エスニック・ナイト
店のドアには、「本日貸切」の札が下がっていた。
ぼくと星姫が入ってきたところで、ユキトから聞いていた出席者は出揃ったようだ。
テーブルの上では、土鍋がカセットコンロに据えられて、ぐつぐつ煮えている。アヤシゲなカレーのにおいが、ダウンライトのみの店内に充満している。いつものバッハとうって変わって、得体の知れないエスニックな音楽が低く流れている。
いったいこんな音楽を、誰がどこで探してきたのか……と、疑問を覚えるまでもない。美由紀が黒猫亭で買ったのであろう。
出席者たちの顔ぶれもまた、いかにもアヤシゲである。
「これはこれは、ヨコマチ先生。ご無沙汰しております。お変わりありませんかな」
カウンター席の奥から、仰々しく声をかけたのが桜吹雪商店街の大御所、伊丹さん。痩身に白髪まじりの口ひげをたくわえたところは、柳生新陰流の免許皆伝といった雰囲気。実際に合気道の黒帯で、難癖をつけてくるチンピラごときは、ひと睨みで撃退する。
「はあ、おかげさまで」
と、ぼくは頭を掻いた。おかげさまで、相も変わらず売れておりません。
ボスの隣には佐々木さんが掛けており、ロックグラスを持ち上げてぼくたちを睨みつけた。が、むろん怒っているのではなく、むしろ早くも大御所とキコシメシて、上機嫌なのだった。
テーブル席の正面には、伊丹静香がつつましやかに座っていた。今年の六月に結婚したばかり。伊丹家の若奥さんは、その名のとおりのヤマトナデシコで、今夜はパーティー用のスーツを上品に着こなしている。結婚披露宴での和服姿は、商店街の伝説となっている。
けれど、ふだんは長い黒髪をひとつに束ね、ジーンズにエプロンを身につけて、かいがいしく働く姿が、青果店の店先を彩っていた。伊丹家自慢の嫁である。
テーブルの左、カウンター側には、佐々木ユキ。控えめなのによく目立つ静香と異なり、彼女はあくまで地味な印象。濃い緑のカーディガンに、淡い茶色のロングスカート。トレードマークの眼鏡をちょっと直して会釈した。ハタチになったばかりというから、この席上では最年少だ。
彼女の向かい側には胡さんが、こちらは飲んでもいないのに、赤い顔に汗を浮べて座っていた。胡さんと書いてホーさんと読む。中華料理「東風飯店」の主人で、百キロの巨漢。絵に描いたようなエビス顔は、鬼のような佐々木さんと好対照をなしている。
じつはこの二人、ウマが合うらしく、恵比寿・羅刹コンビで、よく商店街をねり歩いている。
レムリアン星姫は佐々木ユキの隣に腰をおろした。静香の向かい、テーブルの手前には美由紀が浅くかけており、カウンターの端を目指そうとしたぼくを、むりやり隣に座らせた。さっそく右隣から、話し好きの胡さんが声をかけてきた。
「や、ヨコマチ老師、最近見なかったが、ちゃんと食べてたか?」
「はあ、おかげさまで」
「それはケッコー。食欲あれば何でもできる、イー、アル、サン、だーっ、というやつネ」
「どこで覚えたんスか、そんなフレーズ」
「ハハハ。今日は楽しみだネ。最近の人、どうか知らないけど、ワタシ中国いた頃はよく言われてたコトあるヨ。ヨンロオ、ツァンツォイ、ヤンプンロオポオ、とネ」
いまひとつ、話の脈略がつかめない人だが、自分からどんどん喋ってくれるし、リアクションも期待しない。コミュニケーションが致命的に苦手なぼくにとっては、希少な気安い相手といえる。ツァンツォイは中菜、すなわち中国料理。ヤンプンは日本だが、あとはわからなかった。カウンターから、佐々木さんが口を出した。
「洋楼は洋風の家、中菜は中華料理、日本老婆は、日本人の奥さん、ですかな」
「そ、中国人の三大理想がそれだったネ。ワタシも日本人のニョウボウ、ほしかったヨ。ヨコマチサンも早くオクサンもらう宜し」
胡さんは十五年前に広州から夫婦で渡ってきた。東風飯店も、ほとんど二人できりもりしている。カンフー使いだという奥さんに、いつもどやされているのは確かだが、決してクサンチッペのような悪妻ではない。細面の優しい美人である。胡さんもお尻を蹴飛ばされながら、内心喜んでいるのではなかろうか。
かれの視線が、ぼくと牧村美由紀の間を行き来しているのは、おおいに気になったが。
「それでは、宴もタケナワとなり」
「まだ始まってません」
皆が儀礼的にユキトに突っ込んだ。




