RPGな朝
AM8:00
カーテンの隙間から朝日の差し込むワンルームマンションの一室。
ジリリリリリとけたたましいアラームが枕元で鳴り響き、部屋の隅の置かれたベッドの上で布団で隠された膨らみがもぞもぞとうごめく。
布団の中から伸びてきた細い腕がスマホを掴んでアラームを止め、それから再び膨らみがうごめいたのだが、その動きは途中で止まった。
「……アカメさーん、邪魔だからどいてくれませんかね」
スマホを離した手が、そのまま布団の上に丸まる黒い毛玉を軽く小突く。
すると毛玉は軽く「みー」という声を漏らしてのろのろとベッドの端に移動した。
それから今度こそベッドの上に横たわっていた青年、小森優一は体を起こした。
「この毛玉、ホント人の上で寝るクセ直らんな……」
この手の注意は日常的にしているのだが、一向に直る気配はない。
彼との生活が始まってなんやかんやと五年ほど経つが、今更ながら本気でしつけを考えるべきだろうか……。
そんな他愛もないことを考えつつベッドを降りてテレビの電源を入れる。
見慣れたニュース番組を流し見しながら、優一はのんびりと仕事に行く準備を進めていく。
芸能人の誰それが結婚した。政治家の誰々が汚職疑惑だ。沖縄の海で謎の大きな影が目撃された。
そんななんてことのないニュースを尻目にヨーグルトを飲むように食べつつ、先程までまだうとうとしていたはずのアカメがエサをねだってくるので適当な朝ご飯をやる。
「……月曜ってなんでこうもだるいのか」
「みゃ?」
社会人なら誰もが口にしてそうなことを言えば、目の前でエサに夢中だったアカメがこちらを見上げて小首をかしげる。控えめに言ってかわいい。
それに少し癒されてから洗面所に向かって朝の準備を進めていく。
「――本日の東京都の天気は晴れ。しかし――区と――区には――――――――の警報が出ており……」
テレビから聞こえる予報を聞き流しつつ歯を磨いて寝癖を直す。
生まれつきの癖っ毛によるひどい寝癖に悪戦苦闘していたせいで若干予報を聞き逃してしまったが、改めて調べるのも面倒でまあいいかという結論に落ち着く。
どちらにしろそろそろ家を出なければいつもの電車に乗り遅れてしまう。
着慣れたジーンズと適当なTシャツ、いつもだいたい羽織っているパーカーに手早く着替えてしまい、仕事用の斜めがけカバンにスマホを放り込む。
「アカメ、ついてくるなら準備しな」
ひと言伝えれば玄関においてある白地のトートバックに滑り込むアカメ。そのまま丸まって二度寝を開始しようとしている。
それに微妙な気持ちになりつつも、斜めがけカバンとアカメの入ったトートバックを抱えて優一は家を出た。
駅までは人気のないいつもの道を使ってざっと十五分。いつもの電車まではニ十分。
特に焦る必要もないのでのんびりと歩く。
季節は春でほどよい気温は過ごしやすく、空は晴れ渡っていて雲も少ない。
「休みの日なら散歩日和だな」だなんてのんきに考えながら空を見上げていると、少し大きめの雲のようなものが視界に入った。
フワフワしていて半透明なモヤモヤ。
そんなモヤモヤが、こっちに近づいてきている。
「げ!?」
と思わず口から出たときにはその距離約五メートル。
そのタイミングでモヤモヤは大きく口を開いた。
「おわぁぁっ!!」
咄嗟に飛び退いた直後、モヤモヤが吐き出してきた白い塊のようなものがコンクリートを強く叩く。
コンクリートに傷はないが、人体には当たってはいけないレベルの音だ。
明らかに人でもなければ動物でもない異形の出現。それに対して優一は――、
「朝から"ゴースト"とエンカとか縁起でもないんだけど!」
慌てず騒がず、ちょっとムカッとしつつ手元に取り出した投げナイフをその顔面に投げつけた。
見事に深々と刺さったナイフに悲鳴をあげつつ消えていくモヤモヤ――もとい"ゴースト"。
その直後、軽い硬貨が落ちるような音とともに眼前に半透明の四角が現れ、さらにいくつかのアイコンや文字情報が表示された。
その内容を軽く確認してから優一はふうと息を吐く。
「おっと会社行かないと……」
今ので若干ロスしてしまったがまだ十分電車には間に合うはず。
そう考えて歩き出そうとした優一だったが、何気なく空を見上げてその足を止めた。ついでに言えば表情は強張った。
見上げた空には、モヤモヤ、モヤモヤ、モヤモヤ、モヤモヤ――つまり"ゴースト"の群れである。
しかも何故だが全員がこちらを見下ろしている。
「……アカメ! 起きろ!」
先程のひと悶着の間もぐっすりだった彼だが、さすがに優一の大声の中寝てはいられなかったのかトートバックの中から器用に飛び出すと器用に優一の肩に乗った。
漆黒の毛並み、小さな体に赤色の瞳。そして何よりも目を引くのは額で輝く瞳と同じ赤色の宝石。
"カーバンクル"のアカメのつぶらな瞳が"ゴースト"の群れを見据える中、額の宝石が強く光を放つ。
「みょおおおおおおん!」
高らかな鳴き声を響かせると共にアカメの額から真っ赤な閃光が解き放たれた。
閃光は"ゴースト"の群れをぶち抜き、さらにその先の空を赤く染める。
数秒ほどで光が消えたとき、そこに"ゴースト"たちの姿はなく――運悪く巻き添えをくらったらしい街路樹の上のあたりもついでとばかりに消し飛んでいた。
「え、ダメじゃね?」
明らかに上半分がなくなりましたとわかる不自然な状態の街路樹を前に呆然とする優一。
やらかした犯人であるアカメは褒めろとでもいいたげにこちらにアピールしてきているが、公共物に被害を出したのはまずい。
その一方で電車の時間もまずい。そこまで厳しい会社ではないとはいえ、遅刻というのはやはりよろしくない。
「……モンスターのせいってことにしよう!」
十秒程悩んだ末に優一はそのまま小走りで駅を目指した。目の前の現実から逃げたとも言えるがまあ仕方あるまい。
褒めてもらえず不満なアカメに軽くひっかかれつつもどうにか予定していた電車に飛び乗ることには成功した優一は、朝っぱらの災難にげんなりしつつも会社へと向かうのだった。
西暦20XX年。世界に突然、RPGのような要素が追加された。
4月1日に目を覚ました人間は唐突に謎のチュートリアルを強制された。
それ以降人間にはメニュー画面を開く力とともにステータスやジョブ、スキルなどが与えられ、世界にはモンスターが現れるようになった。
当然世界は混乱した。
幸か不幸かHPがゼロになれば最後に立ち寄った安全地帯で復活できるため死人が出ることはなかったが、それでも世界中の人々は突然変化した世界に当然のように振り回されることになった。
――が、それは五年も前のことである。
『人間とは、どんなことにも、すぐ慣れる動物である』
その昔どこかの小説家が言った通り、人間はすぐにこの世界に順応していった。
現在では世界の変化に対応した法律も整備されつつあり、人々は変化の前まで続けていた生活に少しだけRPGな要素が加わった毎日を生きている。
小森優一、二十五歳。
職業、ゲーム会社プランナー。
ジョブ、〈テイマー〉。
彼もまた、そんな世界で日常とRPGの間を生きているのだった。