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桜の丘で

作者: 靄霧霞

ジョージ : 操龍士。長友錠二。デチコという駆逐竜を駆る。

モトモチ : 操龍士。雪羽氏求望。ミャーという駆逐竜を駆る。

サクラ  : 妹。雪羽氏桜。巨椋市の女学校の教師。

チョウダ : 髭殿。肇田園雄。ジョージらの同期の鯨長。戦後も生き残る。

デチコ  : 駆逐竜。軼子。型番は零式甲威三_一〇九。

ミャー  : 駆逐竜。御矢。型番は零式甲威三_九七。

 

 

 

 深く、深く。

 ゆっくりと落ちていく。水面は遠い。水底もまた。

 不思議と明るい。眩くはない。ただ淡く、薄く、柔らかに暗い。

 

 たくさんの死骸が落ちていく。

 鮫。

 鉄鯨。

 そして飛竜たち。

 もう吼えもしない。鳴きもしない。

 そこで俺は気付いて、伸びていた手でそれに触れる。


 花、花、花、――この水中には吹雪のようにたくさんの花びらがあった。


 水の流れに巻き取られながら、屍群の横、無数の白い花片が遠くへ落ちていく。

 もう二度と咲かないそれが、誰も掬い上げることのできない場所へ沈んでいく。

 それは自業自得の結末で、

 誰も止めることのできない流れの末で、

 だけどひたすらに人間性がもたらした賜物で……


 ごめんなさい。すまない。ごめん。

 そう言葉にできた途端、ただ、俺の口からたくさんの泡が漏れた。

 

 ……そして、名を呼ぶ声がし。

 ようやく俺は。

 ここがそこなのだと、わかった。




***




     桜の丘で




***




「また『吊り』だとよ」

「そりゃあ。……みなさん、見に行くわけだ」

「先進国が聞いて呆れる。決闘は駄目、処刑見物は問題なし。歪んでるぜ」


 蒸し暑い夏の午後、ふたりの男が便所でモップを抱えている。

 掃除の罰則を言い渡されたジョージと、それに付き合っているモトモチだ。彼らは操竜士となるべく訓練を続けている海軍の士官候補生である。いまは不平を言いながら便器を磨いていた。

 風通しのため開け放たれた窓からは、遠くから聞こえてくる見物客のどよめきが響いてきている。


「せめて見に行くか。なァ、おい」

「やめとく」

「頼んでも?」

「ごめん」


 そのとき、ふたりを呼ばわる声がした。居丈高なその声の主は、ふたりがまだ掃除を終わらせてないことを詰り、ついでに頬を叩き、さっさと終われせるようきつく言いつけ、消える。上官である。

 舌打ちしてから、ジョージは赤い唾を吐く。


「ッたく。ちィと上手く乗りこなしたからッて、便所掃除たァな。本当にろくでもねェぜ。そんなことさせるより、少しでも俺を飛ばせた方が軍のためにもならァ」

「……あの乗り方は、訓練竜じゃちょっとまずいよ。最後の方、飛ぶための瓦斯が切れかかってたじゃない」

「だッたら零式に乗らせろよ。あれ以前はみんな旧型すぎて、訓練にならねェ」

「そういうこと言うから罰則を食らうんだよ」


 零式というのは新型の竜のことだ。

 竜とは、空を飛ぶ半機半獣の兵器である。強力な身体能力を持つ獣は、古来より人の友であり戦争の花形でもあったが、機械によってより高度な扱い方ができるようになった結果、人類の繁栄と破壊は加速していた。


