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救出

「こういったものが、役にたつのではないでしょうか」

 見れば、いつの間にかユキトは、柄の長い、大きな木槌を手にしていた。クロッケーで用いるもので、童話の世界では、アリスがこれの代わりにフラミンゴを逆さに持たされていた。スティーブン・キングのホラー小説『シャイニング』においては、斧を用いる映画版と異なり、こいつがぶんぶん振り回される。

 ジャック・ニコルソンならぬユキトが振り回したところで、大入道に太刀打ちできるとは思えないが。

 店の奥まで進み、西洋甲冑の武者をやり過ごして、右側の壁にかけられた、草花のタペストリーをめくった。そこに二階へ通じる階段がある。星姫のちょっとしたイタズラ心で、知らない人が見れば、武者の後ろから忽然と彼女があらわれたように見えるのだ。銀の鎧を軽く叩いて、ユキトが言う。

「着なくていいんですか」

「ぼくは白の騎士というわけか。胡桃沢夏美にも、そんなことを言われたなあ」

 童話の世界では、一応、白の騎士がアリスを助ける役どころである。

 ユキトが先に立って階段をのぼった。せまい踊り場の壁には、枝つき燭台がひとつ。模造品らしく、炎の代わりに電球が、うっすらとともっていた。左右の壁に、ひとつずつ嵌まっているドアは、猫の右眼と左眼に通じるのだろう。

 ぶうううーーーーんんん、という、いかにも不穏な重低音。

 どちらのドアの隙間からも、細く灯りが洩れていた。汗ばむほどの暑さで、ぴりぴりと電気的な震動が足から這い上がってくる。左眼には美由紀が、そして右眼にはゼットがいると考えられるが、まずはメイ探偵を救出しておくべきだろう。あれから縄抜けが見つかって、もっとひどい有様になっていないとも限らない。

 鍵の妖怪110番こと、キイを呼び出す前に、反対のポケットからイコが顔を出した。

「開いておりますねえ」

 なるほど、ノブに手をかけると、それは難なく回った。よくある刑事ドラマのように、背後のユキトと目配せして、勢いよく引き開けた。合気道歴一週間。ぼくは受け身の要領で、部屋の中に飛び込んだ。片膝をついて身を起こしたとたん、正面から柔らかいものにホールドされた。

「助けに来てくれたのですね!」

 乳房というものが充分兇器になりうると、このときぼくは確信した。あと十秒、彼女が離れるのが遅かったら、確実に昏倒していただろう。荒い息をつきながら見れば、にこにこ顔の彼女の服は、あっちこっち切り裂かれていた。瞬時、鞭で叩かれたのかと考えたが、どうやら鋭利な刃物で裂かれたとおぼしい。

「ケガはないか」

「一張羅が、台無しになっただけですよ」

 スカートにスリットがいくつも入っていたり、一方の肩が出ていたり、胸の谷間があらわになっていたりと、テレビ版『酔拳』におけるユエン・シャオティエンの吹き替えの物真似で、「おまえ、なかなかセクシーじゃのう」と言いたいところ。覚えず顔を赤らめて目を逸らしてしまうところが、なかなか悟れないぼくらしい。

「そろそろ行きましょうか」

 振り返ると、ユキトが入り口で木槌にもたれていた。きっとぼくがやれば間抜けなポーズも、憎らしいほどキマっている。胸元を掻き合わせつつ、美由紀が言う。

「よろしいんですか、マスター」

「ぼくがぼく自身の夢を壊すことになると、そう言いたいんだね。でも、荻原がかかわっている以上、やっぱり壊さなくてはいけないんだよ。これ以上、あの人にぼくの夢を……ユキノを横取りされるのは御免だから」

 猫の左眼を出て、ぼくたちは猫の右眼へ通じるドアの前に立った。ほとんど無意識に、ぼくは額の汗を袖でぬぐった。

「イコ」

「開いておりませんねえ」

「ならば、キイ」

「わたしの出番じゃないよ。そうだろう、美青年の兄さん」

 ユキトは微笑んでうなずいた。ぼくと美由紀に「少し下がってください」と言い、クロッケーの木槌を思うさま振り上げ……

 ドアに叩きつけた。

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