クローンのタマシイ
「どこで油を売っている?」
「黒猫亭です。油を売るかわりに、監禁されて油を絞られたわけですが」
「監禁だって?」
思わず声を上げ、驚き顔のユキと目が合った。わざとらしく咳払いしつつ、背を向けて声をひそめた。
「何できみが、星姫さんに監禁されなくちゃならないんだ。キイに寄生されていたのは、彼女じゃないぞ」
「やっぱりサマーでしたか」
「どうしてわかった?」
「今まで発芽しなかったのですから、男性と二人きりになるチャンスが少ない人に限られるでしょう。サマーは、カレシはいないと言っていましたし。静香さんなら、もっと早く幸吉さんか伊丹さんを襲えたはずです。それで、キイちゃんはどうなりましたか?」
ではやはり、キイは今日初めて発芽したのか。ますます混乱しながら、キイが出現した経緯を手短に説明した。一応作家なので、こんなときは要領よく話せる。佐々木ユキは、さすがに気になる様子だったが、布団ひとつぶん離れているし、声が洩れても、ほとんど暗号みたいに聴こえたろう。
ノイズの底から、美由紀が言う。
「わかりました。幸吉さんを襲ったのは、むろん、キイちゃんではありません。あらかじめ星姫さんの所に来ていた末の妹、ゼットちゃんです。星姫さんの反応を見るに、わたしの推理はおおむね事実に沿っていたようです。ここまで事態が切迫するとは、さすがに考えていませんでしたが」
「コンフューズして頭のヒューズが飛びそうだ。もう少し、順を追って説明してくれ」
あまり時間がないので、と前置きして、彼女は今朝、黒猫亭に乗りこんでからの経緯を語った。星姫にぶちまけた彼女の推理は、ぼくにとっても驚愕の連続だった。
「ゼットが、リトルシスターと一体化しているというのか。ならば、ゆうべテレビからあらわれたのは何者だ?」
「いわば、リトルシスターの生き霊でしょう。ベースの肉体を得ることで、霊魂、といいますか、意識のかたまりを飛ばすことができたのです」
「ユキトをお兄さまと呼んだのは?」
「もともとリトルシスターは、マスターから取り出された情報をもとに合成されています。ゲノム、というのでしょうか。わたしにはよくわかりませんが」
「しかし、霊魂を合成するなんて不可能だぞ。肉体のクローンは作り出せても、タマシイは別モノだ。霊魂がどこから来てどこへ行くのか、コンピューターごときにやすやすと解析された日には、哲学も宗教もお払い箱になる。ぼくたち文学者だって飯の食い上げだ。まったく食えてないにしてもだ」
と、我ながら支離滅裂なことを言っている。けれど、クローン人間と言えば恐ろしげに響くが、最も身近なところで、一卵性の双子はお互いのクローンである。そしてかれらに別々のタマシイが宿っていることは、言うまでもない。全く同じDNAを有していても、別人なのである。
だから例えユキトのクローンを得たとしても、ユキトのタマシイは入らない。お釈迦さまのDNAを発掘してクローンを作っても、悟りを開けるとは限らない。モーツァルトのクローンが、プロ野球選手になるかもしれない。とにかく、どこから来るのかわからない霊魂が、いきなりユキトを兄と呼ぶ確立は、限りなくゼロに近い。美由紀は言う。
「おそらくリトルシスターは、マスターの中にあった二つの人格のうちのひとつです。マスターのもうひとつの人格の名前、それが『ユキノ』さんではないでしょうか」
ああ、人でなしの恋……
「ところで、きみは大丈夫なのか。椅子に縛りつけられているのに、どうやって電話している?」
「十徳ナイフですよ。今朝、ヨコマチさんから借りたやつを、ソックスに挟んでおいたのです。さいわい、上半身はがっちり固定されているわりに、脚は自由でしたからね。とてもお見せできる恰好ではありませんでしたが、悪戦苦闘の末、縄抜けに成功しました」
ノイズがひどくなってきていた。そのことを指摘すると、美由紀の声に緊張が走った。
「ヨコマチさん。どうか、急いで助けに来てください。ゼットちゃんは現在、隣の部屋である、猫の右眼にいるはずです。OMEの技術者が来ているみたいですので、早く阻止しなければ、ゼットちゃんの人格が、半永久的に凍結させられてしまいます」
「つまり、ゼットの肉体とユキノのタマシイを、OMEは、いや、荻原新一郎は欲しているというのか。いったい何のために?」
「二階堂弥生さんを復活させるために」
ふっつりと、通話はそこで途切れた。