「あァ、飛びてェ」

「我慢も大事だよ」


 半眼になるモトモチを無視して、ジョージは窓から青い空を仰ぐ。


「竜に乗ッてるとな、なんでもできるような気がしてこねェか。それがたまらねェんだ。――自由。そう、誰にだッて会える、どこにだッて行ける」

「どこか、か」


 熱っぽく語るジョージとは裏腹に、モトモチは遠い目をして雲を眺めていた。


「どこでも、だ。……なァおい、島原の話にもろくに乗らねェ枯れ骨だッてのはわかるがな、貴様。なんで竜に乗る。空を飛ぶ」

「行きたい場所ならあるさ」


 話を遮るようにモトモチが言う。

 ジョージは黙って目線で続きを促した。色遊びを誘っても付き合わない、ろくに身の上も語らないモトモチの真意。それがどんなものか、前から気になっていたのである。

 少しだけ間を置き、モトモチはどうしてか上ずった声で告げる。隠すような小ささで。


「桜の丘」



***



 ジョージは山育ちだ。

 竜の改造前である獣、羽蜥蜴の牧場経営で生きてきたある一族の子である。

 現在、その牧場はない。

 他国に国ごと併合される際、政府が強引に接収した。



***



 秋晴れの快晴に、いくつもの竜が飛ぶ。訓練の花形、模擬空戦である。


 竜同士の空戦は、言ってしまえば陣取りゲームだ。

 敵を撃破できる有利な位置を先に確保さえできれば、防御や回避より攻撃が有利であるため、たやすく敵を討ち取れる。それが大原則である。

 しかし、竜は高速で飛翔し、時には慣性をもねじ伏せた機動も行うものだ。めまぐるしく変わる周囲の状況を読み取りながら、自分の有利を確保し、相手を倒すとなると特異的なセンスや熟練が必要となる。

 モトモチとジョージはともにそれを備えた操竜士であった。


「いよし! 三! 撃墜みッつだこの野郎が!」


 そう叫びながら、ジョージは乗っていた竜から発着場に降りた。

 その竜とは、訓練機ではあるが実際に配備される駆逐竜とほぼ同じ、駆逐竜零式丙阿二である。

 零式は、独自の技術により膨大な量のガスを体内に圧縮保有し、かつ可能な限り重量を削ってある機体だ。その結果、世界で最高の速度と運動性能、攻撃力を獲得している上、さらに常識外れの航続距離をも実現していた。

 実際、その性能の凄まじさは世界に衝撃を与えており、軍事的にも零式以前と零式以後で竜は明確に区分されるようになっている。零式は、世界中にあった当時の竜をすべて旧型にしてしまったのだ。


「凄いね。こっちはひとつだよ」

「貴様ァ急降下で大型を潰してたろうが。どうやッてあの高度まで飛んだよ」

「……放出する瓦斯そのものを再利用するんだよ」

「は? あんなもんどうやッて使う」

「高度が上がると外気が薄いから内部瓦斯との合成において出力が落ちる。その肩代わりさ。もちろん、事前に瓦斯を調整しなきゃいけないけど」

「……器用なやつだな、貴様は」


 そのあたりで整備員たちが追いついてきたので、ジョージは彼らに向かって手を振る。

 半機半獣である竜は、その獣部分においても機械部分においても、丁寧な手入れが必要だ。操竜士であればそれなりに手入れについては学ぶが、それでも本職の仕事ぶりには劣る。

 ふたりは、乗った竜についていくつか気になることを整備員に伝え、後のことをよろしく頼んでいた。


「……さて。本部に戻ろうか」

「髭殿に報告しねェとな」

「彼も出世したもんだねぇ」

「ま、鬼に金棒ッてやつだろうよ」


 いま、ふたりの所属する隊は飛行場司令の下についてはいるが、実質的には会話にあったその『髭殿』、チョウダの直属となる。

 チョウダと彼らは同じ海軍士官学校の出である。だが途中で彼は竜科から鯨科に移り、海を征く鉄鯨長としての道を進んでいた。そして時が経ち、髭殿は家柄と実力を備えた竜母専門の若き鯨長としてその腕を振るっている。


