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貞真が当主義久の居城、鹿児島の内城から飯野城に戻ったのは貴久の死から数週間経った頃だった。貞真は真っ先に義弘の下へ向かった。
「おお、戻ったか」
貞真が義弘の居室に入ると、義弘と夕餉を共にする男が一人いた。
「これは、これは忠元様」
貞真は部屋に入ると急いで頭を下げた。
「そう堅くなるでない」
新納忠元。島津家の重臣で大口城城主。年はこの時四十六。義弘たち兄弟とは子供の頃からの仲で義弘がもっとも信頼を置いていた。体躯は小柄ながらいざ戦場に立つと先頭を切って勇敢果敢に敵陣に突っ込む猛将だった。その一方文武両道で、和歌、連歌や漢詩にも長けていた。
「で、兄者はどうであった?」
義弘は夕餉の箸を止めた。
「殿のお察しのとおり心中痛められておりました。ここ数日は食も細くなったそうにございます。さらに肝付への対応も少々難ありとのことでございます」
すると義弘は大声で笑ったあとに続けた。
「やはりそうであったか。兄者らしいの。これからの策は思案しておく。貞真、ご苦労であった。下がってよい」
貞真は訝しげな表情を浮かべながらも居室を去っていった。義弘は貞真がいなくなったのを確認すると忠元に向かって言った。
「部下の前ではああは言ったが、心底心配じゃな」
「又四郎様は昔から部下の前で強がりすぎなんです」
忠元は昔から親しみを込めて義弘を別名で呼ぶ癖があった。
「上に立つものが弱気でおったら部下たちの信頼を失いかねぬからな。兄者もそこのところをわきまえてもらいたいが」
「又四郎様は幼き頃より楽観的でありましたが、義久様は少し違いますゆえ、仕方はありませぬ」
「勘違いするでない忠元。おいも父上の死を悔やんでおるのは確かじゃ。されどいつまでも悔やんではおれん。貞真が言っておった肝付対策の件が少々気になるの」
義弘か箸でつまんだ小芋を口に勢いよく運んだ。
「肝付については案ずることはないでしょう。歳久様、家久様がついておられますので」
「ではなんじゃ。他に気にかかることでもあるというのか?」
義弘は昔からひとつのことに熱を入れると周りが見えなくなる性格があったが、事あるごとに忠元がそれを諌めて進路を変えてきたことがある。洞察力の効く忠元はこの場でも義弘と違う先見を見据えていた。
「又四郎様は後方役ではありませぬ。先を見てくだされ」
「日向か?」
義弘の問いに忠元は無言で頷いた。
「分かっておるわ。おいが飯野に入ったのは日向進攻のためじゃ。決して目的は忘れてはおらんぞ」
「それなら良かったです」
忠元は安堵の笑みを浮かべた。
その後義弘や忠元が考えていたほど大きな動きがないまま時が流れた。貴久の死により嫡男義久は正真正銘の当主になり、義弘はじめ周りの家臣団で義久を盛りたてる事で家中の大混乱を避けることができた。
真夏の薩摩で義弘は鷹狩りを愉しむ日々を送り、暇ができると加久藤城へ足を運び二年前に生まれた嫡男鶴寿丸の様子を伺いに行く日々が続いていた。
加久藤城は真幸院に位置する元々北原氏の居城であったが、永禄五年に北原氏を滅ぼし真幸院を手に入れると義弘が入城し、改築を行った。その後義弘は加久藤城から東に一里ほど離れた飯野城に入ったため、加久藤城には川上忠智を城代に妻のお芳(後の宰相殿)と鶴寿丸が住まいとしていた。
夕時、義弘は夏場の鷹狩りで真っ黒に焼け、大汗を吹かせながら加久藤城の城門まで来ると城からは忠智直々迎えにやってきた。
「ご苦労様でございます。ささ、中へお入りくださいませ。奥方も若君も殿のお越しを待っておられます」
忠智は身を低くして言った。
「いつも迎えさせてすまぬな助六。倅に会う前に水をいっぱい用意してくれんか?喉が渇いて死にそうじゃ」
義弘は馬上から言うと、忠智は周りの家臣に支度を急がせた。
加久藤城は小高い独立丘陵の上に築かれ、丘陵の周りは断崖の壁で囲まれており自然の城壁を造りだしていた。南側に大手門があり、その裏門に当たる北斜面は丘陵で最も急な崖で、侵入者を拒む構造をしている。大手門を抜けると切り立った岩の上に櫓が配され、曲がりくねった道をさらに進み搦手口、二の丸、本丸と続いていた。
義弘と忠智は二の丸の居館に入った。居館に入ると侍女が真っ先に義弘や貞真たち家臣への飲み水用意してきた。
水を豪快に飲み干すとすぐに部屋の奥から紅い艶やかな打衣を着たお芳がやってきた。腕には無邪気に微笑む鶴寿丸が抱えられている。お芳は義弘の継室で園田清左衛門実明(貴久の家臣)の娘であった。
「ご苦労様でございます。ぜひとも今宵は加久藤でお過ごしくださいませ」
「うん。そのつもりじゃ。助六すまぬが家臣たちの寝床を用意してもらえぬか?」
義弘の問いに忠智は優しい笑みを浮かべ、
「承知しております。今宵はゆるりとしていってください」
義弘は鶴寿丸を抱きかかえると、お芳と肩を並べて奥の居室へ向かって行った。
居室に入ると義弘は不器用な手つきで鶴寿丸をあやし、お芳は隣でそれを見守っていた。戦場では鬼のような働きをする義弘も妻や子供の前では優しい父親として精一杯家族に愛を注いできた。家族との時間が唯一の憩いの時間でもあった。
「お父上の悲報は誠に無念で仕方ありませぬ。ご冥福をお祈りいたしまする」
お芳は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
「父上はおいの尊敬する男じゃった。おいは父上の遺志を我が兄弟、家臣そしてこの鶴寿丸に伝えていかねばならんの」
義弘は一呼吸置いて、
「父上の死で家中や他国で動きがあるやもしれぬ。おいはそなたの支えが必要じゃ」
「何をおっしゃいますか。私は殿と夫婦になった瞬間からこの命が絶えるまで殿を支えていく所存にござりまする」
「ありがたいの。おいは良き嫁をもらったものよ」
義弘は照れ隠しのように大声で笑った。お芳もそれを見て笑みを浮かべていた。
翌日義弘は貞真たち家臣を先に飯野城へ返し、自身は加久藤城にしばらくの間滞在することになった。義弘は家族と過ごす時間を重んじて、しばしの間戦乱の世とは距離を置く生活を送った。