に入りやすい空間"といったところだ。
通常は各地に恒常的に、もしくは期限付きで出現しているゲートに自分から飛び込んでダンジョンに入るのだが、ごくたまに強制的に人をのみこむ迷惑なダンジョンがある。
先程まで駅構内を歩いていたはずなのに、一瞬視界が暗転して気づいたときには古めかしい石造りの通路にいた、というはなかなか笑えない。
実のところ優一が強制ダンジョンに巻き込まれるのは初めてではないので、「ありゃ~大変だ。気をつけてね」とのんびりとした感想を述べた荒武はスムーズに遅刻の旨を了解してくれた。
そんな荒武との通話を切った優一は改めて目の前に続くトンネルの先を見据える。
「んー、やっぱ強制ダンジョンだと途中離脱無理なんだよな……」
通常のダンジョンならば専用アイテムの使用やチェックポイントへの到達などで割とライトに脱出することも可能なのだが、この手のダンジョンはそのルール外にある。
経験上すでにわかっていることとはいえ毎回思わず試してみてしまうが、やはりダメらしい。
要するに最下層まで到達するか死亡するまで出られないのだ。
死亡するほうが時間短縮にはなるだろうが、痛い思いはしたくないので最下層を目指す以外の選択肢はない。
みなまで言ってはいないが荒武も最下層まで行くから遅刻するのだということは了解してくれている。
「《従者召喚・ボス》」
肩に乗っているアカメに加えて漆黒の"ダークウルフ"のボスも戦力として呼び出す。
さらに自分自身も私服からバトルを意識した装備一式――腰辺りまでの丈の黒いフード付きマントをメインとした動きやすさ重視の軽装備に一瞬で着替えると、ダンジョンの奥へと足を進めるのだった。
☆★☆
「そいっ!」
正面から向かってきたコウモリのようなモンスター数体に投げナイフを投げつけて倒していく。
他にもクモやトカゲのようなモンスターもいるがそれらはアカメとボスが相手をしてくれているので気にする必要はない。
そこそこの数の群れをニ、三分で片付け、リザルトを確認してからひとつ息を吐く。
ダンジョンを進み始めておよそニ十分。
どうもこのダンジョンはモンスターのレベルは大したことがない一方で数が多いらしい。
現れるモンスター一体一体が強いよりはマシなのだが、面倒だ。時間もかかってしまうのでより出社時刻が遅れていく。
「そこまで深いダンジョンじゃないはずだけど……」
強制ダンジョンはレアダンジョンとも呼ばれ、ダンジョンの規模が小さいという傾向がある。
その一方で手に入るアイテムがレアだったりするので一部の人間には大層喜ばれるのだが、普通の社会人である優一からすれば迷惑でしかない。
誰に向けてという訳ではないが文句を言いたい気分のままドスドスと大股でダンジョンを進む。
アカメは歩くのが面倒なのか優一の肩の上に、ボスは乱暴に歩く優一の後ろに続いてくれている。
そうしてしばらく進んだ頃、進行方向から何かが聞こえた。
今まで無音だったはずのトンネルに突然響いた異音に足を止めて耳を澄ませば、それがこちらに近づいてきていることに気づいた。
頼りになる従者であるボスが優一を守るように前に立つ。
その一方で肩の上から動こうともしないアカメに内心「この野郎」と思いつつ優一も投げナイフを構えて正面から接近するものに備えるが、途中で異音の正体が人間の、おそらく女性の悲鳴であることに気づいた。
「わああああああ! 無理無理無理!」
未だ何が向かってきているのかはわからないが、悲鳴の内容ははっきりと聞き取れた。
完全に何かから逃げている人間のそれに、おおよその状況を理解する。
「逃げてきてる人! そのまま真っ直ぐ走って! 絶対横にそれたりしないで!」
大声で注意を促しつつ、ボスとアカメにそれぞれ指示を出して準備をさせる。
ボスは大きく息を吸いこむと共に魔力を高めて淡い紫の光を纏い、アカメは額の宝石に光を集める。
逃走者が目視できる位置まで来れば、その背後から迫ってきているモンスターの姿もはっきりと見えた。
ここまで倒していたザコと比べれば明らかにレベルの高そうな大型のイノシシのようなモンスターがまさに猪突猛進という言葉がピッタリな勢いでこちらに迫ってきている。
「よし! ふたりともぶっ放せ!」
逃走者との距離が三メートルほどになったタイミングで鋭く叫べば、従者ふたりがそれぞれ紫と赤の閃光を解き放つ。
まさか自身のいるほうに向けて攻撃が飛んでくるとは思っていなかったのか逃走者が「うええええ!?」と驚きの悲鳴をあげつつすっ転んだが、それを助けてやる余裕はない。