「鯨、竜に乗るより楽しいのかねェ」

「楽しいから乗るって人ばっかでもないんだよ……」



***



「もう、ふたりのためにできることなんて――」

「桜さん」

「――声になれたらって。だから。代わりに、想いを伝えられたらって」



***



 最新鋭の竜母鉄鯨、鍵城。その鯨長にチョウダが就任するとのことで催された宴会は、騒々しくも賑々しいものとなった。

 座敷ひとつを貸し切っての無礼講。鉄鯨ひとつを仕切る鯨長の顔もあちこちで見かける、政府の重鎮として国家の舵取りも担う政治家たちも顔を出す、そんな宴会であった。


「薄ら寒くねェか」

「そりゃあ冬だからね」

「違ェよ、阿呆」


 彼らがいまいるのは島原の宴会場近くに用意された一室だ。支払いは宴会の主催者が持っている。とはいえ、色に耽るわけでもなく、他者を追い出しての互い手酌でふたりは呑んでいた。


「竜も鯨も熊も、どうしてこんなに増やしてるんだ、この国ァ。で、もしそれが嫌でも、反対の『は』を叫んだあたりで吊られちまう」

「増えたねぇ。……本当に、増えた」


 泥でも啜っているような顔でモトモチは杯を重ねる。

 ジョージもまた負けず劣らずの悪相であった。


「海の向かいッかわのでかい国か」

「…………」

「どう思うよ、求望」


 名を使われての呼びかけを無視できず、モトモチは首を横に振って、告げる。


「祭りだよ。人類史上、有数の海祭りが始まるんだ」

「なんでわかる」

「わかるさ」

「変なやつだ。たまに断定すると、ぴたり当てやがる」


 凍るガラス越しの月は、冴え冴えとした満ち兎。

 半眼のままそれを睨んで、背負いかねるとでも言いたげにモトモチは溜息。


「わざわざ掘って、集めて、重ねて、砥いで、鍛えて――地に海に沈んでいく」

「俺ァ祭りなんぞで生き死になぞごめんだ、畜生め」

「――わかるよ。錠二はそういうやつだ」


 モトモチは笑って杯を干した。


「なァ。妹は元気か」

「こないだ結婚したさ」

「だから、祭りごときで身を使っちまうのか」


 言い募るジョージの杯を、曖昧な表情のままのモトモチが酌をして満たした。

 それは度数の強い焼き酒。この部屋に運ばれてきた時は凍る寸前まで冷やされていたが、部屋の空気や肌に暖められてずいぶんとぬるくなっていた。


「『桜の丘』って、信じるかい?」


 それは、兵士の間で語られる場所の話だ。

 満開の花が見渡す限りに広がる、この世にあるとも思えない穏やかな場所。

 戦って死んだ兵士が見るという夢の場所。


「信じねェ。死んだら終いだ。そんなに軽いもんじャない」

「……そうだね。終わってないから、間違いなく生きてるってことでもある」


 ジョージのややきついが偽りのない言葉を受け、珍しく皮肉げな表情になったモトモチは杯を揺らした。

 そして、決意を込めて告げる。


「変えたいんだ」

「やめろよ――そういうの。広場の高ェ所に乗せられッちまうだけだろうが……」


 酔っ払って赤くなったジョージは、テーブルに顔を沈めながら言う。

 

「……一緒に行こうぜ?」

「頼んだよ」



***



 良い機会だから、そう言ってモトモチは自分の妹をジョージに会わせた。

 女学校の教師をやっていた彼女は、モトモチとは人種から違う女性だった。

 羨ましいと。

 少しだけ、ジョージは思った。



***



 なにがどう間違ったのか。あるいはそれで正しいのか。

 もしくは正誤なぞ最初からなかったのか――。


 戦争は始まった。

 この国と海の向かいの大国の間で。

 それは、夢のように上手くいった勝利から始まったのだ。


 緒戦は、この国による電撃的な攻撃によって火蓋が切られた。

 竜母鉄鯨から発進した竜と龍が、ある要塞に向かって攻撃を開始したのだ。

 そして、高度な技術と練度を備えた戦闘兵器の群れは、敵国の戦力が集中したその要塞に的確な攻撃を行い、前線を維持することも難しいほどの致命的な打撃を与えた。戦果まさしく著しい、華々しくも鮮やかな大勝利である。

