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電話

 煙草を揉み消して、星姫は窓辺に歩み寄った。トランプの柄の、みょうに少女趣味なカーテンの隙間から、外を眺めた。

「あなたの言うとおりだとしたら、わたしはひどい裏切り者ね」

「だれを裏切ったと、お考えですか」

 彼女は答えず、振り向いた。疲れきったような眼差し。唇には、自嘲的な笑みが浮かんでいた。ぴりぴりと電子音が沈黙を破り、星姫は眉根を寄せて、再び小テーブルへ向かった。細い煙を上げている灰皿の横から、携帯電話を手にした。

「わたしです……ええ。ええ……目を覚ました? どちらの人格が出ていますか? ……ええ。わかりました。すぐ行きます」

 急いで部屋を出て行こうとして、美由紀をかえりみた。複雑な表情。何か言いかけたが、そのままきゅっと唇を結び、きびすを返して部屋をあとにした。ドアの閉まる音が響いたが、鍵をかけられた形跡がないことを、美由紀は確認しておいた。

 ぶうううーーーーんんん、という震動音が、心なしか強まったように感じられた。

「さて……急がなければ」


 遠慮がちに、ドアがノックされた。

 美由紀ならノックしないし、ユキトなら遠慮しない。ぼくは飛び上がりつつ、イコに目配せした。姉は妹の手を引いて、素早く物陰に身をひそめた。また押入れに放りこまれては、今度こそキイが黙ってはいまい。ドアが開き、遠慮がちに顔を出しのは、佐々木ユキ。

「ごめんなさい。お店が閉まっていたもので。牧村さんもお留守のようだし」

「まだ帰っていないのか……」

 独り言みたいにつぶやいた。彼女はドアを開けた姿勢のまま、目をぱちぱちさせていた。

「お仕事中でしたか?」

「ああ、いえ。仕事なんて、あってないようなもので。よろしかったら、中へどうぞ」

 言ってしまってから後悔した。布団は敷きっ放しだし、ぼくの体には泥やらコケやらが付着しているし、もしかしたら、胡桃沢夏美の残り香があるかもしれない。おずおずと、佐々木ユキは靴を脱ぎ、布団の隅に正座した。消え入りそうな風情。

「あの、ゆうべはなんだか、ご迷惑をかけちゃったみたいで。伯父の話ですと、牧村さんの肩をかりて帰宅したとか……わたし、コーヒーを飲みにうかがったつもりだったのですけど。どうしちゃったのでしょう?」

 案の定、全く記憶に残っていないようだ。しかし酒が入ったとたん、あれほど人格が変わる娘も珍しい。もともと、二つの人格が共存しているのではないかと疑うほど。シラフの彼女とのギャップが激しいだけに、なおさらである。もしありのままの行状を伝えたら、お嫁に行けないと泣き伏すかもしれない。

「ユキトのやつが、ブランデーなんか出すものだから。どうかお気になさらずに」

 そのとき、しっとりとしたバラードが鳴り始めた。ジャニス・イアンの『ユー・アー・ラブ』だ。故・小松左京先生原作の角川映画、『復活の日』のテーマであるから、案の定、ユキの携帯が鳴っているのだった。

 あたふたとバッグから電話を取り出し、彼女は発信元を確認した。通話ボタンを押す前に、「牧村さんから」と、ぼくに小声で伝えた。

「はい、佐々木です。え? ごめんなさい、少し電話が遠いみたい……はい。今、ヨコマチさんと一緒ですが。よくわかりましたね。はい……構いませんよ」

 電話を顔から離して、ぼくを目でうながした。

 手わたされた真紅の電話機を耳にあてた。アナログラジオのようなノイズ。九州の田舎から、遠い都会の放送を聴こうと、懸命にチューニングをいじっていた中学生の頃が思い出された。

「はいはーい。こちらあなたのメイ探偵、牧村美由紀ですよ。CQ、CQ。よろCQ、なんちゃって。すっかり遅くなってしまいましたが、ご機嫌いかが、ヨコマチさん」

 回線を切断したい衝動を、ぼくはかろうじておさえた。

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