そんな逃走者の左右をそれぞれの閃光が走り抜け、後方から迫ってきていたモンスターに直撃する。
「おまけ!」
ちょうど射線を塞いでいた逃走者が転んでくれたのをいいことに優一もナイフを投げて追撃する。
赤い光を纏ったナイフは吸い込まれるように二体の攻撃で悶絶していたモンスターの顔面に突き刺さり、少し遅れて爆発した。
投擲武器の攻撃スキル、《ニードルマイン》。
ヒットから数秒の時間差で爆発する、優一の使える中でも火力の高い攻撃スキルだ。
いかにもタフそうなモンスターではあったが正面から優一たちの一斉攻撃を受けたのは流石に堪えたらしく《ニードルマイン》の追撃を受けてそのまま消滅した。
それ以外にモンスターがいる気配がないことを確認しつつリザルトを流し見ていて、ふと未だにひっくり返ったままの逃走者の存在を思い出した。
「あのー大丈夫ですか?」
「……あ、はい。大丈夫です」
予想の通り女性だった逃走者はステータスを他人に見られないようにシークレットモードにしているのかジョブやレベルなど情報はわからない。
それ自体は個人情報保護のためによくやっていることなので特別珍しくもない。
そのため彼女のジョブは不明だが、一応は槍を持っているし軽そうな鎧も着てはいる。
しかし装備の見た目は割とチープなもので、あまり性能の良いものではないことは察せられた。
あまりバトルに慣れていないのにダンジョンに迷い込んでしまった可哀想な被害者、といったところだろう。
「んー、もしかしなくても驚かせちゃいましたかね」
バトル慣れしていないにも関わらず、狙いを外されていたとはいえ自分のほうに魔法攻撃が飛んできたのだ。
実際驚いて転倒していたくらいなので、かなり驚かせてしまったかもしれない。
「あ、いえ、びっくり……はしましたけど、おかげであのイノシシに踏んづけられたりしなくて済みました。ありがとうございます」
お礼を言ってくる彼女だが、まだ地面に座ったまま。
こちらに悟らせまいとしているようだが、どうやら驚きのあまり腰が抜けているようだ。
「立てない、ですよね?」
「……はい、すいません」
「いえ、こっちが考え無しだったんで」
深く考えずにあのような方法で戦ってしまったが、もう少し彼女のことも考えて助けるべきだったと反省する。
しかしダンジョンのど真ん中で悠長に座っているわけにもいかない。
時間が経過すればモンスターがリポップしてしまう可能性もあるのだ。
優一たちは特に問題ないが、ただでさえバトル慣れしていない上に腰が抜けて立てない彼女はかなり危ない。
「とりあえず移動はしましょう。えっと……」
「は、春本香菜です。戦闘はあんまりしてないけどジョブは〈ヴァルキリー〉です」
「春本さん、ね。こっちは小森優一。〈テイマー〉です」
助け起こして運ぶにしても残念ながら優一は男としては貧弱なほうに分類される。
軽めとはいえ鎧を着ている女性など運べないし、そもそも初対面の女性に軽々しく触れるのは春本にも悪い。
「《従者召喚・クマ太郎》」
呼び出した"グリズリー"のクマ太郎に春本が若干驚いたようだったが、すぐに敵意がないとわかったのかほっと息を吐き出す。
「腰抜けちゃってるんですよね? この子に乗ってもらっていいですか?」
「え? いいんですか?」
「まあここに残していくわけにもいきませんし、クマ太郎は力持ちだから安心してください」
「それじゃあお言葉に甘えて……」と優一の手を借りつつクマ太郎に跨る春本を確認してから、ダンジョンの奥への移動を再開する。
急にクマ太郎に乗せてしまったが大丈夫だろうか、と思っていた優一だが当の春本は「わ、モフモフだ」と感心しているので問題なさそうである。
先程までとは打って変わってあまりモンスターに遭遇しない。
そう疑問を零せば、先程のイノシシのモンスターから逃げている道中に他のモンスターも現れはしたのだが、全部あのイノシシに踏み潰されてしまったのだと春本が説明してくれた。
モンスター同士での争い自体別に珍しいことではないので彼女の説明で合点がいった。
理由はどうあれ、彼女を連れての道中でモンスターに遭遇しないのは好ましい。
「それにしても、戦闘慣れしてないのにダンジョンに巻き込まれるとは不運でしたね……」
奥への道中の沈黙がなんとも気まずく、優一から話題を振った。
世間話のようにする話題ではないと口に出してから気づいたが、春本は特にそれを気にしている様子はない。
「はい……駅で改札出たと思ったらいきなりこうなって……」
話しながら、春本の顔色がどんどん悪くなっていく。