 そう、それは間違いなく勝利ではあったのだ。


 ……しかし。

 技術力と精度で勝ったということは、鋭い刃物が武器であるということ。

 それは強い。間違いなく強い。

 だが、結局のところ、国家を総動員する戦争において最も強い武器とは体力だ。

 死なないことが武器である者にとって、刃物なぞ、痛いという程度の意味しか持てない。命に届かないのだ。


 いつしか転換点が訪れる。


 大打撃でさえ巨国たる敵の戦争意欲は減らず、強靭な体力により喪失した戦力を回復させることで、戦争はなお続いていった。

 その果てにある敗北があり、この国は致命的なまでに鯨と竜を失ったのだ。

 

 主力兵器にして決戦兵器でもある飛竜は、内部のガスが切れればもう飛べない存在だ。補給が必要であり、活動範囲も限定される。

 それゆえ、輸送されたり、海を征く竜母鉄鯨に搭載され戦闘の際に投入されることで、各地で戦うことができるようになる。つまり、その身の内に大量の竜を擁する竜母鉄鯨とは、まさしく海軍にとっての虎の子と言える。

 その虎の子の大半が、一度の海戦において失われた。敵国の爆砕龍による攻撃で喪失してしまったのである。それが、『ある敗北』だ。


 喪失した鯨と竜、その戦力。

 それはこの国の体力において、回復しえない重さの負傷であった……。


 ……そして。

 悪夢のような敗北から数年。

 以前と同じ程度にさえ戦力を回復できない国と、なお戦力を拡大し続ける国。

 結果なぞすでに見えているようなこの戦争において、もはやこれ以降は『戦闘』と呼べなくなるほどに決定的に明暗が別れた海戦があった。


 それは、冷えの残る春先の戦いだった。

 この戦闘において、この国の海軍は――ほぼすべての竜と竜母鉄鯨を失う。


 ジョージとモトモチ。

 彼らはこの激烈な戦いにおいて逃亡兵となった。


 彼らが乗騎していた竜は零式甲威三という型番のもの。

 この零式甲威三とは、零式シリーズの中でも零式らしい性能を残しつつ、隠密性に特化させた機体である。機体の内外を封鎖する際、結界の表面を体液によりコーティングし、音熱光に対し強力な迷彩効果を発揮することができる。結果、駆逐竜としての基礎スペックは正式採用の零式甲阿四に劣るが、奇襲や偵察に高い適性を持っていることからこの竜を運用する部隊もそれなりにあった。

 このステルスを使用し、ジョージとモトモチは戦場から離脱して、二度と軍には戻らなかったのだ。


 高い空戦能力と特殊機能で生き残り続けていたふたりは、所属する竜母鉄鯨である鍵城が撃沈されたことを潮時とし、命令を放棄して戦場から離脱したのである。


 逃亡兵となることについて、ふたりはほとんどなにも話し合わなかった。

 だが、長い付き合いのあった彼らである。

 言葉を交わさなくとも、互いがどうするかをなんとなく認識し合っていた……。


 ステルスを起動してふたりが逃亡する直前――

 ――ハンドサインで、モトモチは、『また会おう』とジョージに告げた。



***



「もしやり直せるなら、貴様はどうする?」

「考えたことも、考える価値もねェ。惰弱に耽溺してどォするよ」

「……もし起こったとすれば、その時に考えればいい」

「そういうことだ」



***



 ある市の近く、知っている者しか知れないような知識と認識の間隙にあるような林の場所。

 ジョージはそこに潜伏していた。

 いくらか日々が過ぎ、年も移って、いまは蒸し暑い夏だ。


「すまねェな、軼子。……空も飛ばせず、ずッとこんなところに置いて」


 汚れた身なりのジョージは、そう言いながら竜を撫でる。甘えたような、責めるような低い声でデチコはごろごろと鳴く。

 アジトは快適な居住性があるとは言い難いものの、長期保存が可能な食料、豊富な調味料、水の浄化装置などが配置されており、忍耐を友とすれば数年は生活できるようになっている。また、ジョージ自身が山育ちであることから、身を隠しつつ自然環境から食料を得ることもできることもあり、この国が敗戦を迎えるまでは十分以上に待機できる見通しがあった。


