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ペンタクルスのエース

 部屋に戻り、少しばかり仕事をした。

 売れる見込みのまったくない小説の執筆。デビュー当初は自信満々だったぼくも、五年にわたって原稿を握りつぶされるうちに、すっかり萎縮してしまっていた。いったい何を書けばいいのか。どうすれば原稿を買ってもらえるのか。そもそもぼくは、何のために書いているのか。これがぼくの望んだ人生なのか……

 ユキトに借りた炬燵の中で、こちらは佐々木さんにもらったビンテージなワープロのキーを、意地になって叩いているうちに、いつのまにか、うとうとと眠ってしまった。黒いアリスの衣装に身をつつんだ牧村美由紀が、大蛸と花のワルツを踊る夢を見た。

 他人の詮索はしない主義なので、牧村美由紀の素性はよくわからない。ユキトの愛人でも親戚でもないらしく、ぼくが転がりこむ一年ほど前に、やはりぼくと似たようなシチュエーションで転がりこんだような話を、聞いた覚えがある。あれで案外、苦労したのかもしれない。

 ノックの音に起こされた。

「開いてるよ」

 基本的に、ぼくは鍵をかけない。盗まれるものが何もないからだ。

「おやセンセイ、お仕事中でしたか」

 いかにも演技らしく驚いてみせたあと、二階堂ユキトが遠慮なく上がりこんできた。

 喫茶店「フォルスタッフ」がオープンしたのは、美由紀が転がりこむ、さらに二、三ヶ月前だという。オーナーでありマスターである二階堂ユキトのプロフィールは、美由紀以上に謎につつまれている。いったいどこで儲けたのか、たんまりカネを持っているのは確かで、それゆえに、こんな流行らない喫茶店でも、やっていけるのだ。

 あまりにも整った容姿のせいで、作り物のような印象を与える。美由紀が言うように、サディストなのかどうかは知らないが、ほとんど感情を表に出さず、取り乱したところを見せたことがない。いつもマスターというより、バーテンダーみたいな恰好をしているが、ウェイトレスが奇抜なおかげで、あたりまえに似合っている。

「そろそろ始めようと思うのですが」

「もうそんな時間か。今夜は何人くらい集まるんだい?」

「ぼくたちを除いて七人です」

 ユキトは指折り数えてみせた。佐々木さんとユキさん。ホーさん。レムリアンさん。伊丹さんと若奥さん。

「六人じゃないか」

「おろ?」

 昔の剣豪のように目をまるくした。

「まあ、席が余るぶんには問題ないでしょう。あとで幸吉さんが見えるかもしれませんし。センセイも、すぐに降りて来てくださいますよう。お待ちしております」

 美貌の執事のように一礼して、かれは去った。やれやれと腰を上げ、ぼくは「例のブツ」が外から見えないよう、紙袋にしのばせて部屋を出た。もちろん、鍵はかけないまま。


「ヨコマチさんでは?」

 店の前で呼び止められた。

 振り返ると、街灯の灯りの下で、黒ずくめの女が、こころもち首をかしげていた。腰まで届く長い髪。ほっそりした体形を見るにつけても、松本零士先生が描く妖艶な美女をおもわせた。

「秘密めいた荷物を抱えていらっしゃるけれど、ふふ。よからぬ考えはお持ちでないようね。ちょっと堅実すぎてつまらないところが、先生らしいかしら」

 夜気をふるわせる、鈴のような声。新月の唇。どこから取り出したのかわからない一枚のカードを、女は指先でひるがえした。そこに描かれていたのは、雲の中から突き出た巨大な手に、五芒星の意匠のコインが握られているという、奇抜な絵柄だった。

 作家として、ぼくにもタロットカードの基礎知識くらいはある。黒ずくめの女……レムリアン星姫がかざしているのは、ライダー・ウェイトのタロットの一枚。ペンタクルスのエースである。

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