何か不味い話題を振ったのかと内心あわあわしていると、彼女は勢いよくクマ太郎の背中に突っ伏した。
「…………私、今日からだったんです」
「えっと……何が……?」
「転職先で今日から働き始める予定だったんです」
春本の発言に、優一は思わず呼吸が止まった。
転職と言っている以上、新卒ではなくある程度社会人生活を済ませているであろう彼女。
景気が特別悪いとまでは言わないが、それでも転職というのは簡単ではないはずだが……それがまさかの転職して初日に早速の遅刻。
「ち、遅刻の連絡は……?」
「私のスマホは電波ダメで……」
クマ太郎の毛並みに顔を埋めたままの返事が若干涙声だったのはきっと優一の勘違いではない。要するに遅刻連絡すらできていないということらしい。
本人には言わないが、はっきりと言わせてもらおう。これはあかんやつである。
彼女の転職先がどういう会社かは知らないが、この日本という国の会社はこういったことにとてもうるさい。
客観的に見てどう考えても仕方がないことでも、人によっては「どうにかならなかったの?」なんてことを平気で言ってくることもある。
せめて彼女の転職先がホワイトな企業であることを祈るばかりだ。
思わず合掌しそうになるのを堪えつつ、あえて何も言わずに彼女を見守っていたところ、唐突にポケットのスマホが振動して着信を知らせる。
「(うちのキャリアはこんなとこでも電波あるんだ……)」
ダンジョンの電波状況については携帯各社でもいまいちよくわかっていないらしいのだが、幸い今回のダンジョンと優一の契約している会社は相性がいいらしい。
会社かららしい着信に応えつつ、用件が済んだら春本にこのスマホから転職先へ連絡することを勧めようと考えていた優一だったが――、
「――小森くん? ……すごく残念なお知らせなんだけど、クライアントから急な仕様変更依頼が来ちゃったんだ……三日後実装の新イベントについて」
そんな余裕は荒武の発言により全て消し飛んだ。
「はああああああっ!?」
突然の絶叫にクマ太郎に突っ伏していた春本がビクッとしたがそれどころではない。
「それって先週ちゃんと合意取ったやつですよね⁉︎」
「ソノハズダッタンダケドナー」
「ああわかりました、いつものBさんですね……!」
いつものBさん――クライアントの社員で大体いつも面倒事を押し付けてくる中年男性に優一や一部の同僚が付けた渾名である。
なおBはバカのBであってあえてイニシャルなどは一切含んでいない、万が一バレたら面倒なので。
「全く対応しないのは無理そうだから、なんとかリスク少なめでやれる範囲で落とし所見つけて終わらせたいから迅速にその相談がしたいんだけど……」
「わかりましたマッハで行きます」
通話を切ってすぐ、目を白黒させてこちらを見ている春本に視線を向ける。
「本当に、本当に申し訳ないんですけど、今すぐにでもこのダンジョン出ないといけなくなったので無茶苦茶します」
「は、はい……」
「《従者召喚・クロガネ》!」
クマ太郎が出てきた魔法陣の数倍の大きさの魔法陣が輝き、漆黒の鱗に覆われた巨躯がゆっくりとその姿を現す。
ダンジョンの通路にギリギリ収まるそれを春本が唖然とした顔で見上げる中、最後に彼は蝙蝠のような翼を大きく広げた。
「ど、ドラゴン⁉︎」
「そういうの今はいいから乗って乗って!」
クマ太郎に乗せるときにはためらったが今の優一は猛烈に急いでいる。
失礼承知で彼女を抱えさせてもらい、すぐさまクロガネの背中に乗せて自分自身も飛び乗る。
「クロガネ! とりあえず進行方向にブレス! そのあとは全速力で前進よろしく!」
人間ひとり丸呑みできそうな巨大な頭部を快く縦に振って、クロガネは前方に黒い炎を放った。かなりの射程があるのでこれで進行方向にモンスターがいたとしても消し炭だろう。
「あ、春本さん。俺の腰とかにちゃんと捕まっておいてくださいね!」
「うえっ⁉︎」
「ちゃんとしないと振り落とされるんで」
「は、はい!」
半ば脅しに近い優一の言葉に春本が慌てて優一の腰を掴んだ瞬間、クロガネは飛んだ。
それ以降についてあまり語ることはない。
凄まじい勢いで後ろへと流れていくダンジョンの壁。
ボス部屋らしき大きな扉をず頭突きでぶち破るクロガネ。
ダンジョンのボスと思しきゴツゴツとして岩の巨人にもそのまま頭突きを叩きこむクロガネ。
ボスを仕留めたことで現れた脱出ゲートにそのまま突っ込みどこぞの公園に飛び出した勢いそのままドラゴン通勤で出社した優一は、春本への挨拶もそこそこにクライアントとの戦いに身を投じるのだった。