 そんなジョージとデチコだけの生活に、ある人物が訪れる。


「髭殿。あんたか」

「……貴様のことは求望に聞いていた。『思い出したらここに行け』とな」


 ずいぶんと荒れた容貌になった戦友を見ながら、そういえばモトモチにこの場所を教えてもいたことをジョージは思い出していた。

 ジョージはあれからモトモチと会っていない。

 二度と会うことはないのかもしれない、そんな気もしていた。


「当たりだ。俺ァもうずッとここで潜伏してる。敗戦次第でこの国を出るよ」


 気安くそう告げるジョージに、チョウダは無言で拳を叩きつけた。

 ジョージは甘んじてそれを受ける。大怪我はしないように首を振ってはいたが。


「なんだァ? 八つ当たりか? ここからも見えたぜ、秦に向かう竜群をよォ」


 あの春先の戦闘において戦力の竜をほぼすべて喪失したこの国は、それでも戦争を続け、撃破され沈没し続けた。何十年もかけて積み重ねられた戦力、車鮫や装甲鉄鯨そして城鯨が、なんの成果もなくただ消えていった。政府は派手派手しい戦果を喧伝していたが、実際はまるで逆だった……。

 そして、占拠した領土も放棄し、油やガスなどの物資の産出地も失い、海上の防衛戦も突破され、ついには制空権すら明け渡している。

 つまりこの国は、その本領となる国土と人民すら、敵国の攻撃龍により為す術なく焼かれ始めるに至ったのだ。

 

 この近くの軍港、秦にはまだ生き残っていた鮫や鯨が係留されていた。

 そして、つい先日そこに大規模な空襲が齎され――もはや残存戦力は徹底的に消失させられている。

 チョウダはそれを体験していた。城鯨の鯨長としてもはや敵の的でしかない鯨の指揮をとり、必死に対空防衛を行ったが、血と油を近海に撒き散らしたこと、そして真っ二つに砕かれて大破着底した城鯨だけがその結果だった。


「貴様ぁ! それでも帝国軍人か!?」

「俺ァ俺だよ。最初から最後までそうさ。馬鹿馬鹿しいお遊びに付き合うわけねェだろ」


 からかうような口調でジョージは言う。

 激高するチョウダは、その声に潜む乾いた真摯さに気づけないまま叫ぶ。


「ふざけるな! お遊びだと……死者達を侮辱するのか!」

「馬鹿は馬鹿だろうが。ふざけてねェよ」


 再び殴ろうとして、しかしチョウダはその拳を止める。

 ようやく合った目の先、ジョージの瞳の色にどうしようもなく体が縫い留められてしまったのだ。


「そうだ、みんな馬鹿どもだ。馬鹿だからこんな国をどうにもできず、馬鹿だから反対したやつらも殺して、結局みんな死んでいった……」


「どいつもこいつも自業自得なんだよ! 本当に大事ならもッと最初からなんでもできただろうが! 見やがれ! この国のいまを見ろよ! この惨状は俺たちみんなが運んできた未来なんだろうが! ……よッてたかッてこうしちまッたんだ!」


 ジョージのその叫びは、心底からの思いであった。

 馬鹿にしているわけではない。

 誰も彼もが底抜けの馬鹿だと言っているだけだ。


「なんで勝てねェケンカ売ッたよ。負けるとわかッてなんで尻尾を巻かねェよ。掛け金が命なんだッたら、どうしてもッと大事にしねェんだよ……」


 チョウダはジョージの胸ぐらを掴んだまま、じっと彼を見た。

 その顔に涙などひとしずくもなかったが、もっと赤いものを感じたような気がしてしまい、ためらいがちに声をかける。


「錠二……」

「うるせェ。謝ろうなんて思うなよ」

「……そうだな、脱走兵」


 チョウダのその言葉に、ゆるく、ジョージはうなずく。

 噛みしめるように。


「伝言を伝えるぞ」


 ジョージから手を離し、居住まいを正してからチョウダは言う。

 その言葉を聞いて、ジョージの瞳が皮肉げに光る……。


「葉月水天の二、〇九〇〇。――汚れた太陽が、龍から落ちてくる」


 ……ジョージはチョウダに背を向けた。

 その視線は、眠たげにまばたきしている竜に向けられている。


「あの阿呆め。与太話もここまで繋げやがッて……馬鹿馬鹿しいんだよ、畜生」

「その――竜、で、迎撃でもするのか?」

「まさか。なんで死にィ行かなきゃならねェんだ」


 くだらなそうに笑うその背に、チョウダはそれでも言葉を重ねる。


「……そもそも、その竜では攻撃龍の高度まで飛べまい」

「言う通り。で、俺ァもう高見ィ決め込む。どうぞお好きに、ッてなもんさ」

「そうか。……そうだな」


 残念がるような、安心したような声だった。チョウダのそれは。


「あぁ。貴様は、ちゃんと生き残れ」

「皮肉なら『死ね』ってことだよな、それ」

「殺しても死なないような輩だろうが、貴様は。……息災でな」

「おう、またな」



***



「ミャー、行こう。もし歴史を変えられるとすれば――きっと、今なんだ」

 ……それは、たったひとつの特別攻撃。



**



「あくまで、避難は行わない」


 出来の悪い軍需工場と化した女学院の一室で、女教師と陸軍の治安維持官が向かい合っていた。


「あれは悪質な煽動に過ぎん。飛来したものもあったが、すでに警戒警報も解除されている」

「伝単や放送による通告はいままでなかったではないですか!」


 この巨椋市に向けて、戦争中の敵国から避難を要請する通告があったのだ。

 それは、竜によるビラの配布や、無線電波を通したラジオなどで行われた。これまでになかったことでもあり、女教師であるサクラは学生や教員の避難を求めていたが、士官はそれを頑なに拒絶していた。


「一日だけでも避な――」

「くどい!」


 きつい怒声で教師の言葉を封じた後、なだめるような口調で士官は言う。

 その言葉を聞きながら、怯えではなく、自分の無力を噛みしめるがゆえにサクラの尖がり耳が震えていた。


「塗炭の苦しみの中、お前たちが戦っているのは知っている。だからこそ、日を欠かさず軍需品を製造してもらわねばならん。その努力、ひと針ひと針が前線の兵の力となるのだから」


 言い捨てて、士官は部屋から出ていった。

 彼は自分の言葉を、実際、信じている。それは善いことなのか、あるいは逆か。

 深く深く息を吐いて、教師であるサクラは椅子に座り込んで呟く。


「……兄さん」

「悪ィ。そのダチだ」


 驚くサクラの眼の前で、パイロットスーツ姿のジョージは窓から入室した。身なりもこざっぱりと整えてある。


「錠二さん!」

「話ァ後だ。出れるか」


 サクラとジョージは面識がある。とはいえ、なぜ急にこんなところで会うのかわからず、サクラは面食らったまま動けない。

 だがそれも折り込んでいたのか、ジョージは重ねて彼女に言葉を放つ。


「モトモチに頼まれてんだ。ついてきてくれ」

「兄に……」


 言われたまま差し出された手を取ろうとして、ふと気付き、サクラは自らの手を握りしめる。

 兄に頼まれて突然にわざわざ自分を連れ出そうとするジョージ。

 これまでなかった敵国からの避難要請。

 軍需基地に変えられてしまった港町である巨椋市。


「答えてください。強力な爆弾を落とすというあの通告は、事実なのですか」

「……知らん。頼まれた、それだけだ」


 ジョージは否認した。

 否認ですら十分だった。


「避難させます。可能な限り」


 サクラは自分の耳まで青ざめさせながら、ジョージに背を向けた。

 爆弾が巨椋市に落ちる前に、できるかぎり生徒たちを避難させなければならないと決意したのだ。


「諦めてくれ。あんたァ撃ちたかねェ」


 撃鉄を起こす音が響く。

 サクラの背に拳銃が突きつけられたのだ。


「……私は教師です。生徒をただ残すなんてことはできません。あなたが兵士であるように、ここが私の戦場なんです」

「俺ァもう逃亡兵さ。……戦場に執着して良いことなんてねェ」


 誰一人その表情を見てはいなかったが、彼はひどく悲しそうな顔をしていた。


「モトモチもそうやッて執着して死んだよ。きっとな。……知らねェけどさ」

「……兄が」


 しばらくサクラは瞑目した。

 だが、ジョージが次の言葉を続けるよりも早く、振り向いて、言い放つ。


「私も、兄の妹です。……避難を呼びかけさせてください。お願いします」


 決意を込めたその姿を見て、ジョージの脳裏で記憶が駆け巡る。

 あの冬の夜、モトモチが『頼んだよ』と言ったこと。

 あの春の空、モトモチが『また会おう』と告げたこと。

 そして、ふいにジョージは悟っていた。彼がどうしてそうであったのかを。

 でも。

 口には出せなかった。

 言葉にもできなかった。

 きっと、そうすれば、――それは逃げていってしまうから。


「貴様らァ、姿は似てねェのにな……その強情、そっくりだよ」


 ジョージは拳銃のトリガーから指を外し、撃鉄を戻してホルスターに収めた。

 それから少しだけ笑う。

 どこに行くのか。どう在りたいのか。それがわかって、安心したのだ。


「時間はかけられねェ。逢引に行くんだよ、俺ァ」

「すみません」

「『ありがとう』だろォが、そこァよ」

「すみ……ありがとうこざいます」


 そう言う彼女の耳は少しだけ赤い。自分の思いを聞き届けられ、安心したのだ。


「さすがに巨椋の中央放送局までは行けねェ。最寄りの放送局だけにしてくれ」

「はい。この学校に、あります」



***



「輸送していた装甲鉄鯨の片方は撃沈されてしまった。届いた爆弾はひとつだけ」

「延期か? それともどこかを選んで?」

「巨椋。崎島。洋那賀。……まぁ、指令次第だろうよ」



***



「来い! デチコォ!」

「誰――」


 轟音が響く。

 女学校の放送室の窓側から、駆逐竜が突っ込んだのだ。

 竜は小屋程度の大きさがあり、単純な質量攻撃として突撃させることも可能だ。


 放送室に常駐している通信兵たちを、民間人を連れた状態で、しかも拳銃のみで制圧するのは危険だと判断したジョージの指示だった。

 竜の姿に目を奪われているすきにジョージもまた扉から突入し、手早く兵の武装を解除する。

 そして拳銃を突きつけて叫んだ。


「放送局を乗ッ取らせてもらう。動いたら撃つからな。竜が射撃したら体なんて残らねェぞ」


 そして、両手を上げる兵士たちのひとりを銃で小突き、ジョージは命令した。 


「そこのあんた。空襲警報を鳴らせ。そんで『いますぐ避難しろ』ッて放送だ」

「お前ら何も――」


 さっそく取り掛かろうとする兵の右横には、怒りのまま声を上げようとする兵士がいた。

 だからジョージは拳銃を撃つ。

 陽動になろうとしたその右の兵ではなく、左側から飛びかかろうとしていた兵士の足に向けての発砲だった。


「早くしろ。急いでる」


 視界の端をも捉える冷静さと容赦なく撃つ冷酷さ、その冴えたやり口でジョージは兵士たちの抵抗の意思をくじくことに成功する。

 そして、怯えながらも中央の兵は放送を開始した。サイレンが鳴り始める。


「撃たないでください!」

「後にしてくれ」


 サクラが叫ぶ。冷たくジョージが応じる。

 殺し合いにある暴理を知らなくとも、彼女はそれを押し止めようとしたのだ。

 つまりは、銃を撃つこと。人を傷つけること。命を軽く扱うことを。


「殺さないでください。そこまでする必要なんて……」

「あぁ。そうだな。必要ない。殺すことなんて。そうだろうよ。――ならどうしてやるんだ?」


 言い争っているような調子で、ふたりは会話を交わす。だが実際のところ、それは本当に口論であったのかどうか。

 そして、だからこそジョージは問いかける。

 人間性の外にあるのではなく、人間性の中にあるその暴力性を。


「俺たちはなぜ殺す? なぜ殺される?」


 サクラの答えは早かった。……同じ問いと同じ答えを持っていたからだ。

 そして、その答えは本来、問いの答えになりえないものだ。だが、問いに正しく向き合っているがゆえに、答えとなりうるものでもあった。


「変えられます。あなたから変われば――いつか。いつかきっと」

「そう願……」


「……伏せろッ!」


 そう言いながらジョージは、サクラをかばうように動いた。

 放送室の入り口から放たれた銃火に身を晒しながら、拳銃で応戦する。

 だが、その体はすぐに倒れる。脚部に受けた銃弾のためだ。

 それでもこの行為がサクラの身を守ることになった。


「竜に乗れ! いますぐだ!」

「は、はいっ」


 女学校には放送機材があり、それゆえ兵士たちは常駐している。

 デチコのステルスを切って姿を晒せば、そしてジャックして放送を行えば、詰めている彼らがすぐにやってくるのは明白であった。

 だが、それでも、ここまでの即応はジョージにとって想定外だった。


(悪運も、尽きたか)


 竜が吼える。ジョージが押し止める。

 ジョージは脅しとして駆逐竜の射撃行動も口にしていたが、実際のところこんな閉所で撃てるような代物ではない。肉と骨と内臓のペーストと瓦礫のシェイクが出来上がるだけだ。射撃範囲から外れていたとしても、部屋の中にいたならば気絶は免れないだろう。

 その体躯をそのまま武器にすることもできなくはないが、いまだと精密機械めいたその体を銃火に晒すことになるし、そうなればいま乗ったサクラの身が危険だ。

 だから、もう移動できないジョージは、拳銃を撃つことしかできない。


「あなたも! 早く!」

「……俺なんて、なぁ。うん。裂けたっていいんだ」

「錠二さんっ!?」


 竜の射撃がないことを認識した陸軍兵士たちが、再び扉から銃火を向けてくる。

 デチコは翼手をかざしてサクラを守りながら甲高く鳴く。はやく来いと、ジョージに言っているのだ。

 サクラもまたそこから飛び出しかねないほど興奮していた。


 ジョージは。

 銃火に対応して拳銃を撃ちながら、ふいにふたりの姿に顔を向け。

 そして、愛おしさを感じながら、それでも背を向けた。


「軼子。桜さん。ありがとう。――行けェッ!」


 竜は悲しげに鳴いた後、内外を封鎖、サクラの絶叫を伴いながらステルスを起動しつつガスを合成させ急上昇、自らの姿を消し。

 その発進の余波が、ジョージの体を放送室から外へ投げ出して。



***



「褒められてェのか?」

「……また、会いたいんだよ。無駄に殺して、無駄に殺されたとしても」

「そうか――あァ、そうだな」



***



 起きて。


 ジョージが最初に感じたのは、音だった。

 鋭敏になった聴覚が捉えたのか、それともただの幻聴か。

 続いて、明るい空から落ちてくるものを見た。


(止めないと)


 それがどんなものなのか、それさえ思い出す力を失っていたというのに。

 なぜそうしなければならないか、それを想い出すことも出来ないというのに。


(止めないと)


 ジョージは手を伸ばし、広げた。

 薄雲なれど眩い青空にある、しみのようなそれに指をかける。

 地面の上で、這いずりながら。

 手を重ねる。


「許さん」


 その頭蓋を、高速で飛翔する小さな弾丸が叩き割った。

 手が、落ちる。


「たわごとを。国民すべてが一火とならねばならんこの時に、くだらん手間を取らせおって。逃亡兵かなんだか知らんが、もはやお前なぞ我らが民族ではない。お前に行く先もない」


 サイレンもまた鳴り止んだ。

 蝉時雨の音だけが響いていく。


「……黙って散っておれば、祀られたものを」


 熱のこもった声で、男がそう呟いた瞬間だった。

 600メートルほどの高さにあった特殊爆弾が炸裂した。


 光が、

































 

 

 

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